デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.237-239(DK510065k) ページ画像

大正5年11月13日(1916年)

是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当会社主催、第一銀行幹部招待会兼栄一喜寿祝賀会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。


■資料

(東洋生命保険株式会社)社報 第四七号・第二三―二六頁大正五年一一月 第一銀行幹部諸氏招待会(DK510065k-0001)
第51巻 p.237-239 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第四七号・第二三―二六頁大正五年一一月
    第一銀行幹部諸氏招待会
 我社は十一月十三日、渋沢男爵・徳川公爵を始め、佐々木第一銀行頭取以下総支配人外本店幹部各支店長、及び渋沢家より尾高幸五郎氏・八十島親徳氏・増田明六氏等約四十名を日本橋倶楽部に招待して、男爵の喜寿を祝すると同時に、常に我社のため甚大の後援と好意とを与へらるゝ各位の御懇情を謝せんがため、一夕の清宴を張れり。
 午後四時半開会、余興として最新着の活動フイルム数種映写の後、客月中渋沢家王子飛鳥山邸に於ける、第一銀行員招待会の実景を写したる活動写真の封切りを映写したるが、其画面に表はれたる景色は総て飛鳥山渋沢邸の庭園にして、庭上に設けたる接待場に映し来る人物は、何れも皆此夜列席され居る諸氏にして、それぞれの千姿万容が主客の眼前に活動する事とて、其感興も亦一入なりき。かくて宴に移るや尾高社長は、劈頭左の軽快なる挨拶を試みられたり。
 「今夕は皆様の御光臨を戴きまして、私共は只々欣喜の情に堪へませんので御座います。併し亭主たる私共は御承知の如く、諸事無器用の者計りで、賓客を宴席に御待ち申上ぐるには、余りに不調法で何共恐縮に存じます。我東洋生命保険会社は、玆に改めて申す迄もなく、東京は勿論、各地に於ても一方ならず第一銀行本支店の御蔭を蒙て居りまする、西は九州より北は北海道まで、また日本海を越えては朝鮮まで、各方面に於て、年中の御厚情を此一夕の宴席にては挨拶を申し尽せる義ではありませんが、今回皆様が前頭取渋沢男爵閣下の喜寿の御祝の為めに遥々と御集りになられた、これ誠に目出度い機会でありますから、当会社は此好機会に於て万分一なりとも御礼を申上げて、以て自ら安心を得たいの願ひ、幸に微意を諒せられ一夕の歓を御尽くし下だされますならば、難有き次第に御座います。
 今夕幸に第一銀行諸君と、渋沢男爵家の重立つ諸君と御会合を願ひましたに就きましては、東洋生命保険会社に於きましても、平日欽慕敬仰致し居りまする渋沢男爵閣下の為に、喜寿の御祝儀を申上げるこ
 - 第51巻 p.238 -ページ画像 
との御許を乞ひたいと存じます。閣下は益々御壮健で、今年七十七の高齢に達せられ、大慶至極に存じ上げます、御達者の御老人のことを矍鑠と申上げるのが古来の通語で御座いますが、古今に冠絶した国家の師表たる男爵閣下は、此通語たる矍鑠といふ熟字を以ては健康を祝し上げることは出来ぬ、如何となれば、矍鑠とは、痩せこけて白髪白髯の老翁が杖をついて、壮者の如くに歩行するといふ様な時に用ゆる字だ、我男爵に対しては左様な熟字は相当せぬと断定せられた、之は新頭取佐々木勇之助君の余に教へられた御議論であります、私も実に敬服致して居ります、然らば如何なる語を以て御祝を申上ぐべきか、甚だ困る訳でありますが、細に申上げるならば、閣下は温容玉の如く水々として御艶のある御容貌は全く壮者に異ならず、随て、御精力も御思想も共に血気の若い者をして後に瞠若たらしむる御容子、斯様な御目出度ことはありません。思ふに矍鑠の文字を以て評し上げてもよろしいと佐々木様より御許るしの出るのは、今後五十年も経た後、即ち男爵が百二十五才以上になられた時であろうと想像致します。
 私共保険事業に従来して居る者は、只会社が無事に経営して行けるといふことを以て満足するのではありません、別に一の希望があります、それは仕事をして其出来ばえを先輩に見て戴いて、一言なりとも褒められたい、これが願で日日の勤務も苦労にならぬのであります、而して先輩の内でも別して我男爵から褒められたい、古来人の発奮も勉強も善行も皆此褒められたさからであろうかと信じます。願くは男爵閣下には、今後いつまでも長寿を保たれて、私共の大成功の時の褒め役になつて戴きたいので御坐います。」
 次で渋沢男爵は御客側を代表され、莞爾として起ち、左の答辞を述べられたり。
 「今夕は第一銀行支店長諸君の集会を機として盛宴を張られ、一同を御招待下されて私の喜寿を御祝ひ下さるとの事で、誠に難有く愉快に頂戴をする次第であります。
 唯今は、矍鑠といふ言葉が私の体格には不適当であるとかの御説もあつたが、何分にも年をとつて参ると自然風邪も引き易いといふ風で自分の思ひ通り実行が出来兼ねる場合もあるが、私は今年喜寿の齢に達し、表面の責任ある事務は御断りをしたけれ共、第一銀行とか保険会社とかの事は御間に合ふ事は御手伝ひを致して居るのであります。
 保険会社も、ここ一両年経済界の変化で想ふ様の景気でもなかつたが、東洋生命保険会社は其激浪怒濤に打ち勝つて著々進捗されて居ると承つて居るが、誠に喜ばしい事であります、どうか世間の景気も段段直つて来たとの事故、益々立派な成績を挙げて、吉例によつて年に一度は祝宴を催されて、一同が御招待を受る様にひたすら祈つて居る次第であります。」
 かくて講談界の巨星錦城斎典山が得意の長講二席を終る頃、宴愈闌にして長夜の歓談興尽くる処を知らざる有様なりしが、午後十時過に至り和気靄々に散会せり。因に当日の来会者左の如し。
  渋沢男爵    徳川公爵   佐々木頭取
  日下義雄    土岐僙    佐々木慎思郎
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  石井健吾    竹山純平   野口弘毅
  湯浅徳次郎   広瀬市三郎  江藤厚作
  内山吉五郎   村上豊作   宇治原退蔵
  大野富雄
  西園寺亀次郎  野口弥三   杉田富
  西村道彦    大沢佳郎   西条峰三郎
  大塚磐五郎   河野正次郎  竹村利三郎
  松井万緑    井上徳治郎  藤森忠一郎
  明石照男    永井啓
  尾高幸五郎   八十島親徳  増田明六
  織田雄次    平岡利三郎
  尾高社長    佐々木専務  福島常務
  古田錞治郎   大原万寿雄


竜門雑誌 第三四三号・第六五―六六頁大正五年一二月 ○東洋生命保険会社の青淵先生喜寿祝賀会(DK510065k-0002)
第51巻 p.239 ページ画像

竜門雑誌  第三四三号・第六五―六六頁大正五年一二月
○東洋生命保険会社の青淵先生喜寿祝賀会 同社にては第一銀行各地支店長の上京中を機として、去る十一月十三日午後五時より、日本橋倶楽部に於て、青淵先生喜寿祝賀の饗宴を催ふされたる由なるが、当日は先生を主賓として、佐々木勇之助氏を始め第一銀行重役各支店長及渋沢同族会社職員等の出席ありしと云ふ。