デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
9款 関東大震災火災保険金支払問題
■綱文

第51巻 p.342-353(DK510093k) ページ画像

大正13年1月14日(1924年)

是日栄一、農商務大臣前田利定ト会見シ、政府ノ意向ヲ訊ス。三月ニ至リ、政府ノ責任支出並ニ会社側ノ出捐ニヨリ、当問題ハ解決スルニ至ル。


■資料

火災保険支払ニ関スル書類(DK510093k-0001)
第51巻 p.342-343 ページ画像

火災保険支払ニ関スル書類         (渋沢子爵家所蔵)
謹啓
益々御清栄奉賀上候、陳者今回の大震火災後帝都復興の為め日夜御奔走被遊、就中火災保険問題に付きては特別御配慮の段誠に難有深謝候然るに該問題も愈々政府援助の下に一割支払に決定せられんとするの形勢に有之候へ共、御承知の通り一般被保険者側は僅々一割位の支払にては承服せざるのみならず、到底帝都復興、商工業の回復は無覚束為めに目下東京・横浜・横須賀各方面に於て演説会を開催し、之れが対策に付盛に反対の気勢を挙げ、場合によりては最後の手段として上奏をもなさんとするの模様に有之候、万一如斯挙に出する事有之候ては益人心の悪化を来し、国家之為誠に憂慮に不堪次第に御座候、尚我国之保険事業にして如斯状態にては、将来家屋の建築及商工業に投資するものをして益々不安の念を抱かしむるを以て、是等の安固を計り一般信用保全の為め、完全なる火災保険制度を設くる必要可有之と存候、就ては此際政府に於ても万難を排し、保険官営若くは官民合同又は保険会社をして合同せしめ一大民営会社を組織せしむるなり、何れかの方法に依り、現金を以てせずとも公債若しくは債券を発行し、少なくも五割程度の支払をなす事を得は、即ち帝都復興、商工業回復の資金を得、一般被保険者も非常の満足を表し、民心安定し併せて保険会社の誠意も認められ、且つ政府も御聖旨に副ひ奉り、玆に火災保険問題も円満なる解決を告くる事と相成可申、殊に当聯合会のみに於ても、中産階級の商工業者約六万の内、三万七千の罹災者を出し、其損害高十六億円余を算し、此の保険問題の解決如何は実に安危興廃の岐るゝ処に有之候、何卒一般罹災者救助の思召を以て格別の御賢慮相仰度此段奉懇願候 敬具
 - 第51巻 p.343 -ページ画像 
                東京実業組合聯合会
                  副会頭 阿部吾市
    子爵 渋沢栄一 閣下


火災保険支払ニ関スル書類(DK510093k-0002)
第51巻 p.343 ページ画像

火災保険支払ニ関スル書類         (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 一昨夜ハ帝国ホテルニ於テ失礼仕候、陳者其節御話申上置候火災保険問題解決ニ付、昨日富士見町官邸ニ於テ前田新農相ニ面会、親シク意見拝聴致候処、清浦首相ニ面会ノ節ト同様、該問題ノ解決ニ就テハ頗ル同情ヲ以テ、彼ノ一億八阡万円ヲ基礎トシ、政府ニ於テモ社会政策ヲ加味シ、一般救済的適当ナル方法考究ノ上通常議会ニ提案シ是非解決スル考ナルモ、幸ニ実業家方面ニ於テ相当ノ考案アラバ、充分之レヲ参酌ノ上最善ノ法案決定致度云々御声明相成候、就テハ閣下ト十四日御面会ノ筈ニ付、其節充分御協議可致ニ付態々乍御足労是非御光来相煩度様呉々モ御伝言有之候、尚藤山東商会頭ニモ面会致度旨申サレ候ニ付、早速同氏ヘモ其旨相通ジ置候、実ハ小生ノ愚案トシテハ此際商業会議所ニ於テ閣下ヲ御中心ニ団・馬越・根津・大橋・藤山・山科・杉原・星野、及各務・井坂ノ諸氏ヲ網羅シタル「火災保険解決促進会」ノ如キモノヲ組織シ、之レガ対策対案成作等致候事頗ル便宜ト存ジ、昨日前田農相ニモ申入候処大ニ賛同致シ居ラレ候、旁々公私共御多端ノ折柄御迷惑ノ儀ト拝察仕候ヘ共、帝都復興、商工業回復及一般経済界ノ為、一層ノ御配慮呉々モ奉懇願候 敬具
  一月十二日
                     阿部吾市
    子爵 渋沢栄一 閣下


東京朝日新聞 第一三五一〇号大正一三年一月一五日 渋沢子等が農相へ会見 火保支払促進の為め(DK510093k-0003)
第51巻 p.343 ページ画像

東京朝日新聞  第一三五一〇号大正一三年一月一五日
  渋沢子等が
    農相へ会見
      火保支払促進の為め
火災保険問題解決に付いて渋沢子及び藤山東京商業会議所会頭は、十四日午後相前後して前田新農相と会見、政府の意嚮を聞くと共に希望を述べた、政府としては未だ具体案を示すに至らなかつたが、何等かの案を今期議会に出すことは言明するところありたるを以て、此の機を逸せず民間側に於いても気勢を揚げる必要ありとし、十五日東京商業会議所では十一時から役員会を開き之に諮つた上、場合によつては既報の如く民間実業団体の聯合により促進運動を起すに至るだらうと


東京朝日新聞 第一三五一一号大正一三年一月一六日 火保支払案は実業家に内示する 農相渋沢子等に言明(DK510093k-0004)
第51巻 p.343-344 ページ画像

東京朝日新聞  第一三五一一号大正一三年一月一六日
  火保支払案は
    実業家に内示する
      農相渋沢子等に言明
既報の如く渋沢子・藤山会頭が前田農相に会見した結果、火災保険案を政府は今期議会に提案する意嚮であることを知り得たるを以て、両氏は十五日午前会議所に於いて打合せを為し、十一時から開催した会
 - 第51巻 p.344 -ページ画像 
議所役員会に於いて主として此の問題に付いて協議した、而して阿部氏の如き、此際至急促進運動を起すことの必要を力説したに対し、藤山会頭は渋沢氏と共に夫々前田農相に会見したる顛末を説明し、政府は両三日中に草案を作製し実業家に前以て内示するつもりであれば、忌憚ない意見を云つて貰ひたいとのことであつた、由つて会議所としては先づ政府のその草案を見た上意見を決定、若しくは大々的の運動を為すこととしては如何と諮り、一同賛成夫れに決定した、尚右の問題に付き渋沢子は語る
 私が農相と会見したのは、星野氏を通じて農相が会ひたいとの事であつた故、私の方から出かけたのである、話は生糸問題及び製鉄問題にも及んだが、第一は火災保険問題であつた、此の問題に付いて私から官営では如何との意見を述べたるに、政府としては前内閣時代から調査したものがあるから、更に之れに社会政策的の意味を加へて立案中にて、数日中に其答案が出来るつもりである、今それと全然別な官営案を出すことは、現在の問題の解決を益々遅らかすこととなるを以て、此の際は官営案と切離して現下の問題丈け早く解決したい、尚近く出来る政府案に付いては、民間当業者からあんな案では困ると云ふやうなことになつては遺憾である、正式の議会に提出する前に予めその希望意見を聞きたいとの事であつた、藤山会頭が前田農相に会つたところも大体それと同じで、兎に角私として此の問題が一日も早く解決するを望むので、政府が実行の出来る名案を一日も早く出されることを待つてゐる


国民新聞 第一一五三二号 大正一三年二月二三日 火保紛糾と私見 渋沢子爵談(DK510093k-0005)
第51巻 p.344-345 ページ画像

国民新聞  第一一五三二号大正一三年二月二三日
    火保紛糾と私見
                    渋沢子爵談
火災保険金問題が民衆運動勃発に依つて、漸く会社側並に当局が其の意を解決に傾くるが如き事は決して喜ぶ可き徴象とは思はない、由来会社側が支払ふ可き行為を可及的遅延せしめて居た心理は、私個人としても憤慨の極に達してゐる、私は法理論を以つて解決を望む者で無く、一も二も愛国心の発露であつてほしい、他面政府当局の態度を見るに、前内閣の措置は真に救済の時機を失したが、之れに替つた現内閣の態度は何と云ふ冷淡な態度だらう、凡そ社会の事物には緩急自ら別がある、而も保険金問題は急中の急なるものであつて、之れが一刻も速に解決せらるゝと否とは、単に個人的利益と云ふよりも日本復興の問題ではないか、政府当局が協議に日を遷す事はそれだけ復興を遅延せしむるので、重大なる責任があると思ふ、今は理論の場合ではない、責任支出で一刻も速かに解決を要する時である、私はこれから藤山会議所会頭と首相を訪問して充分に意見の交換を行ふ筈だが、要するに会社側に対して当局は厳密なる調査を為す事が出来るのだから、速かに調査を断行し会社の最大能力を支払はしめ、之れに政府が責任支出を以て援助すれば問題は直ちに解決すると信じて居る、国民あつての政府である、その国民を救済するに躊躇して、九月一日以来現下に到れる事さへ政府の大失態であるから、此の際最早論議された法理
 - 第51巻 p.345 -ページ画像 
論でなくて、即ち実行を見る可く誠意を表明するは実に刻下の急務であると同時に、為政者として当然の義務であると私は信じて居る


火災保険支払ニ関スル書類(DK510093k-0006)
第51巻 p.345-346 ページ画像

火災保険支払ニ関スル書類         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    地震約款ハ有効ニシテ火災保険
    会社ニ保険金支払ノ責任ナシ
明治三十年頃現行商法制定ノ当時、官民合同ノ法典調査会設置セラレテ、該法典調査会ニ於テ商法ノ制定ニ関シ審議セラレタルトキ、地震ノ危険ニ関スル損害ハ、火災保険会社カ之ヲ負担スヘキモノナルヤ否ヤカ一ノ重要問題トシテ討議セラレ、其当時ノ東京商業会議所ニ於テ商法修正ニ関スル委員会カ設置セラレテ、該委員会ニ於テ地震ノ為メニ生スル損害ニ付テハ、地震ニ関スル学理未タ充分ニ発達セス、我邦ノ如キ地震多キ国ニ於テハ屡々震災発生シ、其損害ノ程度ハ小ナルモ一地方全体ニ及ヒ、大ナルハ数多ノ地方ニ及フコトアリテ、統計的数理全ク不明ナルカ故ニ、火災保険会社ニ於テ之ヲ負担シ得ヘキモノニ非ストノ意見ヲ決議シテ、之ヲ該法典調査会ニ提出セラレ、該法典調査会ニ於テ種々討議ノ末、火災保険会社ハ其火災保険証券ニ規定スル地震其他ノ大事変等ノ場合ニ於ケル火災損害其他ノ損害ニ関スル保険約款ハ勿論、其他ノ免責条項ハ総テ之ヲ有効トスルコトニ立法ノ精神ヲ定メ、商法第四百十九条ノ条文ノ草案タリシ「火災ニ因リテ生シタル損害ハ其火災ノ原因如何ヲ問ハズ保険者之ヲ塡補スルコトヲ要ス」トノ強行的条文ヲ、現行商法第四百十九条「火災ニ因リ生シタル損害ハ其火災ノ原因如何ヲ問ハス保険者之ヲ塡補スル責ニ任ス」トノ、強行的ニ非サル規定ニ改定セラレタルモノニシテ、火災保険会社カ其火災保険証券ニ規定セル保険約款ハ総テ農商務大臣ノ認可ヲ受ケタルモノナリ、従テ火災保険会社ノ規定セル免責条項ハ総テ有効ナリトス
次ニ世間ニ於テ往々被保険者カ保険約款ヲ予知セスト唱フル人モアルカ如クナレトモ、若シ之ヲ知ラサリシナラハ、既ニ保険契約ハ不成立ナリシコトヲ意味スルコトトナリテ、之レハ問題トスルニ足ラス、而シテ火災保険会社ハ、地震其他大事変ノ場合ニ於ケル火災損害其他ノ損害ニ関スル特別ノ危険ニ対シテハ、別段ノ保険料ヲ収受シ居ラサルハ事実ナリ、故ニ右ノ特別危険ニ対シテハ火災保険会社ニ保険金支払ノ責任ナキモノト思考セラル、十数年前ニ米国ノ桑港ニ発生シタル地震ノ場合ニ於テハ、其当時欧米各国ノ保険会社カ発行セル火災保険証券ノ大多数ニハ、地震ニ起因スル火災損害其他ノ損害ニ対シ、之ヲ負担ストモ負担セストモ何等ノ明文ヲモ記載シ居ラスシテ、其少数ノモノニハ地震ニ基因スル直接ノ火災損害其物ヲ負担セストノ不備ナル約款ヲ規定シアリテ、之カ為メニ其当時ノ保険会社ハ遂ニ止ムヲ得ス保険金ヲ支払ハサルヲ得サル立場トナリタルモノニシテ、我邦ニ於ケル今回ノ地震ノ場合ニ於ケル損害ニ対スル保険会社ノ立場トハ、全然事情ヲ異ニスルモノナリ、右ノ如キ次第ナルヲ以テ、今回ノ地震ノ場合ニ於ケル火災損害ニ対シ、前政府ノ火災保険貸付法案ニ依リテ、無理ニ保険金ノ一割ヲ火災保険会社ニ支払ハシムルカ如キ錯誤ヲ為サシム
 - 第51巻 p.346 -ページ画像 
ルトキハ、保険金ノ一割ハ被保険者側ヨリ観ルトキハ少額ノ如クナレトモ、保険会社トシテハ巨大ナル損失ヲ負担スルコトトナリテ、其借入金償還及利子支払ノ為メニ理想トセル火災保険料率ノ引上ハ不合理ニシテ実行不可能ナルヲ以テ、保険会社ノ借入金償還困難トナリテ国庫ノ損失ヲ招クト共ニ、重要ナル経済機関ノ一タル火災保険会社将来ノ地位ヲ危殆ナラシメ、結局火災保険事業ヲ失フニ至リテ、我邦経済界ニ重要問題ヲ惹起スルモノト認メラル、今回ノ地震ノ如キ大変災ニ対スル救済事業ハ、政府自カラ之ニ当ルヘキモノニシテ、火災保険契約ニ関係アル被保険者ト、火災保険契約ニ関係ナキモノトヲ問ハス、一般罹災者ヲ救済スル趣旨ニ依リテ、政府自ラ国力ノ許ス程度ニ於テ国費ヲ以テ相当ノ救済ヲ為スコトカ至当ニシテ、従来ノ火災保険会社トノ交渉ヲ全ク打切ルノ要アルモノナリト思考スルモノナリ
  (日付・署名手書)
  大正十三年二月             原錦吾


火災保険支払ニ関スル書類(DK510093k-0007)
第51巻 p.346 ページ画像

火災保険支払ニ関スル書類         (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 益御清栄奉賀上候、陳者火保問題解決ニ付多大ノ御配慮ヲ蒙候段難有奉感謝候、御蔭様ヲ以テ一段落ヲ告ゲ、政府ヨリノ責任支出ト火保会社ノ自力出捐トヲ合セ、約壱億万円程ノ保険金カ被保険者ニ支払ハルヽ事ヲ得バ、時節柄一般財界ヲ湿ス事ト相成、従ツテ帝都復興及商工業者復活ノ一端トモナリ、誠ニ為国家慶賀ニ不堪候、尚此上ハ更ニ進ンデ一般罹災者ノ経済復興ニ要スル建築・商工資金ノ融通方ヲ御配慮ニ預リ度、要スルニ金ノ成ル木ヲ一日モ早ク植付クル事ガ肝要ト存候、何レ参伺御挨拶旁々陳情可仕候ヘ共、不取敢以書中御礼迄申上度如此御座候 草々敬具
  三月廿四日 ○大正十三年
            東京実業組合聯合会副会頭
               東京商業会議所議員
                      阿部吾市
    子爵 渋沢栄一 閣下



〔参考〕東京海上火災保険株式会社六十年史 同社編 第四四三―四六七頁 昭和一五年一〇月刊(DK510093k-0008)
第51巻 p.346-353 ページ画像

東京海上火災保険株式会社六十年史 同社編
                     第四四三―四六七頁
                     昭和一五年一〇月刊
  第四節 関東大震災と保険問題
    第一款 所謂「火災保険問題」
○上略
 大震災は忽ち各所に大火災を惹起し実に名状すべからざる惨害を伴つた。この火災に因る損害を火災保険契約に結び付けて所謂「火災保険問題」といふ社会問題を惹起するに至り、その為に、我が火災保険業界は存亡に関る難関に直面し、その善後処置には関係大臣の引責辞職といふが如き政治問題も絡み、波瀾曲折を極めたが、事件発生後六ケ月余を経て、保険会社は政府から助成金を借入れ見舞金を出捐するといふことで、漸く段落を見るに至つた。
 前記の震火災に因つて火災保険を付してある動産又は不動産が幾何の焼失損害を被つたかは、当時保険業者の本支店が焼失したものもあ
 - 第51巻 p.347 -ページ画像 
つた為、調査は相当困難であつたが、その後の調査に依つて、罹災契約高は次の通り巨額に上ることが判明した。
 一、大日本聯合火災保険協会加盟
                          千円
  (一)内国会社三十二社      一、四三一、〇〇〇
  (二)外国会社二十八社        三〇〇、〇〇〇
二、協会非加盟内国会社四社        一五六、〇〇〇
   合計              一、八八七、〇〇〇
 凡そ火災保険契約に於て、地震に因る火災の損害に対しては、所謂地震免責条項に依つて保険業者に塡補の責任がないことが明かであり仮りに、非常天災の場合として見舞金の支払を為すとしても、当時内国会社三十六社の罹災契約高十五億円余に対し、その資産総額は二億二千万円にも足らざる状態であつて、如何とも為し得なかつた。殊に業者は罹災地以外の地域に於ける多大の契約に対しても責任を負担してゐたのであるから、これを無視し経営の基礎を危くするやうな支出を行ふことは所詮出来ないことであつた。然し罹災被保険者の側から見れば、保険金の支払を受けると否とは復興再起の為最も重大な関心事であつたから、保険業者は地震免責条項の適用といふが如き理窟に囚はれず、宜しく犠牲的の出捐を為すべしと朝野を挙つて激烈な要求を起して来た。尤も保険業者の中でも、関東に本店を有して惨禍を目のあたり見た会社と、関西に本店を有して冷静な環境から問題を眺め得る会社と、又資産の部に罹災契約高の多い会社と、大資産を有して罹災契約高の比較的尠い会社との間には、自ら利害の懸隔、感情の相違等があつた為、火災保険問題は最初から限りなく紛糾すべく運命附けられてゐた。
 山本内閣総理大臣は九月十六日に告諭を発し、その中に「例へば保険事業の如きは其性質上社会公衆の安固を目的とするものなるを以て此の重大なる事変に顧み幾十万の信頼に背かざるやう犠牲の精神を発揮して慎重の考慮を尽し当業者終局の利益を期すべく」と言及した。
 大日本聯合火災保険協会に於ては、当時の会長各務鎌吉氏を中心として協議を重ね、九月二十八日東京に於て第一回の内国会社の協議会を開催し、その協議会は九月三十日まで続行され、同日左の決議を発表した。
      決議
  大日本聯合火災保険協会に属する大日本火災保険協会の下記内国会社は、大正十二年九月卅日午後三時より会議を開き、左の決議を為す
  第一、下記各社は関東地方に於て今次変災のために生じたる大火災の惨状に顧み、之等会社と火災保険の契約を有せる被保険者に対して深甚の同情を表し、事業存続の基礎を危うせざる範囲において、資力の許す限り犠牲を提供する事
  第二、各社の財産、一般契約及罹災契約の公正なる調査は、之を監督官庁たる農商務省に一任し、之に基き同省と協議の上前項による犠牲の程度を決定し、其の程度に従ひ各社のなすべき支払及び各社存続に必要なる援助を政府に仰ぐ事
 - 第51巻 p.348 -ページ画像 
  第三、内国会社が相互に有する再保険契約上の犠牲関係については、前項の趣旨に基き監督官庁と協議の上決定する事
  第四、上記三項に対し当局の了解を得たる上、各社において株主総会を招集し、之が実行に必要なる決議を求むる事
      附記
  一、大日本聯合火災保険協会に属する外国会社廿八社は、外国火災保険協会の名を以て大日本聯合火災保険協会に対し、左の通告を為せるにより右決議に関係なし
  「外国会社は各社が発行せる保険証券の条項と火災の生じたる事情等に鑑がみ、何等契約上の責任を認むる能はず、且つ約款より離れ又は見舞金等の名の下に、保険契約に関聯し何等の支払をなす事能はざる旨の確定的指図を、その本国において各本社より受領せり」
  二、日本共立火災保険株式会社・大成火災保険株式会社・日本動産火災保険株式会社・日本簡易火災保険株式会社・東京動産火災保険株式会社は、大日本聯合火災保険協会に属せざるが故に右決議に関係なし
                          以上
      決議に加はれる会社
  日本火災・日本海上・日東海上・日章火災・豊国火災・東邦火災・東洋火災・東洋海上・東京火災・東京海上・東明火災・東神火災・千代田火災・千歳火災・中央火災・中外海上・大阪海上・横浜火災・第一火災・大日本火災・大東海上・大福海上・太平火災・太平洋海上・大洋火災・大北火災・大正海上・辰馬海上・八千代海上・福寿火災・富国火災・神戸海上・帝国火災・帝国海上・朝日海上・共同火災・京都火災・明治火災・三菱海上・神国海上・摂津海上・新日本火災・扶桑海上・常磐火災
      決議に加はらざる会社
  朝鮮火災
  本件に関し取締役会の決議を要する会社は直ちにその決議を行ふものとす
 当局との交渉委員としては各務鎌吉・長松篤棐・井坂孝・門野幾之進・小原達明・曾我祐邦・田所美治・大谷順作の八氏が挙げられ、翌十月一日井上蔵相並に田農相を訪問して、前記決議文を交付し援助方を陳情したが、保険会社側が「事業存続の基礎を危うせざる範囲において資力の許す限り犠牲を提供する事」といふその内容が具体的に不明であつた関係上、両相何れからも援助に付確定的の言質を得るに至らなかつた。
 保険会社側は更に犠牲提供の具体的内容を提示すべく種々協議した結果、関東側は政府からの借入を以て大体保険金額の最高一割の見舞金出捐に決したが、関西側は火災責任準備金総額を、罹災地契約高に按分した額を限度として出捐することを主張した。
 関西側元受六社(日本海上・共同火災・神戸海上・豊国火災・大阪海上・大福海上)の罹災地契約高は合計約三億一千二百万円であつたから、その一割を出捐するとせば、三千
 - 第51巻 p.349 -ページ画像 
百二十万円となる。更に前記六社の火災保険に関する責任準備金の中罹災地への按分額は約八十万円であつたから、この額を限度として出捐せんとする主張と、関東側の主張とは殆んど比較を超絶してゐた。
 前記の通り保険会社側の意嚮が分裂して協調を欠くやうな憂慮すべき事態となつた為に、各務氏は十月二十五日西下し、爾来数日に亘つて懇談した結果、関西側も漸く方針として一割出捐に賛同したが、政府からの借入に付ては、関西側は左記要領に依る社団法人を組織し、共同的にこれを処理せんことを提議するに至つた。
○中略
 十一月十五日関西案の提出者と各務会長とが、田農相並に井上蔵相を訪問して関西案を示して、政府の意嚮を確めんとしたが得る所がなかつた。
 一方、政府は「火災保険会社組合法案」を作成して、その態度を明かにするに至つた。その法案の要旨は次の通りである。
○中略
 かくして政府の「保険会社ニ対スル貸附金ニ関スル法律案」は十二月五日の閣議に於て決定し、臨時議会に提出協賛を求めることゝなつた。その案は次の通りである。
      保険会社に対する貸付に関する法律案
  第一条 保険会社が火災保険の目的につき大正十二年九月の震災の為め、直接又は間接に生じたる火災及びその延焼並にその消防又は避難に必要なりし処分に因り、損害を受けたる被保険者に対し、保険金額の保険価額に対する割合を損害額に乗じたる額の百分の十に相当する金額の任意出捐を為す場合、及び本案に規定する出捐を為す元受保険者に対し、再保険者として当事者の協定に依る金額の出捐を為す場合に於ては、政府は保険会社に対し其出捐に必要なる金額の貸付を為すを得
  第二条 前条の規定に依る貸付金は大蔵大臣及び農商務大臣の定むる処に依り之を償還せしめ、其利率は年百分の二とす
  第三条 第一条の規定に依り政府に対し保険会社の負担する債務を其弁済期の到来したる分を除くの外、会社の計算についてはこれを負担せざるものと看做す
   前項の規定は保険会社が解散したる時は之を適用せず
  第四条 第一条の規定に依り政府に対し債務を負担する保険会社は、農商務大臣の認可を受くるにあらざれば利益金の処分を為すことを得ず
  第五条 保険会社に対して破産の宣告ありたる場合に於ては、第一条の規定に依る政府の債権は他の債権に後る
  第六条 火災保険・海上保険及び運送保険の事業の免許は本法施行の日より十年間之を為すことを得ず、但し第一条に規定する出捐を為したる保険会社の併合、又は合併に依りて設立したる保険会社については此の限りにあらず
  第七条 第一条・第二条及前条但書の規定は、日本に於て火災保険事業を営む外国会社に之を準用す
 - 第51巻 p.350 -ページ画像 
    附則
  本法は公布の日より之を施行す
      保険金貸付公債法案
  第一条 保険会社に対する貸付金に関する法律案に依り貸付の資金に充つる為、政府は一億八千万円を限り公債を発行し、之が振替支弁の為借入金を為すことを得
  第二条 前条の規定に依る公債の発行価格差減額を補塡する為、必要ある場合に於ては前条の制限以外に公債を発行し又は借入金を為すことを得
    附則
  本法は公布の日より之を施行す
 前記案の決定と共に政府は左の声明書を発表した。
      貸付に対する政府の声明
  這般関東地方に突発せし大地震は大火災を伴ひ人命及び財産上振古未曾有の大惨害を齎らせるが、灰燼焦土と化せる住宅家財其他の物件等罹災保険金額約十八・九億円を算へ、罹災被保険者の数亦極めて多数に上り、随つて火災保険問題の解決は焦眉の急を告ぐるに至れり。
  火災保険会社は地震に随伴して生ぜる火災に対しては、其の損害塡補の責に任ぜざるべき旨保険約款に明定しあるを以て、今回の地震に因る火災の損害に対しては保険金の支払義務無き事を言明し、罹災被保険者をして頗る失望せしめ、中には地震約款の法律上無効たるべきを主張するものあるに至れり。政府は法律上の争議は当然司法権の裁断に帰すべき筋なるを以て、何等干渉をなさずと雖も、その惨害の甚大にして罹災被保険者の窮迫せる事情を察すれば行政上傍観坐視、唯自然の成行に抛擲するを許さざるものあるを以て、内閣告諭中において保険会社の犠牲的精神に愬へ自発的に適当なる解決策を講ぜんことを希望したるが、保険会社においても同業者相会して協議を重ねたる結果、社会に対する徳義問題たるの見地に基き、会社の存立を危くせざる範囲内における最大限度の犠牲提供として、罹災被保険者に対し罹災保険金額の一割に当る金額の出捐をなしたき旨申合せたるが、何分にも今回の罹災保険金額は極めて莫大に上り、其一割と雖も内国会社の分大凡一億五・六千万円に達するの見込にして、他方その総財産は今日の時価を以て推算せば二億円にも足らざるの実状なるを以て、罹災保険金額の一割に当る出捐を為すものとせば、中にはその総財産を提供するも尚足らざるものあり。斯くては保険会社は今回の罹災地以外内外全般に亘り、幾十億円の残存火災保険契約を始めとし、海上・運送・傷害その他各種の損害保険契約に対する責任を完うするを得ざるのみならず、今後の存立維持を危殆ならしむるを以て、この際政府より前記の出捐に必要なる金額の貸付をなさんことを陳情し来れり。惟ふに保険問題の解決は、畢竟会社の自発的に成立すべき徳義問題に属し、政治上強制的に執行すべき性質のものに非ざるは論を俟たずと雖も、這般の大変災善
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後策たる価値より之を見れば、経済政策の安固を保持し人心の安定を期するため、緊急の要務の一たるを失はず。保険会社の犠牲提供も亦その財産上の負担力に照し、大体上適切妥当なるを認めざるを得ず。而してこれが実行については、保険会社の陳情を容れ、政府において適当の援助を為すに非ざればこれが実現を見難きも亦明かなり。仍つて政府は国庫の負担をも考慮し、各会社に対しその出捐に必要なる金額を貸付けるの方針を樹てたり。然る所、数会社は政府よりの借入方法について意見を異にし、特に社団法人を設立し、その方針は罹災被保険者に対し出捐を為すこととし、その資金の債務は専ら法人に属するものとしたき旨希望したれども、罹災被保険者としても、かゝる契約当事者に非らざる第三者たる法人より出捐を受くる理なく、又政府としても、かゝる資産薄弱にして償還義務を確保せられざる法人に対し巨額の貸付を為すことを得ず、これがため遂に数会社の不一致を見るに至りしは遺憾とする所なれども、問題の解決は急を要し、大多数の会社は一致し居れることなれば、政府は玆に一定の援助方針に則り各保険会社に貸付を為すことに廟議を定め、本件貸付に関する予算及び貸付に必要なる立法事項については、近く帝国議会に提案してその協賛を求めんとする次第なり。而して政府は外国保険会社にして、右の方法による出捐に参加する意思あらば、内国会社に対すると同様の援助を為さんとする方針なりと雖も、未だ確たる消息に接せず、尚ほ今回の火災保険問題の解決策として、各種保険業全部の官営、地震及び火災保険の官営、再保険の官営及び火災保険官民合同の経営等種々の計画を提唱するものあり、その趣旨たる、一として、今回の震災による既発の損害の全部又は幾部を国家に於て負担支弁するの方法に基かざるものなし、国家財政の見地より之を論ずるも、罹災民衆中単に被保険者に限り国家自ら特殊の救済策を講ずるの穏当ならざる点より之を見るも、政府の施設としては容易に首肯し難きものあり。将来の地震に伴ふ火災保険に就ては、我国特殊の国情上今回の覆轍を繰返さゞる為め、慎重なる調査研究を経るの必要あるは明かなりと雖も、此際急遽民業を回収するは適当の措置なりとは認め難し、因て政府は保険会社の提案を容れ、前陳の如き援助方法を採らんとする次第なり。
 前記の法案並に声明に付ては、早くもとかくの非難が起つた。
○中略
 かくて政府に於ても更に審議の結果、十二月六日の閣議に於て原案第六条を削除して議会に提出することに決した。
 以上の通り政府の貸付法案は決定し、前記二十六社は全部これに賛同し、他の六社も亦遂にこれに合流するに至り、かくして内国元受会社全部三十二社は、十二月十二日左の請願書を政府に提出した。
○中略
 政府に於ては、十二月十二日前記法案を衆議院に提出したが、同月二十一日遂に審議未了として握り潰しとなつた。その理由に付て、政
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友会は翌二十二日左の陳述書を発表した。
○中略
 かくして議会通過を俟つて十二月廿五日から開始する予定であつた見舞金一割支払のことも自然中止となり、田農相は遂に引責辞職するに至つた。
 十二月二十七日山本内閣は、虎の門事件の責を負ふて総辞職を為し翌大正十三年一月七日清浦内閣が成立し、前田利定子農相に並に勝田主計氏蔵相に就任した。而して清浦内閣は一月三十一日議会の解散を断行した。
 清浦内閣に於ても、火災保険問題の解決に付てはその成立当初から最も苦慮した所であるが、支払要求の声は愈々高く、熱狂した大衆は屡々会社・協会に殺到し、又政府の当路者を訪問要請して遂に流血の惨事をさへ見るに至り、解決をこれ以上遷延せしめ得ない事態に立ち至つた。
 幾多の波瀾曲折を経た後二月二十五日、政府は臨時閣議に於て漸く左の大綱を決定した。
一、火災保険問題解決の為会社の出捐資金として八千万円を援助金の名義で交附し、利子は年四分、償還年限は最長五十年のこと。
二、各社はその負担能力に応じ各社小口契約に対しては必ず一割の出捐を為し、大口のものに対しては逆累進の方法により出捐せしめ、償還は一定の年賦償還金額に相当する年金を年々納入せしめること前記閣議の決定は、翌二十六日正式に保険会社側へ通達せられ、保険会社側はこれに対応して援助金交附請願書を提出した。
○中略
 政府は下附金を左の勅命案に依つて緊急財政処分の方法に依つて処置せんと決した。
 一、政府ハ火災保険会社カ火災保険ノ目的ニツキ大正十二年九月ノ地震ノタメ、直接又ハ間接ニ生シタル火災及ヒソノ延焼並ニ右ノ消防又ハ避難ニ必要ナリシ処分ニ依リ損害ヲ受ケタル被保険者ニ対シ、保険金額ノ百分ノ十以内ニ相当スル金額ヲ任意出捐スル会社ニ対シ、援助金ヲ交付スルタメ八千万円ヲ限リ公債ヲ発行シ、又ハコレカ繰替支弁ノタメ借入金ヲ為スコトヲ得
 二、前条ノ規定ニヨリ公債ノ発行価格差減額ヲ補塡スルタメ、必要ナル場合ニオイテハ前条ノ制限以外ニ公債ヲ発行シ又ハ借入金ヲ為スコトヲ得
 附則 本命ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
 勅令案は三月五日枢密院に回附されたが、枢密院はかゝる重要なる問題を緊急処分に依つて解決することを妥当ならずとし、政府に於ては、三月六日臨時閣議を開いて該案を撤回することに決定した。かくして前記貸附金八千万円は国庫の剰余金の中から責任支出を為すこととなり、四月十二日開催の閣議に於て政府は火災保険助成金交附に関する勅令案を決定し、直に御裁可を仰ぎ、四月十四日勅令第八十四号を以て公布した。
      勅令第八十四号
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  第一条 農商務大臣は火災保険の目的につき大正十二年九月の地震のため、直接又は間接に生じたる火災及其延焼並に其消防又は避難に必要なる処分に依り受けたる損害に対し、保険会社が被保険者に農商務大臣の承認する任意の出捐を為す場合に於ては、其保険会社に対し助成金を交附することを得
   保険会社は前項の損害に対し、本条に規定する出捐を為す元受保険者に再保険を為し、農商務大臣の承認する任意の出捐を為す場合亦前項に同じ
  第二条 助成金の交附を受けたる保険会社は、農商務大臣の定むる所に依り納附金を政府へ納附すべし
  第三条 助成金の交附については概算払をなすことを得
   附則 本令は公布の日より之を施行す
 更に助成金交付の手続に関する農商務省令第六号は四月十九日公布された。
 かくして保険会社側は前記助成金の外に、各社の犠牲出捐として一ケ年分の保険料を払戻すことゝして出捐に関する準備を進め、五月一日出捐会社連名にて左の新聞広告を為し、五月五日からその支払を開始した。
 政府から助成金を借入れた会社は左の通り総計三十三社であつた。
○下略