デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.278-283(DK510074k) ページ画像

大正12年10月27日(1923年)

是日栄一、当会社専務取締役木村雄次ノ来訪ニ接シ、震災報告書ヲ受ク。


■資料

東洋生命保険会社関係(DK510074k-0001)
第51巻 p.278-283 ページ画像

東洋生命保険会社関係          (渋沢子爵家所蔵)
(封筒)

  (栄一墨書)
  十一月六日閲了
   佐々木勇之助様            渋沢栄一
  在中之報告書御一覧被下度候、此急変ニ際して頗る注意深き措置ありしハ、老生之当時ニ於る油断に比して只々敬服いたし候義ニ御坐候也 十一月六日
    (別筆)
    大正十二年十一月 佐々木氏も一覧済

粛啓 這般の関東大震火災に際し、老子爵閣下には、災害の中心とも申すべき地点に御座被遊候にも拘はらず、御身に御微傷だも負はせられず御避難被遊候事、天の我老子爵閣下に幸ひすることの厚きを感し
 - 第51巻 p.279 -ページ画像 
不肖等恩顧の後輩は殊に意を強うするもの有之、祝着至極に奉存候、加之爾後全く私事を御抛擲なされ、御老躯をも顧みられず一意奉公の為め、日夜御奔走被遊候御気慨、詢に当世士人の鑑戒とも可相成の条不肖等心より歎服在罷候、偖て這般の大震火災に際し不肖は東洋生命保険会社を如何に処置致し、又此の天災は当社の営業に如何なる影響を及ぼし候哉ニ付閣下へ御報告申上くるは、兼ねて当社の経営につき御推薦の栄を蒙り候不肖の責務とも被存候間、以下逐一申述候、固より災後色々御多用の折柄却つて御迷惑の義とは被存候得共、御閑暇の折も有之候ハヾ何卒御一読の栄を賜はり今後の経営に関し御教訓御警告等被下候ハヾ不肖の幸之れに不過と奉存候
 九月一日正午震災の砌不肖は折良くも会社に居合はせ候処、第一回の強震後打見たる所内神田・日本橋辺に火災起りし模様ニ候得共、外神田・下谷附近は急速に類焼の恐なきものと見込み、社員中父母妻子ありて心労に耐えざるものには一先づ帰宅を命じ候処、自然係累少く身体強壮なるもの弐拾数名居残る事と相成候間、直に荷車の借入方を手配せしめ、若干名は物見として要所々々に派遣致し、残れる人数にて十二時半頃より保険契約書・徴収カード等搬出の用意に着手仕候、然るに契約書の保管所たる倉庫は地震のため壁土墜落致し、戸前を開く事能はず、暫時途方に暮れ居り候処、折良くも清水組の鳶職一人来合はせ候間、鋸にて壁を切り開かせ、そこより社員に這ひ込めと命じ候得共、何分にも余震尚強烈なる折柄、多数社員は難色を示し進むものなく不肖も無理なき事とほとほと当惑致し候処、内二・三名死を決して飛び込みたる者有之、余勢之れにつゞき契約書は難無く取り出す事を得、別に纏め置候徴収カードと共に、前以て手配致し置候七台の荷車及一台の人力車に満載し、退出の用意略々整ひ居候処へ、火はお茶の水順天堂病院につきたりとの報告に接し候間、右重要書類は一先づ上野公園内の安全なる地点に運搬し、積込未了の分を持ち行く為め更に帰来すべき旨を命じ候処、避難の群衆広小路に溢れ居候為め往復に案外の時間を要し、全部上野迄持運びを了したるときは既に夕景と相成候得共、兎に角生命保険会社の事務の根幹たるべき書類は上野公園に首尾よく運搬を了し申候
 此の外五個の金庫は、第一回の強震と共に内二個は横倒しと相成り著しく不安を感し申し候間、味噌一樽を附近にて逸早く買入れ之れを以て扉の要部を目塗りし、右にて凡そ立退きの用意を終り候ひしは午後四時頃に候ひしも、尚ほ火は手近に迫るに至らず、然れども其際仮に車輛ありたりとて群衆の中を曳きゆくは事実不可能に候ひしかば、已むなく社前の電車軌道修理のため道路の中央掘返されありしを幸ひ此処に第二次的重要書類を抛り込み、附近の土砂を小量宛多人数にて運び其の上を掩ひかふせ申候、斯る作業に鞅掌致し候うち午后六時過と相成候処、火は漸く聖堂・神田明神等を焼き払ひ、昌平橋に向つて進行致し、風向きの工合を察するに会社は或は類焼を免るゝに非ずやと被存候処、思はざりき一帯の猛火は会社の背面講武所方面より迫り来り、会社の背後にありし社員より此上此処に止るときは命を失ふべしとの警告に接し、不肖は已むなく大原常務、栗原・細貝両部長其他
 - 第51巻 p.280 -ページ画像 
両三輩を率ゐ、避難の群衆にもまれつゝ広小路より上野山下弁天様筋向の地点に引上げ申候、其処には重要書類の大部分か地上に堆積せられ居り候処に御座候、やがて最後まで会社の附近に残りし社員帰来し午后七時正に会社は焼失せる旨報告致し候、思ふに当日は社員出社の時にても有之、天佑によつて重要書類は搬出致し候得共、粗末なる仮建築なるに拘らず平生非常時の用意なかりし為め、重要器具・什器等悉く烏有に帰せしめ候段何とも申訳なき次第に御座候
 扨て其の頃上野山内は避難者の多衆蟻塚の如くに群かり名状すべからざる混雑にて、当社の避難車は此処に一台、彼処に一台、行き当りばつたりに立止り候為体にて、其の連絡を保つこと容易の業に非ず、不肖は一先づ総指揮者として前記の山下に在罷候、然るに此処迄来り候十七・八名の社員は当日朝食の外一滴の水をも口にせさるもの多く加ふるに不馴なる過激の労働に服せし事なれば、飢渇に苦みて泥水を飲むもの、疲労困憊失神の状態に陥る者等を生じ候得共、施すに術なく途方に暮れ候処、其中拙宅へ食物等持参する様にとて兼て差遣し置候使者宝丹・サイダー・缶詰・握飯など持参致し候処、皆々餓虎の如くに貪り食ひ漸く生色有之候、やがて午前二時頃本郷台にて止まりし猛火は、今度は逆に湯島切通しより御徒士町方面へ流れ行き候処、山の他の方面下谷・浅草辺は如何ならん、次第によりては此処をも又々立退くの必要迫るに非ずやと被存候間不肖は栗原部長及び当時歩行に困難を感せし細貝部長を強いて引率し、群衆叫喚の中をかき分け清水観音堂辺よりやつとの事にてパノラマの裏まで立出て、全市火災の模様を観望仕候、其の頃本所・深川一帯の地はもはや焼け果て、猛火は千住方面より浅草観音堂の方へなびき寄せ、其他京橋・日本橋・下谷神田凡そ眼の及ぶ限りは、火は大浪の如く煙は雲の如く洵に言語同断の為体にて、人間の言葉にてはとても言ひ現はし難き凄絶の趣に候ひしも、未だ観音堂・浅草本願寺等は火あかりにて見ゆる頃なりしかばまさかに明朝までは上野を焼くべしとも思はれず、依つて不肖は留守中の処置は栗原・細貝両君協議の上にて適宜取計ふべしと命じ、一先づ帰宅の事と致し、翌朝八時頃再び前記の地点に立ち戻り候処、火は早くも上野停車場附近に迫り候ところにて、避難民は右往左往混乱言ふばかりなき有様に候ひしかば、更に不肖宅へ向け二度目の避難を準備致すべき旨を命じ、不取敢携帯の食事を分与し、書類の一部ハ不肖漸くの事借入参り候自働車に積み込み、残余は社員総掛りにて巣鴨の拙宅まで運搬仕り候、此処にて更に荷車を増加し、荷物を造り直し置き、何時にても逃け出し得るやう準備致し候処、其頃より鮮人放火云云の風説旺んにて、拙宅附近には避難に適する広場も無之、一旦火を失し候ては之れ迄の苦心を水泡に帰せしむるの虞有之、不已得子爵閣下の御邸内の一隅にても拝借せんと決心仕候処、時既に夜分にも相成候間一先づ王子商工学校裏広場まで運搬を了し、凡ての作業を終りしは午后十一時にて、社員は又々此の地点に夜営し、翌朝に至り不肖は御邸に御願に罷出候処、折良くも御玄関前にて拝顔の栄を得、爾後永日間引続き一方ならざる御厄介に相成候次第にて、御厚志の程感謝に辞なき事に御座候
 - 第51巻 p.281 -ページ画像 
 其後仮事務所は暫時拙宅に置き、罹災者の保険金は特に迅速に支払ふべき旨を取急ぎ会社の焼跡並ニ新聞紙に広告し、他方社員中の罹災者救護、罹災代理店の慰問、其他善後策に苦心尽力致し居り候処、何分にも拙宅は手狭にて加ふるに交通不便の地点に有之候間、九月十日大川田中事務所の一室を借入れ、之れを第一仮事務所と称し、専ら被保険者応接の用に供し、別に本郷区上富士前町二番地中村精七郎氏別邸を借入れ、之れを第二仮事務所として内的事務の執行所と致し、両事務所を自働車・自転車にて連絡を保つ事と致し候
 之れより先不肖自ら焼跡へ罷出、金庫を開扉し土手に埋めたる書類を掘り出し候処、何れも悉皆無事なりしを以て、有価証券は不取敢日本興業銀行の金庫を借入れ此処に保管し、其他の帳簿及び御邸に御保管方願出候重要書類を第二仮事務所に移し、荷車を用意し社員を夜警せしめ、何時にても立退き得る準備の下に着々整理致し候得共、予期程の保険金請求も無之、聊か案外に有之候ひしかば、尚ほ進んで此際常規に拘泥せず保険金の支払をなすべき旨を、新聞紙に広告して被保険者に注意致し候処、ポツポツ請求者参り候ニ付、広告の文面通り極めて簡単に支払ひ申候、御承知の如く九月一日より九月三十日迄は支払延期令実施中なりしも、幸ひ第一銀行・朝鮮銀行及武州銀行等の好意により保険金支払其他を制限外として取扱を受け候為め頗る好都合にて、其後生命保険協会の調査によれば、九月一日より三十日に至る間罹災者の保険金請求に対する支払率は、当社ハ八割六分にて、偶然にも日本第一の地位を占むるに至り申候、之れ亦平素御恩顧の致す処と感佩在罷候、尚第二仮事務所に於て堀医長の発議に基き、同君は三名の医員を指揮して罹災者の無料診察に従事致し候処、延人員約八百人に達し申候
 大震火災と共に凡らゆる通信機関破壊せられ、其の恢復以ての外に長引き候為め、地支方店との連絡意の如くならず困却仕候間、震災地外の保険金の支払、新契約の決定、保険料の徴収及び事務用焼失書類の印刷等広汎の権限を附与し、細貝部長を大阪表へ差遣し、同地駐在古田常務を補佐して臨機の処置を致すべき旨を命じ候処、同君は九月十二日罹災民退京の混乱中、芝浦より汽船にて直に神戸に赴き、滞阪数日、更に広島・博多等に赴きて会社の事情を説明して安堵せしめ、其後委任の事務洩れなく完了、十月九日帰京仕候
 社員中焼出されたる者は約六十人に達し、行衛不明にて死亡したりと認むべきもの男子一人・女子二人有之候ニ付、死者には弔慰金、家屋罹災者には見舞金を贈り、又震災当時の功労者には些少ながら賞与金を支給し、追々電信・郵便も開通し諸般の事務も常態に復し候間、兼ねて借入の契約致し置き候郵船ビルデイング七階へ十月十四日移転仕候、面積二百八十坪、相当の余裕有之候間先づ当分は此処を本営業所と致す所存に御座候
 扨て這般の震災による当社の有形的損失は、営業所・土蔵・什器等に於て八万円内外(火災保険金を受取らさるものとして)、震災により特に必要を生ぜし経費五万円内外にて、別に不動産担保として貸付けし家屋焼失による損失二万五千円(火災保険金を受取らさるものと
 - 第51巻 p.282 -ページ画像 
し)にて、合計拾五万円内外の損失と相成候
 尚震災後一般に有価証券価格下落致し居候得ハ、此の方面に於ける損失は幾許と相成るべくや未だ的確の数字を得難く候得共、別表に御覧に供し候通り、十月廿五日東京市場相場を参照計算するに、公債は其後帳簿価格より却つて値上りと相成り、其他公定相場なきものは地方債は二分、社債は二分、諸株式は二割、それぞれ帳簿価格より値下りありたるものとして計算するときは、総計七拾万円内外の損失と相成候、尤も此外震災の有無に関せず千代田ゴム・東洋電気・伊豆山偕楽園、諸株式は損失を計上せざる可からさるものにて、此の部分に於て八万円許の損失有之候得共、幸ひにも千代田ゴムは焼失を免れ候間或は多少の損失補塡をなし得べきやに被考候
 有価証券下落による各生命保険会社の損失は可成莫大の格に上り候事とて、各社は此の点に関し大いに苦悩在罷、決算時の評価方法についてハ目下生命保険協会より、大正十二年八月三十一日の時価を標準と致したき旨主務省へ稟議中に御座候処、当社は比較的損失軽微の方に有之候、其他不動産担保の貸付金については、前記芝公園内の家屋焼失の為二万五千円の損失の外別に計上すべきもの無之候
 震災による死亡保険金の仕払は一時に多額に上るに非ずやと憂慮致し候得共、九月一日より十月末に至る二ケ月間の保険金《(原註 震災に依らざるものをも含む)》の請求額は十九万三千四百五拾円に不過、本年一月以来は毎月十万円位の請求有之候事なれば、別にさしたる影響も無之と申すべく、内罹災死亡にかゝるものは七万六千九百円に御座候
 同期間に於ける解約高も九十七件九万八千九百円にて、これも平時毎月十万円なりしに比すれば反つて減少致し候得共、郵便事務整理につれ今後は増加致すべきやに被存候
 保険証券担保貸付金は九・十両月間に百十六件弐万弐千参百五拾五円にて、これを八月の六十六件一万五千円に比すれば寧ろ減少致し居り候、内罹災者の分は三十八件七千円内外に有之候得共、目下此種の貸付は努めて寛大に致し居り候間、追ては増加可致と被存候
 以上は会社の消極的方面の影響に有之候処、積極的新契約を募集する方面に於ても可成の影響有之、九月中の申込三百十八件四十万五千円に過ぎず、平素の約三分ノ一に減少致し候、然し会社の陣容も整ひ人心も鎮静致し候間、東京の外十月分ハ平常通りに恢復可致見込みに御座候
 関東大震災に際しての不肖の処置、並にそが当社に及ぼし候影響は概略以上の如くに御座候て、目下鋭意復興に努力在罷候処、今後共何分の御指導を賜はり度先は御報告迄早々如此、終りに臨んで閣下の益御健勝ならむことを祈上候 頓首
  大正十二年 月 日
               東洋生命保険株式会社
                専務取締役 木村雄次
    子爵 渋沢栄一殿
           閣下
  ○木村雄次ノ談話ニヨレバ、右震災報告書ヲ飛鳥山邸ヘ持参セシハ十月二十
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七日トノコトナリ。



〔参考〕東洋生命社報 (震災号)第七号・第六頁大正一二年一〇月 震災余録(DK510074k-0002)
第51巻 p.283 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕(増田明六) 日記 大正一二年(DK510074k-0003)
第51巻 p.283 ページ画像

(増田明六)日記  大正一二年       (増田正純氏所蔵)
十一月二十日 火 晴
○上略
古田錞次郎氏来訪、今般東洋生命保険会社を退隠せしめらるゝ事と為りしが、家計の関係上退職慰労金額ニ付き木村専務に内話したるニ、凡金壱万五千円なりと之事なるが、実ハ五万円程の借金を有し将来甚た憂慮ニ堪へざれハ、何卒慰労金を相当増額せらるゝ心配を請うと之談話あり、氏ハ明治四十三年同社を故尾高次郎氏引受け社長として就任せらるゝ際、理事営業部長として入社し、大正八年取締役となり、常務に互選せられ今日ニ至りしものにて、入社の当時尾高氏を補佐して業務ニ精励せられしハ周知の事実なれハ、今回の諭旨解職ニ際し相当の手当を与へらるゝハ相当の事なり、但し木村氏内話の金額が当を得たるものなる哉否哉不明なるも、一応小生の考を以て子爵ニ貴意を言上し置くべしと談話し置きたり
夕刻子爵出勤せられたるニ付き右の趣談話したるに、気の毒なれハ予の代理として木村氏ニ一応談話すべしと申聞けられたり
○下略
十一月廿一日 水 晴
○上略
午後三時東洋生命保険会社ニ木村専務を訪問し、古田錞次郎君退職慰労金増額の件ニ付き懇談す
  ○取締役古田錞次郎ハ大正十二年十二月十日付ヲ以テ辞任セリ。(第二十四回事業報告書ニ依ル)