デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
1款 社団法人大日本蚕糸会
■綱文

第52巻 p.325-334(DK520030k) ページ画像

大正3年8月10日(1914年)

是年七月勃発セル欧洲大戦ノ影響ニヨリ、極度ノ苦境ニ陥リタル本邦蚕糸業ノ善後策協議ノタメ、是日、当会本部ニ於テ臨時蚕糸業大会開カル。栄一、評議員トシテ出席シ、右善後策ニ関スル決議事項ノ実行委員長ニ挙ゲラル。

尚、栄一、同大会席上ニ於テ、時局ト生糸貿易ニ関シ演説ヲナス。


■資料

大日本蚕糸会報 第二七二号 大正三年九月 臨時蚕糸業大会(DK520030k-0001)
第52巻 p.325-327 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二七二号 大正三年九月
    △臨時蚕糸業大会
 八月十日 遠は電報を以て、近は書面を以て、地方蚕糸業の代表者と認むべき人々を本会に招集し、臨時蚕糸業大会を開催したり、事急遽に出で通知等も頗る不充分なりしにも拘らず、焼くが如き炎熱を冒して遠近より参会したる諸氏は左の如し。
  東京  森田退蔵    同   石田孫太郎
  神奈川 茂木惣兵衛   同   大島正義
  同   川口考策    同   河杉信勇
  埼玉  網野豊次郎   同   林才作
  群馬  大久保佐一   同   山口太三郎
  同   北爪安五郎   千葉  鵜沢昇作
  茨城  内田行四郎   静岡  依田佐二平
  山梨  八田達也    同   矢島栄助
  同   飯島信明    同   新海祐六
  同   大木善右衛門  同   内田文四郎
  同   斎藤道太郎   同   渋谷忠徳
  岐阜  武藤互三    長野  今井五介
  同   尾沢琢郎    同   工藤善助
  同   田中新之助   同   田中吉三郎
 - 第52巻 p.326 -ページ画像 
  長野  小口槙太    同   白井八郎右衛門
  同   武井万平    同   大井富太
  福島  山田一     同   小塚安太郎
  同   永戸直之助   同   富田勘之丞
  同   谷津市之助   同   日下金兵衛
  山形  長谷川平内   同   長谷川仁
  同   高橋辰二    鳥取  西谷金蔵
  同   富永為太    同   斎木善二郎
  岡山  畑信好     同   小橋藻左衛
  山口  西村実太郎   徳島  岩淵修三
  愛媛  河野竹三郎
右の外来賓及本会職員側の臨席者左の如し。
  評議員男爵         渋沢栄一    農務局長        道家斉
  評議員衛生局長       中川望     評議員理学博士     佐々木忠次郎
  生糸検査所長        紫藤章     理事東京高等蚕糸学校長 本多岩次郎
  評議員蚕業試験場長     加賀山辰四郎  評議員農商務省蚕糸課長 芳賀権四郎
  評議員東京高等蚕糸学校教授 土屋泰     評議員衆議院議員    武藤金吉
  衆議院議員         井上篤太郎
等の諸氏にして午前十時松平会頭は演壇に昇り、先づ時局に際し蚕糸業上一刻も猶予すべからざるものあり、急遽評議員会を開きて協議をなし、其決議に依り臨時大会を開催するに至りたる理由を述べ、更に評議員会の決議に依りて大隈首相・若槻蔵相を訪ひ、三島日本銀行総裁に会見したる経過を報告し、本日の問題なる時局に対する善後策に就き充分に意見を披瀝し、熟議あらんことを望む旨を述ぶ、次で吉池理事は之を布衍詳説する所あり、畢て議事に移るや、八田達也・小橋藻左衛・武藤金吉・西谷金蔵・飯島信明・山田一・大木善右衛門・斎木善三郎等の諸氏交々意見を述べ、又は地方に於て決議したる事項を報告する所あり、結局委員を選び、本問題の実行方法を議し、案を定めて報告せしむることに決し、会頭指名にて左の十氏を選挙したり。
  群馬  大久保佐一    山梨  八田達也
  岐阜  武藤互三     長野  今井五介
  長野  尾沢琢郎     長野  工藤善助
  福島  山田一      福島  谷津市之助
  山形  長谷川平内    岡山  小橋藻左衛
 委員は別室に於て凝議することゝし、此際来賓なる渋沢男爵は有益なる一場の演説を試みられたり。
 正午昼餐の後委員会を開き、午後三時に至る迄熱誠を注て攻究したる末左の通決議をなせり。
      決議案
  一 蚕糸業者は此際戮力協心可成生産費の軽減を図り、堅忍持久此難局に処すること
  二 時局に応ずる為、政府に対し適当の処置を求むること
    前項の実行を期する為委員十八名を置く
 委員長八田達也氏は起て委員会の決議を報告し、決議第二は主とし
 - 第52巻 p.327 -ページ画像 
て資金の融通に関する趣意なるも、繭輸送運賃の逓減に関する件及横浜取引所の立会一時休止の件を当局に陳情実行を期することも亦之れに包含せる旨を説明せり、西谷・飯島其他諸氏の賛成あり、満場一致を以て原案を可決し、実行委員は会頭指名に決し、左の十八名を選挙し午後四時散会せり。
      実行委員 △印は常任委員
  委員長  男爵 渋沢栄一
  神奈川  小野光景    同   △原富太郎
  同    茂木惣兵衛   同    川井考作
  埼玉   網野豊次郎   群馬   大久保佐一
  同    山口太三郎   山梨  △八田達也
  同    矢島栄助    岐阜   武藤互三
  長野  △今井五介    同    尾沢琢郎
  同   △工藤善助    福島   山田一
  山形  △長谷川平内   岡山   小橋藻左衛
  鳥取   西谷金蔵


大日本蚕糸会報 第二七四号 大正三年一一月 時局と生糸貿易 男爵 渋沢栄一氏(DK520030k-0002)
第52巻 p.327-332 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二七四号 大正三年一一月
    時局と生糸貿易
                  男爵 渋沢栄一氏
  本篇は去八月十日本会会堂に於て全国蚕糸業大会を開きたる際、渋沢男爵の講演されたるものなり○中略
 臨場の会員諸君、大日本蚕糸会で此容易ならぬ時局に対して、大切なる此蚕糸業に対して如何なる経営を致して宜からうかといふ事に就いて、今日臨時大会を開かれましたのは頗る機宜に適したことゝ深く御高配の厚いことを会頭に向つて謝します、此事に就きましては、先刻来会員諸君からも段々御陳述がございましたから、最早駄弁を弄する必要はございませぬ、さうして私は玆に有益なる意見を申上げまする蘊蓄を持つて居る訳でもございませぬが、昨夜吉池理事から本日此会を開かれるに付いては、私も蚕糸の事に就ては金融に販売に多少の関係を持つて居るから、是非出席して諸君にも御目にかゝり、愚見を申上げ呉れたならば宜からうといふ御誘ひを蒙りました故に、大事の問題でございますから、仮令申上げまする意見が諸君を裨益することは出来ませぬでも、愚見だけは若し御聴き下さるならば申上げたいと思ひまして、左様な重要の会であれば私も評議員の席末を涜して居りますで参上致上致しませうと御請けをして此処に罷出た訳であります
      △金融と生産との二問題
 段々好況に進みつゝ来ました蚕糸業が、遽に時局のために激変を来したといふに就いて、此際の処置を如何にして宜からうか、又それに付て勢ひ養蚕にまで影響して参りましやうから、其救済を如何にして宜からうか、詰り金融と生産との二つの将来をどう考へたら宜からうかといふ事に就いて、臨場の諸君に於て種々御高説もございまして、結局直ちに決定する訳にいかぬから、相当の委員を指定して、之に審議を請うて後定めるが宜からうといふのが、本当の議決と拝承致しま
 - 第52巻 p.328 -ページ画像 
した、洵に適当のことで、仮令事実に精通し経験の多い諸君でも、此席上で卒爾に斯る重大問題に対して判断を下すといふことは、悪くすると一方に偏する嫌ひがありますから、委員を設けて能く調査して、冷静の頭を以て御考になつたら宜からうと存じます、私はそれに就いて、即ち委員の諸君に一の希望として一言申述べたいと思ふ事は、己れ自身が横浜の売込店即ち渋沢商店の監督者の位地に居りまして、売込事業の大体には相談を受けて居る身柄でございます、又一方には第一銀行の頭取で、此生糸の取引又は金融に付いては、今諸君の御述べのあつた日本銀行若くは横浜正金銀行といふやうな国家の力に依る金融の機関ではございませぬけれども、普通商業銀行として蚕糸に対する金融には相当なる取扱を為し得る銀行であります故に、両者の関係から概況ではございますけれども、蚕糸業には種々の心を用ゐ、或る場合には随分苦辛を嘗めて居りますのでございます、昔語りを申上げるやうですけれども、明治十四年に蚕糸業が未だ今日の如く発達せぬ頃、海外との取引に付いて大なる面倒を起しまして、詰り内外の商人間に強い確執を生じて中々に困難なる境遇に陥つた事がございます、想ふに此懐旧談は今日に於て参考とする所はないかも知りませぬけれども、斯る時機に昔日有りし事柄を陳述しますのは、或は委員諸君の御注意の種にならうかとも思ふのでございます。
      △売込問屋の維持策としては已むを得ぬ
 懐旧談は後段として、先づ第一に申上げて見たいのは、先刻来諸君の御述べの中に、是から先の秋蚕に就いて、若も農家が養蚕を廃する様なことがあつてはならぬ、養蚕が減少すれば製糸業者も萎微する様になるといふ方から考へますと、成るべくだけ便宜を与へて生産を助力しなければならぬやうになつて来る、併ながら此時局のために大打撃を受け、生糸の価格が下落して売ることの出来ないといふ場合から生糸売込商店の位地として考へますと、荷物を送る者があれば段々市場に荷物が堆積する、其堆積する荷物は金融が付かなければ困る、独り金融ばかりでは充分とは云へぬ、若し其荷物が価格下落の為に損が立つたら如何にするかといふ結局の議論が生じて来ます、又其荷物に金融を与へる銀行者から云へば、下落の恐があるから勉めて割合を廉くしなければ為替も受けられぬといふことになつて来ます、さういふことになつて来ると、製糸家の方では斯様に割合が廉くては迚も荷が出せぬといふ、又生産を進める側から見ますと、必ず品物が売れるといふ予想から振興するといふことを勉めなければなりませぬ、それで時局の発端と共に、前に申上げました生糸売込店、即ち私の管理してゐる商店が在横浜の各商店と申合つて、俄に二百円も暴落するといふ有様であるから、此際荷為替の取扱は見合せる外はない、此時局が如何になるか分らない此際にドシドシ地方から荷物を送ることは防ぐより外はない、といふ考から遂に荷物を出しては困るといふことを各地の製糸業者に通告した、夫と同時に、縦令製作品が是迄の勢を以て横浜に出ぬにしても、荷物が地方に停滞すれば停滞する程、製糸業者は横浜の売込店に金融の相談を起して来る訳になりますから、詰り一方に生糸が売れぬといふ上には其荷物の供給過多を惹起しては面倒を生
 - 第52巻 p.329 -ページ画像 
ずる、それで生産品を減ぜしめるより外に策がない、といふことを申合つた次第でございます、此事に就きましては洵に已むを得ない、此場合売込問屋の自ら守る策としては拠所ないと、自分は此事を判断すべき位地ではございませぬけれども、其事柄に対して反対の意見は述べ得なかつたのでございます。
      △蚕糸会の檄文亦如何にも尤も
 然るに本月の七日に至つて当蚕糸会に於ては、各様なる有様から、各地養蚕家が繭を作らぬ、即ち秋蚕の掃下しを致さぬといふことになつたならば、一方に生産力を失つてしまふやうになる、用心のためには一応尤もだけれども、生産力がなくなつたならば後の商売はどうなるであらうか、寧ろ亜米利加は戦乱の結果農産物が売れて景気は振興し購買力が増しはしないか、単に欧羅巴の購買力が減じてしまふといふ現象に周章狼狽して、生産力を減ずるといふことになつてはならぬから、一時の変態に吃驚して生産力を減ずるやうな方法を執らぬことにしたが宜からうといふ事を、蚕糸業者に檄文を出したのであります私は七日の晩には其会合に参上致しませぬで、後から拝承しまして成程道理ありとして異議は申上けませぬでした。
      △両々相俟て決して矛盾の行ひではない
 斯く申し上げますと、私の心が二途何れに賛成し、何れに反対するか判らぬやうになりました、品物を沢山造ることはいかぬから止めろといふ意見が尤もだとするならば、沢山拵へろといふ本会の趣意が間違つた訳になります、一方に同意すると、一方に不同意を云はぬと、甲説にも乙説にも二度立つやうなことで自らを欺くやうになりますが退いて考へますれば、決してさうではない、私自身を弁護するではない、諸君の中にもさういふ方があるのであらうと思ひます、一例を取つて云へば、取も直さず幼者の発育を望む場合に、成るべく滋養物を取れといふ、併し若し其滋養物を取つて幼者が一朝病に罹るといふ場合には、此食料を減じなければならぬといふことが生じて来る、又見方によつては、ナニそれは食料を充分取つて身体を養つた方が宜いと云ふかも知れない、一方ではどうもさう無暗に物を与へては消化が出来ないから、滋養物も却て害になると云ふ説が起る、丁度それと同様に、此問題も両方面から見得ることであらうと思ひますが故に、能く此有様を熟考なされて、一方に偏せぬやうに冷静に判断して下さることを只管御願ひするのであります、自分が丁度売込店の相談相手にもなつて居り、又金融関係を持つて居る位地から、荷物が沢山来られては迚も始末が附かぬといふ考からは、成るべく製糸業者は荷物を御控なさるが宜からう、況や投売等の計画は最も面白くないから、努めて自重を図つて其荷を出さぬやうにといふ、又金融の事から云つても到底是は行はれませぬぞと言はざるを得ぬことになります、けれども左様は申すものゝ、絶対的にやるのではありませぬから、適度と思へば応ずることも必ずあるであらうと思ひますが、先づ主義としては前に申した通りであります、併しながら本会の如く全体を達観致しますと風声鶴唳に驚いて、或る地方のやうに生産しても到底売れはしないだらうと誤解して秋蚕の掃立をせぬと云ふことがあつてはならぬから、
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其の事を世間に通知を御出しになつたといふことは、両々相俟つて決して矛盾の行為ではない、又双方に御同意申上げた私も決して両股の説を述べたのではないといふことを自信致します、諸君にも此事柄に就いては御同様の感を懐く方々があらうと思ひます、どうぞ委員諸君は他日方法を議するに於て、右の方から望むと大に滋養を取りたいやうにある、左から望むと其養料が胃を害するやうにある、此胃を害せずして滋養を進めるといふ度合を御考になつて、相当の立案あることを希望するのであります。
      △今回の事件は明治十四年の事件にさも似たり
 さて前に申上げかけました製糸に就いて、先年横浜に於て外国人との間に売込上に就て大葛藤を惹起しまして、其結果が一の荷預所を作つて其荷預所に於て生糸に金融を致して、横浜外商への売込は殆ど八月から十一月の末頃迄停滞しましたが、詰り両者間に妥協案が成立しまして、其年の冬から売捌が付きました、併し此葛藤の為めに製糸業者は大に打撃を受けたやうに覚えて居ります、其損害がどの位であつたといふ細かな数字は記憶しませぬが、時は明治十四年の事でありましたから、今日の出荷の高から較べますと殆ど十分の一位のものでありましたらう、全体の梱数は四万梱そこそこであつたらうと思ひます併し其際此売溜をするといふことは中々の騒動で、銀行者は大に困難致しました、まだ日本銀行の出来ない、又横浜正金銀行の力の伸びぬ時でありましたから、普通の銀行者殊に私の銀行抔が最も其衝に当つて金融を致しましたが、自力ばかりでは当り切れず、時の大蔵大臣松方侯に御依頼致しまして、大蔵省から二百万円か二百五十万円を貸出して貰つて、金融の便を図つたといふことがございました、それは斯ういふ事の行掛りであつた、今日の有様とは全然違ひますから御参考にはなりますまいけれども、或点には御考案の補助になりはせぬかと思ふのであります、当時の横浜の売込といふものは、外国商館の主人なり番頭なりが渋沢の店なり原の店なりへ来まして、品物を見て値段の約束をする、何処の生糸が幾許、何処の生糸が何程といふ約束をします、それから其商館が何日に荷物を引込めといふ指図をする、其引込が済むと今度は拝見、拝見が済んで「カンカン」、拝見といふのは検査、「カンカン」といふのは目方を量ることです、其間外国商館から荷物の受取証書も寄越さなければ、火災保険も附けぬ、而も其拝見「カンカン」の日時が甚だ不極りで、何日といふ定めがなかつた、二週間も引張ることがある、其上約束後に欧米市場の景気が悪るければ「ペケ」といふて多く排斥する、又景気が好ければ多数受取るといふ訳で、頗る得手勝手な振舞があつたのです、且つ万一火災等のあつた場合には荷物の責任は此方で持たねばならぬ、其上に品物の善い悪いは向ふの撰沢に任せる、又品物の検査所も向ふの自由に任せる、斯う云ふやうな事をして居てはいかぬ、欧羅巴の売買は斯ういふ事でない一定の場所で取引をして、日を定めて検査及目方を量るといふやうなことになつて居るといふので、横浜の売込店が申合せて外商に請求しますと、当時は総て外国商館だけが日本の生糸を海外に出すと云ふ時代で、日本人の手で海外輸出をするといふことがなかつたのでありま
 - 第52巻 p.331 -ページ画像 
したから、外商はこれに同意せず、左様なる我儘を云ふならば生糸を買はぬと云つて此方の要求を跳付けた、そこで売込店の連中が是は怪しからぬ、此処が大和魂の出し所、買はなければ売らぬと云ふ、向ふでもお前の方で売らぬと云ふならば買はぬと申合をした、さて斯くなりますと、各地の製糸業者が唯売らぬでヂツとして居る訳にいきませぬから、其売らぬ生糸に対して金融の途を付けぬと抜売が出来る、抜売をされては困ると云ふが、金融の切迫から内実売るといふ者が地方に出て来た、何とか金融の途を付けなければならぬといふことを申合せまして、停車場から本町通りに出る橋側で唯今銀行集会所になつて居ります場所ですが、其処にあつた倉庫を生糸荷扱所と称へて、銀行から出張して金融を致しました、前後三箇月か四箇月の間にどれだけ溜りましたか、梱数は覚えませぬが、貸出した金額は四百五六十万円ばかりと記憶致します、今日から言ふと勿論小さい仕事であります、昨日も横浜の渋沢商店主人の申す所に依れば、是から先き順次出荷があるとすれば、当店だけでも三万梱は出る、若し四百円の為替を以て受けるとすると千二百万円、是は唯だ一軒の店です、以て今日と当時との金融や荷物取扱の差は殆ど霄壌の如きものあるを知るべしでございますが、而して其荷預所に於ては実に種々なる苦辛を以て経営して居ります中に、追々各地の製糸業者間にいろいろ物議が生じまして、初めは是非やれといふの勢であつたが、外国商館も堅く持して動かぬ其間に介在する取扱者が宜くなかつたゝめか、段々崩れかゝつて殆ど申合が破れんとする場合に至りました、其折柄亜米利加の公使のビルガム《(ビンガム)》といふ人が大層其事を心配されまして、英吉利一番のウヰルキン亜米利加一番のトーマス・ウォールス、それに私と益田孝君とを築地の公使館に招集して、さて斯様な場合に何か和解する手段はないか、国際貿易上斯んな愚な事をして居つてはならぬから、各方が中に這入つて解決してはどうかといふ忠告を受けました、是に於て外国側と日本側とで打合をして何とか方法を講じやうではないかといふので、向ふは外商間で相談し、私共は売込の問屋の方と協議し、以上三回公使館で評議の末一の折衷案を作成した、即ち引込んだ荷物に対しては外商から受取証を出す、又火災保険は商館が附ける、それから是はハツキリ覚えませぬが、一週間でしたか経たぬ中に必ず拝見をする、但し場処を定めて取引するといふことは、生糸を見る家がないから、其場処の出来ぬのに求めるのは日本の方が無理だ、真に取引所たる必要具を備へた場所が出来た上は其処へ持つて往く、それまでは商館で取引をする、斯ういふ事で協定が出来まして、さしもの大なる葛藤も玆に和解を告げて順好く売込が進んで来ました、詰りそれが為に多少糸の価が下りましたから、製糸業者は其年の商売は大分打撃であつたかと察せられました、今日から見ますと何んでもないやうな事でありますけれども、当時は大騒動で、生糸に対して一歴史と云つて宜い位でありました、今般の場合は、決して其様に荷物を一緒に集めて金融を為すが如き有様に陥らぬであらうと思ひますから、今申上げまする事が例にならうとは申しませぬけれども、併し国家の力に依つて金融をすると云ふことに就いては、十四年の荷扱所の仕事が稍々一例となり得
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られるであらうと思ひますから、私が自分の身としては普通銀行者で今申上げましたのは己れ直接の経営に属するだけでございますが、今日の御評議の結果は、此生糸売捌が思ふやうにいかぬ時は、何れ其筋に力を添へて貰うて金融の途を付けなければならぬ、夫等の働きが丁度十四年の仕事と相似た所があるといふて宜からうと思ひますために或は幾分の御参考にならうかと思ひまして、玆に三十四・五年前の事を陳述致して諸君の御聴に供した次第でございます。これにて御免を蒙ります。(拍手)


中外商業新報 第一〇一六六号 大正三年八月一一日 ○大日本蚕糸会 臨時大会(DK520030k-0003)
第52巻 p.332 ページ画像

中外商業新報 第一〇一六六号 大正三年八月一一日
    ○大日本蚕糸会
      臨時大会
欧洲時局の影響を蒙れる我が蚕糸業を救済する為めに催されたる大日本蚕糸会の臨時大会は、十日午前十時より錦町同会事務所に開かる、会する者は長野・山梨・群馬・福島・岐阜・山形・山口・岡山・鳥取・徳島・神奈川其他諸県より急遽東上せる斯業代表者約五十名也、松平会頭壇に上りて先づ臨時大会を開催するに至りし理由並に評議員会の経過を述べ、更に其の決議の下に大隈首相・若槻蔵相・三島日銀総裁を交々訪問して蚕糸業の苦境に就き逐一具陳し、何等か救済の道を講ぜられんことを懇願したるに、幸ひ日銀総裁よりは資金融通の上に有望の挨拶を得たりと述べ、次で吉池同会理事より会頭の報告を布衍詳説し、畢つて議事に入る、八田達也氏(山梨)は、此際善後策を講ずるは最も急務とする所なるも、議題無くしては議事の進行上甚だ不便なり若し理事者に於て議題あらば幸に之を聞くを得んと提議するや、吉池理事は、個人としては存するも理事者としては無し、本会に於て意見を交換の後定められたしと答ふ、小橋藻左衛氏(岡山)亦議題の要を叫ぶや、理事武藤金吉氏起ち吉池理事の報告を補足し、要は此際に於ても斯業を継続する為めに資金の融通を図るにあり、而して既に日銀総裁よりかの言あり、以て議題を作るに便ならんと述ぶ、次で小橋・吉池両氏の間に質答ありて後、西谷金蔵・飯島信明・山田一の諸氏交々地方の実況を説き、殊に飯島氏は山梨生糸組合の決議を齎して、市況の前途に光明を認むる迄横浜取引所を閉鎖せんことに賛成を求むと提議す、八田氏は金融問題として委員を選び其実行方法を議せしめ、然る後又本会に諮らしめよと発議す、飯島・富田・大木・斎木其他の諸氏の賛成あり、結局委員の指名を会頭に一任し、会頭は左の十名を選定之に決す
 大久保佐一(群馬) 八田達也(山梨) 武藤互三(岐阜) 今井五介・尾沢琢郎・工藤善助(以上長野) 山田一・谷津市之助(福島) 長谷川平内(山形) 小橋藻左衛(岡山)
右委員は別室に於て協議することとして、恰も来会せる渋沢男より有益なる一場の演説ありて正午休憩す
○下略


渋沢栄一書翰 吉池慶正宛 (大正三年)八月一六日(DK520030k-0004)
第52巻 p.332-333 ページ画像

渋沢栄一書翰 吉池慶正宛 (大正三年)八月一六日 (西条峰三郎氏所蔵)
 - 第52巻 p.333 -ページ画像 
華翰拝読、益御清適奉賀候、然者貴会過日之大会同ニ於て決議致候趣旨ニ従ひ、其後会頭・理事其他之諸君ニ於て種々御尽力被下、井上正金銀行頭取とも御交渉之上生糸ニ対する金融之件、及附帯之事柄として繭輸送運賃半減之事、及横浜取引所之立会一時休止之事をも御心配相成候云々御注意御行届之段敬承仕候、来示中取引所立会中止之件ハ小生も今日横浜より来訪之人と頻ニ懸念いたし候旨申談居候処、既ニ右様御手配被成候義者実ニ機宜ニ適する事と存候、何卒農商務省之当局者ニ能々其利害御了解相成候様御説明被下度候、横浜ニ開店する堅固なる委托販売店之意見ハ皆同様と存候、只所謂相場師連ニハ尤以異論可有之ニ付、中々之一問題と存候、此上とも御尽力頼上候、右拝答旁匆々如此御座候 敬具
  八月十六日
                          渋沢栄一
    吉池慶正様
          拝復
   ○吉池慶正ハ大日本蚕糸会理事。



〔参考〕大正三、四年 蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第九―一〇頁 大正六年七月刊(DK520030k-0005)
第52巻 p.333-334 ページ画像

大正三、四年 蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第九―一〇頁 大正六年七月刊
    第二 戦乱勃発と生糸市場
      一、糸価未曾有の崩落
 戦乱勃発当初に於ける生糸市場は人気不安に駆られつゝも、尚往年の摩洛哥問題に顧みて市場一般の観測は事態を左程に重大視せす、仮令兵火相見ゆるも、之が戦局は一部面に限らるへしと稍々多寡を括れる観ありたるを否む可からす、蓋し墺国皇儲及同妃の横死か近世史上の一大事変として、墺塞間の関係切迫す可きは何人も之を予期し得たるか如きも、之に依つて世界的大動乱を来たす可しとは啻たに横浜市場のみならす、恐らくは独墺少数政治当局者以外、何人と雖も想到せさりし所なるへく、殊に西欧諸国か久しき平和に慣れ、就中英国の如き当時愛蘭問題の為に国内鼎沸して当に内乱を惹起せんも測り難かるへき危機に瀕し居たれは也、故に其墺塞の宣戦布告を導火として疾風迅雷の勢ひを以て一大渦乱を展出するや、欧洲の経済界は為に深刻なる影響を蒙り金融界の梗塞、株式市場の閉鎖等、前世紀以来稀れに見る混乱を呈せり、然れは横浜生糸市場の如きも之か飛沫を受けて、定期市場は八月四日七拾八円也と七月納会の大引より拾六円四拾銭方の崩落を告け、現物信州上一番は八月八日七百八拾円に、其間二週間を出てすして弐百余円の瓦落となり、殊に海上運輸の危険に伴ふ保険率の暴騰、欧米金融界の梗塞に因る対外為替の奔騰及之か取組難等世界的貿易機関の支障は事実上、取引の杜絶を形成し、一時混沌として適帰する所を知らさる悲境に陥れり。
 尤も其後市場は幸ひ米国向の買ひ進みと、一方内地機業界の好気配に連れ聊か活気を帯ひて、八月十九日は信州上一番八百六拾円に引返し一時愁眉を開き得たるも、开は一時的現象に止まり、戦乱の局外に超然たる米国自らも亦其悪影響を免かるる能はす、殊に棉花の下落は延いて以て一般経済界の萎縮を来たし、機業界亦曩日の盛観なくして
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漸次機台の運転数を減少する等、勢ひ生糸の需要を減退せしめたれは八月二十四日、日独開戦を動機に遂に五拾円安の八百拾円に崩落し、爾来日を趁ふて不勢に傾き八月末には初旬末の安値を割り、九月には七百六拾円、十月に入りては白国安土府の陥落を移して人気一層萎縮し遂に七百円てふ稀有の安値を現出し、戦前の相場に比して弐百九拾円、本年の最高値に比して実に参百参拾五円方の暴落を演し、戦乱勃発の打撃として我生糸市場は開港有史以来の禍殃を被むるに至れり。
○下略