デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
5節 製糖業
2款 南日本製糖株式会社
■綱文

第52巻 p.526-531(DK520065k) ページ画像

明治45年2月28日(1912年)

是日、当会社ノ創立総会開カル。栄一之ニ与ル。尚、当会社ハ大正五年八月、帝国製糖株式会社ニ合併セラル。


■資料

中外商業新報 第九二一九号明治四四年一二月二八日 南日本製糖発起総会(DK520065k-0001)
第52巻 p.526 ページ画像

中外商業新報  第九二一九号明治四四年一二月二八日
    南日本製糖発起総会
渋沢男・江原素六・浅野総一郎・中沢彦吉氏其他七十有余名の発起賛成の、資本金五百万円の南日本製糖株式会社は廿六日発起人総会を開き、左の十五名を創立委員に選し、第一回払込其他創立手続一切を委任せり
 委員長竹内綱 委員根津嘉一郎・前川太兵衛・小野金六・白石元治郎・山本久顕・今津源右衛門・渋谷正吉・岡崎久次郎・村松甚蔵・新海栄太郎・秋山一裕・増田次郎・秋山善一・恒川新助
因に同社成立の上は、今期製造開始の赤糖工場能力百五十万噸を引受け、第一期末に於て五分、続て八百五十噸の分蜜工場を設け、第二期末以後一割五分の配当を行ふ由


中外商業新報 第九二二七号明治四五年一月八日 南日本製糖払込(DK520065k-0002)
第52巻 p.526 ページ画像

中外商業新報  第九二二七号明治四五年一月八日
    南日本製糖払込
竹内綱・根津嘉一郎・秋山一裕等の発起に係る南日本製糖は好望を以て目せられ、資本金五百万円即ち十万株に対し、申込株総数十三万六千七百二十株に達したるが故に、一般募集を為さゞるは勿論、発起人持株をも減少して、七日漸く其割当てを了りたれば、来る十日より同十五日迄の間に証拠金一株に付き金二円五十銭を払込ましめ、又本月下旬より来る二月五日迄の間に第一回金十二円五十銭を払込ましめ、三月下旬創立総会を開きて、直に事業に着手する予定なり


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK520065k-0003)
第52巻 p.526 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十二日 晴 寒
○上略 秋山一裕氏来リ、南日本製糖会社株式募集ノ事アリ○下略


中外商業新報 第九二八〇号明治四五年三月一日 南日糖の重役(DK520065k-0004)
第52巻 p.526 ページ画像

中外商業新報  第九二八〇号明治四五年三月一日
    南日糖の重役
南日本製糖会社は二十八日日本橋倶楽部に創立総会を開き、重役左の如く決定せり
 社長竹内綱、専務秋山一裕、常務増田次郎・秋山善一、取締役前川太兵衛・山本久顕・渋谷正吉、監査役大川平三郎・村松甚蔵・岡崎久次郎・白石元治郎・伊藤政重

 - 第52巻 p.527 -ページ画像 

南日本製糖株式会社定款 明治四四年一二月二五日作成 刊(DK520065k-0005)
第52巻 p.527-528 ページ画像

南日本製糖株式会社定款  明治四四年一二月二五日作成 刊
    第一章 総則
第一条 当会社ハ南日本製糖株式会社ト称シ、本店ヲ台湾新竹庁新竹街ニ置ク
  但必要ノ地ニ出張所ヲ設クルコトヲ得
第二条 当会社ハ砂糖ノ製造販売、甘蔗ノ栽培買入、酒精其他飲料ノ製造販売及ヒ土地ノ開墾ヲ業トシ、且会社専用ノ軽便鉄道ニ依ル旅客貨物ノ運輸業ヲ営ムヲ以テ目的トス
第三条 当会社ノ公告方法ハ台湾及ヒ東京ニ於テ発行スル新聞紙ニ依ルモノトス
    第二章 資本及ヒ株式
第四条 当会社ノ資本ハ金五百万円トス
第五条 当会社ノ株式総数ハ拾万株トシ、壱株ノ金額ヲ金五拾円トス
○中略
    第三章 役員
第十三条 取締役ハ九名以内、監査役ハ五名以内トス
第十四条 取締役ノ互選ヲ以テ取締役社長一名、専務取締役一名、常務取締役若干名ヲ置キ、業務ヲ主掌セシム
第十五条 取締役ハ弐百株以上、監査役ハ百株以上ヲ有スル株主中ヨリ之ヲ選任ス
 取締役ハ其名義ノ株券弐百株ヲ監査役ニ供託スヘシ
第十六条 取締役ノ任期ハ三年、監査役ノ任期ハ二年トス、但再選スルコトヲ得
第十七条 役員ノ任期カ其任期中ノ最終営業年度ニ関スル定時総会ノ終結前ニ満了シタルトキハ、其定時総会ノ終結ニ至ル迄任期ヲ伸長ス
第十八条 役員中欠員ヲ生ジタルトキハ、総会ヲ招集シ補欠員ヲ選任ス、但其補欠当選者ノ任期ハ前任者ノ残期間トス
 役員中欠員アルモ法定ノ員数ヲ欠カス、且現在ノ役員ニ於テ事務ニ差支ナシト認メタル場合ニ於テハ、補欠選挙ノ為メニ総会ヲ招集セサルコトアルヘシ
第十九条 取締役ハ其決議ヲ以テ相談役ヲ嘱託スルコトヲ得
○中略
    附則
第三十条 当会社ノ設立費用ハ金壱万五千円以内トス
第三十一条 当会社発起人ノ住所氏名ハ左ノ如シ
                        (いろは順)
   東京市日本橋区品川町十番地      今津源右衛門
   東京市浅草区馬道七丁目九番地     今井喜八
   東京市神田区岩本町十二番地      稲茂登三郎
   静岡県引佐郡麁玉村宮口        伊藤市平
   台北大稲埕辺街三十番地        伊藤政重
   東京市日本橋区小網町一丁目六番地   伊藤常次郎
   東京市浅草区黒船町十五番地      飯田新右衛門
 - 第52巻 p.528 -ページ画像 
   東京市小石川区指谷町百六十四番地   花島良策
   東京市本所区横網町二丁目七番地    西沢米二郎
   東京市小石川区江戸川町九番地     殿木市太郎
   東京市本所区向島小梅町百十六番地   大川平三郎
   東京市麹町区飯田町三丁目二番地    小野金六
   東京市日本橋区亀島町一丁目三番地   太田利兵衛
   東京市日本橋区佐内町八番地      岡崎久次郎
   東京市小石川区茗荷谷町八十番地    笠井愛次郎
   東京市神田区元久右衛町一丁目二番地  横田清兵衛
   東京市麻布区飯倉片町廿七番地     竹内綱
   東京市本郷区弥生町三番地       田中元三郎
   東京市本郷区根津宮永町卅六番地    田中栄八郎
   東京市深川区小松町一番地       恒川新助
   東京市赤坂区青山南町六丁目百十五番地 根津嘉一郎
   栃木県栃木町百八十八番地       中島重吉
   甲府市柳町三丁目二十番地       村松甚蔵
   東京市下谷区上野花園町八番地     野中万助
   東京市芝区西久保巴町三十四番地    蔵内次郎作
   東京市麻布区笄町九番地        山本久顕
   府下豊多摩郡渋谷村広尾八十八番地   山本忠秀
   東京市麹町区富士見町一丁目一番地   山岡国吉
   東京市日本橋区富沢町十九番地     前川太兵衛
   東京市深川区佐賀町二丁目卅七番地   前川忠七
   東京市芝区田村町二番地        増田次郎
   東京市日本橋区伊勢町十六番地     小西安兵衛
   東京市四谷区本村町三十八番地     小泉策太郎
   東京市日本橋区兜町三番地       小布施順次郎
   横浜市高島町五丁目          小宮善三
   東京市芝区兼房町二番地        後藤伊三郎
   愛知県額田郡岡崎町大字康生七十五番地 後藤文一郎
   東京市神田区裏猿楽町五番地      安藤徳之助
   東京市京橋区南新堀町二丁目四番地   阿部吾市
   東京市本郷区駒込東片町百五十四番地  秋山一裕
   台湾台南市辛百七番地         秋山善一
   東京市下谷区南稲荷町廿六番地     斎藤珪次
   府下豊多摩郡西大久保九十一番地    佐伯健吉
   東京市神田区関口町六番地       新海栄太郎
   東京市本郷区向ケ岡弥生町一番地    渋谷正吉
   東京市麻布区広尾町三十三番地     白石元治郎
   東京市日本橋区青物町二十番地     塩谷栄蔵
   東京市日本橋区伊勢町十番地      関根万次郎


中外商業新報 第九二八一号明治四五年三月二日 南日本製糖会社(DK520065k-0006)
第52巻 p.528-530 ページ画像

中外商業新報  第九二八一号明治四五年三月二日
    南日本製糖会社
 - 第52巻 p.529 -ページ画像 
△新竹の位置 将に生れんとする南日本製糖会社に就ては、曩に既に報道する所ありたるが、更らに之を詳述せんに、台湾を三分すれば、新竹は北部に位し、東洋・明治・塩水港・台湾諸製糖会社の在る嘉義台南・阿猴三庁下を南部と称し、林本源・新高・中央・帝国諸会社の在る台中・南投二庁下を中部と称し、南日本製糖会社の設立せらる可き新竹及び桃園・台北を北部と称す、而して糖業は南部を最も有利なりとし先づ玆に起り、其より中部に及び新竹以北は有望ならずとして製糖業家も余り注意を払はざりしが、台北平原に台北製糖会社起り、今又南日本製糖会社、新竹庁下に設置せられんとす。
△新竹糖業の現状 新竹庁は北部にては古来第一の産糖地にして約二百五万斤を生産せり、而して現在三箇の製糖所あり、(第一)新竹製糖株式会社にして資本金三十万円と称し、竹北一堡荳仔埔庄に第一工場を有し、能力六十噸にして四十一年期より着手し、第二工場を竹北二堡下北勢庄に置き四十三年期中より製糖し、能力は百三十噸なり、第三工場は竹北一堡客雅庄に置き能力六十噸にして四十五年期より着手せり、蓋し右工場は元独立の製糖場なりしも成績挙らず、株式会社の下に包容せられ、其の昨年期に於ける製糖高は第一工場二千三百十二俵、第二工場三千百八十六俵、計五千四百九十八俵なり、而して同社の採取区域は田一千七百七甲、園八百八十三甲、計二千五百九十甲なり、(第二)は三井製糖場にして、竹南一堡塩館前庄にあり、資本金二万円、能力六十噸にして、元呉松なる台湾人が明治四十二年六月許可を受けて設立せしものなるが、成績不良にして三井物産会社の手に帰せしも、三井物産は斯る小規模の改良糖〓を自から経営す可くもあらず、事実は依然台湾人の手にて経営せられ、四十三年期に二千百五十一俵、四十四年期に一千七百二十俵を製造し、其の品質は新竹製糖会社の製品よりも遥に優れり、其の採取区域は田一千七百七十甲、園七百九十甲、計二千五百六十甲なり、(第三)は後〓街にある苗栗製糖株式会社にして、四十二年八月許可を受け、能力三百五十噸、資本金五十万円、内払込十二万五千円とす、而かるに同社も亦前記諸製糖所と同じく成績良好ならず、僅に百五十噸の機械を据へ、元来は分蜜糖を製造する予定なりしも、四十四年期に始めて三千百六十二俵の赤糖を製造したり、其の採取区域は田二千三十三甲、園一千八百四十七甲、計三千八百八十甲なりとす、即ち二製糖会社・一製糖所の総採取区域九千三十甲、能力四百噸にして昨年期の製糖総額一万三百八十俵なり。
△不成績の原因 新竹糖業の概して成績の挙らざるは何故ぞ、若し、八割の能力を発揮して百日間作業し、原料の製糖歩留りを八分とすれば、製糖額九万二千六十俵を得ざる可らず、蓋し成績斯の如く不良なる原因は製糖機械の完全ならざるにも帰すれども、尚一の原因は、甘蔗の供給足らず而かも品質不良なりしが為めなり、而して甘蔗の供給足らざりし所以は、同地方は従来余り奨励を加へざりしが為め、甘蔗を栽培する者少なかりしに依れり、而して品質の不良なりしは、甘蔗多くは在来種にして改良種の普及せざりしが為めなり、故に若し新式製糖会社起りて甘蔗耕作を奨励せば、以て其作付を増加す可く、以て
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其の品種を改良し得可し。
△新竹甘蔗の歩留り 甘蔗の耕作は奨励の方法を設けて之を増加するを得べし、其品種をも以て之を改良し得べしとするも、其歩留りは如何、従来台北製糖会社の中南部の会社に比較して歓迎せられざりしは製糖時期に於て北部は恰も雨期に際し、製糖歩留り少なかる可しと想像せられたりしが為めなり、然るに今期開業の台北製糖会社に就て見れば、歩留は世に想像せられし程尠なからず、蓋し歩留は必ずしも乾湿の如何によりて決するものにあらず、又地味及耕作法・施肥等に依りて左右さるゝものにして、降雨多かりし為め歩留り少なかる可しと想像せられたる台北製糖会社の歩留りの意外に尠なからざる所以を解し得可し、左れば新竹が北部に位するを以て必ずしも歩留り少なかる可しと断定する能はず、殊に新竹庁下は台北方面の如く雨期と雖も降雨の量多大ならざるに於てをや、唯新竹海岸地方は海風恒に強ければ風害を被むること多かる可きを以て、海岸地方風力強烈なる所を避け而して風に堪ゆる甘蔗を栽培するを要す。
而して甘蔗の栽培幾分増加し、品種幾分改良せられたる今年期に於ては、新竹庁下の三製糖場とも、昨年に比し何れも良好なる成績を奏しつゝあり。
△工場分設を要す 唯一の遺憾は新竹庁下現在の三製糖場は各孤立の地にありて相互の間に何等の聯絡も通ずる能はず、官設鉄道は此の間に隧道を開鑿して交通を開きたるも、斯の如きは一製糖会社の力の能くする所に非ず、即ち現今の三製糖所の採取区域の中心に例へば一千噸の大工場を設置するなどは殆んど不可能事に属す、必らず今日の如く三ケ所に工場を設けざる可からず、三ケ所に分割すれば各工場の原料採取地は狭隘にして勿論大製糖工場を起す能はざるなり、新竹製糖会社の方面に於ては或は五百噸の工場を設け得べきも、同地方は既記の如く原料の栽培充分ならず、故に先づ三百噸を以て最大となす可く他日甘庶栽培の奨励其の目的を達したる暁には、之を拡張して五百噸と為すも難からず、又苗栗製糖会社の所在地は、採取区域広からざれば先づ今日の百五十噸以上の工場を設け難く、而して三井製糖の地域も大工場を置くに適せざれば、新竹三百噸の工場を置き三井製糖場及び苗栗製糖会社の工場は現状を維持するの外なからん、尤も三井製糖は多少能力を増加し得べきも、之は寧ろ現在の赤糖工場と為し置くを可とす。
△総能力 左れば南日本製糖株式会社新に設置せらるゝも、今日の三製糖場分設の方針を取り、先づ新竹に三百噸の新式分蜜糖工場を新設するに止め、他は現在の儘に存置する事となる可く、然らば三ケ所に於ける能力を総計すれば五百噸内外の製糖能力となり、台北製糖会社と略同一の製糖額を得るに至らん。


中外商業新報 第九三八八号明治四五年六月一八日 南日糖大株主会(DK520065k-0007)
第52巻 p.530-531 ページ画像

中外商業新報  第九三八八号明治四五年六月一八日
    南日糖大株主会
南日本製糖は十八日午後二時より日本橋倶楽部に二百株以上の大株主会を開き、曾て同社の内訌より兎角の噂伝へられ株主中には今尚ほ疑
 - 第52巻 p.531 -ページ画像 
惑を抱くものあるに付、右の説明をも為す筈なりと


日本糖業発達史 河野信治著 生産篇・附録第六―七頁昭和五年五月刊(DK520065k-0008)
第52巻 p.531 ページ画像

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