デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
5款 其他 1. 京都織物株式会社
■綱文

第52巻 p.459-460(DK520046k) ページ画像

昭和6年11月15日(1931年)

是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社ヨリ弔詞ヲ贈ル。


■資料

竜門雑誌 第五一八号・第二〇―五一頁 昭和六年一一月 葬儀○渋沢栄一(DK520046k-0001)
第52巻 p.459-460 ページ画像

竜門雑誌 第五一八号・第二〇―五一頁 昭和六年一一月
    葬儀○渋沢栄一
十五日○一一月
○中略
 一、青山斎場着棺 午前九時四十分。
 一、葬儀開始 午前十時。
 一、葬儀終了 午前十一時三十分。
 一、告別式 午後一時開始三時終了。
○中略
また東京市民を代表した永田市長の弔詞、実業界を代表した郷誠之助男の弔詞朗読があり、他の数百に達する弔詞を霊前に供へ、十一時半予定の如く葬儀を終了した。
○中略
    弔詞
○中略
秋風蕭条天地幽寂、万象愁ヲ含ム、時維レ昭和六年十一月十五日、故正二位勲一等子爵渋沢栄一閣下ノ霊ヲ送ルニ会ス、嗚呼悲イ哉、閣下ハ本邦実業界ノ先覚、夙ニ吾カ京都ニ大規模ノ統制アル織物製造工場ヲ設クルノ切要ナルヲ認メ其創立ヲ企画セラレ、明治二十年会社ノ組織成ルヤ相談役トナリ、続テ委員長トナリ、更ニ取締役会長トナリ、取締役トナリ、会社ノ事業ヲ統督セラルルコト十又八年、其間時世ノ変遷ト経済界ノ波動トハ会社ノ経営上時ニ苦艱ニ瀕シ難関ニ逢着スルヲ免レサルモノアリシト雖モ、能ク之ヲ突破シテ以テ今日ノ隆運ヲ来スノ基礎ヲ築カレタルハ、全ク閣下ノ重望ト達識ノ致ス所、近時挙国経済緊縮、事業界ノ影響甚大ナルノ秋ニ際シ、本社ハ能ク之ニ耐ヘ基礎益々鞏固ニ、将来ノ発達期シテ俟ツベキモノアル、又閣下カ本社草創ノ際ニ於テ画策指導其宜シキヲ得タリシ賜ニ外ナラス、我等後輩今ニシテ閣下ノ偉大ナル業績ヲ回想シ遺徳ヲ追慕シテ、感銘ノ念愈々切ニ、謝恩ノ意益々大ナルヲ禁スル能ハサルナリ
閣下ハ本邦実業界ノ元勲国家ノ至宝タリ、方今国事多端、世間艱難、閣下ノ徳化ト指導ニ俟ツ所又益々大ナルヲ感ゼシムルモノアルノ秋、溘然トシテ訃音ヲ聞ク、悼惜恨心何ソ堪ヘン、神柩今将ニ英霊ヲ送ラントシテ涙更ニ新ニ温容ヲ偲ヒ功業ヲ思ツテ哀痛更ニ切ナルモノアリ
 - 第52巻 p.460 -ページ画像 
親シク霊前ニ跪拝シ誠ヲ致シ哀ヲ叙ヘ以テ恭シク弔辞ヲ呈ス
  昭和六年十一月十五日
               京都織物株式会社
                取締役会長 飯田新七



〔参考〕渋沢栄一書翰 舟阪八郎宛 (明治四三年)七月三〇日(DK520046k-0002)
第52巻 p.460 ページ画像

渋沢栄一書翰 舟阪八郎宛 (明治四三年)七月三〇日 (舟阪渡氏所蔵)
拝読 益御清適御坐可被成抃賀之至ニ候、過日ハ貴会社当季営業之実況御通知被下拝承仕候、引続き商況ハ不振ニ候も御尽力ニよりて相応之収益ニ相成候由、重畳之事ニ御坐候、下季とても気配ハ充分ニ引立候事無覚束義ニ付、随而御経営ニ別段之御注意を要し候事と別而御察申上候、何卒清国之方面ニ於て此上之発展企望之至ニ御坐候
右乍延引御答まて匆々如此御坐候 拝具
  七月三十日
                         渋沢栄一
    舟阪八郎様
        拝答
尚々田中君へも可然御伝声被下候様頼上候也
「京都市上京区吉田町京都織物会社」 舟阪八郎様 拝復 「東京日本橋区」 渋沢栄一
封 七月三十日



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一四年(DK520046k-0003)
第52巻 p.460 ページ画像

渋沢栄一日記 大正一四年         (渋沢子爵家所蔵)
二月二十日 晴 寒
午前八時起床○中略 京都織物会社舟阪八郎氏来リ、会社ノ近状ト同氏ノ身上ニ付種々ノ談話アリ○下略