デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

2章 交通・通信
4節 通信
1款 日本無線電信株式会社
■綱文

第52巻 p.42-49(DK520006k) ページ画像

大正12年11月14日(1923年)

是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会社第一回創立委員会開カル。栄一出席シ、座長トナリテ議事ヲ
 - 第52巻 p.43 -ページ画像 
司宰シ、岩原謙三・門野重九郎・中島久万吉・串田万蔵・東郷安ノ五名ヲ常務委員ニ指名ス。


■資料

日本無線電信会社創立書類(DK520006k-0001)
第52巻 p.43 ページ画像

日本無線電信会社創立書類         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十二年十一月十一日
                      渋沢栄一
    創立委員

    ○国際無線電信事業に関する件
拝啓 本年七月廿七日首相官邸に於て御協議申上候首題の件に関し、去る九月六日第壱回創立委員会開催予定の処、震災の為已むなく延引致候に付ては御繁用中誠に恐縮に御座候得共
  来る十一月十四日正午 東京銀行集会所に於て
前記委員会開会仕度存候間、何卒万障御差繰御出席被成下度此段御案内申上候 敬具
    ○第壱回創立委員会協議事項
                 (大正拾弐年拾壱月拾四日)
  一、社名に関する件
  二、事務所及其組織に関する件
  三、常務委員設置の件
  四、発起人増加の件
  五、創立事務進捗方針に関する件
  六、特別委員制設置の件
  七、外国会社側と交渉の件
  八、日米電信残務引継の件
  九、其の他 以上
 追而先般創立委員を御委嘱申上候方々は左の通りに付為念申添候
  (書入レ)
  ○印ハ常務委員
      伊東米治郎殿   井坂孝殿
     ○岩原謙三殿   ○東郷安殿
     ○門野重九郎殿   高田釜吉殿
     ○中島久万吉殿   中田錦吉殿
     ○串田万蔵殿    松方乙彦殿
      阪野鉄次郎殿   南条金雄殿
      浅野良三殿    結城豊太郎殿
               (以上拾四名)


日本無線電信会社創立書類(DK520006k-0002)
第52巻 p.43-44 ページ画像

日本無線電信会社創立書類          (渋沢子爵家所蔵)
    第壱回創立委員会決定事項 (大正拾弐年拾壱月拾四日)
一、社名ヲ「日本無線電信株式会社」トスルコト、尚英語ニテRADIO CORPORATION OF JAPANトスルコト
二、適当ノ場所ニ創立事務所ヲ開設スルコト
三、渋沢座長指名ニテ、創立委員中ヨリ左ノ五名ニ常務ヲ嘱託スル事
 - 第52巻 p.44 -ページ画像 
    岩原氏 門野氏 中島氏 串田氏 東郷氏
四、発起人増加ノ件ハ追テ常務委員会ニ於テ詮議スルコト
  但稲畑勝太郎氏ノ発起人参加ノ件ハ即決スルコト
五、創立事務ノ方針ハ今後大体新会社ヲ成立セシメツヽ願書ヲ提出シテ、政府ヨリ命令書ヲ得置クコト
六、技術関係事項協議ノ為官民ニ亘ル特別委員制度ヲ設クル件ハ、常務委員会ニ於テ審議スルコト
七、外国会社側ト交渉ノ件モ前項ト同様ノコト
八、日米電信残務及拠出金残額ハ其儘之ヲ引継キ、海底線計画ニ関シテハ他日ノ為メ書類及資料ノ整理保存ノ途ヲ講スルコト
九、可成速ニ新内閣関係当局者ニ対シ諒解ヲ求メ、且ツ同時ニ申請書ヲ提出スルコト、申請書案ハ更ニ常務委員会ニ於テ審議スル事
                         以上


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK520006k-0003)
第52巻 p.44 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月  高田利吉筆記
                      (財団法人竜門社所蔵)
十一月十四日
○上略
△正午銀行倶楽部に赴き、国際的無線電信会社の創立委員会に列席せらる、是ハ日米間の通信を便にせんか為に四年前より内田嘉吉・中島久万吉・東郷安等諸氏と計画せられつゝありし事業にして、今日漸く創立委員会を開かるゝまでに至りしなり 来会者ハ十二名にして、其中より五名を常務委員に指名せられしが、直に常務委員より提案する所ありて、七・八ケ条を協定す、此計画ハ既に前内閣の賛同を得たるものなるが、現内閣も亦之を認むるや否やを至急確むる事となれり、午後三時頃事務所に帰着せらる
○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK520006k-0004)
第52巻 p.44 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月十四日 水 正午 国際無線電信第一回創立委員会(銀行集会所)


日本無線電信会社創立書類(DK520006k-0005)
第52巻 p.44-45 ページ画像

日本無線電信会社創立書類       (渋沢子爵家所蔵)
(別筆朱書)
子爵一覧済ニテ発送無差支ト東郷男ニ返事シタル書面写
  大正十二年十二月 日
                      渋沢栄一
          殿
    国際無線電信事業民営計画ニ関スル件
拝啓 本年七月二十七日総理大臣官邸ニ於テ、加藤首相ヨリ民間有志ヘ国際無線電信事業民営計画ニ関シ懇談有之、当日出席ノ諸君ニ於テ政府ノ方針ニ順応スベキ新会社ヲ設立スベキ旨御協議成立致候処、其後大震災ノ為メ創立事務ニ幾分遅延ヲ来タシ候得共、左ニ今月迄ノ経過ノ大様ヲ御報告申上ゲ、今後ノ御参考ニ奉供候 敬具
      報告事項
 - 第52巻 p.45 -ページ画像 
一、去七月二十七日加藤首相ヨリ招待セラレタル方々ノ内、当日御差支御欠席相成リタル左記六名ノ方々ニ対シテモ、発起人タルコトノ御承諾ヲ求ムベキ旨ノ御決議ニ従ヒ、早速御勧誘致タル処皆何レモ御快諾アリタリ
  福原有信君    松方幸次郎君  井坂孝君
  木村久寿弥太君  昆田文次郎君  末延道成君
二、尚同時ニ発起人中ヨリ創立委員若干名指名方拙者ヘ御委嘱アリタルニヨリ、左記十五名ノ諸君ヲ煩ハシ度御依頼申上ケタル処、是又悉ク御承諾ヲ得タリ
  伊東米治郎君  井坂孝君    岩原謙三君
  東郷安君    門野重九郎君  高田釜吉君
  中島久万吉君  中田錦吉君   内田嘉吉君
  串田万蔵君   松方乙彦君   阪野鉄次郎君
  南条金雄君   浅野良三君   結城豊太郎君
 右ノ内内田嘉吉君ハ其後任官セラレタルニヨリ辞任相成タリ
三、去ル九月六日第壱回創立委員会ヲ東京銀行倶楽部ニ開催スベキ予定ノ処、震災ノ為流会トナリタルニヨリ、改メテ十一月十四日開会左記事項ヲ決議セリ
 (一)社名ヲ「日本無線電信株式会社」トスルコト、尚英語ニテRadio Corporation of Japanト称スルコト
 (二)適当ノ場所ニ創立事務所ヲ開設スルコト
 (三)渋沢座長指名ニテ創立委員中ヨリ左ノ五名ニ常務ヲ嘱託スルコト
      岩原氏 門野氏 中島氏 串田氏 東郷氏
 (四)発起人増加ノ件ハ追テ常務委員会ニ於テ詮議スルコト
    但稲畑勝太郎氏ノ発起人参加ノ件ハ即決スルコト
 (五)創立事務ノ方針ハ、今後大体新会社ヲ成立セシメツヽ願書ヲ提出シテ、政府ヨリ命令書ヲ得置クコト
 (六)技術関係事項協議ノ為官民ニ亘ル特別委員制度ヲ設クル件ハ、常務委員会ニ於テ猶審議スルコト
 (七)外国会社側ト交渉ノ件モ前項ト同様ノコト
 (八)旧日米電信株式会社創立事務所ノ残務及拠出金残額ハ其儘之ヲ引継ギ、海底線計画ニ関シテハ他日ノ為メ書類及資料ノ整理保存ノ途ヲ講スルコト
 (九)可成速ニ新内閣関係当局者ニ対シ諒解ヲ求メ、且ツ同時ニ申請書ヲ提出スルコト、申請書案ハ更ニ常務委員会ニ於テ協議スルコト
四、前項ノ決議ニ基キ常務委員会ニ於テ別紙ノ通リ申請書ヲ作成シ、十二月七日山本首相・犬養逓相・井上蔵相ヲ始メ各大臣ヘ夫々提出シタリ             以上
     (附属書類)
一、政府方針声明ニ関スル文書
二、発起人氏名表
三、新内閣ヘ提出ノ申請書写
  ○右ハ十二月十二日付ニテ発送セラレタリ。
  ○別紙申請書ハ後掲ノモノ。

 - 第52巻 p.46 -ページ画像 

日本無線電信会社創立書類(DK520006k-0006)
第52巻 p.46 ページ画像

日本無線電信会社創立書類         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    国際無線電信事業民営ニ関スル申請(案)
曩ニ政府ハ我国対外無線通信機関ノ施設ハ之ヲ国営トナシ、其ノ施設ノ創設・改良・維持及単純ナル機械ノ運転ハ、適当ナル条件ノモトニ之ヲ民営ニ委ヌルモ不可ナシトノ方針ヲ確立セラレタルニ基キ、民間有志相謀リ、現時我国内外ノ情況ト世界ノ大勢トニ鑑ミ、一面ニ於テハ国外ニ於ケル本邦系無線電信ノ発展ヲ計リ、且ツ外国会社ト諸般ノ接触ヲ保ツ便宜ヲ得ルヲ目的トシ、他面国内ノ財政状況豊カナラサルノ際ニ当リ、比較的多額ノ経費ヲ要スヘキ大無線電信設備ノ建設費ニ民間ノ資金ヲ利用シ、可成急速ニ此ノ国家的須要ヲ充実シテ以テ汎ク国際間ノ意志疎通並ニ貿易ノ伸長ニ資シ、且ツ将来財政上ノ収入増加ト経済的軍事施設ノ完備ニ貢献致度、爾来鋭意之カ計画中ノ処、会々這般ノ大震災ニ遭遇シ、関係者一同ハ直ニ起テ応急救護ノ第一線ニ立チ日夜社会各方面ノ復興事業ニ従事シタルカ為、本計画ノ進捗上多大ノ遅延ヲ招キタルハ真ニ已ムヲ得サル次第ニ有之候
然レトモ本計画ノ緊要ハ今次ノ天災ヲ経テ愈益急且ツ切ナルモノ有之内外ノ情勢又一日モ偸安ヲ許サヾルニ至リ候、仍テ某等自ラ揣ラズ今後政府ノ大方針ヲ体シ極力之カ速成ヲ期シ度存候、就テハ政府ニ於テモ国家財政上幾多緊縮ヲ断行セラルヘク御決意ノ際、本事業ノ如ク国庫ノ負担ヲ軽減シ、後年度ニ於テ却テ国庫ノ増収ヲ期待シ得ヘキ健実ナル文化的計画ニ対シテハ、宜敷格段ノ御詮議ヲ以テ御清鑑相仰度偏ニ奉希上候 頓首
  大正十二年十一月 日
                  発起人総代(連名)
    内閣総理大臣
    逓信大臣
    海軍大臣
    陸軍大臣(宛各通)
    外務大臣
    文部大臣
    大蔵大臣


日本無線電信会社創立書類(DK520006k-0007)
第52巻 p.46-47 ページ画像

日本無線電信会社創立書類         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    対外無線電信事業民営ニ関スル申請(写)
本件ニ関シテハ下名等有志ノ者胥謀リ、従来累次ノ内閣ニ対シテ申請スル所有之、遂ニ前内閣ニ至リテ我国通信機関ハ之ヲ国営トスルヲ本義ト為スモ、対外無線通信ニ就テハ之レカ創設・改良・維持及機械ノ運転ハ、適当ナル条件ノ下ニ之ヲ民営ニ委ヌルモ不可ナシトスルノ方針ヲ定メラレ、未タ実際ニ施設スルニ及ハスシテ内閣ノ更迭ヲ見ルニ至リ申候、然ルニ爾来海外ニ於ル無線電信事業ノ発達ハ益日進月歩ノ勢ヲ呈シ、吾邦亦愈此大勢ニ善処スヘキ国家的施設ヲ急要トスルノ秋
 - 第52巻 p.47 -ページ画像 
ニ当リ、端無ク這般ノ大震災ニ遭遇シ、帝都復興ノ資頗ル大ナルモノ有ルニ加ヘテ、帝国ノ財政上更ニ将来ニ向テ幾多ノ経費ヲ要スルモノ有之、歳計ノ現情ニ於テ急速ニ此ノ国家的須要ヲ充実シ得ヘキ余裕決シテ多大ニ非ルヘキカト乍憚奉恐察候、随テ刻下ノ事態ニ対シ対外無線電信機関建設ノ為ニ、民間ノ資金ヲ利用セラレ候コト最モ賢明ノ政策カト奉存候ニ就テハ、前キノ申請書ノ写相添ヘ、重ネテ本件ニ関シテ閣下ノ清鑑ヲ奉煩度、右謹テ及申請候也
  大正十二年十二月 日
  ○右申請書ニ前掲大正十一年六月十四日付及ビ大正十二年三月十五日付申請書写ヲ添付ス。


日本無線 第八六号創立拾周年記念特輯号・第五一―五三頁昭和一〇年一一月 「我社の創立されるまで」回顧座談会 二、民間側より見たる我邦国際通信機関及之が整備に関する民間有志の計画(DK520006k-0008)
第52巻 p.47-49 ページ画像

日本無線  第八六号創立拾周年記念特輯号・第五一―五三頁昭和一〇年一一月
 ○「我社の創立されるまで」回顧座談会
    二、民間側より見たる我邦国際通信機関
      及之が整備に関する民間有志の計画
○上略
      生みの悩み
東郷 以上の如く、大正八年創立計画発表以来、最初は海底電線計画の遂行の為に、内にあつては政府当局に対し、外に対しては米国の官民に対して、種々交渉折衝を重ねましたけれども、内外いづれも種々なる困難支障に遭遇して、容易に計画実行の曙光だも見ることが出来ず、数年の歳月を費しました。
  元来此計画は最初にも申述べた様に、時代の趨勢として、国の内外に亘つて是非共此種の国家的機関の存在を必要とするし、又極めて純真なる目的を有する仕事であるからして、平時国際通信事業の充実発展の上からも、又通商外交の必要上からも、又戦時国防計画の遂行上から考へても、何れの点から考へても、極めて適切妥当であるし、世界の情勢上一日も忽せにすることの出来ない、必要なる国家機関であると信ずるに拘らず、其当時の逓信側に於ては、一向之に対して色よき態度を見せないと云ふことは、実に意外千万であつたのでありました。
  固より斯る国際的の大事業であり、又今迄我国に類例のない仕事であるから、是が実現に就ては、内外に亘り、相当慎重なる考慮を払はるべきことは勿論であるけれども、苟くも我国の代表的実業家全部を網羅して国家的奉仕の誠心を捧げて、事に当らむとする決心準備を進めて居る以上は、政府としても之に対して相当の関心を有せらるべきであるに拘らず、之に対して啻に好意を示さざるのみならず、往々にして之を滅却せしめむとするが如き態度があるやうに見えて居りました。
  私から云はせれば、是程将来通信事業の上に便利重宝な仕組は又とあるまいと思はれる位逓信省側に有利である、即ち所謂「据膳の箸をお取りなさい」といふ機構になつてゐるものを何故に嫌忌するのか、その真意の存する所を忖度するに苦んだのでありました。
  そこで私は前後七年に亘る長い創立準備時代に於て、幾度かこの
 - 第52巻 p.48 -ページ画像 
計画を放棄しやうかと思つたけれども、何時の日にかは必ず我が至誠が天に通ずる折もあらうかといふことを頼みに持堪へてゐたのであります。
  殊に準備時代最も悲惨であつたのは、大正十二年の大震災の時、当時木挽町にあつた逓信省の全局舎が、一朝烏有に帰し、悉くの書類が滅失したにも拘らず、幸にも当社の創立事務所の(当時京橋日吉町十四番地旧小川写真店、東亜ペイント会社東京販売店の二階にあつた)重要書類は、大場喜美子と云ふ事務員の勇敢にして決死的な働きに依つて、無事に救ひ出され、涙ぐましき努力により之を青山の私の宅に収容し、それから以後は、日米電信会社の創立全計画は僅に私と其書類のみが残つて居つた許りと云ふやうな、惨憺たるドン底に陥つたのでありました。
      実業界識者の認識と了解を得るに苦心
東郷 加之、七年の長き創立準備時代中、非常に努力を要したのは、元来我国の実業界に於て電信事業が民間事業として企業化されることは、殆ど其前例がなかつた為に当時の錚々たる資本家に対して、海底電信若くは無線電信等の通信事業が、如何に国家的重要性を帯び且つ通商上・外交上・軍事上にも極めて重要なる機関であると云ふことを知らしめると共に、種々の連絡方法を取つて、永年の間此新事業に対する認識と了解とを与へて置くことは真に容易ならざる苦心であつたのであります。
  斯の如くして、隠忍持久、只管誠心誠意を以て此事業計画の遂行に従事して居つたが、偶々其間華盛頓会議が開かれ、日米間の通信状態が円満に疎通せざるが為に、華盛頓の加藤全権の如きは、是が為非常な苦痛を嘗め、甚だしきは最後に最も重要なる請訓を本国政府に仰ぐのに、無慮四十八時間を要したと云ふやうなことがあつた為に、何としても国際通信施設の充実は、今後の「国際日本」の地位を向上する為には、絶対的の必要に迫られることになつたのであります。
 かてゝ加へて、無線電信が発達するにつれ、長波長の割当問題が世界列国間に論議せられ、其の争奪の的となつたが為に、我国も後馳ながら列国に参加して、数個の波長を獲得するの必要に迫られました。
  然るに先に述べた様に、我国の財政状況は益々窮迫し、政府が大正十二年計画した大無線局の計画(予算九百万円)の遂行も、事業繰延其他に依つて、到底短日月に実現することが出来なくなりました。そこで政府は愈民間に特殊の条件を提示して、無線電信会社を認めることに相成つたのであります。
      無線電信会社の設立
東郷 以上の様に、多年の苦心は遂に酬ひられる時期が来て、政府が我等の計画を土台として、大正十二年七月閣議に於て民営方針を定められました。
  之に依つて、同年七月二十七日、時の総理大臣加藤友三郎氏は、総理大臣官邸に創立委員一同を招いて、閣議決定の方針を定め、次
 - 第52巻 p.49 -ページ画像 
いで大正十四年一月下旬に至り、愈会社側と政府との間に、具体的の交渉をすることになつて、其後協議を重ね、一方民間に於ては会社の組織を準備し、政府に於ては日本無線電信株式会社創立に要する特別法の制定を急ぎ、同年三月五日衆議院に提出、同月十九日貴族院を通過、同じく二十八日に法律を以て公布せられるやうに相成つた次第であります。



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK520006k-0009)
第52巻 p.49 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
二月廿六日 火 午後一半時 逓信大臣ヲ御訪問(逓信省)