デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
6節 窯業
3款 浅野セメント株式会社
■綱文

第52巻 p.538-539(DK520069k) ページ画像

昭和5年11月13日(1930年)

是月九日、当会社社長浅野総一郎歿ス。是日栄一、葬儀ニ参列ス。


■資料

竜門雑誌 第五〇六号・第五五頁昭和五年一一月 浅野総一郎翁逝く(DK520069k-0001)
第52巻 p.538 ページ画像

竜門雑誌  第五〇六号・第五五頁昭和五年一一月
    浅野総一郎翁逝く
○上略 遂に九日早朝病革り危篤に陥り、午後零時五十二分、眠るが如く逝去された。○中略訃報が伝へられると、青淵先生・同夫人・安田善次郎・阪谷男爵・大川平三郎氏等の名士が、折柄降しきる秋雨のしめやかなうちに続々と見舞つた。
 而して葬儀は十三日午前十時半から、芝区田町の本邸にて盛大に、しかも静粛に執行されたが○中略青淵先生○中略など政界財界の有力者多数参列焼香を行つたが、後葬儀委員長阪谷芳郎男の挨拶があり○下略
  ○本誌巻頭ニハ栄一ノ「浅野総一郎氏を追悼す」ト題スル追悼文掲載アリ、本資料第五十七巻「身辺」中「交遊」ノ条参照。


中外商業新報 第一六〇八〇号昭和五年一一月一一日 浅野関係事業 今後の陣容 渋沢子は最高顧問を承諾(DK520069k-0002)
第52巻 p.538 ページ画像

中外商業新報  第一六〇八〇号昭和五年一一月一一日
    浅野関係事業
      今後の陣容
        渋沢子は最高
        顧問を承諾
浅野総一郎逝去による浅野系諸会社の後任社長選任の件については、いまだ何等確定的方針も考へられてゐない模様であるが、現在浅野家中心事業たる浅野セメント及び浅野同族のみは、葬儀終了後直ちに重役会を開いて後任社長選任の件を協議する予定であるといはれてゐるしかして右セメント及び同族その他東京湾埋立・浅野物産・浅野小倉製鋼等各直系会社は、いづれも翁の長子泰治郎氏がその後任社長として就任することはほとんど既定の事実と見られてゐるが、更に一般的浅野系諸会社の根本的整理問題、その他今後発展更生策等については生前より翁と浅からざる親交関係ある渋沢子・阪谷男等主として翁の意志をつぎこれに当るはずであると、ちなみに渋沢子は浅野一家の関係事業に対する最高顧問たることを承諾したさうである


中外商業新報 第一六〇八四号昭和五年一一月一五日 浅野セメント 新社長決定 臨時総会は来月早々(DK520069k-0003)
第52巻 p.538-539 ページ画像

中外商業新報  第一六〇八四号昭和五年一一月一五日
    浅野セメント
      新社長決定
        臨時総会は来月早々
 - 第52巻 p.539 -ページ画像 
浅野セメント会社では十四日丸の内海上ビル内本社に常務重役会を開き、社長死去に伴ふ後任社長選任の件、その他今後の社業統制の件等について協議したが、結局後任社長としては予定通り現副社長浅野泰治郎氏を推し、別に副社長はこれを置かず、専務として依然、浅野良三・金子喜代太両氏が社長を輔佐し、しかして会社の重大問題については、今春前社長浅野翁の外遊以来陰に陽に常に会社全体の統制について力を与へて来た渋沢子・阪谷男・大川平三郎・竹内悌二郎の四氏による最高諮問機関の議決に待つことにそれぞれ決定した、なほ同社では来月早々臨時総会を開き、新社長に浅野泰治郎氏選任の件を附議してその承認を求める筈であると