デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
1款 社団法人大日本蚕糸会
■綱文

第52巻 p.338-352(DK520032k) ページ画像

大正3年11月7日(1914年)

是日当会本部ニ於テ、第二回臨時蚕糸業大会開カル。栄一、総理大臣大隈重信等ト共ニ来賓トシテ出席ス。席上栄一、現下ノ時局ニ鑑ミ欧米機業及ビ蚕糸業ノ状況視察ノ急務ナルヲ説キ、調査員ノ派遣ヲ提議ス。


■資料

大日本蚕糸会報 第二七五号 大正三年一二月 第二回臨時蚕糸業大会(第一日目);臨時蚕糸業大会(第二日目)(DK520032k-0001)
第52巻 p.338-340 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二七五号 大正三年一二月
    △第二回臨時蚕糸業大会(第一日目)
 第二回臨時蚕糸業大会を、青島陥落の一大快報に接したる吉辰、十一月七日午前十時を以て開会せり、来会者は一道二府三十四県に亘り二百余名にして、来賓の主なるは、大隈内閣総理大臣・渋沢男爵・上山農商務次官・浜口大蔵次官・岡商工局長・紫藤生糸検査所長・針塚上田蚕糸専門学校長、其他農商務省技師・蚕業試験場技師・蚕糸学校教授・府県技術官・新聞記者等五十余名に達せり、而して来会者の氏名左の如し。
      蚕糸業大会出席者○一六二名略ス
 会頭松平男爵議長席に就き、開会の挨拶を為し、吉池理事第一回蚕糸業大会以後の経過を報告し、終りて福島県の永戸直之助氏より地方蚕糸業の状況を陳述したるが、山梨県の飯島信明氏より、当会に大隈首相の臨席を請ふて地方の状況を聴取せらるゝ様、本会は斡旋の労を執られたしとの発議に満場賛成し、吉川副会頭は直に首相を訪ふて其承諾を得たり。
 此間渋沢男爵は一場の演説を試み、時局中に於ける欧米の機業及蚕糸業の状況を調査するは焦盾の急務なるを以て、適当の人を派遣するの方法を講ずべしとの提案を為し、満場喝采を以て賛成を表せり。
 正午休憩後網野豊次郎(埼玉)・飯島信明(山梨)・依田佐二平(静岡)・小松嘉蔵(山形)・山田新一(熊本)・新井高四郎(群馬)・波多野鶴吉(京都)・工藤善助(長野)の諸氏より地方代表的に製糸業の状態に就き陳弁したり、是れより先き臨席せられたる大隈総理大臣は此時演壇に起ち、大要左の如き一場の演説を試みたり。
      △大隈首相演説
 予は何等かの成案ありて此所に立ちたるに非ざれども、蚕糸業者諸君の遭遇せる目下の窮状に対しては深甚の同情を有するものなり、
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而して斯の如き事情に立ち至りしものは、生糸取引所の罪に非ず、商業者の罪に非ず、又製糸家の罪にも非ずして、偶然なる災害に起因するもの、即ち軍国主義侵略主義に拠る独逸の罪なりと断ぜざる可らず、本日は其暴逆なる攪乱者、或は諸子実業家の見地よりすれば利益の掠奪者たる独逸帝国の東洋に於ける根拠地を攻略せるの祝日なり、此占領は又欧洲聯合軍に百万の援助を与ふるものにして、之が為めに戦局を短縮するの効あるは勿論にして、実業貿易の見地よりするも亦大に賀せざる可からず、生糸界の状況に対しては予も大なる同情を有するものなれども、今日は何等具体の意見を有せざるを遺憾とす、嘗て明治初年生糸貿易の極めて微々たる当時に於てすら、数百万の救済資金を提供せる経験を有する予は、同情の点に於て変る所なきも、今日は斯の如き専政を許さざれば、予は去月二十八日大蔵・農商務両大臣に対し、三個の極めて重要なる攻究問題を提出せり、即ち米価の暴落と綿糸棉花と蚕糸業問題なり、攻究の結果如何なる方案を得るや全く疑問なるも、同情を有し且つ何等かの施設を要するとの理解に於ては欠くる所なし云々
右終りて安東潜氏(愛知)より地方の状況を述べたり。
次で会議に移り、結局会頭指名の委員若干名を選び、調査することに決し、会頭は三十名の委員を選挙し、散会したるは午後四時二十分なりし。
      △臨時蚕糸業大会(第二日目)
 十一月八日午前十時より委員会を開き三個の案を決議し、午後三時本会議を開き委員長工藤善助氏より左の委員会決議案を報告したり。
      特別委員長報告
   一、蚕糸業金融に関する件
 一、目下に於ける蚕糸業者の窮状は困難の極に達し、之を救済するにあらずんば経済界の恐慌を惹起するの虞あり、故に政府に対し蚕糸業者を救済するに足るべき金額を適当の方法に依り支出することを要求すること
   二、生糸定期取引に関する件
 一、横浜生糸取引所の生糸取引は生糸の市価を攪乱し、蚕糸業上甚だ有害なるを以て、其取引の禁止を政府に建議すること
   三、欧米に視察員派遣の件
 一、時局中に於ける欧米の機業及蚕糸業の状況を視察し、本邦当業者の参考に資するは焦眉の急務なりとす、依て適当の人を欧米地方に派遣視察せしむることを政府に建議すること
  右三項を処理せしむる為実行委員若干名を置き、其選出は議長の指名に任ずること
満場異議なく委員会案を可決し、会頭指名の左記実行委員を選挙し、午後四時閉会せり。
      実行委員
        委員長 益田孝
   一、蚕糸業金融に関する件
        京都  波多野鶴吉     神奈川 小野光景
 - 第52巻 p.340 -ページ画像 
        神奈川 原富太郎      千葉  鈴木久次郎
        山梨  矢島栄助      長野  武井覚太郎
        同   今井五介 第二兼務 長野  尾沢琢郎
        宮城  佐野市造      山形  佐藤正二郎
   第二兼務 鳥取  西谷金蔵      大分  小野惟一郎
   二、生糸定期取引に関する件
        新潟  山田巳太郎     群馬  新井高四郎
        愛知  中村寿三郎     長野  越寿三郎
   第一兼務 同   工藤善助
   三、欧米に視察員派遣の件
        埼玉  網野豊次郎     静岡  依田佐二平
        岐阜  勝野又三郎     福島  山田一
        高知  岡林起盛


中外商業新報 第一〇二五五号 大正三年一一月八日 ○蚕糸会臨時大会(第一日) 全国蚕糸業者救済策協議(DK520032k-0002)
第52巻 p.340-341 ページ画像

中外商業新報 第一〇二五五号 大正三年一一月八日
    ○蚕糸会臨時大会(第一日)
        全国蚕糸業者救済策協議
大日本蚕糸会は、七日午前十時本部にて第二回臨時大会を開催せり、会長松平正直男座長席に着き、吉池理事より時局に対し本会の執りたる行動の経過に就き報告し、引続き各地方上京者より其地方々々の実況を報告する事となれり、之に先だち尾沢琢郎氏は、今日の蚕糸大会は一局部の問題に非ず、蚕糸業の運命に関する重大事項として地方の実況を報告せんとするものなるが故に、政府当局者の臨席を得度しとの希望あり、工藤善助氏(長野)之に同じ、飯島信明氏(山梨)は進んで大隈総理の臨席を熱望し、会衆一同の賛成あり、座長も其の意を容れ、首相始め農商務・大蔵当局の臨席を請ふことに決せり、此の時渋沢男爵は個人の希望なりとして
 生糸の主たる得意として米国の実状を詳知するが為に米国財界の実況を究め、以て生糸の需給関係を調査すべく適当の人物を選び、会として之を米国に派遣せしむるの必要あるべし
と提議し、正午休憩す、午後一時再開、松平座長より、大隈首相の臨席快諾ありし事と並に上山農商務次官・浜口大蔵次官の臨席あるべき事を報告し、両次官臨席の上
 網野豊次郎(埼玉)・飯島信明(山梨)・依田佐二平(静岡)・佐藤正二郎(山形)・山田新一(熊本)・波多野鶴吉(京都)・工藤善助(長野)・新井高四郎(群馬)・天野政吉(愛知)
の諸氏より其各地に於ける実況の報告並に希望ありたり、而して実況報告は、要するに時局の為に製糸業者の大に困憊せる事を具体的に述べ、若し此儘に放任せん乎、日本の蚕糸業は救ふ可らざるの頽廃を見るべしと云ふに帰し、希望の要点は略ぼ左の如し
 (一)八百万円の低利資金貸附は、時局救済資金として未だ実効を奏せず、須らく非常時の非常資金たらしめざる可らず
 (二)政府は大に救済資金を貸出すべき必要と責任とあるべし
 (三)今日の問題は金利にあり、政府は低利資金を供給し製糸家を
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救済すべし
 (四)横浜の生糸定期取引は有害無益也、戦乱中其取引を停止すべし
大隈首相は青島陥落の御祝詞言上の為め参内を終へ、午後三時臨席あり、左の演説を試む
 蚕糸業者の窮状は万察し居れど、斯くの如くすべしとの何等具体的救済意見を有せす、左れど
 一、米価の暴落に対する善後策
 二、綿糸の暴落と原棉輸入の善後策
 三、生糸の暴落に対する善後策
 の三大案に対しては農商務大臣に於て夫々苦心研究しつゝあり、只帰する所は金の問題なるが故に、大蔵当局の苦心をも煩はさゞる可らず
武藤金吉氏の首相に対する質問あり、五時本会議に入り、議案の作製委員として左記三十名を松平座長より指名し、五時十分散会せり
 波多野鶴吉(京都) 小野光景・若尾幾造・原富太郎・渡辺文七・北村七郎(横浜) 日下甚之助(兵庫) 山田巳太郎(新潟) 網野豊次郎(埼玉) 新井高四郎・佐藤量平(群馬) 鈴木久次郎(千葉) 依田佐二平(静岡) 矢島栄助・飯島信明(山梨) 勝野又三郎(岐阜) 武井覚太郎・越寿三郎・尾沢琢郎・今井五介・矢崎源蔵・工藤善助(長野) 佐野市蔵(宮城) 山田一(福島) 佐藤正二郎(山形) 西谷金蔵(鳥取) 大田滝熊(山口) 岡林起盛(高知) 長野関吉(熊本) 中山武平(三重)
当日の出席者は渋沢・松平・吉川の三男爵、益田孝・桑田熊蔵氏等百六十二名にして、散会後一同築地精養軒の懇親会に臨めり


大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第四三―四九頁 大正六年七月刊(DK520032k-0003)
第52巻 p.341-343 ページ画像

大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第四三―四九頁 大正六年七月刊
 ○第三 当業者の打撃と救済問題
    四、第二回蚕糸業大会と蚕糸救済法案
 斯くて一方、横浜蚕糸貿易商同業組合か安値非売同盟に依りて糸価の崩落を防止するに努めたると同時に、他方大日本蚕糸会も亦、画策頗る努むるものあり、十一月七・八日両日に亘り東京本部に第二回蚕糸業者臨時大会を開き、先つ座長松平正直男より第一次大会以来の経過報告あり、折柄来会の大隈首相は親しく各地蚕糸業界の現況を聴取し、之に付一場の演説を試みられ、次て起草委員として三十名を挙け一、蚕糸業金融に関する件、二、生糸定期取引に関する件、三、欧米に視察員派遣の件等三議案を作製し、委員長工藤善助氏より、第一、金融の件に付救済資金として政府より参千万円乃至四千万円の支出を仰くこと、蓋し横浜市場に於ける十月末迄の停滞荷物約四万梱を算し居れは今後本年一杯に停滞す可きものを六万梱、更に明年新糸迄の分を十万梱と仮定して、以上合計二十万梱に対し一梱四百円替として八千万円に上る勘定なれは、此内銀行の融通を半額と見て残り四千万円見当の融通を政府に請ふ考也、第二、定期取引に関する件は取引所法第二十七条の「公安を害すと認めは云々」の条項に依り極力其取引停
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止を請願し、若し万一法律に依りて之か停止困難なりとせは、一方立法部の作用を俟ちて飽く迄初志を貫徹せんことを期す云々と、説明する所ありて、満場異議なく可決、松平座長より益田孝氏外二十二名の実行委員を指名して散会せり、爾来委員諸氏は或は調査研究に、或は朝野の関係者訪問に連日連夜、東奔西走、寝食を忘れて斯業救済の為めに尽瘁する所ありたるか、其結果として同問題も漸く朝野の耳目を惹き、其三十五議会の開かるゝや、遂に政治問題として一般の輿論を喚起し、十二月十九日には政友会の戸水寛人氏外九名の連署に依り建議案として左の蚕糸業救済補償法案を提出されたり。
      蚕糸業救済補償法案
 第一条 政府は本邦に於て製造したる生糸か時局の影響に依りて価格の低落したる場合に於ては、横浜正金銀行及政府の指定せる銀行をして金弐千万円を限度とし、生糸を担保として貸付を為さしむることを得。
 第二条 前条の資金は日本銀行より融通せしめ、其貸付利子は年六分とし、内二分は日本銀行に収め、一分を取扱銀行の手数料とし三分を貸付金損失の補償積立金とす。
  前項の融通金に対しては兌換券発行税を免除す。
 第三条 前条の担保価格を協定する為め横浜正金銀行に若干名の商議員を置く。
  前項の商議員は主務大臣之を嘱託す。
  協定せる担保価格は主務大臣の認可を受く可し。
 第四条 横浜正金銀行及政府の指定せる銀行か、第一条の貸付に依り欠損を生し、第二条の補塡金を以てするも尚足らさる場合に於ては政府は其欠損の補償を為し又過剰ある時は政府に納む可し。
     附則
  本法は公布の日より之を施行す。
     理由
 蚕糸は本邦輸出品中の大宗也、此重要なる貿易品か時局の為めに異常の影響を蒙る場合に方りては、宜しく特別の方法を以て其動揺を防止し、之を救済する所なかるへからす、是れ本案を提出する所以也。
 而して二十三日に至り政府よりも亦蚕糸業救済に関する左の法律案を衆議院に提出するに至れり。
      蚕糸業救済に関する法律案
 第一条 銀行か本法に依り生糸を担保として手形の割引を為し、之に因りて損失を受けたるときは、政府は命令の定むる所に依り其損失額の全部を補償す
 第二条 前条の手形の割引は左の各号に該当するものなることを要す。
  一、日本銀行以外の銀行にありては生糸の製造業者又は問屋の振出し又は裏書したる手形の割引、日本銀行にありては該手形の再割引たる事。
  二、日本銀行以外の銀行か割引を為す場合に於ては、日本銀行か
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国債以外のものを保証とする手形の最低割引歩合を、日本銀行は再割引歩合より日歩弐厘を減したる歩合を超えさるものを以て割引歩合とする事。
  三、大正四年五月卅一日以前の日を以て満期日となしたる手形なる事。
  四、信州上一番格以上にして輸出を目的とする生糸を担保とするものなる事。
  五、本法公布当時の横浜に於ける信州上一番格現物売買相場を参酌して政府の定めたる一定の金額を以て担保価格とするものなること。
  六、生糸か担保価格以上の市価を有する場合に於ては、銀行は手形の満期日前と雖担保物を処分し得可きものゝ特約あるものなること。
 第三条 銀行は手形の割引前政府の承認を受くることを要す、銀行は承認を受くるにあらされは担保物を処分し、又は債権を放棄することを得す。
  銀行は担保物の処分に関し政府の命令を拒むことを得す。
 第四条 補償を為す可き損失額は、命令の定むる処に依り政府之を決す。
 第五条 政府か銀行に対し補償を為したるときは、補償の原因たる債権は当然政府に移転す。
 第六条 本法に依り政府の行ふ事務は日本銀行をして之を取扱はしむることを得。
     附則
  本法施行の期日は勅令を以て之を定む
 斯くて前者は既に院議に附して委員附托となり、二十三日には之が特別委員会の開催となり、一般営業者をして多大の期待を以て翹足鶴首せしむるに至りたるか、是れより先き、政界の暗雲去来して、形勢漸く急を加へ、本問題の運命亦俄かに楽観を容し難きものあり、乃ち本案委員島田三郎氏の如きは当日の委員会に於て提言して曰く「蚕糸救済案は刻下焦眉の急に迫れる問題也、而して其一建議案は既に委員附托となりたるも、一方政府案は未た其機に至らす、而かも案の精神に至りては両者全く同一なるに、現下の政局は風雲刻々に迫りつゝありて何時如何なる変化を生せむも測り難し、若かす本案の目的を達するか為めには、両者を比較考量して小異を捨てゝ大同に就き、以て発生の虞れある政変前に於て本案の精神を達せんには」と、而かも不幸にして委員会は流会となり、次て議会は廿五日解散の詔勅降下し、建議案は委員会に附せられたる儘、政府案は遂に議題にも上らすして消滅し、数箇月に亘れる我実行委員の努力は為めに全く水泡に帰するに至れり。


中外商業新報 第一〇二六八号 大正三年一一月二一日 ○実業家首相訪問(DK520032k-0004)
第52巻 p.343-344 ページ画像

中外商業新報 第一〇二六八号 大正三年一一月二一日
    ○実業家首相訪問
渋沢男・益田孝・中野武営の三氏は廿日午後一時半大隈首相を永田町
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の官邸に訪問、時局問題に就て種々懇談する所ありたり


中外商業新報 第一〇二八八号 大正三年一二月一一日 ○蚕糸救済と当局 補償法制定調査(DK520032k-0005)
第52巻 p.344 ページ画像

中外商業新報 第一〇二八八号 大正三年一二月一一日
    ○蚕糸救済と当局
      補償法制定調査
蚕糸救済に対する当業者の希望は、大蔵当局に於ても可成之を達せしむる見解を持し、正金銀行に向つて当業者の便宜を計るべく慫慂せるも、何様昨今の如く蚕糸の低落せるに当り、依然七百円以上の担保価格を有せしむれば、正金は大なる危険を忍ばざるべからず、然るに通り一遍なる当局者の慫慂に応ずるときは、損害を被りたる場合に其危険は独り正金に於て負担せざるべからず、斯の如きは営利を目的とする商事会社の耐ゆる所にあらざるを以て、担保価格の特典に対する当業者の希望は正金に於て容易に肯諾せざるべく、従つて大蔵当局は海上保険の補償法と同一精神に基き、蚕糸貸付の危険を政府に於て負担する法案を制定する意見を有するが如く、目下頻りに調査中なりと


竜門雑誌 第三一九号・第四六頁 大正三年一二月 ○蚕糸業救済策に就て(DK520032k-0006)
第52巻 p.344 ページ画像

竜門雑誌 第三一九号・第四六頁 大正三年一二月
○蚕糸業救済策に就て 本篇は中外商業新報記者が青淵先生を訪うて蚕糸業救済策に就て聴き得たる談話の要領なりとして同紙上に掲載せるものなり
 蚕糸業の救済策として、或一定の値段を標準とし其以下に低落せし場合のみ政府に於て補償するの方法は不充分也。糸価は益々高きを欲するものにして、高ければ高き丈け救済の実を大に挙げざるべからず、一定の標準を設けて此標準を動かさじとするは決して策の得たるものに非ず。仮へば七百円を割りし場合に於て初めて政府の補償を有効ならしむるが如き事なく、糸価の騰貴に連れて七百五十円とし又八百円ともせざれば救済の意義を有効ならしめ難し、而して之と共に、保証せる裏書人に万一の危険を負担せしむるが如き事も不可也。政府は予め正金銀行を始め其他特殊の関係ある銀行を指定するか、若くば其他便宜の方法により直接製糸業者に必要の資金を貸出さしめ、万一糸価低落するが如き場合ありとせば、政府は保証人の有無に拘はらず其銀行に対して直ちに補償するの方法を執る事が緊急須要の策なりと信ず。要するに折角の救済策なれば成るべく之を有効ならしむるの用意を要す。此用意を欠くに於ては救済の実効を挙くる事難かる可し


大日本蚕糸会報 第二七九号・第一―一一頁 大正四年四月 時局に対する経過報告(第五)(DK520032k-0007)
第52巻 p.344-351 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二七九号・第一―一一頁 大正四年四月
    時局に対する経過報告(第五)
 客年八月時局の突発以来、蚕糸業界の惨憺たる光景実に名状し難く一日も看過すべからざるものあり、仍て本会は屡々評議員会を開設し又は金融関係の当局者と会合し、又八月十日及び十一月七、八日の前後両回の全国蚕糸業大会を開催し、此間に処する応急策を講究せり、此等施行したる事項に関しては既に報告を了せるを以て知悉せらるゝ所なるべしと雖も、更に其要項のみを摘録して参考となさん。
 - 第52巻 p.345 -ページ画像 
一、大蔵大臣は本会の陳情を諒とし、日本銀行及び横浜正金銀行の当局者をして左記の便益を与へしめられたり。
 日本銀行は金融殆んど梗塞せるに際し、繭購入資金を融通し、且つ指定倉庫にある乾繭に対し手形の再割引を実施せられたり。
 正金銀行は海外為替の杜絶せるに際し、不利を侵して為替の労を採られたり。
一、鉄道院は八月十五日より十月末日迄繭の通常運賃四割引を実行せられたり。
一、九月八日 本会及其他より政府に建議せる戦時海上保険補償法案は、政府より臨時議会に提出せられ、貴衆両院を通過し、生糸輸出上に頗る便益を呈せり。
一、九月十九日 本会が其必要を認め政府に建議せる蚕糸業救済資金の件は、産業資金の名に於て臨時議会閉会後大蔵省預金部より日本勧業銀行を通じて五百万円、日本興行銀行を通じて三百万円合計八百万円を支出し、生糸・繭及其他の輸出的生産物の資金に供給せられたり、然れども資金供給の方法其宜しきを得ざるを以て効果多からずとの説あり。
一、十月二十九日 本会は渋沢男爵に依り日本銀行及都下有力なる十銀行家に懇頼せる生糸資金の件は、銀行家に於て之を諒とし、従来の手形に対しては書換等を為し厚意的援助を与へられたり。
一、十一月三十日 本会は政府に申請せる時局に於ける実況調査の為欧米に視察員派遣の件は、学識経験に富める紫藤農商務技師米国に派遣せられたり。
一、十二月二十四日 日本銀行に於ては生糸の担保価格を改定し救済の意味を以て一梱三百五十円見当にて融通せらるゝことゝなれり。
 其後通常議会の開会に際しては実行委員長以下委員諸君及本会理事者の誠意の行動は、政府及貴衆両院の深く同情する所となり、政府及政友会よりは各蚕糸業救済案提出せられ其将に成立せんとする刹那に於て衆議院解散の運命に接し、蚕糸業大会の決議実行委員諸君の数十日に亘れる熱心なる行動は一時水泡に属するの不幸を見るに至れり、玆に於てか止むを得ず立法機関の中絶せる間に当り、政府の為し得べき権能に依りて最善の方策を講ぜられんことを要求するの外なきを以て、専ら此方面に於て努力すべきことは其翌二十六日の稿「時局に対する本会の行動第四」を以て報告せるに依り、夙に諸君の諒とせらるる所ならん、依て其以後に於ける経過の大要を抄録して一餐に供せんとす。
大正三年十二月二十六日 益田委員長、原・今井・尾沢・西谷・鈴木越の在京各委員並に吉川副会頭・吉池理事等本会に参集し、今後に於ける救済実行上に関する方針に就き熟議を凝らし、引続き其筋に対し折衝すべきことを打合せ散会したり。
大正四年一月三日 益田委員長、大隈総理大臣を国府津に訪ひ、蚕糸救済に付陳述せられたるに、同大臣は之が遅延せるは如何にも遺憾なり、政府に於ては必ず之が遂行を期するに依り諒とせられたしと謂はれたり。
 - 第52巻 p.346 -ページ画像 
一月四日 吉池理事は蚕糸業救済問題に就き、横浜に赴き生糸貿易商同業組合の諸氏と会見打合を為せり。
一月六日 益田委員長本会に来り、吉池理事と蚕糸救済案の進行上に就き協議する所ありたり。
一月八日 吉池理事は大蔵省神野理財局長の需めに依りて出省し、同局長より蚕糸救済問題に就き曩に議会に対し提出したる政府案に対し意見を徴せられ、詳細陳述する処ありたり。
一月十一日 益田委員長重要なる方面を訪ひ、蚕糸業界の窮状を訴へ又原・鈴木の両委員本会に会合蚕糸救済の件に付協議を為したり。
一月十二日 吉池理事は大蔵省に神野理財局長を訪ひ、蚕糸救済問題に就き意見を披瀝し質問に応答したり、更に鈴木委員と共に横浜に赴き、原富太郎氏其他生糸貿易商の諸氏と協議を為し、当局者の参考に供する為め一の政府蚕糸買収に関する救済案を起草せり。
一月十四日 吉池理事、若槻大蔵大臣及神野理財局長を大蔵省に訪問し、蚕糸救済問題の速行を懇請し、且意見を開陳せるに、憲法第八条に拠り之を緊急勅令とすることは議論あれば、第七十条に拠り財政処分とすることの手続を採るべく審議中なりとの言を聞けり。
一月十五日 是より先き益田委員長は、政府が蚕糸業救済に対する処置遅々として進行を見ざるは其誠意に疑ひなき能はず、斯の如くにして荏苒日を曠ふするは国家の不利益甚だ大なり、是れ委員長の職責を全ふせざるものなれば、責を負ふて委員長の任を辞すべしとて辞任書を送付せられたり、仍て吉池理事は原富太郎氏と協議し、今日に於て益田氏の委員長を辞せらるゝは益々本問題を悲境に導くものなりとし、両氏同行益田氏を訪ひ、切に留任を懇請したるが、同氏は幸に斯業の為め敢て留任を諾せられたり。
一月二十一日 益田委員長本会に来り、吉池理事と蚕糸救済問題に付打合を為せり。
 吉池理事、若槻大蔵大臣を訪問、蚕糸救済問題に付懇請せるに、同大臣は目下蚕糸救済に関する案は枢密院にて審議中なり、若し不幸にして同院にて否決せらるゝ暁には、他に採るべき良案なしと謂はれたり。
一月二十三日 依田委員来訪、吉池理事と協議をなし、大蔵省に浜口次官を訪ひ、蚕糸救済案の経過を聴取せり。
一月二十七日 吉池理事、渋沢男爵を訪問、蚕糸救済問題に関する経過遅々として進展せざるに依り男爵の斡旋を依頼したり。
 工藤善助氏長野県生糸同業組合聯合会評議員会の決議を齎し本会を訪ひ、全国蚕糸業大会を開設し蚕糸救済問題の善後策を協議せんことを要求せられたり。
一月二十九日、三十日 本会内に蚕糸業懇談会開設せられ、本年の養蚕に対する件問題となり慎重に之を協議し、其結果今や製糸家の運命は一に繋りて蚕糸救済案に在りと云ふも過言にあらず、製糸家は蚕糸業界の中枢にして、若し製糸家にして倒産の悲境に陥らば養蚕家如何に多数の良繭を得るも、価格の高低に依らず之を購ふ者なく所謂宝の持腐に終らん、依て蚕糸救済案の実現に就ては今後一層実
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行委員諸氏の努力を煩し、一日も早く施行せられんことを望み、養蚕家としては極て慎重の態度を採り、自己の桑園・家屋・労力等に過不足なき範囲に於て蚕の飼育をなし、縦令繭価低廉なるも之に売り応ずる程度と為すべしとの議纏まれり。
二月一日 益田委員長・依田委員本会に来り、蚕糸救済問題に付協議を為し、吉池理事及依田委員は大蔵省に浜口次官を訪ひ、同件に付陳述する所ありたり。
二月三日 午前十時実行委員会を開く、出席者益田委員長、原・今井・武井・新井・工藤・越・依田・佐野の各委員、本会側よりは吉川副会頭・吉池理事にして、先づ益田委員長より其後に於ける蚕糸救済問題の経過に付詳細の報告を為し、客年十一月全国蚕糸業大会に於て選挙せられたる吾々実行委員は、政府に対し又議会に対し有らゆる方法に依りて努力したるに拘はらず、三ケ月後の今日に至るも尚是が実行を見る能はざるは甚だ遺憾の次第にして、是れ全く自分不明の致す所なり、此場合枢密院に於て救済案の通過すると否とに拘らず、責を負ふて実行委員長の任を辞し以て大会出席者諸君に謝する所あらんとすとの陳述あり、是れに対し原・今井・工藤の諸氏より、委員長の御辞任の趣旨は諒とする処なれども、委員長の就任以来此事に尽されたることは当業者一般の感銘措かざる処にして、横浜に於ける糸価の今日あるは救済案の実現説の反応なるに外ならず其成否は兎に角此に至りたるは委員長尽力の然らしむる所なり、委員長及委員は蚕糸業大会に於て選挙せられたるものなれば、辞任の場合は大会を開くか、若くは書面を以て大会出席者に報告せざるべからず、斯くては其影響忽ち横浜の糸価に及ぼし、延ては蚕糸業の前途に重大なる関係を与ふるを免れざるべし、希くは此場合委員長は斯業の為に忍んで暫く留任あり救済案の終局を俟たれんことを望むと述べ、各員一同又同様の趣意を以て懇請する所ありたれば、益田委員長は遂に在任を承諾せられたり。
二月四日 工藤・今井・依田・鈴木・越の各委員は本会に集会協議の結果、吉池理事、今井・工藤・依田三委員と大蔵省に浜口次官を訪問し、蚕糸救済問題に付懇請する所ありしが、次官は同問題に就き詳細に従来の経過を述べ、政府は将来も極力之が成立に尽瘁すべき旨を陳べられたり。
二月五日 吉池理事、今井・依田・工藤の各委員諸氏は早朝大隈総理大臣を早稲田の私邸に訪ひ、蚕糸救済案の進行上に就き所見を叩きたるに、同大臣は本案にして枢密院を通過せざるときは、政府は其与へられたる権能の許す限りを以て何等かの施設を為すべしと言明せられたり。
 同日益田委員長、原・今井・工藤・依田・鈴木・尾沢・越の各委員諸氏本会に会合、委員会を開き種々協議する所ありたり。
二月八日 益田委員長重要なる方面を訪問し、蚕糸業の実情を具陳せられたり。
 原富太郎・茂木惣兵衛等の諸氏本会に会合、吉池理事と蚕糸救済案に関する協議を為せり。
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二月九日 原・工藤・越・尾沢・佐野の各委員諸氏本会に会合、吉池理事と蚕糸救済問題に付協議を凝らせり。同日、蚕糸業と最も密接の関係あり金融上に経験深き長野県の第十九銀行頭取黒沢鷹次郎氏を本会に招待し吉川副会頭、原・今西・吉池の各理事と会し、時局に対する蚕糸業の金融及倉庫との関係に就き懇談する所ありたり。
二月十日 原・工藤・尾沢・矢島の各委員諸氏本会に会合、蚕糸救済問題に就き打合を為し、尚原氏と吉池理事は島田三郎氏と会見、本件に関し協議する所ありたり。
二月十二日 実行委員会を開き益田委員長、原・尾沢・今井・工藤の各委員出席、蚕糸救済案にして万一枢密院を通過せざる場合に於て政府の責任支出を為す方案に就き益田委員長の意見に基き起草し、之を政府部内の内見に供せり。
      蚕糸救済の方法大要
 一、政府は剰余金中より五百万円を支出し蚕糸救済の資に充つること。
 一、日本銀行に命令し横浜正金銀行其他をして生糸資金として貸付を為さしむること。
 一、前項の銀行は蚕糸業救済の主旨を以て貸付金額の単位及利率を定め主務大臣の認可を受くること。
 一、貸付に対する損害額は銀行に於て之を負担すること。
   但し損害に対し政府は五百万円迄の補助を為すこと。
二月十三日 吉池理事は島田三郎氏を訪ひ、蚕糸救済案に関し協議を為し、次で大蔵省に神野理財局長を訪問し、同件に就き承合する所ありたり。
二月十四日 原・今井の両委員本会に会合、吉池理事と相談し、浜口大蔵次官其他の在朝有力者に対し救済案に付懇談する所ありたり。
二月十五日 今井・網野の両委員本会に来り、吉池理事と蚕糸救済問題に就き打合を為せり。
 本日吉池理事は今井氏と共に渋沢男爵を兜町の事務所に訪ひ、蚕糸救済問題の経過を述べ尽力を依頼し快諾を得たり。
二月十六日 尾沢・工藤の両氏より長野県製糸家の熱望に依り蚕糸救済問題に関し全国蚕糸業大会を開催せんことの要求ありたるにより他の問題と共に評議員会を開催したり、而して大会は万一蚕糸救済案の枢密院を通過せざる場合に於て、政府が責任支出を実行するの誠意なきを認めたる上に於て開催すること、其開催の時日は理事者に一任することを決議せり。
二月十七日 長野県諏訪生糸同業組合の決議により総代として小口修一・小口今朝吉・小口槙太の三氏本会を訪ひ、吉池理事に面会し、蚕糸救済の実行遅々として運ばれず、為に信州に於ける春挽開始の期目前に迫れるも当業者の方針を定むる能はずして非常の困難に陥れり、此儘にして春挽を開始せんか、生糸は忽にして横浜埠頭に滞積し、糸価は益々低落して当業者の究境に陥るは言を俟たず、仍て蚕糸救済案の急速に実行せらるべき手段を講じ、一面蚕糸業大会を開きて将来の方針を協定したしとて懇請せらるゝ所ありたり。
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 同日原・今井の両委員来会打合を為し、吉池理事と相伴て益田委員長を其邸に訪ひ、蚕糸救済に関する協議を為せり。
二月十八日 益田委員長重要なる方面に至りて蚕糸救済案の意見を交換し、帰途本会に来り、原・今井の両委員と会合、吉池理事と共に蚕糸救済問題に付協議を為せり。
二月十九日 吉池理事は王子の渋沢男爵より来訪を求められ参邸し、男爵より蚕糸救済問題に付政府の要路及其他重要の方面に夫々交渉ありたる報告を聴取したり。
 益田委員長、今井・山田(一)の委員諸氏来会、蚕糸救済問題に付き協議を為せり。
二月二十日 益田委員長、吉池理事及原・今井の両委員は渋沢男爵を訪問し、蚕糸救済問題に関する要談を為せり。
二月二十三日 越及原氏参会、蚕糸救済問題に付吉池理事と打合せ、原委員は帰途重要なる方面を訪問せり。
二月二十四日 原・尾沢・工藤・矢島・越の各委員本会に会合、蚕糸救済問題に付協議を為せり。
二月二十五日 実行委員会開会、出席者益田委員長、原富太郎・波多野鶴吉・矢島栄助・今井五介・尾沢琢郎・工藤善助・新井高四郎・網野豊次郎・勝野又三郎・山田一の各委員諸氏及農商務省に開設せらるゝ蚕糸業諮問会の為め上京せられたる長野関吉・坂口平兵衛の二氏又臨時参加し、蚕糸救済問題に付大隈総理大臣及若槻大蔵大臣を訪問し、政府の決心を聴取することを協定せり。
二月二十六日 矢島・波多野・工藤・網野・勝野の各委員諸氏は、大隈総理大臣を早稲田の私邸に訪問し、陳情する所あり、同大臣は之に対し依然として蚕糸救済案の枢密院を通過せざる場合に於ては、政府は何等かの方法を採りて蚕糸の救済を実施すべしと言明せられたり。
 尾沢・山田(一)・新井の三委員は若槻大蔵大臣を其私邸に訪問し、蚕糸救済問題に就き陳情する所あり、之に対し枢密院に提出したる蚕糸救済案の経過を述べ、政府は極力之が通過せんことを希望せるが、若し通過を見ざる場合に於ては之れに代ふべき成案を有せず、若し相当の案あらば提供せられたしとの意味を洩らし、且本件に就ては本日開催せらるべき閣議に於て協議する所あるべしと言はれたり、右訪問後、諸氏は本会に参集し、益田委員長、原・依田・山田(巳太郎)・新井・越の諸氏又来会せられ、尚協議を尽したり、此夜尾沢・工藤の二氏は熱心に蚕糸業大会の開設を主張し、折りから農商務省の諮問会に出席したる矢島栄助・依田佐二平・今井五介・山田一・勝野又三郎・前田健次・網野豊次郎・波多野鶴吉・山田巳太郎・長野関吉の諸氏本会に会合したるを以て、協議の上実行委員と諮問会員との有志会発起となり、全国蚕糸業大会を築地精養軒に開会することを決議せり。
 此日横浜蚕糸同業組合にては政府の蚕糸救済案の成行尚不明なるを以て、之に相応ずる方策を講ずる為臨時相談会を開き、昨年十月二十九日申合規約を左の如く改定を為し、尚組合は製糸家に向て政府
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の救済案決定する迄取引を延期され度旨の通知を発せりと云ふ。
      規約
  第一条 現時の糸価を維持する為、信州上一番格七百六十円以下にては誓つて之れを売却せざること、但し上一番以外の品も総べて上一七百六十円格を標準と為すこと。
  第二条 吾等同志は大正四年二月二十六日以降は為替付の荷物を荷受けせざること。
   但し先約商品に対しては此限りにあらず。
  第三条 横浜生糸市場へ現物の売繋ぎを為さゞること。
  第四条 同業者は互に徳義を重んじ他店の取引客に向つて断然取引を為さゞること。
二月二十七日 原・新井・尾沢の三委員若槻大蔵大臣を其私邸に訪問し、昨日の約を履み本会にて調査せる左記の案を参考に供せり。
      蚕糸救済組合設立案概要
  一、設立の目的 蚕糸業者を救済するを以て目的と為すこと。
  二、事業の概要 蚕糸を買収し且つ販売すること。
  三、資本金額 資本金額を七百万円とし、内政府の出資額を五百万円とし、此金額を以て業務を経営すること。
  四、損益の計算
  (一)欠損のある場合には先づ政府の出資額を以て之に充つること。
  (二)利益のある場合には出資者に対し八朱の利率を以て配当を為し、尚剰余あるときは蚕糸業に関する公共的事業に寄附すること。
  五、政府の監督 役員の選任、営業行為等一般の監督は特殊会社の例に依ること。
  六、組合の解散 時局の解決を待て之を解散せんとす。
 大蔵大臣は寧成立上株式会社の方可ならずやと謂はれ、其他営業上に関して質問を為し、更に詳細の事は浜口次官に交渉せられたき旨言明せられたり。
 益田委員長及吉池理事、原・新井・尾沢・工藤各委員参集、大蔵大臣の意見に従ひ組合を会社に変更し一種の案を作成せり。
二月二十八日 原委員は浜口大蔵次官を私邸に訪問し、蚕糸救済会社案を参考に供し政府の意嚮を聴取する所ありたり。
 益田委員長及吉池理事、原・今井・新井・尾沢・工藤・波多野・山田(一)・山田(巳太郎)・矢島・依田・越・勝野の実行委員来会せられ蚕糸救済の件に付協議せり。
三月一日 早朝益田委員長浜口大蔵次官を其私邸に訪ひ、蚕糸救済会社設立の件に関し懇談を為し、帰途本会に立寄り吉池理事と打合を為せり。
 吉池理事は病気精養中の吉川副会頭を大磯に訪問し、蚕糸救済案の経過及全国蚕糸業大会を有志者の発起を以て開催するに至りし顛末を報告帰京せり。
三月二日 吉池理事は浜口大蔵次官を其私邸に訪ひ蚕糸救済会社案の
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件に付打合を為せり。
 益田委員長、原・工藤・尾沢・依田・今井の各委員参集蚕糸救済の件を協議せり。
○下略
   ○蚕糸業救済ニ関スル政府案及ビ議員提出建議案ハ議会解散ニヨリ共ニ成立ニ至ラズ、緊急勅令案モ亦枢密院ニ於テ否決セラレ、結局、官民共同出資ニヨル「帝国蚕糸株式会社」ノ設立トナリタリ。従テ大日本蚕糸会関係資料ノ一部モ次款「帝国蚕糸株式会社」ニ収ムルコトトス。



〔参考〕大正三・四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第五六―五九頁 大正六年七月刊(DK520032k-0008)
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大正三・四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第五六―五九頁 大正六年七月刊
 ○第三 当業者の打撃と救済問題
    七、蚕糸救済の成立と実行委員の努力
 蚕糸救済の決定せるは前項既述の如くなるか、之れより先第三十五議会の解散に伴ふ二法案の不成立は事実上蚕糸界をして第二の暗黒時代に入らしめたり、而して政府か之に代ふるに緊急勅令を仰かんとし一月六日、其諮問案を枢密院へ廻附するや、市場の人気は漸く小康に復し、中には前途に多大の期待を以て嘱望するも出てたるか、其性質上遽に枢密院の同意を得る能はす、政府との交渉数次に亘るも遂に憲法の正条に適はさるものとして院議の容るゝ所とならす、政府自ら之を撤回するの已むなきに至らんとするの情勢を呈せるより、当業者の失意亦名状す可くもあらす、糸況は為めに再ひ銷沈し将に第二の気崩れを致さんとせり、是に於てか実行委員の苦心焦慮一層甚しく、或は政治問題として輿論の喚起に努め、或は政府要路の門を叩いて事の急なるを訴ふる等、東奔西走、実に是れ日も足らさるの有様にして、二月廿七日には左の蚕糸救済組合設立案を草して政府当局者の内見に供し、以て別個の形式を以て救済の実施を迫れり。
      蚕糸救済組合設立案概要
 一、設立の目的 蚕糸業を救済するを以て目的と為すこと。
 二、事業の概要 蚕糸を買収し且販売すること。
 三、資本金額 資本金額を七百万円とし、内政府出資額を五百万円とし、此金額を以て業務を経営すること。
 四、損益の計算
  一、欠損のある場合には先つ政府の出資額を以て之に充つること
  二、利益のある場合には出資者に対し八朱の利率を以て配当し、尚剰余あるときは蚕糸業に関する公共的事業に寄附すること。
 五、政府の監督 役員の任選、営業行為等一般の監督は特殊会社の例に依ること。
 六、組合の解散 時局の解決を待つて之を解散せんとす。
 於是乎、政府当局者も漸く決する所あり、乃ち上記救済組合設立案を経緯とする左の出資方法に拠る第二案を樹て、曩に枢密院へ廻附せる諮問案を撤回し、同時に行政処分の形式を以て蚕糸救済の実施を決行することに内定せり、之れ実に第三回製糸業者大会に先たつ数日にして、当時未た之か発表の時機に達せさりし為め姑らく秘密に附せられたるも、超えて三月三日枢府特別委員会に於て正式に救済案の否定せらるゝに及ひ、政府も臨時閣議を開きて之を撤回すると同時に前記
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行政処分に依り之か救済実行を声明するに至れり。
 一、蚕糸救済の目的を以て当業者より弐百万円を出資して組合を組織すること。
 一、政府は此組合に対し国庫剰余金の内より五百万円の補助を為すこと。



〔参考〕中外商業新報 第一〇二九三号 大正三年一二月一六日 ○蚕糸業研究会 蚕糸会別働隊創立(DK520032k-0009)
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中外商業新報 第一〇二九三号 大正三年一二月一六日
    ○蚕糸業研究会
      蚕糸会別働隊創立
大日本蚕糸会は十四日夜帝国ホテルに衆議院各派代表者を招待晩餐会を開きたり
 政友会より大岡・永江・橋本・堀切・松本・熊谷・清水 同志会より島田・高橋・矢島・福田・半ケ谷・須藤 中正会より田村・橋本・岡部 国民党より小西の諸氏出席
席上益田孝氏蚕糸会を代表して救済に関する意見を演述し、西谷金蔵氏より蚕糸会の別働隊として「蚕糸業研究会」を組織せんことを提議し、政友会の大岡氏、同志会の島田氏、国民党の小西氏等の賛成あり
結局実行委員として
 益田・西谷・尾沢・山田・新井・鈴木・依田・小池・波多野・岡林・渡辺・渋沢・吉池・網野・吉川・越・今井・工藤・茂木等
十九氏を挙げ創立事務を一任することに決したるが、此等実行委員は翌十五日蚕糸会本部に集会、左記規約を制定発表せり
      △蚕糸業研究会規約
 一、本会は蚕糸業研究会と称し、貴衆両院議員並蚕糸業者中の有志者及他の篤志者を以て組織す
 一、本会は蚕糸業の発達を図り国富を増進する為、蚕糸業上の調査研究を行ふを以て目的とす
 一、本会に会長一名、幹事若干名を置き、会務を処理せしむ
 一、本会の経費は会員の寄附を以て之に充つ
 一、本会事務所は東京市神田区錦町三丁目十八番地大日本蚕糸会内に置く