デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
5款 綿業関係諸資料 1. 暹羅国棉花栽培調査会
■綱文

第52巻 p.286-289(DK520022k) ページ画像

 --


■資料

大日本紡績聯合会月報 第二二四号・第三四―三五頁 明治四四年四月 ○暹羅棉作業視察談(DK520022k-0001)
第52巻 p.286 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二二四号・第三四―三五頁 明治四四年四月
○暹羅棉作業視察談 渋沢・安田・日比谷・和田・村井・柿沼等諸氏の発起に成れる暹羅国棉花栽培調査会の任務を帯びて渡暹中なりし藤井兼一氏は四月七日無事帰朝したるが、同氏は暹羅の棉作奨励に就て語りて曰く、昨春暹羅より帰朝の際には同国民間にて棉作に従事する者極めて稀なりしが、暹羅政府にては棉作前途有望なるに嘱目して、余が帰朝中米国より高給の専門家を聘して模範栽培所を設置し、棉作に関する智識の普及に努めたる結果、民間有志の棉作に従事する者其数漸く多きを加ふるに至り、今や国内到る所に棉作地を見るの盛況を致せり、勿論其経営方法は極めて幼稚なれば、短日月間に予期の成績を収むることは不可能ならんも、政府の慫慂と民間の努力とは相俟て同国棉作業の発達を促すや必せり、而して日本人の勢力、暹羅国に於ける日本人の信用日に月に高まり、其勢力侮るべからざるものあるの畢竟暹羅国王を始め同国の上下官民共に我国民に対し多大の同情を寄せらるゝ為めにして、現に同国法律顧問政尾藤吉氏が去月中旬、多年の功労を思召され特にピア(我侯爵に相当す)に列せられるが如き、外国人にしては破格の恩典にして、亦以て我国民に対する国王の親任如何に厚きかを察するに足らん、事情斯くなれば、今回余が調査会の代表者富阪氏と共に渡暹するや、同国内務大臣は国王の旨を受けて、貴下等が自国に棉作事業を起さるゝとならば充分の便宜を与ふべしとて、新会社の設立一日も速かならんことを勧告せられたり、尚ほ昨年余等と相前後して渡暹したる我農商務技師は、棉作の成績に就き実地試験に着手すべく目下準備中なり(東京時事新報所載)


大日本紡績聯合会月報 第二二九号・第二八―二九頁 明治四四年九月 ○棉花栽培と暹羅地方官会議(DK520022k-0002)
第52巻 p.286-287 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二二九号・第二八―二九頁 明治四四年九月
    ○棉花栽培と暹羅地方官会議
暹羅の風土は棉花栽培に適し、ピツノローク、パヤツプ、ナコンサワン等の諸州は古来棉産地として著名なるも、如何せん、交通の不便と売買の機関具備せざるとに依り、折角の産棉も会々清国人等の慾心を充たすに過ぎずして、動もすれば農家は収支償はざることあり、為めに漸次耕作反別を減じ、近年に至りては僅に其余喘を保つに過ぎざる有様なりし、然るに近来棉花栽培は漸く世人の注目する所となり、政府も夙に有利たることを認知し密に計画する所ありしと聞きしに、農務大臣は本年六月盤谷に於て開催せられたる地方会議に棉花栽培に関する諮問案を提起し、種々討議の末、此際之れが栽培を奨励し大に斯業の発展を期することゝし、大要左の方針を決議せりと云ふ
 一、各地方官は農家を勧誘して努めて棉花栽培に従事せしめ、其経
 - 第52巻 p.287 -ページ画像 
過を監視し、産出高は時々之れを農務省に報告すること
 一、政府は農事試験所を新設し、当分は専ら棉花を試植し、栽培上の智識を養成すると共に、良種を得て之れを各地方に分配すること
 一、各地方に小規模の棉花展覧会を設け、自由に出品を品評せしめ漸次品質の改良を謀ること
 一、農務省は地方の産棉在荷高を時々盤谷府の新聞紙上に広告し、売買上の便宜を謀ること
 一、農務省は棉作上必要なる各種の器械又棉繰器機を撰択し、之れを地方農民に紹介すること
 一、農務省は棉花売買上双方の利益を保護し、適当の値段にて取引せしめ、若し値段折合はず累を農家に及ぼす場合あらば、政府は時価を斟酌して之れを買上げ、農家をして毫も後顧の患なからしめ安じてこれが耕作に従事せしむること
 一、棉花輸送上交通機関が官有なる場合には努めて其運賃を低下すること
 一、内地税(一割)は免除を期すること、但全然免除し能はざるときは極めて少許の課税をなすこと
地方官は以上の主意を体し、地方農民を誘導して直ちに実行に着手すると云へば、本年末より来春に亘り当国棉花の収穫高は本年に比し頗る多額に上るべし、而して政府の買上げたる棉花の処分に付ては目下尚未定なるも、恐らく之れを日本に供給するの途を開く外策なかるべしと云ふ(本年七月三日付盤谷領事館報)


大日本紡績聯合会月報 第二三七号・第一七―一八頁 明治四五年五月 ○暹羅に於ける輸入綿製品(DK520022k-0003)
第52巻 p.287 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二三七号・第一七―一八頁 明治四五年五月
    ○暹羅に於ける輸入綿製品
暹羅駐在米国領事の報告に依れば、一九一一年三月に終る過去一ケ年間暹羅国輸入綿製品は、前年度の四百二十四万二千百二十一弗に対し四百三十六万九千三十八弗にして、当国輸入品中の首位を占め、過去八ケ年間価額に於て多少の動揺ありしと雖も、近き将来に於て輸入額を減退するの徴候を認むる能はず、之れ当地に於て綿業を興さんとせば、原料・機械・燃料及労働は凡て外国より供給を受けざるべからざるが故なり。一九一〇―一一年に於ける綿製品の輸入数量は、土人衣料二十万千九百九十一「コーゲス」(コーゲスは二十個)、捺染したるもの及更紗十二万二千百二十七反、晒金巾三十五万七千三百八十三反生金巾二十五万九千六百五十三反、土耳古赤木綿一万二千八百七十七反、土耳古赤白其他色糸八千百二梱、其他雑綿織物三十三万千二百二十九反、衣料用品四万七千六百一打、雑綿製品七十万九百三十七弗、棉花四十五万三千百五封度なり。而して米国綿製品の輸入は一九一〇―一一年度に於て僅かに五百四十六弗にして、其種類は雑綿製品に限られ、当地市場に於て未だ好傾向を見るに至らず、当地に輸入する綿織物及綿製品は殆んど英吉利品なるも、近時英吉利の外欧洲各国よりの輸入は年々増加しつゝあり。

 - 第52巻 p.288 -ページ画像 

大日本紡績聯合会月報 第二五七号・第二八頁 大正三年一月 ○暹羅に於ける棉花の栽培(DK520022k-0004)
第52巻 p.288 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二五七号・第二八頁 大正三年一月
    ○暹羅に於ける棉花の栽培
英国領事の報告に依れば、二十年以前にありては棉花は猶暹羅より支那への輸出品の一なりしが、其の後本輸出品は貿易表上より消失し、それに伴れて暹羅に於ける棉花の栽培は殆んど廃滅に帰し、漸く近頃に至り復活するに至れりと云ふ、棉花の産地二あり、一は盤谷の北方メナムの上流なるフイツアヌロクのピチツト及モンソン附近にして、同地方は年々の洪水の沈澱物に依つて地味豊饒なり。又一は盤谷より北東コラートに至るの線なり、暹羅に於ける棉花は多くは鉄道によつて磐谷に運ばれ、同地停車場に於て一割の内国税を支払ふものなり、千九百八年に於て首府盤谷に来れる数量は僅に六十噸に過ぎざりしが千九百十二年には既に九百三十一噸に増加し、然して本年に於ては恐らくは一千噸を越すに至る可しと云ふ、棉花の栽培は他の種々なる生産に於けるが如く、同地にては支那人之れを営み、栽培人も大部分は支那人にして、然してそれらの手によつて収穫せられし棉花は、盤谷に於て支那商館の手を経て更らに輸出せらるゝものにして、尤も一部は外国商館の取扱ふ所となる、暹羅に於ける棉花栽培の妨害は上述せる高率の内国税なれば、之れを低減するか全廃すれば、棉花の産額が激増すべきは蓋し疑ふを要せざるなり、次には品種の統一に対する注意の足らざる事及び重量を増さんが為めに棉花に水を注ぐの二事が暹羅棉花の欠点なり、又従来棉花は多く脱核せずして盤谷に運送せられしかば、農務省は最近フイツアヌロクに一つの繰棉所を設けたる結果農家は従来失ひつゝありし種子を失はずして済むに至りしのみならず棉花を都合よく荷造りするを得、従つて運賃を節約し得るに至れり、繰棉せる棉花の価格は約三十チカル(一チカルは約七十七銭)、否らざるものは十二チカル(一担即六十キログラムに就き)なり


大日本紡績聯合会月報 第二六〇号・第四八頁 大正三年四月 ○暹羅棉花栽培状況(DK520022k-0005)
第52巻 p.288-289 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二六〇号・第四八頁 大正三年四月
    ○暹羅棉花栽培状況
暹国棉花主産地なるピツサヌローク州棉花作に関し、三月四日暹国農務省の発表せし第二回報告によれば、同州二月末に於ける棉花植付の総反別七千二百六十八「ライ」(一「ライ」は我が一反六畝歩)にして、前回報告(通商公報第八十号参照)に比し七百八十「ライ」の増加にて、前年同期に比し二千三百六十九「ライ」の増加を示し作柄可良なり、今同州内に於ける地方別栽培反別を示せば左の如し

  地方名     盤谷よりの距離    大正二年反別 大正三年反別    増加反別
                        ライ     ライ     ライ
  ピツサヌローク 汽車にて 約十一時間   六〇五  一八、四四  一、二一九
  サワンカローク 同    約十四時間   三七三    四五九     八六
  スコータイ   汽車其他にて約二日途   八二〇  一、三三九    五一九
  ピチヤイ    汽車にて 約十二時間   三五〇    五七一    二二一
  (通称ウタラヂツト)
  ピチツト    同    約九時間半 二、七五一  三、〇五五    三〇四
   計                 五、八九九  七、二六八  二、三六九

右の外タツプクワング地方に(汽車にて五時間)六百「ライ」、タームアング地方に二百八十「ライ」、ナコンシータマラート州に千七百四十八「ライ」の植付耕作地あり、栽培増加の主なる原因は、政府が
 - 第52巻 p.289 -ページ画像 
斯業奨励の一手段として棉種を地方農家に頒布せるに在り、之れを要するに大正三年輸出は其前年に比し多大なる増加を見るに至るべし


大日本紡績聯合会月報 第二六九号・第三一頁 大正四年一月 ○暹国棉花作柄(DK520022k-0006)
第52巻 p.289 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二六九号・第三一頁 大正四年一月
    ○暹国棉花作柄
ピツサヌローク州は暹国唯一の棉花栽培地にて、常に斯業の中心点たり、毎年十一月頃より播種を始め翌年三月頃には多く之が採取を為し盤谷出回時期は毎年七月上旬頃に始まり九月下旬に終る
本月調査せし概算に依れば、同州総植付段別約八千徠にして、昨年に比し約千三百七十三徠の増加なり、従来の経験に依れば、暹国に於ける採取額は一徠(我約一段六畝)に付き種綿三担平均なりと云ふ、然れば今収穫期に於ては四千担以上の増収なるべし、斯く播種段別の増加せしは、主として政府より無償を以て綿種を配付して其耕作を奨励せしに因るものにして、目下の作柄は孰も良好なり、今左にピツサヌローク州各地方に於ける植付段別を示さん

  県名      昨年     本年     増加段別
 ピツサヌローク 一、二三八  一、八七三    六三五
 サワンカローク   四五四    五〇四     五〇
 スコータイ   一、三〇七  一、六九五    三八八
 ピチヤイ      五四四    七一九    一七五
 ピツチツト   三、〇八〇  三、二〇五    一二五
  計      六、六二三  七、九九六  一、三七三

右の外ナコンシータマラート県に於ては二千徠の植付を為し、タツプタワンは六百五十徠、ナコンサワン県は四百徠余の植付を為し孰も作柄良好なり