デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
2款 帝国蚕糸株式会社(大正四年設立)
■綱文

第52巻 p.379-385(DK520039k) ページ画像

大正4年6月15日(1915年)

是年五月二十一日、政府ハ当会社ノ解散ヲ決シ、農商務大臣ヨリ同日付ヲ以テ解散命令ヲ発ス。是日横浜銀行集会所ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、会社ノ解散ヲ決議ス。栄一出席シ、相談役ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK520039k-0001)
第52巻 p.379-380 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
五月二十日 晴
午前六時半起床入浴朝飧ヲ畢リ、若槻蔵相ト電話ニテ蚕糸会社ノ事ヲ談ス○中略 午前九時若槻大蔵大臣ヲ其邸ニ訪ヒ、蚕糸会社存廃ノ事ヲ談ス○下略
五月廿一日 曇
午前七時起床○中略 吉池慶正氏来リ蚕糸会社ノ事ヲ談ス○中略
午後三時頃内務省ニ抵リ○中略 更ニ農務商務省ニ抵リ、再ヒ倶楽部ニ於
 - 第52巻 p.380 -ページ画像 
テ上山農商務次官ニ面会シテ蚕糸会社ノ事ヲ協議ス
   ○中略。
六月十二日 雨
○上略 午後二時農商務省ニ抵リ、大臣・次官ニ会見シテ蚕糸会社ノ事及支那ニ於ル日貨排斥ノ事ニ付種々談話ヲ為ス○下略
   ○中略。
六月十五日 晴
○上略 一時過横浜ニ抵リ、蚕糸会社ノ総会ニ出席ス、解散ニ付テ一場ノ意見ヲ述フ、五時帰京○下略


中外商業新報 第一〇四七三号 大正四年六月一六日 ○帝蚕総会と解散 精算事務に移る(DK520039k-0002)
第52巻 p.380-381 ページ画像

中外商業新報 第一〇四七三号 大正四年六月一六日
    ○帝蚕総会と解散
      精算事務に移る
帝国蚕糸株式会社は既報の如く十五日午後二時株主定時総会開会、主務省側より監督官今西検査所技師・河合書記官臨席、其外相談役渋沢男爵出席の上、定刻原社長会長席に着き開会を宣し、会社創設以来の業務成績及び左の収支計算を報告し、満場異議なく承認、定時総会を終了す
              円
 総収入高   二八、五六一・九六〇
 総支出高   四一、九八九・三七〇
 収支差引欠損 一三、四二七・六八〇
引続て臨時総会を開き、原社長より主務省の命に依り六月十五日限り会社解散精算事務に移る旨を告げて株主の同意を得、次で精算人の選挙に移り、株主の希望により重役全部(取締役六名監査役二名)を以て清算人の任務に当る事に決定し、是れにて当日の案件を議了せるが、原社長は立ちて一応の挨拶旁々左の意味の演述を試みたり
 当会社の四月一日に創立せられてより僅々二ケ月余の日子に過ぎざる期間に於て、会社は兎も角大正三年度の春挽糸十万個(約五・六百万斤)に対し糸価の最底克く八百円を維持し、之れを会社創立前の糸価七百円に対せば、会社の力によりて優に海外に向つて五百万円以上高価に売却し、以て製糸家の購買力を増加すると共に大正四年度の原料繭をも適当に仕入れ得るに至らしめ、斯くて其救済の効果は製糸家・養蚕家と平等に共分するを得たるは、之れ会社として成効したるものと云ふを得可し、而して其後四年度に於ての会社存廃問題起りしが、其当時の存立継続諸説を綜合すれば、(イ)会社は八百円の維持価格を引下げ七百円又は夫れ以下とし、現在の残金を以て維持を試む可し、(ロ)別に維持価格を定めず、他日糸価の下落にして全く不引合の程度に達せる際残存の力を以て適宜買収す可し、(ハ)会社の業務を変更し補償法の如き方法により銀行に向つて横浜市場在荷の担保付保証をなす可しとの三説に帰着せるが、第一は人為を以て糸価を引下げ直接養蚕家を害し、第二は輸出商と海外需用者との間の取引不安に陥るの虞れあり、第三は最も弊害薄き緩和せる方法なれども、如何せん政府助成金は遽かに法律上使用の目的を変ずる能はず、遂に解散の余儀なきに至りし也、尚ほ終り
 - 第52巻 p.381 -ページ画像 
に一言す可きは、今次の救済に関し当初識者の反対を招きしも、実際に於ては予期の奏功を見るに至り、人為的救済と雖時と場合により且つ其方法誤りなからんには安全に通過す可き一条の経路あるを証明するを得たり、即ち(一)八百円なる維持価格は欧米市場の需要状態と支那・伊太利の如き供給国の現状とに比較商量し、最も適当なる直頃なりしと、(二)被救済品の数量に対し会社が其半数を買収し得可き実力を有せし事は、今回の救済を成し得たる要素なりしものと解せらる云々
之れに対し渋沢男爵は、各重役諸氏今日迄の労を謝し
 会社の事業が僅少の日子に成功の域に達したるは喜ぶ可く、平時に於て此種事業の創設は全く道理に背くは当然なれど、非常時に於ける非常の方策としては亦止み難き所にして、昨年に於ける我が蚕業界の打撃は平時を以て律す可らずして、此意味より云へば全然学理の原則に背反せりとも断じ難かる可く、而して今回の解散の如きも原社長の説明通りにして亦止むを得ざる所、短日子に此成績を見たるは会社として所期の目的を達したるものと云ふべし
と述べ、更に今井五介氏は株主を代表、是亦会社が有終の効果を収めたりとし深く重役の労を犒らひ謝辞を述ぶる所ありて、午後四時解散したり


大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第九七―一〇九頁 大正六年七月刊(DK520039k-0003)
第52巻 p.381-384 ページ画像

大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第九七―一〇九頁 大正六年七月刊
 ○第五 会社営業の経過及成績
    四、会社の解散
 会社の第二次買収に先たち、重役側にありては其営業存続問題に就き時々協議を重ぬる所ありしか、五月十七日横浜銀行集会所に会社評議員会を開きて、愈表面の問題として之を附議するに至れり○中略
 斯くて議事に入り、愈其存廃問題に移れるか、会社重役側にありては会社現在の資力に於ては到底大正四年度の新糸迄も救済すること不可能なるか故に、現状の儘、会社の経営を継続せんとするには、更に政府より五百万円以上の追加補給を仰かさる可からすと、其暗に解散説を提唱せるに対して、一方評議員側に於ては政府の追加補給を受くる不可能なりとせは、大正四年度の生糸救済素より至難なりと雖、亦今日突如として会社を解散せんか、其市場に及ほす可き影響も之を慮らさる可からす、如かす現状の儘適当の継続方法を講するか、若しくは全然会社の組織を改め、現存せる資金を其新機関に振替へ、以て会社設立の趣旨を継続貫徹せんにはと、而かも臨席の当局者亦何等之に向て明言する所なく、追て熟議の上、主務省の意見を通達す可しとのことにて、当日は何等議決する所なく、存廃問題の解決は之を重役に一任し、不日政府の意嚮決するを待つて、会社今後の方針を確立することゝして散会せるか、政府当局に於ても亦深く意を注く所あり、十八日農商務省に茂木帝蚕副社長を招致し、親しく重役側の意見を聴取し、廿一日の定例閣議に於て竟に会社を解散することに決せり、而して当日閣議散会後、原・茂木帝蚕正副社長を農商務省に招致し、其旨指令を発すると同時に、上山次官より左の解散理由を発表せり。
 - 第52巻 p.382 -ページ画像 
      会社解散の理由
 政府当初よりの目的は、時局中蚕糸業を救済するにありて、之を遂行する筈なりしも、会社重役の意見は少しく之に反するものあり、即ち、一、大正四年度の新糸に対しては全然其事業を継続せざること、但し会社を解散すると否とは何れにしても差閊なし、二、政府助成金追加補給にても、其他の方法にても、結局更に五百万円の損失を為すも支障なき方法相立つに於ては、重役に於て大正四年度の新糸に対し事業を継続するに異議なし、三、第一項の如くにして解散するに決せば、重役として時局中再ひ救済問題を申出てさる可し云々と、之を要するに問題は尚政府をして更に五百万円を支出せしむるか、他に資金を得る道を講するかに帰着するも、政府としては之れ以上の負担は財政上到底堪ふる所に非す、又同時に政府自ら事業を営むは更に至難のことに属す、而して製糸家即ち会社評議員の意見は、会社解散の影響を杞憂する余り、会社の存続を是とする者多数を占め居るか如きも、事業の計画を不明にして存続するは、蚕糸界に更に重大なる不安を醸成する所以にして、之を採用す可きに非す、又事業の打切りを明かにする以上、之を存続する必要を認めす、之れ蓋し政府として会社の解散を指令する理由なるか、一度ひ会社を解散せしめたる以上、政府は時局中再ひ蚕糸救済の為めに金銭上の負担を為さす、而して如上解散を指令するも、大正三年度の生糸は之を買入るゝ筈にして、其買入期限は五月卅一日即ち生糸の年度替り迄とし、価格は時価を以てし、更に之に要する資金は会社の現存せる現金のみを以てし、借入其他の方法に依り他に調達の道を求むるを許さす云々。
而して同日農商務大臣より正式に左の命令書を会社宛交附されたり。
      命令書
                     帝国蚕糸株式会社
 其社重役の希望を認容し、其社の解散を命ず
  但し左記の通り心得ふ可し
   大正四年五月廿一日
                農商務大臣 河野広中
       記
  一、解散は大正四年六月十五日迄に之を為す事
  一、大正三年度生糸に限り大正四年五月卅一日迄之か買入を為すことを得、但し其買入は既定の方針に従ひ時価に依るへきこと勿論とす
  一、右買入は其社の現在金の範囲内に於て為すことを要し、借入其他の方法を以て更に資金を調達することを許さす
次で又六月十四日農商務大臣より左の命令書を同じく会社宛交附されたり。
      命令書
                     帝国蚕糸株式会社
 大正四年三月廿九日付命令書第四条に依り、同命令を左記の通り変更す
 - 第52巻 p.383 -ページ画像 
  大正四年六月十四日
                農商務大臣 河野広中
       記
  一、第一条第十一号を左の通り変更す
   会社解散の場合に於ては、政府以外の者に対する債務を弁済したる後の会社財産中より払込株金額を控除したる残額は、本大臣の指定する期間内に之を政府に納付すること、但し其残額か五百万円を超ゆる場合には、其超ゆる金額の内より百万円に対する、年八分(会社創立の日より清算結了の日まてに付計算のこと)に当るまての金額を株主に配当することを得
  一、第一条第十四号の次に左の三号を加ふ
   十五、本大臣か清算人の指定又は解任を命したるときは之を拒まさること
   十六、持荷其他残余財産の処分に付ては予め本大臣の承認を受くること
   十七、本大臣は持荷の処分を命することあるへし
     以上
 斯くて、会社は越えて六月十五日横浜銀行集会所に会社第一回定時株主総会を開催せり、当日の出席株主十八名、主務省側よりは今西・河合両監督官及相談役として渋沢男爵の臨席あり、先づ原社長より諸般の報告ありて収支決算を附議し、満場一致之を可決し、次て直ちに臨時総会に移り、会社の解散を決議し、原社長より精算人を商法の規定に依り前重役たることに承認を求め、又別項の如く事業の経過を述へ、続て渋沢男爵は相談役を、今井五介氏は株主を代表して夫々一応の挨拶ありて散会せり。
      原社長の挨拶○略ス
      貸借対照表(大正四年五月卅一日)

       資産之部
                    円                        円
 未払込資本金    一、〇〇〇、〇〇〇・〇〇〇  営業用什器         一、三〇二・七五〇
 正金銀行当座預金    七三四、六三八・七八〇  第一銀行当座預金    九〇四、四〇八・二〇〇
 第百銀行当座預金    九〇四、三二〇・〇〇〇  三井銀行当座預金    九〇四、六八一・二五〇
 第三銀行通知預金    九〇〇、〇〇〇・〇〇〇  住友銀行当座預金    九〇〇、〇〇〇・〇〇〇
 未収入諸利息       一〇、七四四・八五〇  商品勘定        七五一、二二三・五一〇
 当期欠損金        一三、四二七・六八〇  手元有高        二九七、九八〇
  合計       七、〇二五、〇四五・〇〇〇
       負債之部
                    円                        円
 資本金       二、〇〇〇、〇〇〇・〇〇〇  政府助成金     五、〇〇〇、〇〇〇・〇〇〇
 仕払未済手数料      二四、〇〇〇・〇〇〇  仕払未済使用人手当     一、〇四五・〇〇〇
  合計       七、〇二五、〇四五・〇〇〇

      損益計算表(自大正四年三月廿日至同年五月卅一日)

       収入之部
                    円                        円
 収入諸利子        二八、五六一・六九〇  当期欠損金        一三、四二七・六八〇
  合計          四一、九八九・三七〇
      支出之部
                    円                        円
 諸税金           五、〇〇〇・〇〇〇  通信費              八八・五一〇
 集会費             三三九・七二〇  雑費              二六二・三四〇
 - 第52巻 p.384 -ページ画像 
 旅費及日当           七七一・七八〇  帳簿文房具印刷費        二三八・八一〇
 営繕費             二七九・八九〇  消耗費             一四二・六四〇
 借庫料             四〇〇・〇〇〇  給料               六〇・〇〇〇
 生糸買入委托手数料    二七、七七八・七〇〇  保険料             二一六・四二〇
 荷造諸費            八三〇・〇四〇  使用人手当         一、〇四五・〇〇〇
 商品評価損         四、五三五・五二〇
  合計          四一、九八九・三七〇
 総収入高         二八、五六一・六九〇
 総支出高         四一、九八九・三七〇
 収支差引当期欠損金    一三、四二七・六八〇

 次て六月十九日、会社は解散後に於ける持荷に関し、農商務省より左の覚書を交附されたり。
      覚書
 一、会社解散後に於ける持荷は、市場に影響を及ほさゝる程度に於て、内外市場にて順次売捌くこと
  但し買入価格より低値にては売捌かさるものとす
 二、持荷の保管上必要ありと認めたるときは、新糸との交換を為すこと
     以上


渋沢栄一書翰 渋沢義一宛 (大正五年)一月二三日(DK520039k-0004)
第52巻 p.384 ページ画像

渋沢栄一書翰 渋沢義一宛 (大正五年)一月二三日 (渋沢義一氏所蔵)
華翰拝読、益御清適奉賀候、然者蚕糸会社之持荷売却方ニ付、原氏之伝言を兼たる来示詳細ニ了承いたし候、実ニ人為上之救済事業ニ斯くまて好都合ニ終局いたし候ハ未曾有とも可申義と、原君ハ勿論役員御一同之御尽力賞賛之外無之候、右跡始末ニ付而ハ上山次官抔ニも何か腹案も有之候義と存候、老生ニ於ても精々注意其間ニ微力相添申度と存候、原君へ其辺御打合置可被下候
○中略
  一月廿三日
                       渋沢栄一
    渋沢義一様
         貴酬
   ○当会社持荷ノ処分ニ付テハ、市況ノ好転ヲ待ツテ大正五年一月ヨリ売却ヲ始メ、市場ニ何等ノ悪影響ヲ及ボスコトナク之ヲ完了セリ。尚、当会社ノ清算事務ハ、五月末日ヲ以テ全ク結了シ、六月十五日株主総会ヲ開催シテ之ヲ報告セリ。(河杉信勇編「大正三、四年蚕糸業救済の顛末」ニ拠ル)


大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第一一四―一一五頁 大正六年七月刊(DK520039k-0005)
第52巻 p.384-385 ページ画像

大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第一一四―一一五頁 大正六年七月刊
 ○第五 会社営業の経過及成績
    六、会社清算事務の結了
○上略
      損益計算表(自大正四年三月廿日至大正五年五月卅一日)
                  帝国蚕糸株式会社

      収入之部
                    円                   円
 商品売上金     一、八六八、六八二・三六 収入利息      五五、八五九・四七
 雑収入             五一一・一〇
 - 第52巻 p.385 -ページ画像 
  合計       一、九二五、〇五二・九三
      支出之部
                    円                   円
 広告及通信費        一、二一四・九三 車力及常傭費     七、九八四・九三
 保険料           八、一四五・九六 帳簿文房具印刷費     五三九・四四
 借庫料           五、四五六・八二 給料           五二八・〇〇
 荷造諸費          二、三二一・九三 使用人手当      九、一九五・〇〇
 旅費              七九六・四五 雑費         二、〇七八・三三
 消耗費             四八九・八一 諸税金        五、〇七〇・三〇
 営繕費             三四一・一三 荷掛料        六、一一八・〇〇
 集会費             四一六・九五 生糸買入委托手数料 二八、〇五一・九九
 生糸売込諸掛費      五三、二四六・八一 清算費用       三、五〇〇・〇〇
 営業什器価格          八〇三・七〇
  合計         一三六、三〇〇・四八
 純益金       一、七八八、七五二・四五
 株式配当金        九六、二〇〇・〇〇(年八朱)
 差引
 残金(政府上納金) 一、六九二、五五二・四五