デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.246-254(DK510068k) ページ画像

大正7年6月16日(1918年)

是日、帝国ホテルニ於テ、当会社契約高五千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。次イデ翌十七日、当会社ニ於テ、祝賀会ニ出席ノタメ上京セル各地代理店主幹及ビ社員等ニ対シ、一場ノ訓話ヲナス。


■資料

(東洋生命保険株式会社)社報 第六三号・第一九頁大正七年五月 ○祝賀会は六月十六日/○代理店社員の特別招待(DK510068k-0001)
第51巻 p.246 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報  第六三号・第一九頁大正七年五月
    ○祝賀会は六月十六日
 予て発表し置きたる本社契約高五千万円を超過したるに付き、恒例に依る祝賀会開催の件は此程愈々日取決定せられ、来る六月十六日東京帝国ホテルに於て開催せらるゝことゝなれり。既に本社に於ては委員を定め諸般の準備に著手せるが、当日招待すべき来賓は東京に於ける我社との特別関係ある朝野の名士を網羅し、且つ各地方の優秀代理店及社員に亘り約五百名以上の参列者を得る見込なり。何れ其詳細は本誌次号に報道せらるべし。
    ○代理店社員の特別招待
 六月十七日即ち五千万円祝賀会の翌日は、各地方より上京せらるべき代理店及社員諸氏の為め特別なる会合を催さるゝ筈にて、当日は参列者諸氏を帝国劇場に招待し観劇会を催す予定なり。


(東洋生命保険株式会社)社報 五千万円記念号第六四号・第二一―二二頁 大正七年六月 五千万円祝賀会の景況(DK510068k-0002)
第51巻 p.246-248 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報
             五千万円記念号第六四号・第二一―二二頁
             大正七年六月
    ○五千万円祝賀会の景況
 - 第51巻 p.247 -ページ画像 
 本年一月発表せられたる我社契約高五千万円計画は、予定の通り去る四月末を以て予期以上の大成功を告げ、同月末総契約高五千二百万円を計上するに至りければ、吉例に依る大祝賀会を六月十六日帝国ホテルに於て開催するの件は、既に本誌前号に於て報道したる所なり。
 本社に於ては去る五月下旬以来祝賀会準備委員を命じ、夫々の準備に遺漏なきことを期せしが、時恰も梅雨季に際し天候等の予測し難きものあるのみならず、特に今回は最も多数の来賓を迎ふる筈なりしを以て、彼是れ考慮の上会場を帝国ホテルに定め、設備万端に意を用ゐたり。幸にも祝賀会当日は梅雨季中に珍らしき好晴なりければ、会場内の装飾を始め臨時植込みなど程よく整ひて一段の興趣を添へたり。
 定刻午後四時前より来賓は引きも切らず、四時二十分余興開始の頃は既に三百余名に達し、五時頃には四百名を超ゆるの盛況を呈したり余興は番組第一の西洋奇術(松旭斎天洋一座)より始まり、座長天洋の「魔法之樽」「美人閣」などの大魔術は観客の胆を奪ひ、一光の曲芸、天歌・寿子其他美人数名の小奇術など拍手喝采頻りに起り、次で当日余興の圧巻とも云ふべき踊乗合船に移れり。踊りは東都一流の称ある花柳寿美江(万歳)、梅家一竜(才蔵)、京家てい(女白酒売)、中花寺島みね(大工)の顔触れにして、常磐津松尾大夫連中を配し入神の妙技に満堂鳴りを静め、之れにて一先づ食前余興を了れり。
 余興の幕下りてより舞台は忽ち金屏風にて囲まれ演壇を設へらる。此時尾高社長拍手を浴びて壇に上り、本誌巻頭に掲ぐる挨拶を為して来賓に謝する所あり。次で渋沢男爵演壇に立たれ、我社との特別なる関係を縷述せられて、主客混淆の資格なりとて謝辞と訓示とを与へられ、最後に清浦子爵来賓総代として是亦本誌に掲ぐる祝辞を演述せられたり。
 演説了りて、来賓各位は徐ろに食堂に移られたるが、時節向きの美麗なる装飾を施したる大食堂は眼も冴ゆるばかりにて、宴将に終らんとする頃、尾高社長起ちて来賓各位の為めに乾盃を為し、続いて岡部子爵は簡単なる祝詞を述べ、東洋生命保険会社の万歳を三唱せられたるが、一同唱和の声に堂も揺がんばかりなりき。
 夫より株主松尾寛三氏の祝詞を兼ねたる所感演説ありて宴を終り、一同又余興場に移りて、食後余興活動写真を開始せり。映画は日活会社の特選にかゝる封切物とて、何れも多大の喝采を博し時の移るを知らざるものゝ如く、夜十一時に垂んとして目出度当夜の祝賀会を終了せり。
 当日祝賀会の来賓は、渋沢男爵を始め、清浦・岡部・蒔田・本荘の四子爵、三井男爵・佐々木勇之助・浅野総一郎・山下亀三郎・大川平三郎・佐々木慎思郎・神田鐳蔵・大橋新太郎・服部金太郎・田中栄八郎・渋沢義一等の諸氏を始め、志田・松本両博士、伊藤保険課長等保険界の名士其他朝野の紳士四百余名、外に渋沢男爵令夫人・岡部子爵令夫人を始め貴婦人二十余名の来賓ありて近来稀に見る盛会なりき。
 因に、今回の祝賀会に就ては予め規定を設け、各地方の代理店及び外勤社員中の成績優秀者を招待することゝなせしに、其結果は非常に良好にて、有資格者は代理店約八十名、社員約五十名に達し、遠く北
 - 第51巻 p.248 -ページ画像 
海道より台湾に亘り、各方面の人士を網羅し得たること、我社の最も欣幸とする所なり。


(東洋生命保険株式会社)社報 五千万円記念号第六四号・第九―一六頁 大正七年六月 渋沢男爵の演説(DK510068k-0003)
第51巻 p.248-250 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報
              五千万円記念号第六四号・第九―一六頁
              大正七年六月
      渋沢男爵の演説
 満場の閣下、諸君、来賓の御代表としては、後で清浦子爵より一場の御演説を願ふ筈になつて居るさうでございます。私は少し主客混淆の意味を以ちまして一言お芽出たいことを申述べると共に、兼ねて此お集りの皆様方へ謝辞を申上げたいと思ふのでございます。
      男爵と本社との関係
 此会社の其初めは詳しく存じませぬが、八年以前に尾高氏が社長たるに至りましたときは、丁度私が亜米利加への旅行から帰りました頃ほひでございまして、或は斯かる事柄に果して適任であるや否や、又世間甚だ同業者の多い中に顔出しをして、相当な位地に進み得る見込があるや否や、姻戚の間柄から多少懸念致しまして、寧ろ大に引留めたい位に考へたのでございます。併し乍ら当時此会社は少し悲境に陥つて、之を是非回復したいと云ふ所から、其頃の重役若くは之に関係のお方々の力を協せて図つた末に、尾高氏をして是非其任に当らしめたいと云ふより、玆に至つたと申すことで、承つて見ますると、之を阻止することは甚だ心ならぬやうにも考へまして、然らば斯かる事業であるから、所謂進んで取つて、是非相当なる会社たらしむるやうにせねばならぬと思ふたのでございます。御承知の通り私は明治六年から銀行者となつて、同時に色々な会社に関係致しまして、随分困難な会社を辛抱して之を守立てゝ、稍々隆盛の域に至らしめたと云ふ例は多少ございますが、尾高氏が東洋生命保険会社を引受けられたのは明治四十三年の事でありまして、其頃は私も段々晩年にもなりまするし後見者として行末懸念に堪へなかつた為めに、右やうな婆心を社長たる尾高氏に加へ、並に当時の重役諸君にも屡々御注意を申したのでございます。併し前に申す通りの訳で、既に其成算があるからして、斯く遣りかけた以上は進んで相当なる一会社たり得るやうにしたいと云ふことから、爾来の拮据黽勉は実に容易ならぬやうに見受けます。又私は株主としては至て少部分のことで、何等利害の関係が無いとは申しませぬけれども薄うございます。唯今申すやうな情誼上、又経済界の仕事として一旦成立したものは是非相当に発達せしめねばならぬと云ふ自己の不断の流儀から、頻に脇から注意を与へ、或る場合には婆心を加へましたのでございます。
      祝賀会の督促は会社の発展を望む心
 只今社長が一年に一度位では千万円の祝ひが足らぬと云ふやうな事を屡々督促したと言はれたのは、敢て左様に私が慾張つて申す訳ではございませぬけれども、成べく事業の進行を求むる為めに、年取つて持つた子供は其成長を早く望むと云ふ意味と、尚ほ同一と申しても宜からうかと思ふのでございます。殊に此会社に於ては、或は各地代理店の諸君、若くは社員の勉強を賞讚する為めに、千万円を一期として
 - 第51巻 p.249 -ページ画像 
祝賀会を開くと云ふ例は、其初めから開かれたものでありますから、成べく其時の早く来つて、五回より六回、六回より七回、八回・九回・十回と、次第に回を重ねるやうにさせたいと思ふ為めに、所謂年寄の我孫をズンズン伸ばしたいやうに思ふ心と同じ意味であると、どうぞお笑を戴きたうございます。併し玆に五千万円の祝賀会が今夕開かれたと云ふことは、只今社長から述べられて諸君の御了承を得たことゝ存じます。私も日常詳かには承りませなんだが、重役は勿論社員一同又各地の代理店の方々が、余程大なる御勉強で今日あるを致したものと深く喜び且つ感謝致すのでございます。
      時局と社会の状態
 併し、此時局以後社会の状態は如何かと申しますと、実は此一年経つて千万円進んだから大変にゑらいと云ふて社長のお喜びになるのは或る場合には少し卒爾なる点がありはせぬかと思ふのであります。其増加金額は保険金額である。保険金額が千万円進んだのを喜ぶと云ふお言葉であるが、私は利益だけ千万円安々と儲けたと云ふやうな事を度々聞くのでございます。其事実は私は実際に遠くなりましたから詳かに知らぬが、或は船、或は鉄、其他薬品とか紡績とか云ふやうな事業に就て、少し力ある人は、一年に千万円儲けるのはお茶の子、屁でもないと言ふて居るのであります。そう云ふ次第から千万円の保険金額が殖えたからお祝をすると云ふことは、少し滑稽――気の毒と云ふやうな感がないでも無い(笑)。併しそれは、私は大なる解釈違ひではないかと思ふのであります。物には成長の度のあるもので、例へばドンドン伸びて行く竹の如き、一年の間に雲を衝くやうになつて行きますけれども、欅の如きは一年の間に左様に伸びたらそれこそ化物だと人が言ふでありませう。楠とか欅とか云ふものと、竹のやうなものとは、其成長の度合が違ふと云ふことは余程御注意なさらなければならぬ。故に今申上げる此時局関係から、一年に千万円の利益を得ると云ふことは、若し私が之を評するならば、是は即ち筍の種類である。又此東洋生命保険会社は是は即ち椎の木の種類であるから、千年経つて愈々大きくなると云ふことであるならば、今の通り千万円が一方は保険金額、一方は全利益であつても、矢張是が同一なる傾だと言ふて宜いのではないかと思ふのであります(拍手)。
      所謂成金と国家の恩
 而して私は更に其千万円儲けるお方々に向つて一言申上げて見たい是は今日お集りの方の中に其方が有るか無いか分りませぬが、且つ東洋生命保険会社の宴会の席に斯様な議論がましい事を申上げるのは、甚だ場所違ひの申分ではありますけれども、併し斯の如き時局に対して、利益を得ると云ふことが、全く自己一人――己れの働とばかり若し其お方が思ふならば、私はそれは悪いと思ふ。決して其人の智慧其人の働が無いとは言はぬが、若し平素――即ち明治十年頃からして此実業界にそれぞれの素養、それぞれの準備が無かつたならば、此時局に対して一年に千万円或は数千万円を儲けると云ふことがどうして出来ますか、試に隣りの国を御覧なさい、原料も人間も沢山ある、併しながら此時局に対して矢張元の杢兵衛である、而して斯様の国が世界
 - 第51巻 p.250 -ページ画像 
には幾らもあるではありませぬか。果して然らば此時局に際して一年に千万円儲けられると云ふのは、我国家我社会に平日用意があつたからだと思ひます(拍手)。其用意は其人自身にもあつたらうけれども、国家社会に其用意があつた為めであるとしたならば、其人は大に国家の恩に酬ひなければならぬと思ふのでございます(拍手)。
      保険事業拡張の絶好機
 斯く考へて見ますると、即ち其、荀たる性質の利益を得る種類の人も、矢張誠実に等しく後の準備をすることを考へねばならぬ、其準備は何であるか、左様な好い時期に、尚ほ雨降らざるに牖戸を綢繆すると云ふことは何であるか、即ち此保険事業なるものは、是は寔に其人に取り、其事に取り、経済界に取つて甚だ妙味ある又極く堅実なる方法であるとするならば――私は独り東洋生命保険会社に就てのみ申すのではないが、左様な場合に此保険事業を拡張して、丁度米が高くなつたときに農商務省が米価調節を図る如く、斯かる場合に保険に努力するのは、金融調節上甚だ妙であると、只今社長が述べられた如く、其処に心付かれたのは頗る結構の事と思ひます。前に申上げる通り、斯かる時局に応じて大に伸びることの出来る所以は、即ち斯の如き用意から追々に進んで来ると申しても宜からうと思ふのでございます。
 私は毎回此千万円の増加のときに御馳走になるの特権を持つて居るやうな身になつて居りますので――もうそれも永年は六ケ敷うございますけれども、どうぞせめてもう二・三度斯う云ふ席に出まして、諸君と共に御馳走になりたいと思ひます。社長及社員御一同殊に各地から御来集の此会社に対して御尽力を下さる諸君、又此会社をお愛し下すつて、仮令左様な御関係はありませずとも始終御同情を寄せて下さる方々に、玆に併せて御礼を申上げます(拍手)。


(東洋生命保険株式会社)社報 五千万円記念号第六四号・第二三―三〇頁 大正七年六月 祝賀会第二日記事(DK510068k-0004)
第51巻 p.250-254 ページ画像

(東洋生命保険株式会社)社報
             五千万円記念号第六四号・第二三―三〇頁
             大正七年六月
    ○祝賀会第二日記事
      渋沢男爵来社せらる
祝賀会の翌日十七日は、本社が予て発表したる代理店及び社員優待規程に依りて、特に祝賀会の為め本社の招待したる各位約百参十名を歓迎し、併せて平素の労を犒はんとするの予定日なりき。予定の順序としては、当日早朝に王子飛鳥山なる渋沢男爵邸に集り、同邸庭園を参観して渋沢男爵より一場の訓話をうかゞひ、記念撮影の後一同本社に帰り、昼食を共にして尾高社長より将来の計画其他に付懇談を重ねられ、更に夕刻より観劇会に赴く筈なりしが、何等の遺憾ぞ、十七日は黎明より天候変じて強雨となり、遂に男爵邸参観を見合すの止むを得ざるに至りたり、然も予定を変更したる当日の順序は左記の如くにて男爵邸参観を為す能はざりしことを償ひ得べき好都合を見たり。
    本社に於ける会合
      尾高社長の懇談
 午前十一時、各支店・出張所管内より上京せられたる代理店及び社員諸氏は本社に集合せられ、尾高社長以下本社の幹部社員、支店・出
 - 第51巻 p.251 -ページ画像 
張所長及医員を加へて総数約百六十名の愉快なる会合は本社に於て催されたり。正午過ぎ一同打揃ふて昼食を終り、少憩後設けの席に著くや、尾高社長は社内正面の席に起ちて、大要左記の懇談を尽されたり(記者曰、社長の談話は全く内輪的のものにて其悉くを発表するを得ざるも要旨は左の如し)
    尾高社長の談話
 諸君、本日の予定は王子の渋沢男爵邸に赴き、所謂お茶飲会を催して一同親しく渋沢男爵と握手する筈なりしに、天候の都合にて之を変更したるは遺憾至極なり。然れども我社を愛せらるゝこと深き男爵は、今朝電話を以て申越されて曰く、此天候にては王子に参集することは不能ならんも、其代りに差支なくば後刻余自ら会社に赴き地方よりの来会者と会見せん、と。男爵の御厚意は実に斯くの如し即ち其御厚意を御請けすることゝなりたれば、最早程なく来著せらるべく、諸君の御期待を全く空ふすることなきを得たるは幸なり。余は夫れ迄の間に諸君に対し懇談せんと欲することあり。諸君、東洋生命最近の大発展は内外斉しく驚嘆しつゝある所なるが、斯くも盛大なるを得たるは我社が一般社会の同情に結び付きたるが為めにして、それには諸君の如き有力なる代理店を得たること最も与つて力あり、是れ実に余が衷心の感謝を払はざるべからざる所なり。昨日の祝賀会に於ても述べたる如く、我社の実際成績に徴して、余は為せば成るものなりとの確信を有するに至りたるが、此確信は軈て今後の大飛躍に対する期待となれり。広く今日の世の中を見渡すに是れ迄の我日本は万事いかにも島国的なりしを感ぜざるを得ず、然も今後は島国的の標準にては到底不可なり、須らく世界的ならざるべからず、否、時勢の趨向はイヤでも世界的ならざるべからざる運命を有す、是れ実に今日の大勢なり、此大勢を解すると否とは、今後の世に処する上に大なる相違あり。而して我保険事業も此大勢を度外視すべからざるは勿論、寧ろ此大勢の魁たらざるべからず、斯くて世界的に経営せんと欲せば、先づ大に人材を用ゆるの要あり、而して大に胆力を養成し、欧米に於ける斯業研究の必要あり。諸君も既に我社業に関係せられたる以上、本社が世界的に進まんとするに伴ひ、諸君も亦世界的雄飛の覚悟を固ふせられ、お互に日本帝国を大ならしむる急先鋒たらざる可らず。話が取り止めもなく大きくなりたるが、扨本社が這回五千万円級に達したること御同慶至極なれど、未だ同業四十余社中に於ては契約高に於て第七位に在り、是より順次に上位の会社を凌駕して進まざる可らず、今日の景気を以て進まば、本年秋季には優に六千万円に達すべく、年内二回の祝賀会を開催するの運びとなるは必然なり。何れ明日より本社に於て支店長会議を開き、下半季計画を議する筈なれば、近く諸君の御援助を請ふに至るべし。玆に従来御援助の労を謝し、併せて今後世界的発展の気概を以て御尽力あらんことを望む次第なり。云々
社長の談話終るや、岐阜代理店主幹南谷幾次郎氏中央に進み出で、先づ来会の各代理店主幹に向ひ述べて曰く
 余は今一部の諸君より本日御来会の代理店主幹各位の総代として、
 - 第51巻 p.252 -ページ画像 
尾高社長並に本社幹部各位へ謝辞を述ぶべき旨お勧めを受けたり、各位に御異議なくば不肖ながら其光栄を荷はんとす。
と満場拍手を以て迎ふ、乃ち南谷氏謝辞を述べて曰く
 本社の契約高五千万円を超へ、斯界稀の大発展を為せること吾々代理店として之に勝る喜びはあらず。而して今回の大祝賀会に当り、態々御招待を蒙り、昨日と云ひ又本日と云ひ特に御懇切なる款待を辱ふするは寔に光栄の至りにして、殆んど感謝の辞なきに苦しむ次第なり。
 惟ふに本社の異常なる発展は、第一に世界的偉人渋沢男爵閣下の特別なる御後援に負ふ所多かるべく、第二に尾高社長以下各重役其他幹部各位の熱誠比類なき活動と画策其宜しきを得るが為めにして、第三には各地方に於ける支店・出張所長各位を始め多数社員諸君の格別なる勉励奮闘に基因すること勿論にして余等平素此点に付多大の敬意を払ひつゝあり。然るに謙譲なる尾高社長は本社大発展の因を吾々代理店の功績に帰せられ、讚辞と謝辞の限りを尽されたるは誠に恐縮の至りなり。去れど御言葉の当らざるは別として、今後吾吾は本社の御誠意に対し一層奮励努力して、及ばず乍ら本社の世界的発展に尽さんことを期するものなれば、何卒御安心あつて御指導あらんことを祈る次第なり。云々
斯くて懇話会を終り、稍々暫くする頃、渋沢男爵の自働車は本社前に著せり。
    渋沢男爵来社せらる
 祝賀会第二日は雨天の為めに予定を変更し、王子飛鳥山の渋沢男爵邸を参観すること能はざりしは、来会者一同の最も遺憾とせし所なりしが、此失望は同男爵の態々本社に駕を枉げられて、懇切なる訓示的演説を与へられたることに依りて償はれたり。
 午後二時過ぎ本社に著せられたる渋沢男爵は、尾高社長、福島・古城両取締役其他の諸氏に迎へられて、先づ社内会議室に入られ、壁間に掲げたる同男爵八年前の揮毫に係る額面などに興を催され、軈て尾高社長の案内に依りて会場に到り、直ちに左記要旨の演説を試みられたり。
    渋沢男爵の演説要旨
 諸君、今朝晴天ならば、飛鳥山の庭へ御参集下さるとの事にて、其時一場の御話を申上ぐるやう重役より御相談を受けしを以て、態々御見物を願ふ程の庭にてもなく、又何のおもてなしも出来ぬながら諸君の御光来を楽んで御待ち申せしに、雨の為め妨げられ、遂に其意を果さゞりしは遺憾千万なり。因つて其お埋め合せに只今参上したる次第なり。
 余の飛鳥山の庭園も、近来四辺遠近の開け行くに従ひ、煙突林立して、此頃は只煙を見るのみなれば、多少丹誠したる植木なども、或物は此煙の為め殆んど影形さへ失へるものあり、諸君の御光来を願ふても或はこの煙の御馳走のみなりしやも知るべからず、それにつけても想ひ起すは、往年余が見事なる松の大樹を得て、庭に移植し其亭々として雲に入り天を摩するの雄姿を愛せしが、是亦煙の為に
 - 第51巻 p.253 -ページ画像 
枯死するに至れり、余の遺憾云ふべからず、其古株の辺りに小碑を建て、愛樹を惜むの文を三島中洲先生に嘱したり、碑文の要旨は、愛樹を枯死せしめたるは遺憾至極なれど、其害を与へたる煙は、明治初年より渋沢が振興せしめたる商工業並に交通機関の発達の結果なれば、渋沢の庭園が此煙の為めに害を受け其愛樹を失ふも、自ら慰むる所なかるべからずといふに在りて、碑は今尚ほ存せるなり。話が松の講釈に入りしは申訳なけれど、翻つて社長はじめ会社当局の多数諸氏、特に代理店の方々の精励能く其効を奏して、昨日の大祝賀会を開かれ、余も御招待を受けたるは誠に喜ばしき次第なり。東洋生命保険会社が爾来隆々として発展し行くは此上もなき愉快なるが、余は玆に今日の時代は諸君にとりて最も注意すべき時代なることを一言せんとす。
 凡そ保険事業は常に同一の速度を以て進展するものとは云ふべからず、本年一年に一寸伸びたりとて、今後十年に必ず一尺伸ぶるものとは限らず、半年に一尺伸ぶることもあれば、一年に五寸しか伸びざることもあり。併し乍ら、今日は其伸ぶるに最も適当なる時期にして、東洋生命保険会社が大に伸び来りたるも全く此機運に際会し諸君の努力能く其効を奏したるが為めなり。然り而して大に伸び得べき運命を有する此会社を、今後倍々繁栄に赴かしむるは切に諸君の一致協力に待たざるべからず。昨日の祝賀会に於て、社長と清浦子爵との間に応酬ありたる如く、論語には己れの欲せざる所を人に施すこと勿れと教へ、耶蘇教に於ては己れの欲する所を人に施せと教へられたるが、保険事業の如き世を益し人を益するの事業は、諸君にとりても固より己れの欲する所なるべく、進んで大に之を人に施さざるべからず。即ち余は此場合キリストの教旨に従ひ、諸君の積極的猛進を希望して止まざるなり。
 永く欧洲に於て銀行業者の団体の当局として有名なりしギルバルト氏が、銀行業者の服膺すべき事柄として教訓されたる言葉の中に、「事は叮嚀に行ひて然も遅滞なくすべし」と云へるがあり、叮嚀に取扱へば多くの場合時間を費し手間取るを常とす、それでは不可なり、親切叮嚀に且つ速に取運びてこそ栄えある事務となるなれ。第二に「人の要求を拒絶したる場合其相手方をして嫌悪の情を起さしむる勿れ」と云へるがあり、人の要求を容れて其相手方の好感を買ふは通常の事なれども、反対に拒絶して然も嫌悪の情を起さしめざるが肝要なり。銀行業者にとりては此儘に適用さるゝ言葉なるが、保険業者には此言葉を逆に適用するを得べし、即ち己れの要求が拒絶せられたる時決して不快の念を起さず、相手方に対し再度三度の交渉を試むるの余地を有すること是れなり。以上二つの訓言は共に金科玉条として服膺すべきものと信ずるが、更に一箇条の注意すべき事あり、其言語動作を慎重にし、高尚にし、常に誠意を以て人に接し、苟くも他人の侮蔑を受くることなき様心懸くること是れなり保険の勧誘員なりとて鬱陶しがられたり、彼れは保険の勧誘員見たやうだなど云はるゝ如き、未だ此心懸の足らざるが為めと知らざるべからず、即ち日々の活動に付て以上の三箇条を銘心し、孜々奮励
 - 第51巻 p.254 -ページ画像 
せられなば、諸君の大成は期して待つべきものあらん。
 東洋生命保険会社が今日の盛運を見たるは諸君の御力添へに依ること勿論なるが、今後の発展は尚一層重大なり、如何に会社に大方針あり鞏固なる基礎ありとも、諸君の御尽力なくんば大成功は期し難し、企て興すは小部分の人に在りとも、大成するは多数の力に待たざるべからず、此会社が衰微を来たすも、盛大となるも、一に諸君の力次第なり。冀くば余が微衷を諒せられんことを。云々
渋沢男爵の演説了るや、記念の為め演壇に立たれる儘の撮影を許され程なく辞去せられたるが、其後尾高社長始め一同社内に於て記念撮影を為し、玆に祝賀会第二日の本社に於ける会合を終りたるは午後三時半頃なりき。
    観劇会
 本社の会合を終りたる来会者一同は、夫より直ちに帝国劇場に於ける本社の観劇会に赴かれたり。渋沢男爵亦来会せられ、佐々木第一銀行頭取・大川平三郎・八十島親徳・石井第一銀行支配人・増田明六等の諸氏及令夫人方を加へて百七十余名の多数に上り、仲々の盛会なりき。


竜門雑誌 第三六二号・第七〇頁大正七年七月 ○東洋生命保険会社祝賀会(DK510068k-0005)
第51巻 p.254 ページ画像

竜門雑誌  第三六二号・第七〇頁大正七年七月
○東洋生命保険会社祝賀会 同社は其後ますます社運隆盛を致し、本年四月迄の契約高五千二百万円に上りたるを以て、六月十六日午後四時より帝国ホテルに於て祝賀会を開催し、関係者五百余名を招待する所あり、席上青淵先生其他の祝辞演説ありたる由。因に青淵先生には翌十七日同社の懇情を容れられ、右祝賀会に出席の為め上京せる各支店員其他の諸氏に対し、同社に於て一場の訓話を試みられたりと。


集会日時通知表 大正七年(DK510068k-0006)
第51巻 p.254 ページ画像

集会日時通知表  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十六日 日 午後四時 東洋生命保険会社五千二百万円祝賀会
             令夫人共(帝国ホテル)