デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.239-243(DK510066k) ページ画像

大正6年7月20日(1917年)

是日、上野精養軒ニ於テ、当会社七週年記念兼契約高四千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

(東洋生命保険株式会社)社報 第五五号・第五一―五三頁大正六年八月 祝賀会の景況(DK510066k-0001)
第51巻 p.239-240 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第五五号・第五一―五三頁大正六年八月
    ○祝賀会の景況
 組織更革以来隆々たる社業の繁栄に伴うて社礎益々鞏固を加へ信用愈々高まり来りたる吾社は、去ぬる七月二十日を以て其新興七週年を迎へ、同時に契約高四千万円を超過するに至りければ、其七週年の記念と吉例に依る四千万円の祝賀とを兼ね、右の七月二十日上野精養軒に於て祝賀会を開催せり。
 本社に於ては予て夫々の準備委員を命じ万端の用意に余念なからしめ、殊に酷暑の折柄なれば成るべく涼味を呼ぶに便ならしめんとして幾多工夫する所ありしが、幸に当日は好晴の天候にて暑気は多少酷しかりしも為めに設備は予定の効果を見たり。会場たる上野精養軒は東台の緑蔭に囲まれ、其広大なる庭園は涼味津々として尽くところを知らず、脚下に不忍池の全景を眺め遥に向ケ岡より湯島方面の高台と相対し、絵の如き風景は一眸の中に集り、夏向きの場所柄として東都之に並ぶものなしと称せらる。而して当日の会場は上野精養軒を全部借切となし、入口の両側は紅白の幔幕を廻らし中央にアーチを設け、東洋生命保険株式会社七週年祝賀会々場の立札高く掲げられたり。余興
 - 第51巻 p.240 -ページ画像 
場には舞台の装飾を施し大小の盆栽と草花の植込を為し大小の氷柱幾十となく用意せられ、花氷には本社のマークと七週年記念の文字を表はすなど用意は既に整ひたり。
 定刻午後三時頃より来賓は引きも切らず、同四時頃既に二百名程に達しければ、三越音楽隊の演奏を合図として余興を開始せり、余興は丸一連中の笛太鼓にて幕を開き、数番の曲芸に次で猫八の物真似、支那人の曲芸一座の滑稽所作事等に来賓の頤を解き、次に松本旭鶴女史の筑前琵琶「湖水渡り」に鳴りを静め、之にて食前余興を終る。時に午後六時過なり。
 此時尾高社長は悠々舞台上に現はれ、本誌巻頭に掲げたる挨拶を為して来賓に謝する所あり、次に数日前より臨場の約ありたる仲小路農商務大臣俄に差支ありとて、村上特許局長に代理を依頼せられたれば同局長は福島常務取締役の案内にて壇上に立たれ、是亦本誌に掲ぐる祝辞を述べられ、最後に渋沢男爵は毎も乍らの温容を運ばれて吾社の後援者としての誠意を披瀝せられたり。
 演説の終るや、来賓一同は徐ろに食堂に移られ、氷柱草花等を以て目ばゆきばかりに飾られたる大食堂は軈て歓声に充ち満ちたりしが、宴将に終らんとする頃、尾高社長起ちて来賓各位の万歳を三唱して乾盃をなし、大川平三郎氏の発議にて当夜の長老馬越恭平氏を来賓総代に推挙せらるや、馬越氏やをら椅子を離れ
 只今長老たるの故を以て今夕の盛宴に於ける来賓総代に御推挙を蒙りたるは寔に光栄の如くなるも、実は不肖自ら大に若い気持にて、平素老人扱を受くることを好まざる次第なれば、只今の御推挙も自身にとりては実に遺憾至極の感あり。去れど、何を申すも東洋生命保険会社の此のお芽出度き祝賀会の事なれば、長老たるの恥辱を忍んで敢て其任に当らんとす。
 とて満場を大笑せしめ乍ら来賓総代としての祝詞を述べられ、今後大に会社の発展せん事を望まれて会社の為めに万歳を三唱せられたり
 宴終りて後又余興に移り、食後余興として天洋一座の大奇術開演せられ、斬新奇抜の奇術数番の後夜十時芽出度当夜の祝賀会を終了せり
 当日祝賀会の来賓は、前に云へる農相代村上局長・渋沢男爵を始め岡部・蒔田・本荘の三子爵、三井男爵・馬越恭平・佐々木勇之助・大川平三郎・佐々木慎思郎・田中栄八郎・大橋新太郎・植村澄三郎・志田法学士・伊藤万太郎・新井日本橋区長其他朝野の紳士約三百二十名の外に、渋沢男爵令夫人、三島・岡部両子爵令夫人を始め貴婦人約三十名の来賓ありて、近来の大盛会なりき。


(東洋生命保険株式会社)社報 第五五号・第一四―二〇頁大正六年八月 会社の後援者として 男爵 渋沢栄一(DK510066k-0002)
第51巻 p.240-243 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第五五号・第一四―二〇頁大正六年八月
    会社の後援者として
                   男爵 渋沢栄一
      責任は死ぬまで
 只今尾高社長から最終に私にも一言を述べるやうにと云ふ委託でございました。沿革の御演説中に七年以前に私が此会社に就て力添を致し、爾来も多少相談に与り来つた縁故もあるので、是非共にと云ふこ
 - 第51巻 p.241 -ページ画像 
とから、余儀なく此席に立ちましたのでございます。皆様もお聞及び下さる通り、私は既に昨年以来実業界を御免を蒙りまして、老後は多少方面違に微力を尽さうと考へますから、申さば明治六年から開けて居つた門口は、戸を締めまして、脇へ小さな口を開けたのでございます。併し何さま長い間の門戸であつた為めに、仮令其看板が小さからうとも、其表間口が狭からうとも、どうも其次に開けた口へは、誰方もお出が少なくて、前の門口ばかりへお出下すつて、彼此と云ふ御相談を受けるのは、有難いやら迷惑やら甚だ困却の場合があるのでございます。今日此席に立ちましたのも、矢張其門戸を論ずると、前の門戸から起つたのでございますから、成べくは御免を蒙りたいと申しましたけれども、何やら責任論から、あなたは至て責任を重んずる人である、其当時申された事は矢張死ぬまで責任を継続すべきであると云ふ、私にまで此会社の責任が論及されて、遂に此所に立たなければならぬ訳になつたのであります。それは私の苦情であつて、皆様にお聴に入れる言葉ではございませぬが、半面からは案内を受けて出たから客のやうな形があり、今申しました意味から云ふと会社の為めの後援者、即ち援護すべき位地に立て居りまするので、今社長から申された会社の為めに力をお入れ下さる皆様に対しては、私からも共々にお礼を申さなければならぬのでございます。爾来厚い御贔負を下され段々お引立が今日あるやうになりました、七年の歳月短くはございませぬけれど、畢竟諸君の御援助があればこそ、四千万と云ふ保険金額を見るやうになつたので、社長始め社員の勤勉も決して少なからぬことであらうけれども、より以上に皆様方の御助力が与つて力あるものと存じます、此事を先づ第一に申上げるのでございます。
      善は急げ
 実は此千万円を増す毎に御馳走をすると云ふことは、二・三度私は此宴会に出て、或る場合には其宴会に参列の皆様方と、尽くお顔を合せてお申合せをして置く訳にはいかぬけれども、兎角に少し時が経つとさう云ふ約束は忘られて、千万円を加へても宴会をして呉れぬやうになると困りますから、殊に私共は先が短いから、成べく一年に一度位此宴会のあることを希望したのであります(笑)。会社の勉強が悪かつたのか、若くはお集りの諸君の御丹誠が乏しかつたのか――さうは思ひませぬけれども、どうも千万円の増加宴会が三年ばかり延びたのは、或は私はもう生存中に此席に参列することが出来ないかとまで懸念したのであります(笑)。幸にして今日此席に出られましたことは、寔に喜ばしう思ひますが、或は尚ほ諸君のお骨折からして、来年に又再来年に重ね重ねの宴会を開いて貰ふことが出来ますならば、此上もない仕合せ、どうも老人は先が短うございますから、先の短い者は成べく善は急ぎたいと云ふ感を持つのでございます(拍手)。
      社長以下当業者の責任
 唯今社長が、四千万と云ふ数字は昔は大金と思ふたけれども、時局の関係から段々……或は力が増したのか、称へが違つて来たのか、さまで多くはないやうに思ふ、さりながら此の如く進んで参つたのは、実に会社として深い責任を覚悟せねばならぬと云ふことを申されまし
 - 第51巻 p.242 -ページ画像 
たが、寔に御尤千万で、私は単り今日に其お気附があつたではなからう、もう当初此会社を経営する時に於て、其覚悟が定まつて居たことと思ふのである、若し此点から申すと、成べくは金額は少くありたいと謂はねばならぬ、何となれば金額の殖える程責任が重くなる、さりながら世の中の仕事は、果して其少い高に於て責任が完備するとのみ言へるものではない、況や此保険事業の如き、成べく金額の進む程、其責任に於て完全に果し得られるかと云ふことは、是は多く学者又実業家も共に論ずる所でございます。故に社長が将来の金額を、責任を重んずると共に益々進めて行きたいと云ふことは、蓋し或る点から云ふと、得手勝手の理窟のやうに聞えまするが、決して間違つた意見ではなからうと思ひます。故に私に於ても矢張社長同様成べくたけ此責任は、多い所から果し得られると云ふことに心懸ねばならぬと思ふのでございます。斯う申すと、唯増大するばかりで責任が楽になると云ふやうに聞えますが、是は又大なる間違で、社長其他の実務に従事するお人々が、今社長の皆様へ暑いながらも此所にお寄合を戴いたのは諸君の前に此責任の重いことを感じまする、之を一言申上ぐるは甚だ自分にも重要と思ひます、必ず諸君も之をお聴取り下さるであらうと申上げましたが、いかにも其通りで、仮令今申上げました様に、保険事業の如きは、多きに於て責任が果し易いとは云ひ条、多い事に対して若し怠慢があるとか、或は又調子に乗るとか、油断があるとか云ふことは、其多き事に対しての弊害を益々強からしむるものであることは、もう他の事物にも間々例があるのでございます。故に此会社の皆様、即ち社長始め諸君は、実に此責任の軽からぬことを覚悟して、一方には其責任の重からざるを望むと同時に、一方には其責任を始終減縮して行くことを覚悟して進んで参りますれば、此世の中に進歩、殊に近頃の時局に関係して、一般の社会をして段々増大せしめてある、其増大の影響は、東洋生命保険会社が丹誠に之を進めるに於ては、必ず受けられぬことはなからう、又お集りの諸君も、之をして必ず其場合に立至らしむると云ふやうな、お力添があるに相違ないと私は信ずるのであります。故に之を助ける方々、又之を受けて飽までも堅固に此事業を経営して行くと云ふことゝ相俟つて世の進歩は始まるものと思ひます。
      論語算盤の説
 只今村上局長は、渋沢は論語と算盤を以て主義とするとお述になりましたが、決して私が論語の真随を充分知悉したとは申上げられませぬけれども、どうも此経済界には、事に依ると道理を踏外し徳義を誤ると云ふ者が世間間々ございます。併し私は思ふ、真正なる道理、真正なる徳義は、必ず真正なる富、真正なる生産を、或は進歩し或は維持し行けるものと厚く信じて居るものでございます。故に不断に先づ言葉短かに、論語と算盤は両立し得ると唱へ居りまするので、社長始め其他の諸君にも常に論語算盤説を申し来つて居ります。此の如く甚た残生も乏しからうと思ひますけれども、今申上げまする通り此千万円の増加のお祝には度々出たく考へますと同時に、論語算盤の説に依つて、此会社の真成の発達を遂げられんことを希望して已まぬのでご
 - 第51巻 p.243 -ページ画像 
ざいます。(拍手喝采)