デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
1款 社団法人大日本蚕糸会
■綱文

第52巻 p.322(DK520028k) ページ画像

明治45年5月4日(1912年)

是日、神田錦町当会本部ニ於テ当会大会開カル。

栄一出席シテ、蚕糸業ニ関スル演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK520028k-0001)
第52巻 p.322 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月一日 晴 暖
午前七時起床半身浴ヲ為シテ後朝飧ヲ食ス○中略 加藤知正氏来リ、本月四日ノ会合ニ出席ノ事ヲ請求セラル、製糸ニ付テハ意見アルニヨリ参会ノ事ヲ約ス○下略


竜門雑誌 第二八八号・第四七頁 明治四五年五月 ○大日本蚕糸会大会(DK520028k-0002)
第52巻 p.322 ページ画像

竜門雑誌 第二八八号・第四七頁 明治四五年五月
○大日本蚕糸会大会 青淵先生には五月四日午前九時より神田錦町大日本蚕糸会に於て開かれたる同会大会に臨まれたり。最初に瀬古三井物産支店長の演説あり、次に青淵先生は松平会頭の紹介により登壇し
  「余は我生糸の将来に対し徒らに悲観する者に非ず、将来益々穏健なる発達を遂げしむ可き余地あるを信ずる者なり」
と冒頭し、夫より明治初年未だ大蔵省に在任中、仏国教師を雇聘して富岡製糸場を開設せし当時の事情、及其後日本製糸界発達の事情を略叙し、更らに近時我生糸界発展の状況を見て至大の愉快を感ずると共に、亦多少の憂なきを得ずとて
 (一)未だ緯糸として全然世界の需要に応じ得るに至らざること(二)製産費と糸価との均衡を得ざる事(三)製産費の低減、品質の改善に余地ある事
等を述べ、次に製糸家と養蚕家との関係及び金融業者の関係を密接ならしむるの急務なる所以を説き、尚ほ
  之を実際に見るに、製糸家は一ケ年使用の生繭を一時に買入れざるべからざる実情にあり、従つて買入後に於て糸価に変動あるに於ては、製糸家は意外の利益を得る事あると共に亦多大の損害を被る事なきを保せず、且つ惹て金融業者亦意外の損害を被るに至る、余は玆に具体的成案を有せざるも、此点は殊に当業者に於て研究し、相互危険を尠なからしむるに留意せんことを切望す云々
と結論して降壇せりと云ふ。