デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
5節 諸金融機関
1款 復興建築助成株式会社
■綱文

第51巻 p.354-359(DK510094k) ページ画像

大正14年1月2日(1925年)

是日、東京市長中村是公、湯河原天野屋旅館ニ滞在中ノ栄一ヲ訪ヒ、復興建築会社設立ニツキ援助ヲ請フ。栄一、井上準之助ト議シ、志村源太郎ヲ其社長ニ推ス。志村辞シテ応ゼズ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK510094k-0001)
第51巻 p.354 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 半晴 軽寒
○上略 午後中村東京市長・佐野利器氏両氏来ル、蓋シ昨日電報ヲ以テ報知アリタルナリ、市長ノ要務ハ東京市復興建築会社ノ件ニ付、客臘来ノ交渉ニ継続シテ大蔵大臣トノ協定ヲ得タルニ付、近日会社新設ノ方案ヲ議スルニアリ、依テ近状ニ応シテ至急ニ会社設立ノ計画ヲ協議ス中村氏ハ来ル十日頃市内有力ナル人士ヲ会シテ会社新設ノ素地ヲ作リ月末ニ至リ数十名ノ会合ヲ開催スル心算ナレハ、其際ニハ是非出席シテ設立ノ事ヲ協定スヘキ見込ノ由縷述セラレタリ
○下略
  ○栄一、十二月二十七日ヨリ湯河原天野屋旅館ニアリ。一月二十五日帰京。
一月三日 晴 寒
○上略 午前中村市長来リ、本日帰京ノ由ヲ告ケ、且向後ノ援助ヲ乞ハル
○下略
  ○中略。
一月五日 晴 厳寒
○上略
東京市復興ノ為メ特種ノ建築会社設立ノ件ニ付、中村市長ニ一書ヲ作リ、明日蓮沼生ヲ帰京持参セシム、井上準之助氏ヘモ一書ヲ寄ス
○下略


(井上準之助)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一月一一日(DK510094k-0002)
第51巻 p.354-355 ページ画像

(井上準之助)書翰  渋沢栄一宛大正一四年一月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             (朱書)
             大正十四年一月十一日井上準之助氏来状
                (栄一書入レ)
                大正十四年於湯河原客舎
                一月十三日落手即日閲了
拝啓 当月六日御旅行先ヨリ御尊書頂戴仕、恐縮至極ニ奉存候、偖テ御入湯ノ為メ段々軽快ニ相成候由珍重ニ存申候、尚十二分ニ御静養奉祈上候、御申越相成リ候建築会社ノ件ハ、昨日東京・横浜両市長ヨリ召集ヲ受ケ、本日ハ召集セラレ候人耳会合協議之結果、条件ヲ提出致候事ニ相成リ、市長ハ此ノ希望条件ヲ以テ政府ニ交渉スルコトニ相運ヒ申候、此ノ希望条件ト政府ノ案之間ニハ相当ノ差異有之候得共、何
 - 第51巻 p.355 -ページ画像 
トカ話ハ纏マリ可申哉ニ愚考仕リ候、何レ御帰京ノ上ハ更ニ御援助ヲ仰キ候コトヽ考居リ申候、先ハ右報告旁如此御座候 草々敬具
  正月十一日               井上準之助
    渋沢子爵殿
 二申○略ス


(井上準之助)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一月一五日(DK510094k-0003)
第51巻 p.355 ページ画像

(井上準之助)書翰  渋沢栄一宛大正一四年一月一五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             (朱書)
             大正十四年一月十五日井上準之助氏来状
拝啓 御静養段々御元気ニ相成リ候コトニ奉察上候、偖テ建築会社ノ件ハ佐野○利器博士ヨリ御聞取被下候如クニ、稍々成立ノ曙光モ相見ヘ候ニ付テハ、此ノ上ハ成立後ノ社長トナルヘキ人ヲ選定致シ、其人ヲ創立委員長トシテ会社創立ノ事務ヲ取扱ヒ候様ニ致候コト便利ト考ヘ人ノ詮考ニ取掛リ申候、其レニ付テハ過日拝芝ノ節ニ、子爵ヨリ候補者ノ一人トシテ御内話有之候志村源太郎氏ヲ、小生ヨリ両市長及一坐ノ面々ニ持出シ候処、一人ノ反対者ナキ耳ナラス、無上ノ適任者トシテ皆々推賞致シ申候間、大蔵大臣及ビ内務大臣ノ内諾ヲ得テ、本日直ニ志村君ニ御頼申候、然ニ同君ハ今暫ラク閑地ニアリテ一事業ニ固着シタクナシトノ意見ニテ、中々引受ノ気配モ無之候得共、数日間考慮致シ、然ル後ニ返事可致トノコトニ有之候、就テハ一方ニハ蔵相ニ勧誘方ヲ御願ヒ、彼方ニハ大橋君ヲ煩ハシテ勧誘ヲ試ミ候考ニ御坐候、志村君ノ儀ニ付テハ事前ニ一応御相談可申上筈ノ処、御出立前志村君ハ子爵ノ御考ノ候補者ノ一人ニ有之候コトヽ一日モ速ニ社長ノ候補ヲ定メ候必要ニ迫ラレ候為メ、右ノ如ク取斗ラヒ候段ハ御了承被下度候右ニ付キ一事御頼申上度キハ、志村君ニ於テ中々容易ニ引受ケ呉レ候様ニモ見ヘ不申候間、同君ニ対シ書状ヲ以テ子爵ヨリ就任方御勧誘被下度候、御病中恐縮至極ニ候得共御承引被下度懇願仕候 草々頓首
  一月十五日
                     井上準之助
    渋沢子爵殿


(志村源太郎)電報 渋沢栄一宛大正一四年一月二二日(DK510094k-0004)
第51巻 p.355 ページ画像

(志村源太郎)電報  渋沢栄一宛大正一四年一月二二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
      「午前一〇時四〇分発信 午後一時一三分受信」


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 オテガ ミハイケンマイマイゴ ケンコカンシヤノイタリシカシホンケンハジ タイノホカナキオイカントスイサイフミリヨコウチウニテカイトウチエンオシヤス  ユガハラ  アマノヤカタ  シブサワシシヤク  シムラゲンタロ(日附印一四・一・二二)             ○ 





(志村源太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一月二四日(DK510094k-0005)
第51巻 p.355-356 ページ画像

(志村源太郎)書翰  渋沢栄一宛大正一四年一月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            (朱書)
            大正十四年一月廿四日志村源太郎氏来状
 - 第51巻 p.356 -ページ画像 
拝啓
御病後御静養之為メ御転地遊被候趣、旅舎の御起居御不自由恐察申上候得共、何卒御忍堪為邦家充分御摂養之程希望仕候、降而小生身上ニ関し毎ニ御念頭ニ被懸候義感謝之至りニ奉存候、今回建築会社の件誠ニ東京市復興の重大事ニ有之候間、御配意之程察入候、乍去小生義此種会社には極めて不適任なる性格ニ有之候而已ならす、目下の志望ハ自由の立場ニ在りて産業組合蚕糸業等の社会的民間的事業ニ世話致度存候次第ニ御坐候間、切角の御思召ニ候得共御断申上候外無之存候、過日井上君にも此旨相話、尚又今回帰京後浜口蔵相にも大橋新太郎氏にも同様相断り候次第ニ御座候間、我意主張者と御叱責無之御了承願上度候、先般御懇篤なる尊翰を拝し候得共熱海より尚又他方面へ出遊候為メ行違ひ拝読相後れ候間、不取敢電報御詑旁御回答申上候次第ニ御座候、是亦宜敷御了承可被下候、何れ御帰京之上拝芝可申尽候
                         草々頓首
  一月廿四日
                      志村源太郎
    渋沢子爵閣下
         侍史


中外商業新報 大正一四年一月二四日 当面の復興建築会社 渋沢子爵語る(DK510094k-0006)
第51巻 p.356-357 ページ画像

中外商業新報  大正一四年一月二四日
    当面の復興建築会社
      渋沢子爵語る
◇……まだ全快とまでは行かないが余程快くなりましたから、廿五日には帰京する予定にして居ます、それに色々気にかゝることも多いので、何時までも此処(湯河原)で静養して居る訳にも行きません
◇……先つ当面の問題としては復興建築会社ですが、これは一時も早く成立させて帝都の復興を速かならしめねばならぬ、何分耐火建築条例に依つての本建築には巨額の費用を要するであらうが、果してその費用を自弁するだけの実力を持つ者が幾人ありませう
◇……これは昨年から中村市長も心配して私の家に相談に見えたのですが、病気した上転地したやうな訳ですから、旧臘東京を出発する前井上準之助さんに万事御願ひして置きました処、実業家との相談や政府との折衝も余程進んで居る模様であります
◇……で、私もその主脳者となる人を物色中であるが、会社が会社だけに快諾を得ることが却々むつかしいやうであります、兎に角帰京したら第一著にその成立に尽して帝都を早く復興せしめねばなりません
◇……また製鉄鋼調査委員会も成立し、私も委員となつて居るのですが、これは私の多年主張し来つた製鉄に対する国策樹立を急務とする主旨であるから、他の委員諸君と共々に邦家のため尽力し度いと思つて居ります
◇……また農業に科学的応用をするに就て、近頃デンマークの農業に対する書物を読んで大いに参考になる処がありました、そしてこれは私の農村振興に対する持論なので、先般私の村へ帝国農会の矢作博士及び岡田幹事に行つてもらつたのですが、かうしたことは実行して見
 - 第51巻 p.357 -ページ画像 
ねば農家では進んで実施しやうとはしないやうに思はれます(湯河原にて)


渋沢栄一書翰 佐野利器宛(大正一四年)一月二五日(DK510094k-0007)
第51巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一書翰  佐野利器宛(大正一四年)一月二五日  (佐野利器氏所蔵)
拝啓 爾後益御清適欣慰之至ニ候、過日ハ毎々転地先まて御過訪被下感謝仕候、老生之宿痾も追々軽快ニ付昨日一ト先帰京仕候間、何卒中村賢台へも其段御申上可被下候、建築会社成立之模様其後如何相運候哉、其中拝眉市長にも緩々相伺可申と存候
別冊ハ先頃特ニ持参被下御示相成候ものニ候へとも、一覧之上返上仕候、御査収可被下候、右書中可得貴意如此御坐候 拝具
  一月廿五日
                     渋沢栄一
    佐野賢契
       玉案下

佐野利器様  梧下 渋沢栄一 別冊相添
一月廿五日


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK510094k-0008)
第51巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十七日 晴 寒
○上略 午前十時井上準之助氏・中村市長ト銀行倶楽部ニ於テ会見、建築会社ノ事ヲ協議ス○下略
一月二十八日 半晴 寒
午前○中略 志村源太郎氏来ル、復興建築会社担当ノ事ヲ談シ、種々論議セシモ終ニ同意ヲ得ル能ハス○下略
  ○中略。
一月三十日 大雪 寒甚
○上略 午後四時復興建築会社ノ件ニ付、井上・中村市長・大橋氏等ト工業倶楽部ニ会議ヲ開ク、六時過帰宿○下略


集会日時通知表 大正一四年(DK510094k-0009)
第51巻 p.357 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
一月三十日 金 午後四時 復興建築会社ノ件(工業クラブ)


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK510094k-0010)
第51巻 p.357-359 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 晴 寒
○上略
午前十時工業倶楽部ニ抵リ○中略 井上準之助氏来リテ、大橋氏ト共ニ復興建築会社ノ事ヲ談ス ○下略
  ○中略。
 - 第51巻 p.358 -ページ画像 
二月十九日 曇 寒
○上略 午後四時事務所ニ於テ井上準之助氏ノ来訪ニ接ス、東京市復興建築会社ノ事ヲ談ス○下略
二月二十日 晴 寒
○上略 午前十時頃兜町事務所ニ抵ル○中略 植村澄三郎氏来ル、昨日井上氏トノ内議ニヨリテ植村氏ニ建築会社ノ事ヲ内話セシモ、到底承諾ノ模様ナキニヨリテ中止ス
二月二十一日 晴 寒
○上略 午前十時過兜町事務所ニ抵リ○中略 井上準之助・中村是公二氏来訪復興建築会社設立ノ事ヲ協議ス、井上氏ニ於テ大橋氏ノ内意ヲ探リ、更ニ協議スヘキ事ヲ打合ハス○下略
  ○中略。
三月十九日 雷雨 寒
○上略 午前十一時井上準之助氏来訪ス、昨夜来電話ノ交渉アリタルナリ当面復興建築会社ノ主任者ニ中島男ヲ推スニ付テ、古河家トノ協議ニ付種々事情ノ説明アリ、依テ明日余ハ帰京、直ニ古河男及昆田氏ニ了解ヲ得ルニ努ムル事ヲ承諾シ、直ニ電話ヲ以テ之ヲ事務所ニ通シテ、古河氏トノ会見ヲ申込マシム○下略
  ○栄一、三月二日ヨリ大磯ニ滞在、二十日帰京ス。
三月二十日 曇 寒
○上略
午後四時過ニ古河男爵及昆田文次郎氏来話ス、中島男身上ニ関シ特ニ古河氏ニ協議ヲ要スル事アルカ為メナリ○下略
三月二十一日 晴 寒
○上略
中島久万吉氏来リ、復興建築会社ノ事ヲ談ス○下略
三月二十二日 快晴 寒
○上略 午飧後井上準之助氏来ル○中略 復興会社担当者人撰ノ件等ヲ協議ス
○下略
  ○中略。
三月二十五日 曇 寒
○上略 古河男爵・昆田文次郎二氏来リ、過日依頼セシ中島男爵ノ身上ニ付回答アリ、大体ノ希望ハ同意スルモ菅氏ノ身上ハ尚熟考ノ後確答スヘシトノ事ナリ、依テ其趣旨ヲ直ニ電話ニテ井上氏ニ通知ス○下略
  ○中略。
三月二十七日 曇 軽寒
○上略 井上準之助氏来ル、頃日来協議シ来レル○中略 復興建築会社ノ件ニ付種々ノ協議ヲ為ス○下略
三月二十八日 晴 寒
午前八時起床洗面ヲ畢リテ朝飧シ、後別室ニ到リ褥中ニ在テ書見又ハ来客ニ接見ス、古河虎之助氏来リ、復興建築会社設立ニ関シ中島久万吉男担当ノ件、及管礼之助身上《(菅礼之助)》ノ事ニ付同意シ難キ旨丁寧ニ陳述セラル、依テ其趣旨ヲ諒トシテ直ニ白石ヲ以テ井上準之助・中島男爵二氏ニ電話ニテ之ヲ通知ス○下略
 - 第51巻 p.359 -ページ画像 
  ○中略。
三月三十日 曇 軽寒
○上略 井上準之助氏来リ○中略 復興建築会社ノ件○中略 ニ付談話ス ○下略
  ○大正十二年九月一日ノ大震火災ニヨリ破壊セラレタル、東京・横浜両市ヲ復興セシムルニハ耐震耐火建築ヲ興ス必要アルヲ以テ、両市ハ復興建築会社ヲ設ケ、大蔵省預金部ヨリ低利資金ノ融通ヲ受ケ、之ヲ同会社ニ貸付ケ更ニ建築当事者ニ貸付ケシメントシタリ、然ルニ関係官庁及ビ民間側ニ於テ意見ヲ異ニスル処少ナカラズ、ヨツテ東京市長中村是公ハ栄一ニ斡旋ヲ依頼シタルモノナリ。
  ○次掲大正十四年八月八日ノ条ニ引用シタル、中村市長宛栄一ノ書状ニヨレバ、栄一ハ市長ト会見ノ際、東京市ヨリ同会社ヘノ貸付利子ヲ年八分ニセンコトヲ勧メタリ、蓋シ当時大蔵・内務両省ノ意嚮ハ低利資金ノ貸下額ヲ金六千万円トシ、利子ヲ年六分五厘トセルヲ以テ、利鞘ニヨリ営業費及ビ利益配当ヲ捻出スルタメニハ、会社ヨリノ貸付利率ヲ年九分五厘トセサルヲ得スト思考シタレバナリ。
  ○社長銓衡ハソノ後遷延ヲ重ネ、結局東京市長一任トナリ、市長ハ八月中旬ニ至リ沼田政二郎ニ交渉シテ承諾ヲ得タリ(以上復興建築会社書類綴込ニヨル)。