デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
7節 造船・船渠業
1款 株式会社東京石川島造船所 付 株式会社石川島飛行機製作所
■綱文

第52巻 p.565-567(DK520075k) ページ画像

明治45年3月16日(1912年)

是日栄一、当会社社長梅浦精一ノ危篤ヲ知リ、大磯ニ赴キ、病床ヲ訪フ。翌十七日、梅浦歿ス。栄一、臨終ニ当リ、遺言ヲ受ク。次イデ二十二日ソノ葬儀ニ参列ス。

栄一、当会社社長後任ニ付キ重役一同ヨリ委托ヲ受ケ、渡辺嘉一ヲ推ス。五月二十二日渡辺就任ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK520075k-0001)
第52巻 p.565-566 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
三月十六日 曇 寒
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略大倉喜三郎氏来リ、梅浦精一氏ノ大患ヲ告ク、今夕大磯ニ在ル同氏ノ別荘ニ抵リ、其病ヲ見舞フ事ヲ約ス○中略五時半、兼子ト共ニ大磯ニ抵リ、梅浦氏ノ病ヲ訪フ病牀ニ抵リテ暫時談話シテ、後、家人ト協議シ、夜十一時長生館ニ抵リテ一泊ス、此日閑院宮ヨリ晩餐会ノ御召アリタルニ付、病ヲ以テ之ヲ辞ス
三月十七日 雨 寒
午前四時三十分頃、大倉喜三郎氏来リ、梅浦氏ノ病ニ急変アルヲ告ク依テ速ニ支度ヲ為シ、車ヲ命シテ梅浦氏別荘ニ抵リ、病牀ニ於テ種々ノ遺言ヲ受ク、其臨終ヲ見テ、後、園田実徳氏ト共ニ遺族ニ訓示シテ梅浦氏ヲ辞シ、午前十一時四十五分発ノ汽車ニテ大磯ヲ去リ、午後二時、東京ニ着ス○下略
三月十八日 晴 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、後、安達憲忠氏来リ、東本願寺ヘ梅浦葬儀ノ事ヲ問合セ遣ス○下略
三月十九日 晴 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後、清水釘吉氏ノ来訪ニ接シ、石川島造船所社長人撰ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
三月二十二日 晴 寒
○上略 午後二時浅草本願寺ノ別院ニ抵リ、梅浦精一氏ノ葬儀ニ参会ス、三時葬式ヲ行ヒ、夫ヨリ谷中墓地ニ抵リテ埋葬ス、家族及石黒・大倉・園田氏会同ス、午後五時過、埋葬畢リテ王子ニ帰宿ス○中略
此日○中略午前十時ヨリ石川島造船所ノ重役一同来会シテ、梅浦氏死後社長ノ人撰ニ付、余ニ委托スル所トナレリ
  ○中略。
三月二十四日 曇 軽寒
 - 第52巻 p.566 -ページ画像 
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略佐藤秀顕氏来リ、石川島造船所ノ事ヲ社長候補ノ意見ヲ談ス○下略
三月二十五日 曇 寒
○上略 午後五時、梅浦氏宅ニ抵リ、石黒・大倉・園田三氏ト共ニ故精一氏ノ遺言ニ関スル家政ヲ熟議ス、夜飧後モ種々談話ヲ継続シ、夜十二時過キ帰宿ス
  ○中略。
三月三十一日 晴 軽寒
午前八時起床、病未タ平愈ニ至ラス、半身浴ヲナシテ小量ノ朝飧ヲ食ス○中略石井健吾氏来訪、石川島造船所社長人撰ノ事ヲ談ス、午後内田徳郎氏来リテ同様ノ事ニ付談話ス○下略
四月一日 晴 寒
○上略
午後渡辺嘉一氏来リ、石川島造船所ノ事ヲ談ス
  ○中略。
五月十三日 晴 暖
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略横山徳次郎氏来話ス、石川島造船所ノ役員改撰ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
五月二十二日 雨 軽寒
○上略 午後二時事務所ニ於テ石川島造船所重役会ヲ開キ、渡辺嘉一氏ヲ一同ニ紹介ス、後、社長ノ互選ヲ行ヒ、渡辺氏当撰ス、依テ将来ノ経営ニ関シテ重役一同ヘ注意ス○下略
  ○中略。
五月二十七日 晴 暖
○上略 午前九時半、赤坂ニ松本中将ヲ訪問ス、海軍ノ鉄工又ハ造船ニ関シテ石川島造船所ニ関スル依頼ヲ為シ、渡辺嘉一氏ノ事ヲ紹介ス○下略


竜門雑誌 第二八六号・第六八頁明治四五年三月 ○梅浦精一君逝去(DK520075k-0002)
第52巻 p.566-567 ページ画像

竜門雑誌  第二八六号・第六八頁明治四五年三月
○梅浦精一君逝去 本社特別会員梅浦精一君は宿痾の為め大磯の別荘に於て静養中なりしが、三月十六日に至り、病勢俄に革まり、翌日午前七時遂に溘然として逝去せられたり、君は新潟県平民医士梅浦修輔氏の長男にて嘉永五年六月を以て生れ、成長の後、笈を負ひて東京に来り、一時職を官途に奉ぜしが、明治十一年東京商業会議所の設立せらるゝや、農商務省勧業局長河瀬秀治氏の推選にて東京商業会議所書記長となり、真摯勤勉善く事務を処理せしを以て、深く青淵先生の信任する所となり、爾来実業界に身を投じて三十五年一日の如く刻苦勤勉以て事業を経営せられたるは既に世人の認識する所なり、現に東京石川島造船所・名古屋瓦斯会社・北越石油会社・後藤毛織物会社・広島水力電気会社・上越水力電気会社・函館水力電気会社・神戸海上火災保険会社等の取締役或は監査役を兼ね、一面韓国殖産商会主として事業界に貢献せられたる功労尠しとせず、病痾膏肓に入り、薬石効を奏せず、遂に幽冥界の人となる、享年六十一歳、洵に悼ましき限りにこそ、因に三月二十二日東京に於て葬儀を執行せられたり。
 - 第52巻 p.567 -ページ画像 
  ○「石川島重工株式会社一〇八年史」(昭和三六年一月刊)「歴代役員」ニ依レバ、梅浦精一及ビ渡辺嘉一ノ当会社ニ於ケル閲歴ハ左ノ如シ。
    梅浦精一 明治二二年一月一七日   会社設立ノ際、委員
         〃 二六年一月二一日   常務委員
         〃 二六年一一月一八日  常務取締役
         〃 二九年一月二五日   専務取締役
         〃 三五年五月四日    辞任
         〃 四二年三月五日    専務取締役
         〃 四二年七月二八日   専務取締役社長
         〃 四五年三月一七日   死亡
    渡辺嘉一 明治四五年五月一三日   取締役ニ就任
         〃 四五年五月二二日   専務取締役社長
         大正一四年一月二〇日   辞任