デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
6節 窯業
4款 秩父セメント株式会社
■綱文

第52巻 p.540-541(DK520070k) ページ画像

大正11年8月3日(1922年)

是ヨリ先、諸井恒平、埼玉県秩父ニセメント事業ヲ起サント計画ス。栄一、之ニ賛シ、是日、諸井恒平ノ案内ニヨリ、和田豊治・小倉常吉等ト共ニ秩父ニ到リ、実地調査ヲ行フ。


■資料

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年八月(DK520070k-0001)
第52巻 p.540-541 ページ画像

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編  昭和二年八月
                     (渋沢子爵家所蔵)
 ○秩父セメント株式会社
          秩父セメント社長 諸井恒平氏談
埼玉県は東京に隣接してゐる割合に、概して産業が振つてゐません。私は県内に於て秩父鉄道と秩父セメントの二つの事業に携つてゐるのですが、私がこの二事業に関係してゐるのは、勿論その主眼とするところが利益を挙げるといふことにもあるのですが、それが唯一の目的ではありません。特に鉄道事業に於て然りであります。この鉄道に依て微力ながらも県内産業の開発に資することが出来たら、私の最も喜びとするところであります。
秩父セメント株式会社の創立にしましても、以上の趣旨に動機してゐることに変りはありません。
埼玉県の物産として重なものには石灰石があります、鉄鉱がありますそれに未だ斧鉞に見舞はれない鬱蒼とした森林もあります。私はこれらの中石灰石を利用したのであります。この石灰石は従来とても利用されなかつたのではありません。即ち浅野セメント会社に於て原料として用ひてゐたのです。しかし私は考へました。この石灰石を県内で消化したい、これに依て我埼玉に産業を起し得るなら幸であると私は大正八年・九年の時分からこの事を実行したいと願つてゐたのですが事情あつて荏苒日を遷して、愈々着手したのは十一年の八月三日でありました。この日私は青淵先生・故和田豊治さん・小倉常吉さんを秩父に案内して、セメント企業について実地調査を行つたわけであります。その調査の結果石灰石の産出場所の模様や、運輸の便など四囲の境遇が工場設置に適してゐることを見極め得た次第であります。恰もよし、青淵先生は高齢八十三歳、此の日は八月の三日。八は八也。三は三也。これは誠に不思議な幸因縁と云はねばなりません。果して、秩父セメント株式会社は順調に肥立つて、大正十二年一月卅日の創立総会の日から着々予定の工事を進め、中途十二年の震災に遭ひましたが幸にして無難に経過し、十四年五月に建設の仕事を了へました。以上の関係から八月三日は秩父セメント会社の幸先を卜すべきの日であります。玆に於て会社は営業開始の日にも特にこの吉日を選んで、大正十四年八月三日に社業の蓋を開いたのであります。爾来業態漸く揚
 - 第52巻 p.541 -ページ画像 
り、創業の日も浅い会社としては異数の好成績であることを確信してゐる次第であります。
○下略


諸井恒平談話筆記(DK520070k-0002)
第52巻 p.541 ページ画像

諸井恒平談話筆記             (財団法人竜門社所蔵)
                昭和一三年八月三日、於諸井恒平氏宅当編纂所員高橋善十郎聴取
    秩父セメントと青淵先生
 青淵先生は私共の寄合の時など常々次のやうに仰有つてをりました埼玉県は東京の近県であり乍ら商工業的に発展してゐない。また自分は諸方面の実業に尽してゐるのに、郷土である埼玉県は商工業的に発展してゐないのは甚だ遺憾である。是非発展させるやうにしたい――かう仰有つてゐました。私共も青淵先生のお言葉を聴いてさう思つてゐたが、思ふだけで何も出来なかつた。秩父鉄道に私などが関係したのは、さうした趣意に因つたものである。
 そんな次第であつたが、秩父はセメントの原料に富んでゐるし、事業を計るのにも埼玉県は良いといふので、秩父セメント会社を興すことを計画した。本多静六先生も大いにやらうと賛成された。
 そこでいよいよ秩父セメント会社を起すことになつたが、当然青淵先生に御相談しなければならない。御相談してみると、青淵先生はこの事業に大いに共鳴なされて、他との関係もあつて徹底しないかもしれぬが、埼玉県を商工業的に発展させたいと思つてゐるのであるから大いに援助しようと仰有つて下された。その後私共も会社設立の準備を整へ、いよいよ実地視察といふ段取りまでになり、そのことを青淵先生にお話した。
 大正十一年八月三日、暑い日でした。青淵先生を始め和田豊治氏・小倉常吉氏・私共其他財界の有力者が数人加つて、この人達を秩父に案内してセメント企業について実地調査を行つたわけです。秩父にセメント事業を起さうと云ふことはその時決定したのである。
 その企業準備に数ケ月を要して、十二年一月三十日秩父セメント株式会社が設立されたのである。
 青淵先生はこのやうに会社創立に援助され、株式については同族会社々長渋沢敬三氏の名義で引受られ、代表者の意味で増田明六氏が取締役として役員に加つたのである。