デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
2款 日出紡織株式会社
■綱文

第52巻 p.134-151(DK520014k) ページ画像

明治45年6月15日(1912年)

是日、大川英太郎及ビ和歌山県日高郡ノ有志、栄一等ノ賛助ヲ得テ、当会社ヲ創立ス。栄一発起人タリ。尚当会社ハ、大正二年播州紡績株式会社、同五年田辺紡績株式会社、同十二年江州紡績株式会社ヲ順次合併シ、資本金千五十万円トナル。栄一、晩年ニ至ルマデ当会社ノ指導ニ尽力ス。


■資料

日出紡織株式会社年譜(DK520014k-0001)
第52巻 p.134 ページ画像

日出紡織株式会社年譜        (日出紡織株式会社所蔵)
    創立以前
明治四十五年 大川英太郎、和歌山県日高郡ノ有志等相諮リ、渋沢男爵・伊藤長次郎氏・岩本栄之助氏・山辺丈夫氏・阿部房次郎氏等有力者ノ賛助ヲ得テ、日出紡織株式会社ノ創立ヲ目論ム
明治四十五年四月五日 資本金百万円弐万株ノ予定ニ対シ、申込数弐万四千株ニ達ス
同年同月六日 御坊町ニ発起人会ヲ開催シ、資本金百弐拾万円ニ変更ノ決議ヲナス、発起人ノ氏名次ノ如シ(イロハ順)
  伊藤長次郎  岩本栄之助  大川平三郎
  大川英太郎  大西甚一平  金崎和夫
  川瀬九助   米沢吉次郎  田中栄八郎
  田淵栄次郎  田端春三   滝川弁三
  薗喜太夫   津村英三郎  津村佐右衛門
  中西平兵衛  上田金兵衛  野村又兵衛
  久保田三郎  栗山寛一   熊沢一衛
  山辺丈夫   小池甚一郎  阿部房次郎
  笹野梅太郎  渋沢栄一   塩路彦右衛門
  塩路彦七   小竹岩楠   森八郎
  瀬戸健三   瀬戸佐太郎  鈴木容
同年同月二十五日 公募ニヨラズ株式総数引受済トナル、株主四百五十七名
明治四十五年五月廿九日 壱株ニ付金拾弐円五拾銭ノ第一回払込ヲ終ル


(日出紡織株式会社)第壱回事業報告書 (大正元年一一月)刊(DK520014k-0002)
第52巻 p.134-135 ページ画像

(日出紡織株式会社)第壱回事業報告書  (大正元年一一月)刊
    ○沿革
当会社ハ明治四拾五年六月拾五日ノ創立ニシテ、之ガ創立ノ企画ハ既ニ数年前ニ在リ、和歌山県日高ノ有志及大川英太郎氏等相諮リ、諸般ノ事情ヲ調査研究シツヽアリシニ、昨年支那動乱ニ際シ綿糸価暴落ノ懸念モ杞憂ニ終リ糸価益々昂騰セリ、是レ蓋シ数字ニ表ハレ難キ内地
 - 第52巻 p.135 -ページ画像 
ノ需要増加ニ因ルモノニシテ、此大勢及動乱鎮定後ノ支那市場ノ発展ヲ観取シ、我国紡績業ノ前途ヲ想望シ、玆ニ創立ノ計画歩ヲ進ムルニ至レリ、而シテ本社及工場所在地トシテ交通便宜ノ大阪附近ヲ採ズシテ和歌山県御坊町ヲ撰ミタルハ、汽温湿度ノ好適、職工募集費ノ大節減及職工問題ニ干スル諸種ノ便宜アルニ依ル、加之原料・助成品及製品ノ輸送ニ就テモ、日高ノ材木船帰航ノ空腹ヲ利用スルコトヲ得可ク世人想像ノ如キ不利不便アルコトナシ、於玆渋沢男爵・伊藤長次郎氏・岩本栄之助氏・山辺丈夫氏・阿部房次郎氏、其他有力家ノ賛助ヲ得テ創立ノ運ニ至リ、資本金壱百万円、株式弐万株内発起人参拾参名ニ於テ壱万九百株ヲ引受ケ、残九千壱百株ニ対シ賛成人ノ仮申込多数ニ上リ、明治四拾五年四月五日ニ至リ弐万四千株ニ達セリ、依テ同月六日発起人等御坊町ニ会合シ、資本金壱百弐拾万円、株式数弐万四千株ニ変更ノ決議ヲ為ス、而シテ既ニ発起人及賛成人ニ於テ総株式ノ応募アリタルヲ以テ、一般公募セズ四月弐拾五日株式総数ノ引受ヲ了シ、五月弐拾九日壱株ニ付金拾弐円五拾銭ノ第壱回払込ヲ終リ、六月拾五日創立総会ヲ聞ク
    ○創立総会
一、六月拾五日創立総会ヲ大阪商業会議所ニ於テ開ク
 会社創立ニ干スル事項及商法第百参拾四条ニ依ル調査事項報告ヲ為シ、定款承認及取締役七名・監査役三名選挙ノ件ヲ可決シ、左記諸氏ヲ撰定承諾ヲ得タリ
                 取締役 伊藤長次郎
                 同   大川英太郎
                 同   塩路彦七
                 同   米沢吉次郎
                 同   栗山寛一
                 同   津村英三郎
                 同   金崎和夫
                 監査役 田中栄八郎
                 同   瀬戸健三
                 同   笹野梅太郎
総会ニ引続キ取締役会ヲ開キ、伊藤長次郎氏ヲ社長ニ互撰シ、又相談役トシテ山辺丈夫氏・大川平三郎氏ヲ撰嘱シ、其承諾ヲ得タリ
  ○栄一ノ持株ハ四〇〇株ニシテ、第六回事業報告書(大正四年六月)ヨリ渋沢同族会社渋沢敬三ノ名義ニ変更セラレ、第十六回事業報告書(大正九年六月)ヨリ一、二八〇株(旧株四〇〇株、新株八八〇株)ニ増加ス。


中外商業新報 第九三三六号明治四五年四月二七日 日出紡織会社設立(DK520014k-0003)
第52巻 p.135-136 ページ画像

中外商業新報  第九三三六号明治四五年四月二七日
    日出紡織会社設立
渋沢男・大川平三郎・田中栄八郎(東京)山辺丈夫・岩本栄之助・阿部房次郎(大阪)伊藤長次郎・滝川弁三・上田金兵衛・田淵栄次郎其他数十名の諸氏発企となり、資本金百二十万円を以て和歌山県下御坊町に設立の日高紡績会社は、渋沢男の注意にて今回日出紡織と名称を改め、株式二万四千株は全部発企人其他にて引受済となり、来る廿七
 - 第52巻 p.136 -ページ画像 
日限申込証拠金二円五十銭を徴収し、五月廿日迄に更に第一回払込を結了し、六月五日創立総会を開く予定なるが、計画の大要は紡機二万錘を据附け、主として太番糸を紡出し、追て織布をも兼営す可、器機は高田商会の手を経て既に注文を了り、工場は御坊町附近に一万坪の敷地を買入れ目下地均し中にて、同地方は出稼職工の本場なれば職工を得るに最も便利あり、大阪との連絡は海運に依り些の支障なく、工費は普通より三割方低廉なれば、夫れ丈け会社の利益は増大する筈にて、創立後は社長に伊藤長次郎氏、専務に大川英太郎氏、支配人に栗山寛一氏等就任することになり、渋沢男・山辺丈夫氏等も相談役たるを承諾し、大阪紡績とは万事提携して、一致の歩調を執る内約ありと(大阪二十五日発)


大日本紡績聯合会月報 第二三八号・第二九―三〇頁明治四五年六月 ○日出紡績株式会社設立《(織)》(DK520014k-0004)
第52巻 p.136 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第二三八号・第二九―三〇頁明治四五年六月
○日出紡績株式会社設立《(織)》 大川英太郎・山辺丈夫・阿部房次郎氏等其他有力者発企人となり、資本金壱百弐十万円、株式弐万四千株は全部発企人及賛成人等にて引受け、第一回払込を了し、工場は和歌山県御坊町附近に選定し、紡機弐万錘を据附、重に太糸紡出の計画にて本月中旬創立総会を開き、社長に伊藤長次郎、専務に大川英太郎氏就任経営する由


日出紡織株式会社書類(DK520014k-0005)
第52巻 p.136-137 ページ画像

日出紡織株式会社書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
            沿革概要
         創立二十周年 昭和七年六月
                   日出紡織株式会社

    当社ノ沿革概要
          創立
創立及操業
 資本金  1,200,000円
 創立   明治四十五年六月十五日
 操業開始 大正二年八月廿五日
 本社   和歌山県日高郡御坊町大字薗五八五番地
創立発起人(イロハ順)
 伊藤長次郎  岩本栄之助  大川平三郎   大川英太郎
 大西甚一平  金崎和夫   川瀬九助    米沢吉次郎
 田中栄八郎  田淵栄次郎  田端春三    滝川弁三
 薗喜太夫   津村英三郎  津村佐右衛門  中西平兵衛
 上田金兵衛  野村又兵衛  久保田三郎   栗山寛一
 熊沢一衛   山辺丈夫   小池甚一郎   阿部房次郎
 笹野梅太郎  渋沢栄一   塩路彦右衛門  塩路彦七
 小竹岩楠   森八郎    瀬戸健三    瀬戸佐太郎
 鈴木容
当時ノ役員
 - 第52巻 p.137 -ページ画像 
 取締役社長 伊藤長次郎
 常務取締役 大川英太郎
 取締役   塩路彦七    米沢吉次郎
       栗山寛一    津村英三郎
       金崎和夫
 監査役   田中栄八郎   瀬戸健三
       笹野梅太郎
 相談役   山辺丈夫    大川平三郎
          変遷
他社ノ併合
 大正二年  播州紡績株式会社(資本金 1,000,000円)
 大正五年  田辺紡績株式会社(資本金 800,000円)
 大正十二年 江州紡績株式会社(資本金 2,500,000円)
資本金ノ増加
 明治四十五年  1,200,000円(創立)
 大正二年    2,200,000円(併合)
 大正五年    3,000,000円(併合)
 大正九年   10,000,000円(増資)
 大正十二年  10,500,000円(併合)
○下略


竜門雑誌 第二九〇号・第五二―五五頁明治四五年七月 ○紡織工場新設の地位撰定及経営方針 大川英太郎(DK520014k-0006)
第52巻 p.137-139 ページ画像

竜門雑誌  第二九〇号・第五二―五五頁明治四五年七月
    ○紡織工場新設の地位撰定及経営方針
                      大川英太郎
△勃興せる紡績界 我国の紡績業は明治の初年其濫觴を見たる以来玆に三十余年であるが、今や総錘数二百余万錘、製糸額一百十余万俵、内輸出は一ケ年優に三十七・八万俵、此価額実に四千五・六百万円の多額に達し本邦工業界の重要輸出品となつて来た、尤も此間一張一弛憂苦交々至り財界は大合同の機運を促し、合併又は買収され現今三十有六社に減じたが、一方紡績聯合会の決議により、棉花の共同績取其他有利なる方法が講ぜられ、或は操業を短縮し、又は休錘を断行して糸価の低落を防ぐ等、今や本邦紡績界の基礎は牢として動かぬやうになつた、然るに昨年十月清国の動乱は端なくも再び斯界に多少の杞憂を与へたが、之が為めに綿糸の輸出は全く杜絶すると言ふまでには至らず、前記半数以上は差支なく商談が行はれて居た、之に反し支那の紡績界は此動乱によりて大に影響を蒙り、其後は殆んど休業の姿となり、本邦内地に於ては農作豊穣の結果、著しく購買力を増進し旁以て需要漸く好望を呈して来た、又近頃に至り支那の擾乱も何うやら鎮静の緒に向ひつゝあるやうだから、秩序の回復と共に今後は反動的需要が一時に激増して、供給不足の観を呈すべきは疑ふべからざる所である、斯の如く我紡績界は本年に入りて俄然形勢を一変し来りたるの観がある、即ち増錘及新設の計画頻々として起り、已に増資決定、新設会社の発表を見たるもの甚だ多数に達してゐる、この調子で進むなら優に昨年末の現在に対する倍額の計数を示す事であらうと思はれる程
 - 第52巻 p.138 -ページ画像 
である、我々が発起せる日出紡織の如きも其一に数えられつゝあるのだが、これは決して一朝一夕に思ひ立つたのではない、既に清国動乱の当時より計画されたもので、爾来其影響の如何を観察し、各社が操業短縮の挙に出でたるにも拘らず、其製産品の消化が意外なるを認め先づ和歌山県下日高郡の有志者に謀り多大の嘱望を以て迎へられ、大阪紡績山辺丈夫・阿部房次郎の両氏を始め、東京渋沢男等の熱心なる援助を得、大阪岩本栄之助・播州伊藤長次郎氏等資本家の賛成を得て玆に先づ資本金百二十万円(二万錘)の新設紡織会社の設立発起を見るに至りたる次第なるが、尚ほ渋沢男の注意により将来事業拡張の場合其他総ての商取引上、曩に仮定したる商号日高紡績を、日出紡織と改称することに確定したのである、恰も紡績工場の新設は一種の事業熱ではないかと思はれて居るやうである、或はそうかも知れぬが、併し此新機運は頗る喜ぶべき現象で、決して憂ふべきものではないと思ふ、唯其勃興に伴はれて其場所を無頓着に決定するが如きは大に考へものである、今後の我紡績界は在来執り来りし経営方針にては大なる失敗はなくとも、其利益を挙ぐる点に於て著しき差違を生ずるやも知れず、日出紡織の創設に際し、経営の方針に就て愚見を開陳して置くのも亦無益なことではあるまいと思ふ。
△工場の位地 従来工場の位地は其第一要義として交通運輸の至便なるを選びし傾向があつた、これは原料なり、製品なり、石炭なり、其他の物品を多量に需要し又搬出する会社としては当然なる方策で、過去に於てはこの方策で可なる時代もあつたが、漸次実業が隆昌になるに連れ、都会生活が高度に進み、日常の暮し方が安価に支弁せられざるようになつたから、勢ひ賃銀を上げなければならぬ、即ち高給の職工を使役せんければならぬやうになる、それから物品運搬の如き荷積荷下に従事する人夫賃の如きも、自然高額を支払はねばならぬ、斯くして交通の便宜は多くの贅費を要するの分子を含むの損となる、これだけならば尚ほ工業経営上左程の苦心を要せざれど、それよりももつと困難を感ずるのは職工を集めることゝ、在籍職工の転々が随分劇しいことであるが、是に対しては始終注意と思慮とを要するのである、又其係の人員を相当に置かんければならぬことゝ、絶えず職工の募集に従事すること等、人力と経費と時間とを要することが却々莫大なものである、是等を通算すると、単に交通の便のみを主旨として工場の地位を撰定しても、其利益を享くる点に於て差引少なくなることもあるから、今日にては寧ろ交通不便なる土地にても、職工募集の容易にして其移転の少なき場所、及生活程度の低き地方を選定するが、紡績工場の設置に適当なるものだらうと信ずるのである、現に都会と田舎との各地に多数の工場を有する会社に就て其営業成績を見るに、一概には断言出来ざれども、大抵は田舎に置かれた方がよいやうであるのから見ても合点されるのである。
△都会と田舎 紡織工場は其規模の大小にもよるが、兎に角多数の人員を使役するのであるから、工場所在地に於て自然種々なる小商人も居住するやうになつて、淋しき場所も期年ならずして賑やかな土地と進化するのであるから、其最初に於てこそ都会と田舎と言ふ区別こそ
 - 第52巻 p.139 -ページ画像 
あれ、愈々之れが建設されるに於ては、殆んど其区別がないやうになる、されば都会と田舎とはさしたる得失なきやうに思ふ者もあるだらうが、之れが研究を要する問題であつて、田舎だからと言つて凡て紡織工場に屈強の好場所のみであると言ふのではない、交通不便な土地が必ず工場建設に適切なるものでない事はもとより論なき所であつて都会と田舎とを比較し、或は其繁閑を標準として速断することは余りに軽卒な遣り方で、何等の参考にならぬ、これだけのことで工場の地位を撰定するとせば何等の調査研究をも要せない、要するに都会にしろ田舎にしろ、土地の撰定に当りては其地方の富力、住民の職業・性質・習慣等に綿密なる視察をなすにあるのだ、漸次交通が開け田舎が都会に変化するのを憂慮するが如きは、吾人と共に工場建設の土地撰定を論ずるの人でない。
△日高の土地 吾々が発起せる日出紡織は、其工場建設の位置を紀州日高に撰定したのは、決して一朝一夕に決定したのではない、本年に入り事業熱に浮かされて急遽思ひ付いて計画したのではない、既に数年前から計画を為して居るので、日高の如きは其当時から屡々踏査して研究したものである、同地には有力なる財産家があつて、自ら出資経営の任に当られるものが多数あるのみならず、住民の質朴勤勉な気風が頼もしい、唯一の生産は材木であつてこの外殆んど職業がない、婦女子にして東京・大阪其他の紡績工場に出稼してゐるものが甚だ多い、それから材木を積船して大阪等に廻航し来りて、帰路は凡て空船で戻つて居るのであるから、此所に紡織工場を建設したならば、其空船で立戻るを利用するの便がある、他地方に出て居る婦女子を採用して双方の便宜を計ることも容易である、加ふるに土地は南海に面し、其大気の温度・湿度は紡績操業に適して居るのであるから、至極好都合であるのだ、斯の如く紡績の工場建設地としては日高は凡ての点に於て些の申分はないのだ。
△経営の方針 如斯此土地が紡織経営に有利であること一点の疑もない所で、大に勇進する積りであるが、之に就て要するものは新式の機械である、我日出紡織は英国ドーグラス、グランド会社の製造に係る六百馬力ホリゾンタル、クロツス、コンパンド、ドロツプヴアルブノ新式原動機とハード式紡績機を採用するに決定したので、これで機械は新式であり、職工募集費の殆んど不要なること、及び転々の少きこと、工賃の低廉、運搬費の比較的安価、地の利を占めて居ること等で紡績経営としては誇るべき成績を挙げ得らるべきを、充分確信して居る、紡績工業経営者としては此辺に大に注意せんければならぬ、職工も其通り、土地の経済状態を考へずして給料の高低のみに動かさるゝ如きは宜しくない。
要するに現時紡織界の大発展に伴ひ尚ほ続々として増設新計画も表はるゝことだらうが、其経営方針としては単に交通の便否のみに注意せずして、凡て他の要項にも大に観察を払はれんことを慫慂するのである。(了)


加名生良信談話筆記(DK520014k-0007)
第52巻 p.139-140 ページ画像

加名生良信談話筆記             (財団法人竜門社所蔵)
 - 第52巻 p.140 -ページ画像 
                 昭和十五年四月一日、於日出紡織株式会社本社、楫西光速聴取
    日出紡織会社について
故子爵は、当社の創立について大川前社長が最初に御相談をされた御一人であらうと存じます。創立発起人の御一人として「日出」の社名も実は先生の御命名によるものです。先生には創立以来第一銀行を通じてずつと御援助をいたゞきました。創立後一・二年の頃、第一銀行より無担保で百五十万円程の資金を借受け、工場拡張の費用として会社の基礎を確立しました。当時無担保で之れだけの融資を受けることは中々容易ならぬものがあつたのであります。大川前社長は常に第一銀行の御厚意を心から感謝して居られました。従つて当社は創立以来ずつと第一銀行一行主義で通しております。
創立以来実務は凡て大川前社長が執られましたが、毎月末には必ず自筆で詳細に会社の業績や棉や糸の状況を故子爵の許へ報告されましてそれが故子爵が第一銀行頭取をおやめになつた後も、歴代の頭取に対して数十年の間欠かさず続けられて来たのであります。故子爵は「実に大川は義理固い絶対に信用の出来る男だ」と述懐なされた相であります。
当社と第一銀行との間が今日単なる取引関係以上のものによつて結ばれてゐることを感じ、今更の如く故子爵並に大川前社長の高徳を讚仰致す次第であります。


大日本紡績聯合会月報 第二五一号・第三五頁大正二年七月 ○日出播州両紡合併(DK520014k-0008)
第52巻 p.140 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第二五一号・第三五頁大正二年七月
    ○日出播州両紡合併
播州紡績会社(資本金百万円)は、今回日出紡績会社《(織)》(資本金百二十万円)に合併することとなり、去月○六月二十七日午前十一時より大阪商業会議所に於て株主総会を開き、左の仮契約書を満場一致を以て可決せり、尚日出紡績も同日午後二時より同所に於て総会を開き、播州紡績合併の件を承認し、合併に伴ふ定款の改正をなし、監査役一名の補欠選挙は初井奈良吉氏、取締役二名・監査役二名の増員の件は、議長の指名により取締役に大西甚一平・瀬戸健三、監査役に上月安重郎来住広次郎氏就任せり
 日出紡績は合併により一株に付き金十二円五十銭払込済の株式二万株を新に発行し、合併期日に於ける播州紡績株主に対し株式一株に対し一株宛を引換へ交付すべし△合併期日は九月五日とす△合併に関する一切の手続は両社の取締役に一任す


(日出紡織株式会社)第参回事業報告書 第一―二頁刊(DK520014k-0009)
第52巻 p.140-141 ページ画像

(日出紡織株式会社)第参回事業報告書  第一―二頁刊
  第参回事業報告書
                 和歌山県日高郡御坊町
                     日出紡織株式会社
大正弐年六月壱日ヨリ同年拾壱月参拾日ニ至ル当季間ニ於ケル、事務及工場建築工事ノ要領並ニ諸計算ノ各項ヲ報告スルコト左ノ如シ
    ○株主総会
大正弐年六月弐拾七日、大阪商業会議所ニ於テ第弐回定時株主総会ヲ
 - 第52巻 p.141 -ページ画像 
開キ、前季事業報告ヲナシ、原案ヲ承認シ、次デ播州紡績株式会社合併ノ件、並ニ定款改正ノ件ヲ可決シ、引続キ取締役弐名ノ増員選挙、監査役壱名ノ補欠選挙及同弐名ノ増員選挙ヲ行ヒシニ、取締役ニ大西甚一平・瀬戸健三ノ弐氏、監査役ニ来住広次郎・上月安重郎・初井奈良吉ノ参氏当選就任セリ
○中略
    ○庶務要項
○中略
一、八月弐拾五日 操業ヲ開始セリ
一、九月五日 前記株主総会ノ決議ニ基キ播州紡績株式会社ヲ合併セリ
○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK520014k-0010)
第52巻 p.141 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
二月廿二日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス○中略大川英太郎氏来話ス、日ノ出紡績会社《(織)》ノ事ヲ談ス○下略


(日出紡織株式会社)第九回事業報告書 大正五年下半季 第一頁刊(DK520014k-0011)
第52巻 p.141 ページ画像

(日出紡織株式会社)第九回事業報告書 大正五年下半季  第一頁刊
  第九回事業報告書
                 和歌山県日高郡御坊町
                     日出紡織株式会社
大正五年六月一日ヨリ同年十一月卅日ニ至ル、当季間ニ於ケル業務及諸計算ノ各要項ヲ報告スルコト次ノ如シ
    □株主総会
○中略
二、大正五年八月九日午前十時三十分、大阪商業会議所ニ於テ臨時株主総会ヲ開キ、本会社ニ田辺紡績株式会社ヲ合併スルノ契約締結ノ件、及合併ニ伴フ定款変更ノ件ハ共ニ原案ヲ承認可決セリ


大日本紡績聯合会月報 第二八八号・第七七―七八頁大正五年八月 ○日出紡・田辺紡合併成立(DK520014k-0012)
第52巻 p.141-142 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第二八八号・第七七―七八頁大正五年八月
    ○日出紡・田辺紡合併成立
日出紡織会社にては、新設の田辺紡績会社と合併の仮契約を締結し、八月九日双方同時に総会を開き、左記合併仮契約案を附議したるに、双方異議なく仮契約案を可決したり
      仮契約書
日出紡織株式会社に田辺紡績株式会社を合併する目的を以て、両社代表者間に左の合併仮契約を締結す
此契約に於て日出紡織株式会社を甲社と称し、田辺紡績株式会社を乙社と称し
第一条 乙社は本年十月十二日現在の決算を以て、当日之を甲社に合併す可し
第二条 合併前に於ける両社の資本金は甲社二百二十万円、乙社八十万にして、両社共一株の金額五十円各株に付払込みたる株金額甲社
 - 第52巻 p.142 -ページ画像 
二十五円、乙社二十八円なりとす
第三条 甲社は合併により一株に付金二十五円払込済の株式一万六千株を新に発行し、之を以て合併期日に於ける乙社の株主に対し其有する株式と一株に付一株宛の割合にて引換に交付す、而して該株式に対する利益配当額は甲社従来の株式に対すると同率に依れとも、特に本年下半季に限り従来の株式に対する配当額の三分の一を支払ふものとす
第四条 乙社は合併の日に於て其有する財産其他一切の権利義務を甲社に譲渡す可く、甲社は総て之を承継す可し
第五条 甲社は和歌山県西牟婁郡田辺町附近に於て適当の敷地を撰定し、且つ相当の時機に於て該敷地上に紡績工場を建設す可し
第六条 此契約締結の日より合併の完了するまで、両社とも各自の財産に対し最良の注意を以て保存管理、其他経済的価値を増加せしむるに必要なる一切の行為を怠るべからず
第七条 合併に必要なる手続其他一切の事項は総て之を両社取締役に一任す可し
第八条 両社の株主総会又は一方の株主総会に於て、契約事項に変更を加へ、又は此契約を否決したるとき、又は合併が不能となりたるときは、此契約は当然其効力を失ふ


往復書状綴込 自大正八年一月 弐(DK520014k-0013)
第52巻 p.142-143 ページ画像

往復書状綴込 自大正八年一月 弐   (日出紡織株式会社所蔵)
(控)
大正八年八月廿二日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
         貴下
○中略
鹿児島紡績会社資金弐百万円、紡器参万錘、織器八百台、此年来合併ノ交渉相受居候得共、軽卒ニ応シ難く時機ヲ見計居候、現今ハ織器五百運転、紡機ハ五千錘当着組立《(到)》テ着手中、来年六月頃迄ニハ全機運転ノ都合ニ相成可申候、資金ハ弐百万円にて不足、現在百万円借入、弐百万円ハ払込ト相成居候、先方ノ申出ニヨリテハ講究可致価値有之奉存候間、重役ノ諸氏ヘ相談致シ居候様ノ次第、御含置奉願候
                       草々頓首謹言
(控)
  大正九年二月四日
   東京               日出紡織株式会社
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
増資払込之儀モ都合好ク完了致シ申候、就てハ永々御融通頂キ候第一銀行借入金悉皆御返済申上候、右は全ク御蔭様ニヨリ順調ニ営業出来候次第難有御礼申上候、尚此上共御高配奉願候○下略
 - 第52巻 p.143 -ページ画像 
(控)
  大正九年七月十六日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
第一銀行ヨリ棉花ヲ担保として七拾万円御融通与ヘラル都合ニ相成居候、五・六弐ケ月ノ受渡し出来ニ付、御融通相願不申候得共、七月以後売渡シ無覚束御融通相願候事相成可申候間、御含置奉願候○下略


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK520014k-0014)
第52巻 p.143 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 晴 寒
午前八時起床、洗面ト朝食トヲ畢リ、蓐中ニテ来人ニ接ス○中略大川英太郎氏来リ、日出紡績会社《(日出紡織会社)》ノ営業実況ヲ談話ス○下略


往復書状綴込 自大正八年一月 弐(DK520014k-0015)
第52巻 p.143-145 ページ画像

往復書状綴込 自大正八年一月 弐   (日出紡織株式会社所蔵)
(控)
  大正十一年七月十六日
   東京         日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
今日ノ処原綿高製品安ト相成申候間、安価ノ物ヲ狙ヘ《(ヒ)》、又ハ先物ノ約定物ヲ叩キ、余程上手ニ切抜ケザレバ利益ト相成不申候間、棉花・綿糸共ニ高低ヲ狙ヘ、壱梱ニ対シ弐・参拾円ノ利益得申度苦心罷在候次第ニ御座候
右ノ状態ニ付新設会社ハ惨憺タル悲境ニ陥リ、弐・三会社合併又ハ買収ニ応スヘク懇談ヲ受ケ申候、何レモ壱錘百四拾円或ハ百五拾円掛リタルモ、之ヲ一錘七拾円即チ半額位ナレバ買収出来可申(錘数各壱万錘)参万錘都合ニヨリ交渉纏リ可申ニ付、第一銀行ヨリ弐百万円一時御融通相願、御返済ノ儀ハ漸次払込ヲ以テ御返済申上ベク候、委細ハ野口氏ニ申上置候間御含置奉願上候、右現状申上度 草々頓首謹言

(控)
  大正十一年八月廿二日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
新設会社ヨリ買収ノ交渉ヲ受ケ実地に視察仕候処、工場等不完全ニテ費用嵩ミ候様見受申候、明細調査セザレバ買収ノ交渉モ出来兼候様次第ニ付、有利ノ研究必要ト奉存候、右ハ御参考迄ニ現状ノ儘申上候
                       草々頓首謹言
 - 第52巻 p.144 -ページ画像 
(控)
  大正十一年九月廿二日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
別紙之通○別紙欠ク江州紡績株式会社合併的買収之条件ニ而交渉纏ニ重役会議之上十月廿日迄ニ確答可致都合ニ相成候、現在ノ状態ニテハ尚熟考可致候得共御承知置奉願候、右ハ現状之儘御参考迄申上候
                        草々頓首謹言

(控)
  大正十一年十月廿三日
   東京           日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様              大川英太郎
        貴下
○中略
江州紡績会社買収之件実地調査致シ候処(原動)ニ不備ノ点ヲ発見、尚研究可致点モ有之候間重役会等ハ延行致居候次第ニ御座候、右ハ御参考迄現状之儘申上度 草々頓首謹言

(控)
  大正十一年十一月十三日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
江州紡績株式会社買収之件(原動)不備ノ点有之候ニ付、研究中確答致シ不申候得共、日出紡五拾円株ニ対シ江州紡績四拾円払五株、然ルトキハ江州紡績ハ資本金弐百五十万円即チ五万株ニ付、日出紡織ハ一万株(壱株五十円払込)交附致シ候都合ニ相成、即チ五拾万円ニテ一万錘ノ工場ヲ買収之勘定ト相成、壱錘五拾円ト相成、今日ノ器械値段ト相成候、此位ノ価格ナレバ如何ト講究罷在候様之次第ニ御座候、右ハ御参考迄ニ現状申上度 草々頓首謹言

(控)
  大正十二年二月十三日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
江州紡績合併ノ儀ハ手続ノ都合ヨリ四月一日ヨリ、公然合併ト相成候弐・三ノ弐ケ月間ハ委托営業ト相成候ニ付整理中ニ御座候、此度ノ合
 - 第52巻 p.145 -ページ画像 
併的買収ニ付同業ノ説ハ弐拾五万安価ノ評ヲ唱ヘ居候様之次第、至テ好都合ニ御座候、右ハ現状之儘申上度 草々頓首謹言

(控)
  大正十二年三月十七日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
江州紡績会社ノ儀ハ本月三十一日ヲ以テ手続完了、来月一日ヨリ公然合併ト相成候都合ニ付、四月ヨリ営業予算御報告可申上候間、右様御承知奉願候、右ハ現状ノ儘御参考迄ニ申上度 草々頓首謹言

(控)
  大正十二年四月廿六日
   東京          日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
江州紡績ハ本月ヨリ本社営業ト相成、現今細物四拾手紡出致シ候得共捗々敷売行不申候、此工場ニヨリ特種ノ製品ヲ紡出利益ヲ挙ケ度研究ト同時ニ整理中ニテ、成績モ充分ニ無御座候間、右様御承知奉願候
○下略

(控)
  大正十二年七月二十日
   東京         日出紡織株式会社大阪営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
日高工場拡張ニ対シ第一銀行ヘ御融通之儀御依頼申上候処、承諾ニ預リ誠ニ以テ難有御礼申上候、御都合ニヨリ払込ヲ以テ御返済可仕候間御承知奉願候、右ハ現状ノ儘御参考迄申上候 草々頓首謹言


(日出紡織株式会社)第弐拾弐回営業報告書 大正拾弐年上半期 第一―二頁刊(DK520014k-0016)
第52巻 p.145-146 ページ画像

(日出紡織株式会社)第弐拾弐回営業報告書 大正拾弐年上半期
                         第一―二頁刊
  第弐拾弐回営業報告書
                  和歌山県日高郡御坊町
                     日出紡織株式会社
大正拾壱年拾弐月壱日ヨリ大正拾弐年五月参拾壱日ニ至ル、当期間ニ於ケル業務及諸計算ノ各項ヲ報告スルコト次ノ如シ
    株主総会
○中略
二、大正拾弐年壱月弐拾九日午前拾壱時、当会社営業所ニ於テ臨時株
 - 第52巻 p.146 -ページ画像 
主総会ヲ開キ、江州紡績株式会社合併ノ件、並ニ之ニ伴フ定款変更ノ件ヲ承認可決セリ
三、大正拾弐年五月七日午前拾時、当会社営業所ニ於テ商法第弐百拾参条ニヨル臨時株主総会ヲ開キ、江州紡績株式会社合併ニヨル株式壱万株ノ割当及引受ニ関スル事項ノ報告、並ニ商法第弐百拾四条ニヨル調査報告ノ件ヲ承認セリ


日出紡織株式会社書類(DK520014k-0017)
第52巻 p.146-147 ページ画像

日出紡織株式会社書類           (渋沢子爵家所蔵)
  大正十三年五月廿三日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
伊藤・田中両氏ヨリ播洲伊藤氏方ヘ御来駕之儀申上候次第両氏ヨリ承リ候、甚恐入候得共其御序ニ姫路工場御観覧之栄ヲ賜リ候得者、面目不過之御儀ニ奉存候、伊藤氏ヨリモ小生ヨリ特ニ御依頼申上呉候様申出ラレ候、何卒御操合御承諾之程奉願上候、右ハ現状之儘御参考迄申上度御依頼申上候 早々頓首謹言
  ○大川英太郎ハ毎月詳細ナル営業報告ヲ栄一ニ提出シ、毎期末ニハ利益金処分案ヲ示シテ認定ヲ請ヘリ。標題ノ「日出紡織株式会社書類」ハソノ綴込ニシテ、大正十二年九月十九日以降昭和六年十月二十四日ニ至ル右提出書類ヲ収ム。以下ハ右書類中ヨリ重要部分ヲ摘出シタルモノナリ。

  大正十四年三月十七日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
今回第一銀行ヨリ百七拾万円御融通御承諾ヲ戴き申候、之レハ日高工場ヘ壱万錘、大津工場ヘ壱万錘拡張ノ資金ニ御座候、而して御返済之儀御都合ニヨリ株式払込ヲ以て御返済ノ都合ニ御座候、右ハ全ク御高庇ニヨリ順調ノ営業出来候次第難有奉存候、御序ニ佐々木頭取ヘ宜敷御伝声ノ□乍憚様宜敷御願申上候《(欠)》、右ハ現状之儘御参考迄ニ申上度
                       早々頓首謹言

  大正十五年三月二十日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
和歌山市紀陽織布会社、織機五百五拾台、錘数六万余、紡績錘数換算七万錘ノ工場ヲ経営致し来り、相場的思惑ニ失敗悲境ニ陥リ合併ノ懇談ヲ受ケ居候、負債ノ整理出来候以後一錘五拾円見当ナレバ考案可致返答致し候、今日新設致シ候場合ハ一錘百弐拾円位掛り可申、若シ之レニ応シ候トキハ熟考可致儀ト奉存候次第ニ御座候、右ハ現状ノ儘御
 - 第52巻 p.147 -ページ画像 
参考迄ニ申上度 早々頓首謹言

  大正十五年四月廿二日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
工場拡張ニ対シ第一銀行ヨリ御融通相願、返済ニ対シ払込ナスヘク心得ニ罷在候処、此際之方幾分歟利益ニ相成候間参百万円社債発行致度第一銀行佐々木・石井ノ御両氏、当御支店野口氏へも懇談申上、第一銀行ニ御引受儀御承諾相成候間御含置奉願候、右ハ現状之儘申上度
                       早々頓首謹言

  大正十五年七月廿七日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
工場施行法改正トナリ、当七月ヨリ十時就業《(間脱カ)》ト相成申候、従前ハ十一時就業ノ処一時間短縮ト相成、生産ニ於て一割一分余減少ト相成候都合候得共、能率ヲ高メ生産ノ減少セヽ《(ザ)》ル様督励罷在候、而して三ケ年後大正十八年七月ヨリ深夜業廃止ト相成、生産ニ於て二割五分減産ト相成候勘定ニ御座候、今日状態ニヨレバ生産不足ト相成可申候、随分共研究必要之儀ト奉存候、右ハ現状之儘御参考迄申上度
                       早々頓首謹言

  大正十五年十月廿三日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
社債参百万円発行之儀第一銀行佐々木頭取、石井・野口ノ御両氏御相談申上候処《(ヘ脱カ)》、第一銀行御引受之都合ニ相成居候間、御含置奉願候、日高工場・大津工場拡張費ニ対シ第一銀行ヨリ百七拾万円御融通ノ借入金ニ返却、其外修繕費ニ充テ申度、今日払込ヲ以て御返済致シ候ヨリ社債ノ方有利ト相成候、甚勝手ケ間敷儀ニ得共御引受《(候脱カ)》ノ御承諾ヲ戴き難有奉存候、右ハ現状之儘御参考迄ニ御報告申上度 早々頓首謹言


渋沢栄一 日記 昭和二年(DK520014k-0018)
第52巻 p.147 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和二年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 曇 寒気昨ト同シ
○上略 大川英太郎来話ス、其経営ノ紡績業ニ付テ爾来ノ努力ヲ詳話セラル○下略


日出紡織株式会社書類(DK520014k-0019)
第52巻 p.147-150 ページ画像

日出紡織株式会社書類             (渋沢子爵家所蔵)
 - 第52巻 p.148 -ページ画像 
  昭和二年三月十七日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
社債参百万円発行之儀ニ付テハ第一銀行ニ於て無担保ニテ御引受被下金高参百万円 利率七分五厘
発行価格百円 二ケ年据置 五ケ年随時償還
手数料弐円弐拾五銭
下引受ハ当地野村証券株式会社、払込ハ四月十五日ト決定、此募集ハ野村証券部ニ於テモ楽観好評之様子ニ御座候、兎角第一銀行にて御引受ト相成信用上多大ノ利益ト相成候次第難有御礼申上候
右ハ御参考迄ニ現状之儘申上度 早々頓首謹言

  昭和二年十月十九日
   東京           日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様              大川英太郎
        貴下
○中略
別紙之通、佐賀紡績会社ヨリ買収的合併ノ懇談ヲ受候ニ付、実地調査致し候処、古機械ノ雑品ニテ迚も使用ニ堪ヘ兼候間謝絶致し候、例ノ鈴木商店ノ関係ノ会社ニテ、台湾銀行ヨリ工場担保として借入スルモノニ御座候、右ハ現状之儘御参考迄申上度 早々頓首謹言
(別紙)
    佐賀紡績株式会社合併条件
 一、資本金    五百万円
    内払込金  参百七拾万円
 一、紡機     参万七千錘
          (内四百七台織機換算)
 一、借入金    壱百弐拾万円
      壱ケ年弐拾万円六ケ年償還 利率年六朱
 一、日出紡五拾円払込済株式六千株(参拾万円)交付
   合計金壱百五拾万円也ヲ以テ合併申込

  昭和三年七月廿五日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
紡績深夜業廃止之儀ハ、来年七月ヨリ実行ノ都合ト相成、之レノ対策トシテ日高工場、姫路・大津ノ現在ノ工場ニ据付ケ弐万千六百九拾弐錘増錘出来ベク余地有之候、然ルトキハ建物ヲ除キ機械丈ケノ費用ニ有之候間、壱錘四拾六円、弐万千六百九拾弐錘ノ増錘ノ費用百万円ノ予定ニ御座候、若シ之レヲ新ニ設立致候トキハ弐百万円カヽリ可申、
 - 第52巻 p.149 -ページ画像 
深夜業実行暁ニハ製額ニ於て弐割減少可致、従て原価ヲ高メ可申候、此度ノ増錘ハ現在ノ錘数ニ対シ約弐割六分ノ増錘ト相成候間、深夜業ニ於て弐割減少ナストモ増錘ニ於て増額、従て費用モ減少ノ勘定ニ相成候間、対策トシテ増錘ノ準備ニ着手仕候次第御承知置奉願候、現在錘数八万参千八百六拾四錘、増錘弐万千六百九拾弐錘、合計拾万五千五百五拾六錘ト相成候都合ニ御座候
○下略

  昭和四年三月十六日
   東京          日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様             大川英太郎
        貴下
○中略
今回社債之儀ニ付てハ御無理之御依頼申上候、百円パー六朱、殊ニ第一銀行ヨリ野村証券部ノ下受ケノ発表ト相成候、世間ニ対しての信用不少裨益ト相成候次第、佐々木頭取、石井ノ御両氏御高配ヲ賜り候段難有御礼申上候、右ハ現状儘御礼申上候 早々頓首謹言

  昭和四年七月十六日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
前記予算ノ利益ト相成申候、本月ヨリ深夜業廃止ト相成、製額ニ於て壱割五分減少、費用ニ於て一割増加ノ為メ利益減少致し候、従前ノ十一時半ノ就業ナレバ、今日ノ原料ヲ使用スルトキハ製品壱梱ニ対し十四円余ノ利益ト相成候得共、止ヲ得セ《(ザ)》ル次第ニ御座候、深夜業ノ時間八時間半ノ就業従前ヨリ三時間半ノ減少ト相成申候
就業休憩食事時間左之通ニ御座候
前番
 朝食午前四時三十分 始業午前五時 休憩午前十時ヨリ午前十時三十分 昼食 終業午後二時
後番
 昼食午後一時三十分午後二時 始業午後二時 休憩午後七時三十分午後八時 夕食 終業午後十一時
右ノ時間ヲ以テ今日迄差支ナク就業致居候、製額ハ予算ヨリ一割増加可致従て費用も相減し可申、兎ニ角能率増進ニ努力致し居候次第ニ御座候
○下略

  昭和四年九月十八日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
 - 第52巻 p.150 -ページ画像 
○中略
深夜業廃止以来、製品不足ト相成候様状態ニテ、殊ニ播州地方機業家ニ於テハ好評ニテ増設ヲ促セラレ候様現状ニ付、紡績機械価格調査致候処案外安ク壱錘参拾円以内ニ買入レ出来候、然ルトキハ工場建物其他一式ニテ壱万錘六拾万円ニ竣功可致候ニ付、姫路工場ニ壱万錘増設ニ決定仕候間、御承認奉願候○下略

  昭和六年七月廿五日
   東京         日出紡織株式会社大坂営業所
    渋沢栄一様            大川英太郎
        貴下
○中略
今回取締役藤田好三郎氏辞任申出、其外三名欠員ト相成候ニ付補欠選挙ノ結果、支配人加名生良信・副支配人石田氏敏・工務長村野貞朗・商務長木代良太、此四名何レモ皆創業以来誠実ニ実務ニ従事致し来り人材ニ有之候間、選挙致候間御承認奉願候○下略



〔参考〕故大川社長追悼録 日出紡織株式会社編 第三八頁昭和九年一一月刊 【○故社長の追憶 誠意の権化 日出紡織相談役 伊藤長次郎】(DK520014k-0020)
第52巻 p.150 ページ画像

故大川社長追悼録 日出紡織株式会社編  第三八頁昭和九年一一月刊
 ○故社長の追憶
    誠意の権化
            日出紡織相談役 伊藤長次郎
○上略
 申す迄もなく大川氏は故渋沢子爵の甥であつて、埼玉県の生れである。明治初年に大阪に三軒家紡績会社が出来た其の時、子爵の勧誘により紡績業の見習ひ生として東京から遥々下阪されたのである。慥同氏が二十一・二歳の頃であつて、抑も之が氏が実業に従事された発端である。爾来五十五年一貫して紡績業に従事されたのである。此の五十五年は随分永くもあり、且つ此の五十五年は実に我国の産業界にあつては、各種の事業が非常なる発達を遂げたる時代であるが、此の間に在つて一人一業主義を一貫して、他に脇目もふらず一意専心此の紡績業に従事されたと云ふことは実に珍らしいことである。只此の一事を以てしても我が産業界の模範とするに足るのである。日出紡織会社は氏の人格と経験に信頼して氏の為めに出来た会社である。氏は此の信頼に負ふ処あつて奮励努力、一意専心に此の会社の為めに尽された其の効果が現はれて今日の日出紡が出来上つたのである。
○下略
  ○大川英太郎ガ大阪紡績会社ニ入社セシ事実其他ニ付テハ、本資料第十巻所収「大阪紡績株式会社」明治十四年五月並ニ同十月ノ条参照。



〔参考〕国際情勢と我が繊維界の陣容 安達春洋著 上巻・第四四五―四四六頁昭和一〇年一〇月刊(DK520014k-0021)
第52巻 p.150-151 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。