デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.254-255(DK510069k) ページ画像

大正9年2月8日(1920年)

是ヨリ先、一月二十四日、栄一、鎌倉ニ当会社社長尾高次郎ノ病床ヲ訪フ。是月四日同人歿ス。是日、上野寛永寺ニ於テ葬儀執行セラレ、栄一列席シテ、会葬者ニ謝詞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK510069k-0001)
第51巻 p.254-255 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 晴 寒
○上略 十一時事務所ニ抵リ、永田甚之助・尾高豊作ノ二氏ノ来訪ニ接シ東洋生命会社ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
一月二十四日 晴 軽寒
○上略 午前九時東京発ノ汽車ニテ鎌倉ニ抵ル、尾高次郎ノ病ヲ訪フナリ十一時前同地着、直ニ三橋旅舎ニ抵リ休憩シ、尾高氏ノ別業ニ抵リテ
 - 第51巻 p.255 -ページ画像 
病牀ヲ見舞フ、其容体ハ想像シタルヨリ聊有望ノ感アリ、病牀ニアル暫時ニシテ後揮毫ヲ為ス、揮毫畢リテ再ヒ病室ニ於テ種々ノ談話ヲ為ス、篤二・豊作等モ同席ス、十二時過キテ三橋ニ抵リ午飧ス、食後兼子モ来会シテ尾高ノ病ヲ訪ヒ、更ニ三橋ニ来会シ、三時十八分鎌倉発ノ汽車ニテ帰京ス○下略
  ○中略。
二月八日 曇 厳寒 朝来雪模様ニシテ寒威強ク午後二時ヨリ雪降リ夜ニ入ルモ歇マス、寒気甚シ
午前七時起床入浴シテ朝食ス、午前九時兼子ト共ニ尾高次郎葬儀ニ出席スル為メ、上野寛永寺ニ抵リ式場ヲ一覧ス、十時頃霊柩寛永寺到着十時半式ヲ始メ十二時式ヲ畢ル、会葬者ヘノ謝詞ヲ述ベ、午飧後上野停車場ニ抵リ霊柩ノ発車ヲ送ル、午後二時過帰宿ス○下略


竜門雑誌 第三八一号・第五六頁大正九年二月 ○尾高次郎君逝去(DK510069k-0002)
第51巻 p.255 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第五六頁大正九年二月
○尾高次郎君逝去 本社評議員尾高次郎君は昨春流行性感冒に罹りし以来、兎角健康勝れず、依りて箱根に於て静養の上一時快癒せられしも、再び健康を害されしより鎌倉長谷別荘に於て静養中なりしが、旧臘更に腎臓炎を併発し、越えて一月下旬より病勢革り、青淵先生にも同月二十四日午前東京駅発鎌倉に出向して、親しく同君の病床を見舞はれたるが、本月四日午前八時半終に溘焉逝去せられたり、享年五十五。同君は青淵先生の従兄尾高惇忠氏の二男にして、其青年時代郷里埼玉県大里郡下手計より上京して先生の膝下に薫陶を享けつゝある際同志と謀りて我竜門社を創始せられしものゝ由にて、爾後今日に至る迄終始一日の如く本社の為めに熱心尽力せられたるに、今や同君の訃報に接す、真に惋惜の至りに堪えざる次第なり、噫。
 斯くて同月八日午前十時上野寛永寺に於て、輪王寺門跡大僧正円朗師導師となり東叡山総出にて荘厳なる葬儀を執行し、更に同日午後二時二十分上野発汽車にて霊棺を郷里に送り、翌九日同地に於て埋葬式を執行せられたり。
○下略