デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
5款 綿業関係諸資料 3. 中国南通地方ニ於ケル棉花栽培
■綱文

第52巻 p.300-306(DK520024k) ページ画像

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■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK520024k-0001)
第52巻 p.300 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十三日 曇 寒
○上略 午前九時支那人劉石蓀及安東義喬・油谷恭一氏等来訪、安東氏ヨリ張驀氏《(張謇)》ノ勢力範囲ニ属スル南通地方新開墾地ニ於ル綿花栽培ニ付詳細ノ談話アリ、依テ京阪両地ノ紡績業者ニ慫慂シテ幸ニ同意ヲ得ハ此事業ノ拡大ヲ講スヘキ事ヲ約ス○下略
   ○中略。
二月二十一日 晴 寒
○上略 午前十時過兜町事務所ニ抵リ○中略 持田巽氏来リ、支那南通ニ於ル綿花栽培ニ関スル安東義喬氏ノ意見ヲ紹介シ、同氏トノ会見ヲ勧告ス○中略 安東義喬氏来ル、依テ持田氏ヲ紹介ス
○下略
   ○中略。
二月二十六日 曇 寒
午前七時半起床洗面朝飧例ノ如クシテ、安東義喬氏来訪、支那南通地方ニ於ル綿花栽培ノ事ヲ談話ス、大阪ナル菊地恭三氏《(菊池恭三)》ヘノ添書ヲ要求セラル、又南通開墾事業ニ付張謇氏ヘノ紹介ヲ乞ハレテ之ヲ諾シ、午後事務所ニ於テ之ヲ作リテ安東氏ニ送付ス○下略


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK520024k-0002)
第52巻 p.300 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 雪後晴 寒
午前七時半起床○中略 後来人ニ接ス、横山徳次郎・安東義喬二氏来話、安東氏ノ身上ニ付東洋拓植会社《(殖)》ノ総裁ニ対シテ依頼ノ事ヲ托セラル
○下略
   ○中略。
一月十四日 晴 寒
○上略 十一時東洋拓植会社《(殖)》ニ抵リ、渡辺総裁ニ面会シテ安東義喬氏ノ事ヲ依頼ス○下略
   ○中略。
一月十六日 曇 寒
午前七時起床入浴朝食例ノ如クシテ、後安東義喬氏来訪ス、過日ノ依頼ニ応シ渡辺総裁ニ会見シテ其身上ノ事ヲ細話シタル事ヲ告ク○下略



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第三七五号・第六三―七五頁 大正一二年一二月 ○支那の紡績業(本篇上海日本商業会議所の調査にかゝるものなり)(DK520024k-0003)
第52巻 p.300-306 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第三七五号・第六三―七五頁 大正一二年一二月
    ○支那の紡績業
      (本篇上海日本商業会議所の調査にかゝるものなり)
      概論
支那に於ける機業は其歴史頗る古く、既に紀元前三九五七年時代該業は先覚者に依り民間に普及されたる史実存せり、然れ共此時代の機業は個人手工業に止まり、満朝の終末時代に於てすら漸く家内手工業組織に進化したるに過ぎず、光緒帝時代紡績機械が印度より輸入さるる
 - 第52巻 p.301 -ページ画像 
迄は近世式紡績機械の必要を感ずる事無く、此れが設備に対し無関心の状態に在りき、然るに一八九〇年以降一九二三年に至る過去卅年に於て、近世式紡績業はゼロより今日の工場百廿、錘数三百五十五万百八本、織機数二万七千五百十四台を算する盛大の域に達せり、原棉耕作の発達亦之に伴ひ、即ち支那に於ける棉作業は幾千年間相当手広く耕されたりと雖、其範囲たるや家内手工業の需要に応じ、夜具・冬衣服の必要を充たす程度に過ぎず、従つて之が耕作に対して何等努力の跡無く又改良も行はれず、旧態依然たる有様なりき、然るに最近に至り、紡績工場勃興し原棉需要激増せる結果、農耕者は競ふて之が耕作に集まり、工場主亦極力其耕作を奨励したるを以て著しく其生産高を増加するに至れり、一九一八年の調査に依れば、耕作段別数三千百万畝、生産高千九十六万五千五百三十担を算せるが、尚其能力は一億五千万畝、四千万担程度迄拡張し得べしと予想さるが、支那が紡績業に於て世界中最も有望なるを立証すべき幾多の材料を有し、現在の状態は唯単に将来大に発展せんとする第一歩に在るに過ぎず、即ち支那は市場広く、労力は低廉にして、且原棉の供給に豊富なるは、以上の予想を確保する有力なる理由なり、故に支那の紡績業は農耕上将た工業上研究すべき興味の中心たるべく、産業上支那の潜勢力乃至可能性は今や外人注視の焦点と為りつゝあり
      支那原棉の生産量
正確なる統計に欠くるも、支那は原棉の生産高に於て世界中第三位に在りと称せらる、即ち米国の年生産高千四百万俵を以て第一位とし、次は印度の四百万俵及支那の二百万俵の順序なり、支那の原棉耕作は永年何等の改良を施されたること無く、支那の原棉商が其耕作の奨励を為し、漸く其成績を挙ぐるに至れるは極めて最近の事に属し、現在尚中国紗業公会農商部大臣及外人有志家等は米棉の移殖を試むる等極力其生産増加を奨励しつゝあり、前記の如く一九一八年支那原棉の生産高は一千万担以上なりしも、同一九年揚子江氾濫の為九百三十一万六千三百九十担に減少し、一九二〇年には更に江蘇・淅江両省の大洪水に加ふるに北支方面の旱魃の為、収穫は七百万担に激減せり、以下過去数年の収穫を示せば次の如し(単位担)

  一九一八年 一〇、九六五、五三〇
  一九一九年  九、三一六、三九〇
  一九二〇年  六、七五〇、〇〇〇
  一九二一年  五、四三八、〇〇〇
  一九二二年  七、三四二、〇〇〇

以上五個年の一ケ年平均収穫は七百九十六万二千担に相当せり、今仮りに紡錘一本を以て原棉三百五十斤を消費するものとせば、三百五十五万百八錘の内二百二十万錘を以て就業するとき、支那に於ける原棉消費高は毎年七百七十万担に相当する勘定にて、其全部を働かすときは其消費量当に千二百四十二万五十担となる訳なり、尚支那原棉生産高の十分の四は夜具及冬衣服に需要さるゝものとせば平均生産高七百九十六万二千担の内実際紡績工場に於て消費さるゝ量は僅かに四百七十七万六百担に過ぎず、例年支那原棉は洪水・旱魃及其他の不可抗力
 - 第52巻 p.302 -ページ画像 
に因り禍せらるゝこと甚だしく、而かも此は単に一時的現象と見るべからざる理由あり
      各省の生産高
一九二一年の調査に依れば、直隷省の同年生産高は百八十一万九千三百十四担にして、前年度より八十万担の増加を示し、各省中の第一位に居り、次は江蘇省の百二十八万三千六百六十担、湖北の六十一万五千百五十担、陝西の四十二万九千九百六十七担、浙江の三十万八千七百十担、山東の三十万四千七十七担、山西の二十四万八千七百三十七担、湖南の二十一万九千四百担、安徽の十六万三千八百三十担及江西の四万五千三百二十五担の順序にして、右合計五百三十四万八千二百二十担を算し、其前年度に対し百三十一万二千百八十三担の減少を示せり、黄河流域一帯は地味の関係上米棉の移殖に適し、着々之れが移殖に成功しつゝあり、即ち同流域より生産する米棉種は陝西の四十二万八千四十三担、次は山西の十万四千八百八十担、河南の四万九千八百担、山東の一万一千七百六十八担、直隷の一万四百八十八担等にして、合計にして合計六十万四千九百七十九担を算せり、揚子江流域に於ては米棉種の移殖は未だ成効の域に達せず、以下示す表は主なる十省に就き一九一九年乃至同二一年の生産高なり
○中略
      世界の原棉生産消費高
世界の原棉消費高は年と共に増加し、其供給の欠乏は痛切に感ぜられつゝある状態に在り、今玆に一人当り原棉消費量を十五封度と計量するときは、世界人口十五億に対しては四千五百万俵(四担一俵)を消費すべき勘定なり、然るに過去十箇年間の原棉生産高を見るに、一個年七百万俵乃至二千六百万俵程度に止まり、需要は供給よりも遥かに超過せり、英国は流石に先見の明あり、埃及・南亜弗利加及印度に於て原棉耕作を奨励し、其効果着々見るべきものあり、支那に於ても亦原綿耕作は近時益々発達しつゝあるを以て、其生産高の増加すべきは瞭かなり、一九一九年三月以降二〇年六月迄の世界各国の棉に関する成績を示せば次の通り(単位俵)

  国名       紡錘数        生産高        消費高
 英帝国     六、六九二、四一〇  一、一三九、〇〇〇  三、一八五、三一四
 印度      六、六八九、六八〇  四、三一六、〇〇〇  一、六九五、三六五
 加奈陀     一、二〇〇、〇〇〇               一一八、四四六
 米国     三五、八七二、〇〇〇 一一、〇〇〇、〇〇〇  六、四二五、二四四
 墨国        七二〇、〇〇〇    二〇〇、〇〇〇     四四、三二一
 露国             ……    四二〇、〇〇〇         ……
 伯国      一、六〇〇、〇〇〇    五三六、〇〇〇     七五、五五二
 支那      一、六〇〇、〇〇〇  一、一〇〇、〇〇〇    六九〇、三九八
 日本      三、六〇〇、〇〇〇    一五〇、〇〇〇  二、〇八二、四三二
 白耳義     一、五七二、五〇〇         ……  三、一二四、九〇六
 仏国      九、四〇〇、〇〇〇         ……         ……
 独逸      九、四〇〇、〇〇〇         ……         ……
 伊太利     四、五一四、八〇〇         ……         ……
 - 第52巻 p.303 -ページ画像 
 ユーゴースラブ 三、五八四、四二〇         ……         ……
 西班牙     一、八〇〇、〇〇〇         ……         ……
 其他      五、一一五、五八一         ……         ……
  計    一四五、七〇一、四六二         ……         ……

以上の表に示す通り、生産を以て良く消費を補ふに足る国は米国・支那・印度及伯国に過ぎず、爾余の国家は何れも其供給を以上四個国に依頼せざるべからざる状態に在り、近き将来に棉工業の益々発達し、其競争の愈々熾烈を加ふると共に、原棉の供給は世界的重大なる問題となるべし、最近の調査に依れば、英米両国及日本の紡錘の数は急速なる増加をなしつゝあり
  国名   一九一七年     一九一九年       一九二〇年   毎年平均増加額
 米国 二六、三五〇、〇〇〇 三四、二〇〇、〇〇〇 三四、七〇〇、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇
 英国 五〇、七〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇、〇〇〇 五九、三〇〇、〇〇〇 四七〇、〇〇〇
 日本  一、五〇〇、〇〇〇  三、二〇〇、〇〇〇  三、四〇〇、〇〇〇 一四〇、〇〇〇
以上の表に見るも棉工業発達の迅速なるを知るべく、而かして支那が世界的原棉の欠乏に対し之を補ふべく努力しつゝありて、其前途の有望なるは等しく認むる所なり、専門家の調査に依れば、支那に於て一畝に付尚廿斤以上の生産を為し得べく、之に対し米国は廿五斤、埃及は廿斤、印度は十二斤半と云ふ成績なり、一九二一年の調査に依れば原棉耕作段別は二千八百万畝なりしが、若し将来該段別は一億五千万畝に拡張され、其生産高は一畝に付廿斤とせば支那の原棉生産高は七百五十万俵(四百斤入)と為り、一千万俵に増加するは容易なるべし支那に於ては原棉に対し耕作者は何等特別の努力すること無く、又政府は之に対し余り多く補助せず、科学的知識に於ても欠くる所あるに拘らず、尚米国の生産高の七分の一の成績を挙げ居れるを以て、若し之に改良を施こすに於ては、支那は世界第一の生産国たること左程の難事にあらざるべし
      支那の綿製品輸入額
支那は人口頗る多く、国内気候概ね温和なるを以て、多量の綿製品は衣類として需要せられつゝあり、之を以て綿製品は対外貿易上常に最高を占め居れり、一九二二年該輸入額は二千二百九十七万八千二百八十六反、価格二億一千八百五十二万三千海関両に達せり○中略
上海は綿製品輸入港として第一位に居り、次で天津・大連・漢口・汕頭・膠州・広東・梧州府及蒙自県等の順序なり、支那に対する綿製品供給国は英国・日本・印度・米国を主とし、其他仏国・ネザランド・加奈陀・独逸及伊太利等よりも小額の輸入あり、玆に支那の為めに慶賀すべきは、支那は毎年二億海関両の綿製品を輸入しつゝある際、昨年度に於て綿糸十五万五百二十一海関両と共に各種織物類を海外に輸出したることなり、元来支那は原棉及労力に豊富なるに加へ、其価格低廉にして労銀安きを以て、将来支那は綿製品を多量に輸出するに至るべきや明かなり
      沿革
支那に於ける近世式紡績業の発達は比較的最近のことに属し○中略
日清戦役後一八九五年馬関条約第六条を以て外人は支那の各条約港に
 - 第52巻 p.304 -ページ画像 
於て各種の製産工業に従事し得ることゝなれるが、該条約は復た支那に於ける外人経営の紡績工業に対し一新紀元を与へたるものと云ふべし、之と同時に支那に於て綿布糸商を営める怡和(Jardine Mathsson & Co.)・老公茂(Ilbert Co.)(以上英商)及Hrnhold, Ker-berg & Co.(独商)は何れも急遽上海に於て英商怡和紗廠有限公司(Ewo Cotton Mill Ltd.)・老公茂紗廠(Laou Kung Mow)・Hung yuen and Shui Kee等の名称の下に紡績工場を経営することゝなり、以上の運動は支那商に甚大なる影響を与へ、彼等をして一層紡績業の必要を感ぜしめ、爾来支那人経営の同工場は各省に続々設立さるゝの気運を促せり、一八九六年迄に支那人の経営に成る紡績工場は既に五個を算し、以上外人経営の四工場を加へ支那に於ける紡績工場は合計九個を算するに至れり、其後蘇州及南通に各一個の支那人経営の工場設立され、上海に於てはTung及三泰(日本)の新設を見たるが、間もなくTa Shun及三泰日本商に買収され、前者は上海紡績第一工場、後者は同第二工場と為れり、日本紡績業者が支那の紡績界に割入りたるは之を以て嚆矢とす、支那に於ける綿糸業は短日月の間に斯くの如く発達せるも、綿布の方面に於ては未だ其成績の充分ならざるものあり、曩に日露戦役後の一九〇六年、満洲の綿布市場に活況を見、之を動機として幾多の紡織機は輸入され、今日の如く綿布の大量生産を見るに至れり○中略
      支那人経営と外人経営の割合
在支紡績今日の殷盛は全然支那人の努力の結果と云ふべからず、現に在支紡績工場数百二十、紡錘数三百五十五万百八錘、織機台数二万七千五百十四台の内、全然支那人の所有及経営に属するものは工場数八十、紡績錘数二百二十二万一千四百八十六錘、織機台数二万七百四十五台に過ぎず、残余は日本及英国の国籍に属し、即ち日本の工場数三十五、紡績錘数百七万七百五十六錘、織機台数三千九百六十九台及英国の工場数五、紡錘数二十五万七千八百六十六錘、織機台数二千八百台と云ふ勘定なり、殊に上海に於ては日支両国の工場紡数及織機台数は実際上略々同数にして、両国人の競争は相当激烈なり、一九一八年上海に於ける日本人経営工場の紡錘数は二十九万四千錘に過ぎざりしが、同一二年に於ては其数実に八十六万七千錘と為り、尚益々増加しつゝあり、支那に於ける外国紡績工場としては英国は其先鞭をつけたるも、爾後日本の発達著しく遂に遥かに英国を凌駕するに至れり
      上海の輸出綿糸布
江蘇省は支那に於ける紡績業地として嶄然頭角を顕はせる所以は、実に紡績業の中心地たる上海を有すればなり○中略

  省名 工場数   紡錘数     織機数   職工数     原棉消費高     生産高
  江蘇 四八 一、三三七、八八二 九、一二四 六七、七〇七 一、九七五、四四三 五六〇、八三六
  直隷  九   三〇八、五五二   八〇〇 一二、四七〇   五〇七、八一〇 一四四、五一〇
  湖北  五   二四九、三二八 一、五〇〇 一〇、九〇〇   一九五、四一九  四五、六五九
  河南  四   一一三、〇〇〇   二〇〇  六、九三〇   一六五、六五〇  四七、九二〇
  浙江  三    五六、六二四   三七五  五、一五八   一四八、九〇〇  四〇、〇〇〇
  山東  二    五八、〇〇〇    ……  四、六三四   一四四、〇〇〇  四〇、〇〇〇
 - 第52巻 p.305 -ページ画像 
  安徽  一    一〇、〇〇〇    ……  一、〇〇〇    四三、二〇〇  一〇、八〇〇
  湖南  一    四〇、〇〇〇    ……  二、二六〇    八四、五一六  二五、四八八
  江西  一    一五、三六〇   三〇〇     ……        ……      ……
  山西  一    一二、八八〇    ……
  奉天  一    二〇、〇〇〇   二〇〇
  広東  一    一〇〇、〇〇    ……

      上海の紡績業殷盛なる所以
以上の表に見るも江蘇省は其首位に在り、以下直隷・湖北・河南の順序なり、玆に上海は何故に紡績業の中心たるべきやを説明するに、大体以下の如き理由を算ふるを以て当れりとすべし、(一)上海及其附近なる太倉・常熟及南通等は優良なる棉花を多量に生産し、其輸送上に於ても至極有利の地位に在り、(二)支那は世界中綿糸布の最大需要国なるに加ふるに、上海は支那第一の貿易港なるを以て、自然同港に紡績工場起り其生産物を自由に輸出し得る立場に在り、(三)上海は支那及日本石炭の供給豊富なるを以て廉価に石炭の供給を受け得、従つて其生産費を減少せしむるを得、(四)上海は支那の他の如何なる港に比して、金融の便良く且低廉なる労力を豊富に有す、(五)上海は近世式紡績業の最初に発達せる土地なるを以て、自然其工場数も多く其設備完備し且熟練者を多数に有せり
○中略
      支那紡績業の将来
支那の如く国内に於て多量の棉花を産出し、且気候概ね温和にして衣類として原棉を要求し、加ふるに人口の過剰なる国家にありては、紡績業の将来は殊に有望なるは論を俟たざるなり、支那に於ける過去十年間の綿糸の消費を示せば次の如し

  年度   支那綿糸生産高    輸入綿糸高  輸入の割合   消費高合計
 一九一二   八〇〇、〇〇〇 二、三〇〇、〇〇〇  七四  三、一〇〇、〇〇〇
 一九一三 一、二〇〇、〇〇〇 二、七〇〇、〇〇〇  七〇  三、九〇〇、〇〇〇
 一九一四 一、六〇〇、〇〇〇 二、五〇〇、〇〇〇  六〇  四、一〇〇、〇〇〇
 一九一五 一、六〇〇、〇〇〇 二、六〇〇、〇〇〇  六一  四、二〇〇、〇〇〇
 一九一六 二、五〇〇、〇〇〇 二、四〇〇、〇〇〇  五〇  四、九〇〇、〇〇〇
 一九一七 二、六〇〇、〇〇〇 二、〇〇〇、〇〇〇  四三  四、六〇〇、〇〇〇
 一九一八 二、七〇〇、〇〇〇 一、一〇〇、〇〇〇  二九  三、八〇〇、〇〇〇
 一九一九 三、三〇〇、〇〇〇 一、四〇〇、〇〇〇  三〇  四、七〇〇、〇〇〇
 一九二〇 四、〇〇〇、〇〇〇 一、三〇〇、〇〇〇  二五  五、三〇〇、〇〇〇
 一九二一 四、五〇〇、〇〇〇 一、二〇〇、〇〇〇  二一  五、七〇〇、〇〇〇

右の表に明かなる如く、支那に於ける紡績業は逐年増加しつゝありと雖、尚綿糸の輸入は多量に達し、其最小の年度に於てすら百二十万担を算する状態に在り、故に支那に於ては更に大規模の計画を以て其生産を増加する必要あるは勿論なり○中略
支那は紡績菜に就ては今や三十年の経験を有せり、故に支那は今一層の努力を以て其生産の増加に勉むべきは当然のことにして、右に対する支那の必要条件は大体次の如くなるべし
      支那紡績業の要求する所
 - 第52巻 p.306 -ページ画像 
一、棉耕作の改良 棉花は支那に於て要求せらるゝ唯一の原料と云ふべく、紡績業最近の発達と共に原棉の需要は既に供給に超過せる状態に在りて、過去数年間支那に輸入せられたる原棉の量は相当額に達せるは注目に値すべし、殊に昨年は江蘇省の洪水及同年に於ける陝西省の擾乱の結果、両省の棉花生産高は著しく減少せり、一九一八年支那輸入の原棉は僅かに十八万担に過ぎざりしもの、昨年に於て百六十八万担に達し、九倍の増加を示せり、而かして右輸入高の三分の一は米棉にして、三分の二は印度棉なりき、由来支那は農業国にして原棉の輸出高も多量を算せるも、紡績工場の盛となりし以来、反対に多量の原棉供給を海外に仰ぐに至れり、故に若し其紡績業は将来適当の発達を為すに於て、更に多量の原棉不足を訴ふべきは予想するに難からず宜しく支那は棉耕作の改良に注目し、種子の撰択・耕作法の改良及作付段別の増加等各般に亘り一層の努力を為すべきなり
二、専門家の養成○略ス
三、職工の優遇○略ス
四、工場管理の改良○略ス
五、相互改良機関の設置 現在支那当業者の組織し居れる紗業公会の如き相互の発達改良を促すべき公共機関を更に多く設置し、其内容を改良する必要あり