デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.230-235(DK510063k) ページ画像

大正4年4月13日(1915年)

是日栄一、当会社名古屋支部ノ代理店招待園遊会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三二三号・第四三―四五頁大正四年四月 ○青淵先生の関西旅行(DK510063k-0001)
第51巻 p.230-231 ページ画像

竜門雑誌  第三二三号・第四三―四五頁大正四年四月
    ○青淵先生の関西旅行
青淵先生には令夫人同伴にて、四月二日午前七時二十分東京駅発汽車にて関西地方に向はれ、途中興津駅に下車して井上侯を見舞ひて再び乗車名古屋に向はれしが、其後京阪神各地新聞紙の伝ふる所の概要は即ち左の如し
 - 第51巻 p.231 -ページ画像 
○中略
△大阪朝日新聞 京都に滞在中なる渋沢男夫妻は、来る十二日午前十時四十分京都発にて、同日午後三時五十三分名古屋着、二日間滞在、第一銀行取引先請待会及び東洋生命保険会社支部の代理店請待会等に臨席、十四日帰京する筈
○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK510063k-0002)
第51巻 p.231 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
四月十三日 半晴
午前八時起床入浴シテ朝飧ヲ為ス、後来客ニ接ス、此日ハ名古屋市ヲ去ル二里許リ東郊八勝山《(八事山)》ニ於テ、東洋生命保険会社ノ尾勢濃三州ノ各代理店主任会合ノ事アリテ、余ニモ出席ヲ請ハレタレハ、午前十時ヨリ自働車ニテ八事山八勝館ニ抵リ、来会者一同ニ向テ一場ノ講演ヲ為ス、畢テ山上ノ茶店ニテ種々ノ饗応アリ、且手踊等ノ余興ヲ見ル○下略


(東洋生命保険株式会社) 社報 第二八号・第三六―三九頁大正四年四月 名古屋支部の園遊会 渋沢男爵臨席せらる(DK510063k-0003)
第51巻 p.231-232 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 社報  第二八号・第三六―三九頁大正四年四月
    名古屋支部の園遊会
      ▽渋沢男爵臨席せらる△
 吾社の名古屋支部は、四月十三日を以て、愛知・三重・岐阜三県下の代理店尽力者・新聞記者等百余名を名古屋に招待して園遊会を開催せり。顧みれば諒闇以来、悲哀の雲、憂愁の雨、天地を鎖し、国を挙げて生色なかりしこと前後四年、昨日諒闇始めて明け、春色濃かにして花咲き鳥歌ひ、九重雲晴れて御大典の準備を進めさせ玉ひ、国民歓喜勇躍して生々の気四海に充つ。今日は諒闇明けの第二日、連日の雨全く霽れて真に心地よき東洋日和、場所は名古屋郊外八事山八勝館なり。午前十時頃より、代理店主幹各位は陸続として旧臘移転したる伝馬町の支部を訪はれ、尾高社長揮毫の屋根看板をも一覧の後、社員の案内により八勝館に参会せらる。会場の入口には大国旗を交叉し、東洋生命保険会社園遊会場の立札は、笑つて来客を歓迎するに似たり。庭園は一帯の丘陵に在り、自然の景勝に富み、北に木曾の御岳、南に伊勢海を望み、双眸を放てば八勝の大観を恣にすべく、園内は翠松の間、桜楓点綴し、爛漫たる万朶香雲漲り、加ふるに躑躅花満庭に燃えて、春風春色一時に溢るゝを覚ゆ。やがて渋沢男爵・同令夫人は自働車にて着せられ、尾高社長並に同令夫人等と共に少時園内の風趣を賞せられたる後、一同大広間に参集、先づ社長は満面に喜を湛へ、来会者一同に向つて慇懃に挨拶の辞を述べ、厚く平素の尽力を謝せられ、次に柴田支部長の簡単なる挨拶に続いて渋沢男爵閣下を紹介すれば、急霰の如き拍手に迎へられて、男爵は約四十分間に亘り一場の演説をものせられたり。右了りて園内絶勝の地にて写真を撮影し、園遊会に移り、模擬店を開き折詰を配布すれば、紅裙其間に斡旋して、名古屋名物の饂飩、八事名物の湯豆腐、それお汁粉、それお酒、ビールと何れもナモキヤモ弁の愛嬌に、歓談笑語湧くが如く興趣愈加はる。(渋沢男爵は此時第一銀行の御用向にて退場せらる)余興には、芸妓の手踊りあり、明星代理店山本君の仕舞八島、中西社員の踊り数番、松川
 - 第51巻 p.232 -ページ画像 
社員の滑稽知らぬ顔など皆一同の喝采を博す、次に再び席を大広間の懇談に移し、尾高社長より経済界の将来並に社業上の懇話あり、明星代理店山本久太郎君一同に代り挨拶を述べられたる後ち種々の希望所感を語られ、社長亦之に応ふる所あり。次に中田大阪支店長の浄瑠璃寺小屋あり、最後に尾高社長は得意の喉に玉藻の前の一段をかたられ数々其妙境に満場の拍手を浴び、成る程日本一だと感賞するもの、今日始めて芸術の権威を知れりと嘆美するものあり。時薄暮に近つきたれば、山本君の発声にて、東洋生命万才、尾高社長万才を三唱し、社長の発声にて、代理店主幹各位・来賓各位の万才を三唱して一同和気靄々の裡に散会せり。本社は来る十月を期して契約高五千万円を超過せしめんとし今正に其道程に在り、此時に方りて五十余名の代理店各位が指導監督の渋沢男爵並に尾高社長と一堂に会せらる、至誠の迸るところ、活気の磅礴するところ、山雨欲来風満楼、今後の活躍期して俟つべきなり。終りに臨みて社員諸君が此機運に乗じて全精神全精力を専注せられんことを至嘱の至りに堪へず。
当日の出席者左の如し(次第不同)
渋沢男爵 同 令夫人
○外ノ氏名略ス。
 当日会場に於ける渋沢男爵及び尾高社長の演説筆記は、都合上本誌次号に掲載することゝせり。


(東洋生命保険株式会社) 社報 第二九号・第七―一四頁大正四年五月 保険事業と時局観 男爵 渋沢栄一(DK510063k-0004)
第51巻 p.232-235 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 社報  第二九号・第七―一四頁大正四年五月
    ○保険事業と時局観
      (本編は去る四月十三日当会社名古屋支部の園遊会に於る青淵先生の演説要領にして文責記者に在り)
                  男爵 渋沢栄一
 諸君、私は今日東洋生命保険会社代理店諸君の御会合に参加致して皆さんにお目に懸ることを得ましたのを、寔に喜びと致すので御座います。直接に事務を見て居りませぬ為めに、東洋生命保険会社が斯様な取扱をと云ふ事を申上げる智識は御座いませぬけれども、十数年来此の会社の成立を承知して居りまして、殊に五・六年此方、今日社中に居ります尾高氏が私と厚い親戚の関係を有つて居り、其他の重役も多くは懇親の方々で御座います縁故から、別して或場合には御相談対手となつて、多少の御力添を致して居るといふやうな関係もありますので、斯る御会合の機会には成るべく出席して、代理店其他の諸君に向つて御尽力を請ひますのを例と致して居ります。
 保険の事業が如何なる運命を有つて居るかといふ事は、素人の私にはよく判りませぬが、併し銀行業や保険業といふものは、自家の活動よりは他の影響に因つて繁昌いたすものであつて、猶ほ申さば鏡に或物が映つるといふに同じやうで、世の中の景気が其事業に映つて参るものと解釈して宜しからうと思ふ。故に其会社若くは其会社自身が発展するからといふて強ちに自慢は出来ぬが、さればと云ふて若し其鏡が曇つて居れば、如何に五色の彩色が現はれても充分に映写は致さぬ又其方向を丁度宜く向けなければ其の彩色は其の鏡に映つて来ぬ、故
 - 第51巻 p.233 -ページ画像 
に先づ鏡を綺麗にし、方向の鑑定を誤らず機会を外さぬやうにせねば如何に社会の進歩に因つて事業が繁昌するものと言つても、一概に左様と計りいふて居る訳には往かないやうに考へます。或事業に就ては己れの働きのみで独りで進んで往くといふものが、或は有るかも知れませぬ、併し殆ど物質的文明の仕事は、大抵自分許りの力に依つて盛になるといふ訳には往かぬ、社会と共に進まなければ不可ぬと云ふことは理の常である、別して保険業・銀行業などは社会の進歩に伴ふものと判断して誤りは無いと思ふ。私の事業は銀行であるから、保険と或点は趣を異にするが、社会の景況が己れの働きの上に映つて来るのは、其理一と申しても宜しからうと思ふ。故に銀行なり保険なりの未来の運命を卜するには、社会が如何になるかと云ふ事を、先づ第一に考へて見ねばならぬ事と思ふのです。惟ふに今日の時代は却々に深く考慮せねばならぬ所があるやうで、結局、此戦争が何時終了するか、其後が如何なる傾きを為すか、又現在日本の実業界……保険事業許りとして観ては居られませぬ……が如何なる位置に居るか、将来其進展の工合がどう変はるかと云ふことは、御同様宜しく考慮せねばならぬ事と思ひます。蓋し之れは未来を説く事で御座いますから、誰方としても、決して細かく知り得る事では御座いませぬし、又来年の事を言ふならば鬼が笑ふといふ諺の如く、俗にいふ一寸先は暗で御座いますさりながら寒中に春の花が咲くだらうか否といふことは、予言者たらずとも言ひ得るし、又之れから追々暑くなるに随ひ、三伏の炎熱が来るといふことは御互に知つて居る。又其次ぎには雪の降る季節が来ることは、大概前知し得られるので御座いますから、経験と統計と道理とを以て考へましたならば、行末の事も大凡必ず予想し能ふものと申しても、決して過言では無いだらうと思ひます。
 其処で日本の大体の国運、更に近く言へば実業界の発展が、どうなるであらうかと云ふ事は、矢張り今の大数から論じますれば、斯ういふ風にと大体の考察は出来はしまいか、唯他からの変化がどうくるかと云ふ事は、考察上甚だ重要な点であると存じます。蓋し昨年八月戦争が起るとは御同様予期しなかつた、又起つても早く済むであらうと想像したが、半年以上を経ても未だ戦雲は暗澹として居るといふ事は実に御互に想像し無かつた事であるからして、斯の如く既往を以て考へますると云ふと、未来も甚だ判らぬと言はねばならぬ所も御座います。併し結局始つた戦争が永久に継続するものではない、必ず或時期には終局を見るであらう。又日支の交渉も成る可く穏かに、且つ先方に深い恨みを持たしめない程度に結了する事を、御同様期待して已まぬので御座います。而して其後に於ける我国運は如何になるか、又欧羅巴の世界がどういふ有様になるかといふ事は甚だ難問で御座います即ち其暁に、引続き軍国主義が益々強くなつて、国家は始終武装平和といふて軍艦も造らねばならぬ、師団も造らねばならぬといふ方のみに傾いて往くか、又或は予て亜米利加辺りで提唱されて居る平和論が有力となつて、平和的協約が何れの国にも締結され、武装の程度が相当なる制限を以て遣るやうな訳になつてまゐりますか、此二つは立派な政治家とか世界の事情に通じてゐる学者には凡そ知り得るか知れま
 - 第51巻 p.234 -ページ画像 
せぬが、私共には却々察知することが出来ませぬ。然し乍ら何の道、吾々実業界に向つて、更に一層働く勇気が増して来るといふ事は、之れは御互に論じ得られると思ひます。況んや此戦争の関係は、最初の中こそ貿易其他の一般経済界に打撃を与へて居りましたけれども、段段と好い調子に恢復して昨今では、欧羅巴あたりから諸般の工業品に対して注文を申越されるといふ、実に千載一遇の好機運を齎して呉れたやうでありますから、此機運は吾々余程帝国の為めに祝福し、又新しい覚悟をせねばならぬ事と思ひます。若も斯る機会を逸したならば日本の力を伸ばす日がまた何れの時に来るであらうかと、斯う申したいやうに考へるのであります。元来日本の之れまで取つた誉れの多くは……御集りの方々は実業上に御従事の方々と察しますが、お互の力で取り得たる国家の誉れは十のものなら二位しかない。日本が一等国だとか大国民だと云はれる様になりましたのは、十中八まで鉄砲玉の効能であつて、詰り軍人の力に因つて得たる誉れが多いが、鉄砲玉で獲たる誉れは極く鞏固なものとは申し得ぬであらう。吾々が実業家であるから、我田にのみ水を引くと政治家や軍人は言はつしやるか知れぬが、何れの国でも武力のみに依つて其国が強いといふことは信じられぬ。英吉利の如き、海軍は強いか知らぬが、陸軍は実に弱い。然るに富強の国として堂々と存在するのは、全く英吉利国の実業界の力に依るので、或は金融にせよ運輸にせよさういふやうな事に就て、総て地歩を完全に占めて居るといふ事は、彼の国が永久の強さを保つて居る所以で、今に御覧なさい、亜米利加なども段々同様に進むと思ふ。独逸の如き余り武力に意を用ゐ過ぎて、甚しきは己れ一国が世界の支配権を持たうと云ふやうな野心をも持てゐる為め、あゝいふ風になつたではないかと思ふ。之れは悪く言ふと『慢は損を招く』ものであるまた之を支那流に言へば、儒家の所謂天が承知せぬ、宗教でいふと神が承知せぬ、斯様な考へはまあ永続せぬと思ふ。故に武力斗りでなく実業なり其他多数の力が順序宜く進んで往くといふ事が、国家が何時迄も繁盛を保つ所以で、独逸の今日の状態は、自家だけ好ければ宜しいといふ様なやり方で、孔子の所謂忠恕の観念が乏しいから起つたと言つて差支へない。之れに反して英吉利の盛んなのは、武力の外にも種々の利益を考へて居るからであると思ふ。此自他多数の利益を考へるといふ事が、則ち実業界の発展進歩となるのであつて、実業界の進歩発展は総ての方面から共助的に導いて往くのが、一番必要であると考へますが、幸ひに此欧洲の戦乱は我帝国をして唯武力のみの誉でなしに、従来武力の誉れが十中八あつたら、今度は武力の誉れを六にして、実業界の誉れを四にするといふやうなる時機を持ち来らしむるかと想像されます。果して左様の機運が来るならば、冒頭に申上げました通り鏡に物が映つるの理に因り、こちらも成るべくよく映らせるやうに心掛けねばならぬ。眠つてゐたり怠惰悠長であつては物は鏡に映らぬのであります、就ては其機運の成るべく早く来る様に、又或場合には其機運を根底より作り為すだけの、誠意・勇気・熱心・勉強といふものが弥々必要になつて来る。
 大分放慢な話になつて、趣意が一に帰さぬやうな嫌ひがありますが
 - 第51巻 p.235 -ページ画像 
将来は此保険事業が、如何になるであらうか、世の進運が果して保険を進むるだけの機運に向いてゐるか、或はさう望むのは無理であるか自分の考ふる所では、幸ひに此戦局が収まつて後、只今申した如くお互実業家の力に因つて国運を進めて行くことの機運ともなりますならば、夫れこそお互の為めには好時節となるのであつて、此保険事業なども更に大に進んで来る事は、もう疑ふべからざるものと私は楽観致すので御座います。


竜門雑誌 第三二四号・第六三頁大正四年五月 ○東洋生命名古屋支部の園遊会(DK510063k-0005)
第51巻 p.235 ページ画像

竜門雑誌  第三二四号・第六三頁大正四年五月
○東洋生命名古屋支部の園遊会 東洋生命株式会社名古屋支部にては、四月十三日を卜し愛知・三重・岐阜三県下の代理店尽力者・新聞記者等百余名を名古屋郊外八事山八勝館に招待して、午前十時より園遊会を開きたり、青淵先生にも関西旅行の帰途令夫人と共に招待に応じて出席せられ、尾高社長の挨拶ありたる後、一席の演説をなして程なく退場せられたりとなり



〔参考〕(東洋生命保険株式会社)社報 第二五号大正四年一月 富国と強兵 青淵先生(DK510063k-0006)
第51巻 p.235 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第二五号大正四年一月
    富国と強兵
                      青淵先生
予の立場より戦乱を説くは、甚だ難事なれども、上戸は酒の利を知り下戸は酒の害を知る。予は実業界にありて、戦乱の影響を受くるものなり。富国強兵は必ずしも国富めば兵強しといふ意にあらず、国富みて兵却つて弱くなること甚だ多し、兵強き時も国富むとはいふべからず、富と強兵とは取離して考ふべきものなり。而して富国と強兵とは共に充分に発達せしめざるべからず。個人に就ても、人格と財産と、共に等しく必要なり。仏国の如き、其の富天下に冠たるの観ありしも今現に行はるゝ戦争の実状を見れば、其の兵は、必ずしも天下に冠たりといふべからず、予は予の立場より、平和を主張する者なれども、国に富力と武力との両立を必要とすることは、堅く信ずる所なり。諸子も亦一方に勇敢なる軍人となり、他方には有為なる実業家とならざるべからず。



〔参考〕(東洋生命保険株式会社)社報 第二五号大正四年一月 戦争の善用 青淵先生(DK510063k-0007)
第51巻 p.235 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第二五号大正四年一月
    戦争の善用
                      青淵先生
戦争毎に、我国の経済界に与ふる打撃は決して少からずと雖も、一般には、人心緊張の結果却つて国運の発展を見たり。為めに、戦争は呪ふべきものにあらずして、祝福すべきものなりとの誤解をなすものすらあり。蓋、戦時国運の発展を見るは、戦時其のものゝ利益にあらず戦争のために一般人民の困苦に打克つ力強くなり、協力一致して業に当るの結果なり、戦争は義戦たるを要す、我国幸に義戦を重ぬること数回、今亦友邦の為めに義戦を行ふ。宜しく直接兵事に関係なきものは、志気を緊張して之れを善用せざるべからず。即ち自愛自重を望む所以なり。