デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
8節 鉄鋼
7款 日本鋼管株式会社対株式会社浅野製鉄所紛議裁定
■綱文

第53巻 p.93-99(DK530017k) ページ画像

大正8年12月28日(1919年)

是ヨリ先、日本鋼管株式会社ト株式会社浅野製鉄所トノ間ニ締結セラレタル鋼塊売買契約ノ履行ニ関シ紛議ヲ生ズ。栄一、両者ノ請ニ依リ、是日之ヲ裁定ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK530017k-0001)
第53巻 p.93 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
六月二十七日 晴 暑
午前六時半起床入浴ト朝飧トヲ畢リ、浅野総一郎氏ノ来訪ニ接ス、鋼管会社トノ紛議ニ関スル書類ヲ交付セラル○下略
   ○中略。
七月二日 雨 軽暖
午前六時起床入浴朝飧ヲ畢リ○中略 浅野総一郎氏来リ、鋼管会社トノ紛議ニ付種々事情ヲ縷陳ス○下略
七月三日 曇 暑
○上略 午前九時半事務所ニ抵リ、大川平三郎氏ノ来訪ニ接シ、鋼管会社浅野氏間取引上ノ紛議仲裁ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
八月十四日 雨 冷気
○上略 大川平三郎・白石元次郎二氏来《(白石元治郎)》リテ、鋼管会社関係ノ事ヲ告ケ、且ツ本月中ニ仲裁判断アラン事ヲ乞ハル○下略
   ○中略。
八月十七日 曇 冷
午前六時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス後○中略 大橋新太郎氏来リテ日本鋼管会社・浅野製鉄所ノ紛議仲裁ノ事ニ付懇切ノ依頼アリ○下略
   ○栄一日記、是年八月二十一日ヨリ十二月三十一日迄ノ記事ヲ欠ク。


日本鋼管株式会社所蔵文書(DK530017k-0002)
第53巻 p.93-98 ページ画像

日本鋼管株式会社所蔵文書
(写)
(表紙)
  浅野製鉄鋼塊事件
   渋沢男爵裁定書

    裁定書
日本鋼管株式会社(甲ト称ス)ト株式会社浅野製鉄所(乙ト称ス)トノ間ニ締結セル鋼塊売買契約ニ関スル係争問題ノ仲裁ヲ老生ニ一任セラレシニ付、老生ハ先ツ両会社ノ実状ヲ考察セサルヘカラサルノ位地ニ立テリ
蓋シ両会社ハ共ニ輓近ノ創設ニシテ、欧洲大戦ノ影響ヨリ時勢ノ要求
 - 第53巻 p.94 -ページ画像 
ニ応シテ俄然其規模ヲ拡張シタルモノナレハ、其工場又ハ機械等ノ設備ニ於テ、均シク完成ヲ欠クモノアルハ数ノ免ルヘカラサル所ナリ、是ヲ以テ甲乙両者間ニ成立セル第一・第二ノ鋼塊売買約束モ、其契約書及ヒ其他ノ書類ニ拠リテ之ヲ見ルニ、完全ノ注意ナクシテ急遽大事ヲ議了シ、各其対手ノ厚意ニノミ依頼シテ約定書ノ条項ヲ協定シタル跡アリ、想フニ当時ノ状勢タル、甲乙両代表者ノ意志ニ於テ真ニ千歳一遇ノ機会ナリト認識シタルモノナレバ、他日ノ物議ヲ顧慮スルノ暇ナク速断セシモノト推定スルヲ得ヘキナリ、況ヤ両者ノ間柄ハ近親ノ関係アルニ於テヲヤ、然ルニ其契約履行ノ中途ニ於テ時局ニ大変動ヲ生シタレハ、玆ニ両者間ニ紛争ヲ惹起スルハ、固ヨリ原因ニ伴フ当然ノ結果ト云フヘキノミ
凡ソ新事業ノ経営ハ、先ツ其初ヲ慎ミ、周到ナル用意ヲ以テ能ク其事ヲ処理シ、古賢ノ所謂正其誼不計其利明其道不謀其功ノ心ヲ以テ之ニ当ラサルヘカラス、而シテ黽勉努力スルモ猶且ツ違却ヲ生スルハ創業ノ常ナリトス、今此甲乙両者間ニ生シタル紛争ヲ観察スルニ、相共ニ反省忠恕ノ念ナク、自己ノ不注意ヲ除外シテ、只管対手ノ満足ヲ責ムルノ嫌ナキ能ハス、斯ノ如キハ苟モ文明的事業家トシテ、道徳経済ノ一致ヲ期スルモノノ執ルヘキモノナラサルハ、老生ノ多弁ヲ俟タサルナリ
玆ニ甲乙両者ノ提供セル書類ニ拠リ、且ツ其主張ノ申告ヲ聴クニ
甲ノ要求ハ、現ニ乙ニ送付シタル鋼塊ノ代金四百八拾六万九千五百弐拾九円拾九銭ニ対シ、既ニ受領セシ金四百〇九万八千百参拾参円拾五銭ヲ差引キ、残金七拾七万壱千参百九拾五円八拾四銭ノ仕払ヲ受ケ、且ツ残余ノ鋼塊概算六千噸ヲ契約ノ条項ニ準シテ漸次乙ニ引渡サントスルニ在リ
甲ハ尚ホ此契約ニヨリテ新タニ平炉壱基ヲ建造シ、鋳型及ヒ材料ノ高価買入ニ付、多大ノ資金ヲ投シタルヲ以テ、若シ乙カ既定ノ契約ヲ履行セサルニ於テハ、為メニ蒙ルヘキ損害モ亦尠少ニアラサルコトヲ附言セリ
之ニ反シテ乙ノ主張スル所ハ、甲ノ製出スル鋼塊ハ品質劣悪ニシテ契約条項ノ規定ニ副ハサルモノナレハ、現存セル全部ヲ甲ニ返却シテ、曩ニ支払ヒタル金額ヲ取リ戻シ、而シテ契約残部ノ鋼塊ハ約定面ノ納入期ヲ経過シタルヲ以テ引取ルノ義務ナキモノトス、然レトモ甲ニ於テ契約ヲ更改シテ、適当ノ取引トスルヲ承諾スルニ於テハ、敢テ買取ヲ拒ムニアラスト云フニ在リ
乙ハ尚ホ附言シテ、鋼塊ノ必要ナリシハ大正七年四月ヨリ九月ノ交ニアリシモ、其際如何ニ督促スルモ、甲ハ契約数量ヲ送附セスシテ、十月以降ニ至リ俄ニ多量ノ送付アリシモ、最早時機既ニ後レタルノミナラス、其品質劣悪ニシテ所要ノ鋼鈑ヲ製造スル能ハス、為メニ得ヘカリシ利益ヲ失ヒタルモノ巨額ナレハ、甲ハ当然之ヲ賠償スヘキ義務アリト
甲乙両者ノ主張斯ノ如ク齟齬背反スルヲ以テ、老生ハ之カ仲裁ノ立案ヲ極メテ至難ノ事ト思惟シ、去ル八月二日ヲ以テ甲乙両者及ヒ其関係者ヲ兜町事務所ニ会同シ、種々協議ヲ尽シタル後、製鉄事業ニ経験多
 - 第53巻 p.95 -ページ画像 
キ中村○雄次郎男爵ト、法律ニ通暁セル高根○義人博土ニ請ウテ、老生ノ仲裁立案ニ援助セラレンコトヲ依頼シ、其承諾ヲ得テ、共ニ再三ノ会議ヲ開キ、更ニ本事件ノ真相ヲ知悉シテ毫モ利害ニ関係ナキ二・三ノ第三者ニ就テ其意見ヲ諮ヒ、審案熟議ノ末考定シタル条項ハ左ニ記載スル所ノ如シ
乙ハ甲ノ製出スル鋼塊ヲ劣悪其用ニ堪ヘスト云フモ、凡ソ鋼塊ヨリ鋼鈑ヲ作ルニハ、歩減リ及屑物ニテ減量ヲ生ジ、尚外面検査ノ際ニモ多少ノ減量アルモノナレハ、製成鋼鈑ノロイド合格量ハ鋼塊ノ量ヨリ大ニ減少スヘキハ自明ノ理ニシテ、而シテ鋼塊ヨリロイド規格ノ鋼鈑ヲ得ル割合ハ、熟練セル鋼塊及ヒ鋼鈑兼営ノ製造者ニ於テハ、少クモ鋼塊ノ六拾パーセントナリトス、左レハ鋼塊ノ売買契約ヲ為スニ当リ、単ニロイド規格ニ相当スルモノタルヘキコトヲ明言スル場合ニテモ、六拾パーセントノ合格分量ヲ得レハ約旨ニ適合セリトスルヲ至当ナリトス、然ルニ本契約中ニ「成ルヘクロイド規格ニ相当スルモノ」トアリテ、此「成ルヘク」ナル文字ハ頗ル曖昧ノ形容詞ニシテ、甲乙両者其見解ヲ異ニスルモ、前記ロイド合格分量ヨリ幾分逓減スルモノト解セサルヲ得ス、而シテ其程度ヲ定ムルハ至難ノコトナリト云ヘトモ、仲裁者ハ普通ロイド合格品六拾パーセントトアルヘキニ対シ、此ノ附加文字ノ為メ拾パーセント割引シテ、五拾パーセントノ合格品アルヲ以テ、約旨ニ適合スルモノト認ム
翻テ甲ノ送附シタル鋼塊ノ合格率ヲ見ルニ、乙ハ四千七百五噸ニ付合格品九百参拾噸ヲ得タルニ過キザルヲ以テ、僅ニ壱割九分余ナリト云ヒ、且ツ其鋼塊ハ外見検査合格率ノ少キヲ主張シ、之ニ対シ甲ハ乙ノ工場ニテ五拾九回ニ圧延シタル弐千八拾噸ノ成績ハ弐割五分八厘ナリト言ヒテ、其所言一致セサルモ、仲裁者ハ之ヲ弐割参分ト見ルヲ適当トシ、而シテ圧延未済ノ鋼塊モ亦同一ノ成績ヲ得ヘキモノト認ム、本案契約ノ帰着点ヲ五拾パーセントノ鋼鈑ヲ出スヘキ鋼塊ヲ供給スルニ在リトシ、実際ノ成績ハ弐割参分ナリトスレハ、其差弐割七分ハ不合格ナリト云ハサルヘカラス、而モ此ノ不合格全部カ鋼塊ノ不良ニ原因スルヤト云フニ、鋼塊ハ之ニ技工ヲ加ヘテ鋼鈑トスルモノニシテ、其加工ノ巧拙ニ依リ、製品ノ良否ニ影響スルコト勿論ナレハ、製品ノ不成績ヲ独リ鋼塊ノミニ帰スルヲ得ス、鋼管会社ハ鋼鈑用鋼塊ヲ作ルニ経験少キ工場ニシテ、其操工ニテ注意ヲ欠キタルモノ多シトスルモ、浅野製鉄所モ亦其当時ニ於テハ製鈑作業ニ熟練ヲ経タルモノト云フヲ得ス、故ニ製品ノ不成績ハ両者其幾部ヲ分担スルヲ至当トス、依テ仲裁者ハ前記鋼鈑不合格率弐割七分ノ内、其参分ノ壱即チ九分ヲ製鈑作業ニ帰シ、其参分ノ弐即チ壱割八分ヲ鋼塊ニ原因スルモノト認メ、而シテ鋼塊壱百ニ付キ合格鋼鈑五拾ヲ得ヘキモノナル故ニ、壱割八分ノ鋼鈑ヲ得ルニハ参割六分ノ鋼塊ヲ要スルヲ以テ、合格鋼鈑壱割八分ヲ得ラレサリシハ鋼塊ノ参割六分ノ不良ナルコトヲ示スモノニシテ、斯ノ如キ不良品ナレハ乙ニ於テ其引取リヲ拒絶シ得ヘキニ拘ラス、乙ハ或時期迄ハ故障ナクシテ相当ノ数量ヲ引取リ、製品トナシタル以上ハ今日ニ至リ其残部ヲ返却スルト云フハ穏当ノ処置ト云フヲ得ス、故ニ甲ヨリ乙ヘ送附シタル鋼塊ハ乙ハ之ヲ引取リ、甲ハ不良品ニ付価格ニ
 - 第53巻 p.96 -ページ画像 
相当ノ減却ヲ為スヲ至当ト認ム
次ニ鋼塊ノ引渡期限ニ付テ考察スルニ、第一契約ノ壱万噸口ハ大正七年四月ヨリ同八年参月迄毎月八百参拾参噸宛ヲ引渡シ、第二契約ノ六千噸口ハ大正七年八月ヨリ拾弐月迄毎月千弐百噸宛引渡スコトト為リ居リシニ、大正七年八月協定ノ覚書ニ依リ、大正七年四月ヨリ六月迄ノ滞納量弐千百六拾七噸ハ、毎月弐百七拾壱噸ト従前ノ月割額八百参拾参噸トヲ合セテ壱千四噸ヲ、大正七年八月ヨリ大正八年参月迄ニ分納シ、六千噸口ハ右壱万噸口月割及ビ塡補数量引渡余剰ヲ以テ之ニ充当スルコトト定メタリ、此ノ覚書ノ成立及ヒ其解釈ニ就テハ甲乙両者間ニ多少ノ争点アリテ、乙ノ壱万噸口引渡期限ノ大正八年参月迄ナリシヲ其前年拾弐月迄ニ繰上ゲ、六千噸口ハ従前通リ八月ヨリ拾弐月迄ニ皆納スヘキモノトスルヲ正当ナル解釈ナラストスルト同時ニ、甲ノ六千噸口引渡期限ハ壱万噸口皆納後大正八年壱月ヨリ参月迄ニ改マリタリト解スルモ、亦穏当ヲ欠クモノトス、而シテ其後ノ往復文書其他ノ書類ニモ、計算関係ノ記載アルモ、引渡期限ニ付キ明ニ壱万噸ロハ大正七年拾弐月迄ニ、六千噸ロハ翌年壱月ヨリ参月迄ニ変更セラレタリト見ルヘキモノナシ、右ノ次第ナルニ付、甲ノ引渡数量ハ大正七年七月迄ハ勿論契約ノ数量ニ達セス、前記覚書作成後モ尚ホ不足シ居リ特ニ乙ニ取リテ最モ有利ナル時期、即チ大正七年八・九両月ノ交ニ十分ノ引渡ヲ為サスシテ、其拾月ヨリ拾壱月・拾弐月ニ渉リ急激ニ多額ヲ引渡シタルハ、甲ニ於テ引渡遅延ノ責ニ任セサルヲ得サルナリ
更ニ鋼塊ノ代価ニ付テ較量スルニ、六千噸口ノ壱噸金六百円ナルコト疑ナシト云ヘトモ、壱万噸口ハ最初生産実費ニ五拾円ヲ加フヘキ契約ナリシニ、後ニ其都度価格ヲ協定スルコトト為シ、四・五・六月分ハ壱噸ニ付金四百五拾円、七月分ハ金四百七拾五円、八月分ハ金四百七拾四円ト協定シタルモ、九月分以降ニ付テハ、大正七年拾壱月弐拾九日附浅野製鉄所注文鋼塊ノ調(甲提出ノ一覧表ニシテ九月以降単価ノ箇所ニ浅野及ヒ浅野良三ト弐箇ノ認印アルモノ)ニ依レハ、五百円ト四百九拾五円ノ弐種ニ定マリタル如ク、又乙提出ノ日本鋼管会社鋼塊代金支払一覧表及ヒ大正七年拾月弐拾参日甲ヨリ乙ニ宛テタル書状等ニ拠レハ、其当時九月分ニ対シ甲ハ五百参拾円ト云ヒ、協定成立セサリシニ依リ、仮ニ五百拾五円トシテ支払ヒシモノノ如シ、是等ノ事情ヲ斟酌シテ仲裁者ハ九月分ニ付テハ五百拾五円、拾月以降拾弐月迄ノ分ニ対シテハ四百九拾五円トシ、其平均五百円ヲ以テ九月乃至拾弐月迄ノ単価トスルヲ至当ト認ム
以上各項ニ叙述シタルハ、仲裁者カ公正至平ノ考慮ヲ以テ本件ノ真相ヲ査察覈明シタルモノトス、要スルニ此係争問題ノ発生ハ、甲乙両者共ニ時勢ノ急変ニ賺サレタルヲ暁ラスシテ、互ニ責任ヲ其対手ニ帰シ終ニ相紛争スルモノニ似テ、決シテ知者ノ行為ト云フヘカラサルナリ果シテ然リ、両者ハ玆ニ悟ル所アリテ各自互譲ノ意志ニヨリテ、之ヲ法庭ノ判断ニ委セスシテ、第三者ノ調停ニ任シタルハ、実ニ改善ニ吝ナラザルモノト云フヘキナリ、老生固ヨリ其器ニアラスト云ヘトモ、従来交誼上ノ関係ヨリ敢テ之ヲ辞セスシテ、特ニ斯業ニ実験アル中村男爵ト法理ニ通暁セル高根博士ニ委嘱シテ数回ノ審議ヲ尽セシ後、之
 - 第53巻 p.97 -ページ画像 
ヲ裁定スルコト左ノ如シ
第一、甲ノ乙ニ送附シタル鋼塊壱万八拾壱噸ノ内、乙ヨリ甲ニ返付セシ四百弐拾七噸ヲ差引キ、残余九千六百五拾四噸ハ乙ニ於テ之ヲ引取リ、其所有ト為スコト
第二、前項ノ鋼塊九千六百五拾四噸ノ内、大正七年六月迄ノ分合計壱千七百六拾八噸(大正七年八月覚書ニ依ル既納量参百参拾弐噸並ニ右覚書ニ定ムル未納量月割額弐百七拾壱噸ノ大正七年八月ヨリ同拾弐月迄五箇月分通計壱千参百五拾五噸及ヒ大正八年壱月送附八拾壱噸ノ参口合算額ニシテ壱噸金四百五拾円替)、同七月分八百参拾参噸(壱噸金四百七拾五円替)、同八月分八百参拾参噸(壱噸金四百七拾四円替)、同九月乃至拾弐月四箇月分合計参千参百参拾弐噸(壱噸金五百円替)、残余弐千八百八拾八噸(壱噸金六百円替)ノ総代金四百九拾八万四千九百拾七円ノ中ヨリ、不良品参割六分ニ対シ、価額弐分ノ壱ノ減少高金八拾九万七千弐百八拾五円六銭ヲ減ジ、残額金四百八万七千六百参拾壱円九拾四銭ヲ乙ヨリ甲ニ支払フヘキコト、然ルニ既ニ乙ハ甲ニ金四百九万八千壱百参拾参円参拾五銭ヲ手形ニテ交付シ居ル《(マヽ)》以テ、其差額金壱万五百壱円四拾壱銭ヲ甲ヨリ乙ニ支払フヘキコト
第三、引渡シ残リ合計六千参百四拾六噸ニ付テハ、当初ノ契約ニ依ラス、此際更ニ双方ノ合意ヲ以テ価格・期限及ヒ明瞭ナル品質形状等ノ規準ヲ協定シ、誠意ヲ以テ円満ニ授受ヲ為スコト
          以上
右裁定ノ条項書面ヲ以テ開陳致シ候也
  大正八年十二月二十八日
                       渋沢栄一
    白石元治郎殿
    浅野総一郎殿

(写)
(表紙)

  契約書

    契約書
日本鋼管株式会社ヲ甲トシ、浅野合資会社ヲ乙トシ、甲ガ其製造ニ係ル鋼塊ヲ乙ニ売渡スニ付、契約スルコト左ノ如シ
一、甲ハ大正七年四月ヨリ大正八年三月迄ニ其製造ニ係ル鋼塊壱万基噸ヲ乙ニ売渡スコトヲ約ス
   但シ天災、不可抗力、機械ノ破損、工場閉鎖、同盟罷工等ノ場合ハ此ノ限リニ在ラス
ニ、前条甲ガ乙ニ売約スル鋼塊ノ鋼質・形状、納期ハ成ルベク左ノ規定ニ拠ルベキモノトス
   (イ)鋼質 ロイド造船規格ニ相当スルモノ
 - 第53巻 p.98 -ページ画像 
   (ロ)鋼塊ノ形状 鋼塊ノ形状ハ大約左記寸法ノ範囲ニ属スルモノ

      番号  厚粍  幅粍   長粍     重量瓩
       5   270  610  800及至1320  860及至 1355
       6   270  760  925〃  1450 1155〃   1740
       7   305  810  900〃  1400 1490〃   2250

   (ハ)所用鋼塊ノ割合及納期 各種等分ニ使用シ、月割所用数ハ大正七年四月始ヨリ毎月壱ケ年契約数ノ十二分一宛トス
三、乙ガ甲ヨリ買受クル第壱条鋼塊ノ代価ハ、甲ノ生産実費ニ金五拾円ヲ加ヘタルモノトス
   大正六年拾壱月拾弐日
          神奈川県橘樹郡田島村字渡田若尾新田
                日本鋼管株式会社
                   社長 白石元治郎
                浅野合資会社
                   社長 浅野総一郎


横山徳次郎談話筆記(DK530017k-0003)
第53巻 p.98 ページ画像

横山徳次郎談話筆記           (財団法人竜門社所蔵)
 この問題は、前にお話しした通り、浅野製鉄所は出来たが、まだ原料の鋼塊を自給する設けが無くて、日本鋼管と富士製鋼から買つてゐた。その時代に、両社の供給する鋼塊の品質が悪くて使用に堪へないので、浅野側は契約を解除し、損害の賠償を求めた事件で、富士製鋼の方は幸に当事者の協定で事は済みましたが、日本鋼管の方が遂に大問題になつたのでした。
 東京製綱対浅野小倉の関係を慢性の病気に譬へるなら、この事件は急性で、後はサツパリ癒つたかはりに、病勢は実に猛烈でした。
 事件の経過は裁定書にある通りですが、始め浅野と日本鋼管との直接交渉が不調に帰して、子爵を煩すことになつたときに、子爵は両社から一名づゝ技師対技師、重役対重役といふやうに呼出して両者の主張を聞き、私は大抵陪席しましたが、両者の言合ひは随分乱暴で、相当人格に係るやうな言葉を投掛る。子爵も顔色を変へてたしなめる事もありました。
 また子爵と浅野との関係は御承知の通りですが、日本鋼管の社長は白石元治郎氏で、背後には大倉喜八郎・大橋新太郎・大川平三郎氏等実業界の錚々たる連中が控へてゐるので、子爵も東京製綱の場合のやうに子弟を訓すやうな態度で臨む訳には行きません。それに事の起りが品質の善悪にあるのですから、子爵のお考だけで裁定は出来ない。
それで技術家として中村雄次郎、法律家として高根義人の二人を顧問として裁定されたのです、その結果品質の粗悪なことを認められましたので、浅野側としては多大の損失を免れました。
 尚最初の契約は日本鋼管株式会社対浅野合資会社でありますが、株式会社浅野製鉄所が設立されて合資会社から契約を譲受けたのです。


渋沢栄一 日記 大正九年(DK530017k-0004)
第53巻 p.98-99 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年           (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 寒
○上略 白石元次郎氏来《(白石元治郎)》リ、鋼管会社ノ事ヲ談ス○下略
 - 第53巻 p.99 -ページ画像 
   ○中略。
二月十日 晴 厳寒
○上略 午前十時事務所ニ抵リ、白石元次郎氏来訪ニ接ス、曾テ仲裁シタル要件ニ付善後ノ事ヲ談ス、横山徳次郎氏来会ス○下略
   ○中略。
二月十四日 晴 厳寒
○上略 午飧後白石元次郎氏来リ、浅野氏関係ノ鋼塊ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月二十二日 半晴 寒
○上略 浅野良三氏来リテ、曾テ仲裁セシ鋼管会社トノ関係ニ付向後ノ措置ヲ内話ス○下略
   ○中略。
二月二十七日 晴 厳寒
○上略 午後七時帰宿、夜飧後、横山徳次郎氏来リ、浅野氏ヨリノ伝言ニテ日本鋼管トノ仲裁問題ノ事ヲ詳話ス○下略
   ○中略。
三月三日 曇 寒
午前八時起床洗面ノ後朝食ス、畢テ浅野良三氏ノ来訪アリ、鋼管会社関係ノ事ニ付書類ヲ提供セラル○下略