デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
1款 大日本人造肥料株式会社
■綱文

第53巻 p.131-134(DK530024k) ページ画像

明治43年7月7日(1910年)

是日栄一、渋沢事務所ニ於テ開カレタル東京人造肥料株式会社重役会ニ出席シ、大阪硫曹株式会社トノ合併ニツキ協議ス。

右合併ハ、二十八日臨時株主総会ニ於テ議決セラレ、合併成立ト同時ニ、社名ヲ大日本人造肥料株式会社ト改称ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK530024k-0001)
第53巻 p.131 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十八日 晴 寒
○上略 十二時半午飧ス、後大阪藤江章夫氏ノ来訪ニ接シ、人造肥料会社ノ事ヲ談ス、二時兜町事務所ニ抵リ○中略益田孝氏来リ、人造肥料合同ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月二十一日 晴 寒
○上略 午前十一時兜町事務所ニ抵リ、事務ヲ処理ス
鶴原定吉氏来リ、人造肥料会社ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
三月一日 曇 寒
○上略 十時半ノ汽車ニテ東神奈川ニ抵リ、東京人造肥料会社分工場ヲ一覧ス、石井健吾・松谷謐三郎氏等来リ迎フ、一覧畢テ午飧シ○下略
三月二日 曇 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ○中略鶴原定吉氏来リ、肥料会社ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
七月七日
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、東京人造肥料会社ノ重役会ニ出席シ大坂硫曹会社ト合併ノ事ヲ協議ス○下略
   ○中略。
十一月一日 晴 冷
○上略 五時半浜町常盤屋ニ抵リ、人造肥料会社ノ招宴ニ出席ス、一場ノ謝詞ヲ述フ、夜十時散会○下略


大日本人造肥料株式会社五十年史 同社編 第七四―七六頁 昭和一一年一一月刊(DK530024k-0002)
第53巻 p.131-132 ページ画像

大日本人造肥料株式会社五十年史 同社編
                   第七四―七六頁
                   昭和一一年一一月刊
 ○第一編 当社の沿革
    第四章 日露戦役時代
○上略
 明治四十三年七月二十八日臨時株主総会を開催し、関西に於ける斯
 - 第53巻 p.132 -ページ画像 
界の雄たる大阪硫曹株式会社を合併するの議が可決された。同社は資本金参百万円(払込弐百弐拾壱万弐千五百円)、明治二十五年創立と云ふ古き歴史と、大阪に二工場、下関に一工場を有する大会社であり、その硫曹印肥料は関東の当社日星印と相対して居つたのである。斯く東西の雄が合併し、大資本と大経営により斯業の大成を期するに至つたことは、人造肥料界延いては農業界のため大いに慶祝すべきことであつた。合併は大阪硫曹四株当社三株の割合で行はれ、この合併に依つて当社の資本金は弐百弐拾五万円を増加して金六百弐拾五万円になつた。尚従来の工場はこれを大阪北工場と改称し、大阪硫曹の本社工場を大阪西工場、大和田・下関両分工場はこれを大和田工場及下関工場と称することゝなつた。
 尚同年七月を以て、当社は社名を現在の大日本人造肥料株式会社と改称し、取締役会長の名を廃して取締役社長としたが、一方これに先ち同年八月本店(出張所)を東京市に、支店を大阪市へ置き、工場と営業所を区分して営業の進展を計ると共に、社内諸般の制度等を改正して、経営上の統一刷新を期したのである。
 尚本社出張所の東京市内設置に就ては、明治四十三年八月十二日釜屋堀工場稀有の大水害のため、予ての計画が促進され、最初は日本橋区北新堀町に移転したが、後京橋区越前堀に移転し、北新堀町に新事務所の建築落成するに及び再び同所に移転したのである。
 日露戦役後に於ける業界は、戦争景気に続く財界の変動、新設増設の後に来れる生産過剰と整理等のため、早くも斯業統制の声が起り、関西に於ては、燐礦石の供給者たる三井物産の提唱により、大阪硫曹大阪アルカリ・摂津製油の三社間に於て、共同販売会社が組織されたが、関東に於ても明治四十年肥料取締法改正要求を名目とし、当時の全製造業者たる共益人造肥料・多木製肥・日本製銅硫酸肥料・大阪硫曹・大阪アルカリ・摂津製油・硫酸肥料・日本人造肥料・関東酸曹及当社の十社が相図り、人造肥料聯合会を組織した。この会には後に過燐酸同業者会も併置した。これは前記肥料取締法改正以外に、生産の制限、販売の協定、輸移出の奨励、原料の共同購入等を目的としたものである。
 一方戦後の反動的不況も、四十三・四年に至り漸く平調に復し、四十四年上期には配当も一割に復活したが、翌四十五年上期は米価の昂騰等に伴ふ農村の購買力増進により業績向上し、更に一分の増配を為し、良好なる成績を収めつゝ明治より大正へと推移したのであつた。


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK530024k-0003)
第53巻 p.132 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 曇 寒
○上略 京都大沢善助氏ノ代理者森田某来リ、磷礦《(燐)》ノ事ニ関スル談話アリ
依テ人造肥料会社平田氏ニ紹介ス○下略
   ○中略。
六月二十八日 雨 暑
○上略 農商務省ニ抵リ、人造肥料会社平田氏ト共ニ押川次官ニ面会シテ人造肥料製造販売ノ事ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略
 - 第53巻 p.133 -ページ画像 


銀行通信録 第五〇巻第二九八号・第七二―七三頁 明治四三年八月 ○東京人造肥料・大阪硫曹両会社合併決定(DK530024k-0004)
第53巻 p.133-134 ページ画像

銀行通信録 第五〇巻第二九八号・第七二―七三頁 明治四三年八月
    ○東京人造肥料・大阪硫曹両会社合併決定
東京人造肥料会社と大阪硫曹会社(払込高百九十五万円)との間には過般双方重役間に合併仮契約書を締結せるを以て、七月二十八日両会社同時に株主総会を開き、之を附議したるに、異議なく仮契約の通り可決せり、其合併条件左の如し
 東京人造肥料株式会社(以下甲と称す)大阪硫曹株式会社(以下乙と称す)を合併するの目的を以て、両者の代表者間に合併仮契約を締結すること左の如し
 第一条 甲は乙と左の条件を以て合併するものとす
  第一、甲乙合併して乙は解散し、甲は合併に依り資本額を変更し存続すること
  第二、合併により甲は資本金額二百二十五万円を増加し、之に対して四万五千株を発行し、乙の株主に対し乙の五十円払込済の株式四株に対し甲の五十円払込済のもの三株を交附し、又乙の二十七円五十銭払込済の株式四株に対し甲の額面五十円にして二十七円五十銭払込済のもの三株を交附すること
   但し乙は本年七月三十一日迄に其新株二十円払込済のものに対し金七円五十銭宛の払込をなさしめ、且つ合併手続に差支なき期間内に株主名簿を確定すべきものとす
  第三、前項に依る株式交附より生ずべき端数株又は剰余株は、乙の株主総会に於て選定せられたる代表者の名儀に於て之を交附し、該代表者は適当の方法に依りて之を処分すべきものとす
  第四、甲が乙の株主の為め交附したる株式に対する利益配当金の分配は、合併が完全に効力を生じたるときは本年十月一日より計算すべきものとす
   但し乙は第六条に記載したる如く、六月三十日現在の財産引渡を了したる以後の利益は、自ら配当を為すを得ざるは勿論とす
 第二条 合併成立の後、甲は遅滞なく「大日本人造肥料株式会社」と改称すべきものとす
 第三条 合併成立の後は甲は遅滞なく乙の株主中より甲の取締役二名、監査役一名を選挙し、該取締役中一名を常務取締役となすべきものとす
 第四条 乙の事務員・技術員並に職工は総て甲に引継ぐべきものとす
 第五条 乙の重役にして新たに甲の重役に選挙せられざるものに対しては、甲に於て相当の勤続慰労金を給与すべきものとす
  但し該金額は甲の重役会の決定に拠るべきものとす
 第六条 甲が乙より継承すべき財産及び債務一切は、本年六月三十日現在に拠るべきものとし、爾後乙の経費其他の支出に付ては甲の承認を受くべきものとす、乙の所有財産中六月三十日現在の計算表と符合せざるものにして甲の承認せざるものあるとき、又は乙の七月一日以後の経費其他の支出にして甲の承認せざるものあ
 - 第53巻 p.134 -ページ画像 
るときは、其の欠損高に対しては乙の取締役は連帯して甲に対し補償の責任を負ふべきものとす
 第七条 合併に関する清算の為めに要する必要費は甲の負担とす
 第八条 乙は本仮契約締結後不動産又は重要なる動産の得喪を目的とする行為、並に商取引以外に新なる義務を負担すべき行為をなさゝるものとす、但し甲の承認を得たる場合は此限にあらず
 第九条 甲乙両者は本年七月二十八日を期し仮契約を承認し、合併の決議を為すべき為臨時株主総会を開会すべし
 第十条 前条の総会に於ける合併決議は、合法に合併の条件具備したるときより其効力を生ずべきものとす
 第十一条 合併に関する一切の手続は甲乙両者の取締役に一任し、尚ほ此契約書に規定を欠くか、又は法律上支障を生じたる事項は該取締役間に於て協定すべきものとす
 第十二条 此仮契約は左の場合に於て当然其効力を失ふものとす
  第一、事実上と法律上との原因を問はず合併執行不能となりたるとき
  第二、甲乙両者又は其一方の株主総会に於て、此仮契約所定の条件に変更を加へたるとき又は之を否決したるとき
猶合併の結果商号を大日本人造肥料会社と改正し、資本金を六百二十五万円に増加することに決定せり