デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
4節 製紙業
2款 中央製紙株式会社
■綱文

第52巻 p.487-489(DK520056k) ページ画像

明治43年4月13日(1910年)

是日、当会社中津工場ニ於テ、栄一ニ対スル感謝状贈呈式ヲ行フ。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一日記 明治四三年(DK520056k-0001)
第52巻 p.487 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
四月十三日 晴 軽寒
○上略 人車ニテ中央製紙工場ニ抵ル、中津川ニ添フテ山間行クコト一里程アリ、水力ヲ以テ木材ヲ粉磨シ、又ハ硫酸ニテ之ヲ煮テ以テ紙ヲ製スルナリ、工場ノ設備頗ル完全ニシテ壮大ナリ、紙漉器械三台アリテ一ハ新聞紙、一ハ普通和紙、一ハ寸燐包装紙《(燐寸)》ヲ製スト云フ、一覧畢リテ山上ニ抵リ、用水路ヲ一見ス、是ヨリ先、工場事務所ニテ会社ヨリ余ニ対スル感謝状贈呈式アリ、依テ一場ノ演説ヲ為シテ答詞トシ、夫ヨリ山上ノ園遊会ニ赴ク○下略
   ○栄一、四月九日東京発関西旅行中。是日中津町ニ在リ。


竜門雑誌 第二六三号・第八四頁 明治四三年四月 ○渋沢本社長の中津旅行(DK520056k-0002)
第52巻 p.487 ページ画像

竜門雑誌 第二六三号・第八四頁 明治四三年四月
○渋沢本社長の中津旅行 渋沢本社長○篤二には美濃国中津中央製紙会社々長の資格を以て、予て青淵先生に同会社営業状態及工場視察を希望せられたるが、恰も先生には名古屋に於て開催せられたる渡米実業団の第一回紀念会に出席の序を以て、之を一覧せらるゝ事を諾せられたれば、同社取締役大川平三郎・田中栄八郎の両君と共に、本月十一日新橋を発して同地に赴き、十二日先生の来着を待ち、其夜歓迎の宴を開き、十三日親ら会社工場等を案内し、十四日先生の山田に赴かるるに同乗して名古屋に至り、玆に先生と別れて同地共進会等を視察し十五日同地を発して十六日大磯に滞在せらるゝ令息等を訪問せられ、十七日同地に滞在、十八日朝無事帰京せられたり


竜門雑誌 第二六四号・第四七―四八頁 明治四三年五月 ○青淵先生関西紀行(続)(DK520056k-0003)
第52巻 p.487-489 ページ画像

竜門雑誌 第二六四号・第四七―四八頁 明治四三年五月
    ○青淵先生関西紀行(続)
 前号に掲載したる「青淵先生関西紀行」の中、名古屋までは随行員増田明六君の実記に係り、名古屋以後の分は予定の概要にて実際の紀行と違ふ所少からざるを以て、田中稔・西条峰三郎・松井万緑諸君の通信に基き、更に実際掲ぐることゝせり
△四月十二日 (火曜日)
午後一時発列車に乗り同五時中津着、近又旅館に宿泊せらる、此夜中央製紙会社の催しに係る中津有志者の招待会に臨み「産業殊に中津地方事業として経営すべき植林」の事に付き一場の演説を為し、町民に至大の感動を与へられたり。
△十三日 (水曜日)
此日勝野製糸工場視察後、中央製紙会社工場内の感謝状捧呈式場に臨
 - 第52巻 p.488 -ページ画像 
まれ、同社重役を始め株主及中津町有志者等参列の席上にて、同社専務取締役大川平三郎氏は別項記載の如き感謝状を朗読して之を青淵先生に捧呈したり、先生は之に対し謝辞かたがた同社経営上に関する意見を述べられて式を終り、夫より工場裏の山上(動力の根源たる用水路の終点)の園遊会に臨まれ、昼餐後午後二時同会社の軽便軌道にて中津町、妙見山の勝景を賞し、更に中津青年会の主催に係る歓迎会に臨みて約二時間余の講話を為し、帰宿後有志の委嘱に応じて数十葉の揮毫を為し、夜は中津有志者の歓迎会に臨まれたり、翌十四日午前九時中津発名古屋に向ふ、因に中央製紙株式会社の感謝状は左の如し。
      感謝状
 維時明治四十三年四月十三日、男爵渋沢栄一閣下親しく吾社工場臨視の栄を賜ふ、是れ実に閣下が吾人宿昔の希望を諒とせられ、貴重の時を割き多大の不便を顧みず深厚なる同情を与へられたるもの、吾人は如何なる辞を以て之が感銘を表すべきかを知らざるなり、唯吾人は是を以て閣下に対し満腔の熱誠を漑ぎて、崇敬と謝恩の意思を披瀝するの機会と為すを以て、無上の本懐、無上の光栄と為すことを閣下が諒知せられんことを乞ふものなり
 回顧せば今より十五年前本社設立計画は成りたりと雖も、爾後幾多の故障続出して事業意の如く進まず、空しく年月を経過するの不幸なる境遇に陥りたりき、閣下常に吾人に教ふるに牢乎たる不撓の観念を以てし、訓すに忠信篤敬の主義を以てし、是を以て克く相互不知不識の間に意志融合の根底を形成するに非れば、此間或る不幸なる破綻に終りたるやも知る可らず、思ふて玆に至るときは、吾人今日の成功を致せるの本源は、実に閣下の誘導教訓に発せることを疑はざるなり
 凡そ事物にして衆多の糾合に成るものは、其分子の帰向信頼の中心なるもの存在せざる可らず、否らざるものは忽に離散解体に終るの原理は何人も之を首肯せん
 吾人は閣下を崇敬信頼の中心として糾合の結団を維持し、由来幾多の困難に贏を得て今日あるを致せるものなり、其崇敬信頼の観念が衆心一致の上に於て如何に偉大なる効果を奏せんかは、思ふに閣下或は之を測知せられざるならん
 而も其効力の偉大にして事業成功の本源となりたるの事実は、吾人皆克く之を認め常に仰いで之を徳とせる処なり
 今や吾人は開業以来玆に六期を経過し、幸に事業に頓挫なく製造の技は進んで独墺を凌ぎ、製品の需用は益々増加して世間の競争を超脱するの趣あり、事業の前途は実に多望なり、此慶祝すべき事態発生の淵源は何ぞ、吾人は之を以て吾が崇敬せる閣下の薫陶誘掖にありと信ずるに躊躇せず
 吾人は今閣下に対して満腔の熱誠を以て平生の所感を吐露し、之が紀念の料として、木曾の勝景を刻せる花瓶一基を贈呈して、聊か献芹の微意を表するの機会を得たるを喜ぶ
 恵那山の麓、木曾川の涯、幾多の人衆は長に閣下の健康と幸福を祈りつゝあり、閣下幸に之を諒せよ
 - 第52巻 p.489 -ページ画像 
  明治四十三年四月十三日
            岐阜県恵那郡中津町
            中央製紙株式会社専務取締役
                   大川平三郎 謹白
    男爵 渋沢栄一閣下
○下略
   ○栄一謝辞筆記ヲ欠ク。
   ○中央製紙株式会社ハ大正十五年四月樺太工業株式会社ニ合併解散シタリ。