公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第52巻 p.532(DK520066k) ページ画像
大正4年7月7日(1915年)
是日栄一、当会社重役数名ノ来訪ニ接ス。
(八十島親徳)日録 明治四四年(DK520066k-0001)
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(八十島親徳)日録 明治四四年 (八十島親義氏所蔵)
三月二十九日 晴
○上略 午後一時工業学校窯業科室ニ至リ平野耕輔教授ニ面会シ、品川白煉瓦会社ヨリ渋沢家ニ進呈スル為メ、同校ヘ依頼シタルマジヨリカ焼室内具二十四点出来ニ付一覧ス、額皿・花瓶・菓子器・莨盆・痰壷等何レモ趣向ヲ凝ラシ相当ノ出来バエ也○下略
渋沢栄一 日記 大正四年(DK520066k-0002)
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渋沢栄一 日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
七月七日 晴
○上略 十一時半品川白煉化会社《(瓦)》ノ事ニ付、其重役諸氏来会ス○下略
(増田明六)日誌 昭和三年(DK520066k-0003)
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(増田明六)日誌 昭和三年 (増田正純氏所蔵)
五月三日 木 晴 出勤
○上略
午後西村直氏来訪にて、品川白煉瓦会社の社長を辞し平取締役となつた趣の挨拶があつて、此旨子爵に伝へられたしとの《(衍)》懇談された
○下略
○中略。
八月三日 金 雨 出勤
○上略
本日の来訪者
1、前原厳太郎氏 同氏は永年稷山金鉱会社に於ける渋沢側代表者として取締役に在職して居たのであるが、同会社の砂金礦区が尽きたので会社は解散する事となり、同氏も退職する事となるので、幸ニ品川白煉瓦会社ニ監査役に空席があるので、其処に推薦しては如何と子爵・社長・明石氏等に内談したるに、孰れも同意せられた、今日同氏に出頭を請ふて種々談話したが、目下他の事業に従事する当無き事、自己にて営まんとする事業無き事、両三年間は生活に差支無き蓄財を有する事なと打とけて種々の話あり、結局渋沢家より御推薦あらは何事業にも従事すべしとの事なりしかは、白煉瓦会社に推薦する見込を話したるニ喜んで承諾した
○下略