デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
2款 三共株式会社
■綱文

第53巻 p.159-163(DK530029k) ページ画像

大正2年7月(1913年)

是年二月、三共合資会社ハ組織ヲ改メテ資本金九十五万円ノ株式会社トシ、次イデ是月、広ク新株主ノ参加ヲ求メテ資本金二百万円ノ三共株式会社トナル。栄一、益田孝ト共ニ之ヲ援助シ、当会社取締役トシテ大橋新太郎・植村澄三郎ヲ推薦ス。


■資料

三共思ひ出の四十年 塩原又策述 第六四―六六頁 昭和一三年四月刊(DK530029k-0001)
第53巻 p.159-160 ページ画像

三共思ひ出の四十年 塩原又策述 第六四―六六頁 昭和一三年四月刊
    その三十一 三共株式会社の設立と渋沢・益田両翁
 大正二年は僕にとり殊に印象深い年であつた。それは高峰博士の帰朝を好機に、僕は予て抱懐してゐた財界や同業の有力者と提携すべく三共合資を株式組織に変更し得た年であつたからである。先づ僕は渋沢栄一・益田孝両翁の後援を求めたく、永年両翁と親しい間柄の博士に同道を乞ひ紹介して貰つた上、僕の希望と所見を披瀝したところ、幸にも両翁の賛同を得、玆に初めて僕は東都財界の先達と業界の有力者を迎へることが出来た。即ち其顔触れの一端を想起すれば次の様である。
 渋沢栄一・益田孝・大倉喜八郎・高田慎蔵・村井吉兵衛・井上準之助・近藤廉平・大橋新太郎・馬越恭平・団琢磨・前田利為・金子直吉・中村房次郎・浅野総一郎・大谷嘉兵衛・渡辺福三郎・藤原銀次郎・古河虎之助・大川平三郎・植村澄三郎・末延道成・山本条太郎松方巌・木村清四郎・和田豊治・志方勢七・岩原謙三・相馬半治・平田篤次郎・土方久徴・石井健吾・福井菊三郎・服部金太郎・岩下清周・園田孝吉・原富太郎・武田長兵衛・田辺五兵衛・塩野義三郎鳥居徳兵衛・小西新兵衛・田辺元三郎・中村滝次郎。
等の諸氏は財界、業界人として、又学者方面からは、
 長井長義・丹波敬三・池田菊苗・鈴木梅太郎・岡田和一郎・岸清一高木兼寛・佐多愛彦・安永義章・高橋順太郎・大沢謙二・田原良純桜井錠二・井上仁吉・鴨居武・石黒五十二・北里柴三郎・高松豊吉
の諸氏等が賛成された。
 斯く陣容の整つた株式会社の初代重役として渋沢翁により大橋新太郎氏と植村澄三郎氏を、益田翁からは室田義文氏を夫々推薦され、若輩の僕を指導する様にと懇嘱された。想へば実に両翁の実業界に於ける僕の如き後進への熱心な補導に対し只々感激の外なく、両翁に襟を正さねばならぬ。
 此感激と共に、二十五年の久しきに及んで大橋・植村・室田三翁からの常に渝らぬ多大の後援を受けたことを謝する。
 恩人渋沢翁は昭和六年十一月十一日長寿を全ふし、天下の大渋沢と
 - 第53巻 p.160 -ページ画像 
惜まれて他界した。僕は常に此写真に示されて居る高邁な文字「順理則裕」は翁が特に僕の為に与へた遺訓とし、又永へに僕の子孫への貴き庭訓である。長男禎三の留学渡米に先立ち、翁は箱根三河屋で禎三に対し厳粛に、学問の意義目的乃至は長き前途の処世訓を順々と時余に渉り説き聴かされ、慈父も及ばぬ翁の此懇情に感激した僕は、今や若冠にして実業界へ乗出した禎三と共々其時の翁が真実極まる謦咳と温容を思ひ出し、愈々翁の大精神の前に感謝の念を禁ぜずには居られない。これこそは僕の生涯にとり一大感激であり、後進諸君にこれを頒ちたいと思ふ。
○下略
   ○「三共思ひ出の四十年」ハ当会社社長塩原又策ノ創業ヨリノ思ヒ出話ヲ編纂シタルモノナリ。


三共思ひ出の四十年 塩原又策述 第六八―六九頁 昭和一三年四月刊(DK530029k-0002)
第53巻 p.160-161 ページ画像

三共思ひ出の四十年 塩原又策述 第六八―六九頁 昭和一三年四月刊
    その三十一 三共株式会社の設立と渋沢・益田両翁
○上略
 設立趣意書 明治ノ良政ハ本邦ヲシテ世界強国ノ班ニ列セシメタリ其之ヲ保維シ之ヲ発達セシムルハ当ニ我大正国民ノ任務ニシテ、之カ実績ヲ挙クルニ於テ最モ重要ナルモノヲ富ノ充実ト為ス
 夫レ国富ノ増進ハ、各般事業ノ興隆発達ニ俟タサルヘカラス、而テ本邦ニ於テ興スヘク為スヘキノ事業尠ナカラサルヘシト雖モ、就中之ヲ地勢ト国情ニ鑑ミ、吾人ハ化学ヲ基礎トスル工業ノ隆盛ヲ謀ルヲ以テ今日ノ急務ト為スナリ、見ヨ北樺太ヨリ南台湾ニ至ル三十緯度ノ間陸ニ海ニ幾多好個ノ材料ハ到ル所ニ山積シアルニアラスヤ、若シ夫レ資本家ト科学者ト相頼リ相扶ケテ業ヲ起シ、豊富ナル智力ト充分ナル資力トヲ以テ之ニ臨マンカ、嘗テ遺棄シテ顧ラレサリシ是等低廉ノ材料ヲ化シ、高貴ノ物資ト為スコト亦敢テ難キニアラス、惟フニ独逸国ハ彼ノ普仏戦争ノ後、各般事業ノ勃興ト共ニ大ニ化学的工業ヲ奨励シ科学者ハ資本家ニ接近シ、資本家ハ科学者ト相携ヘテ国内ノ富源ヲ拓クニ努メ、更ニ原料ヲ外国ニ仰キ、之ニ化学的智識ヲ応用シテ加工シタル製品ヲ盛ニ輸出スルニ至レリ、於是乎産業日ニ興リ、月ニ発達シ従テ資本益々増大スレハ基礎愈々鞏固ト為リ、今ヤ進運隆々トシテ大英国ノ域ヲ摩シ、将ニ商工界ノ覇権ヲ獲得スルノ慨アルニアラスヤ
 吾人ハ必ズシモ独逸国ノ興隆ニ心酔スル者ニアラス、然レトモ其発達ノ径路ニ至リテハ、即チ以テ之ヲ好模範トナスニ躊躇セサルナリ、人未タ関鍵ヲ開カスシテ漫リニ庫裡ヲ揣摩スルコト勿レ、本邦ノ富源豈夫レ独逸国ニ遜ルモノアランヤ、要ハ之ヲ拓クト否トニアルノミ、況ンヤ漠々タル東亜大陸、茫々タル南洋諸島、皆之レ無限ノ富ヲ包蔵シテ、我挙手投足ノ遅キヲ待ツモノアルニアラスヤ、故ヲ以テ吾人ハ今ノ時ニ方リ大ニ化学的工業ヲ起シ、啻ニ内富源ヲ拓キ、外輸入ヲ禦クノミナラス、進テ販路ヲ世界ニ求メ、玆ニ堂堂タル我産業ノ発展ヲ策セント欲ス、而テ幸ニ明治ニ於ケル兵力ノ功偉大ナリシニ追随スルコトヲ得ハ、蓋シ之レ国富増進ノ捷径ニシテ、庶幾クハ吾人大正国民
 - 第53巻 p.161 -ページ画像 
タルノ本分ヲ尽シタル者ト言フヲ得ン哉
 吾人ハ以上ノ見ヲ持シテ、玆ニ有力ナル株主ヲ以テ鞏固ナル基礎ヲ組織シ、新ニ一ノ化学工業会社ヲ起シテ、本企業ト同一目的ヲ以テ経営セラレ、殊ニ医療及工業薬品並其売買業ニ於テ成功ノ歴史ヲ有スル三共合資会社ヲ最モ適当ナル条件ノ下ニ併合シ之ヲ以テ本会社当初ノ収益ノ基礎ヲ確定シ、更ニ新資本ノ注入ニ依リ業務ヲ拡張シ、益々収益ノ増大ヲ図ルト共ニ、広ク各方面ニ渉ル科学者ノ協賛ヲ得テ大ニ発明研究ニ従事シ、即チ其産物ハ我会社ノ直営事業ト為シ、又我会社之カ権利者トナリ収益ヲ図リ、而シテ国富ノ増殖ト国運ノ発展トニ貢献スル所アラントス(大正二年二月)
 会社ノ沿革 明治三十二年塩原又策氏カ横浜ニテ輸出絹物業ヲ経営シタル時、偶々工博薬博高峰譲吉氏ヨリ其発見ニ係ル「タカヂアスターゼ」ノ発売ヲ委嘱セラレ、副業的ニ之カ売弘メヲ為シタリ、之レ本会社ノ起原ナリ、其後塩原氏ハ副業ノ前途有望ナルヲ認メ、本業ヲ廃メ薬業ヲ以テ立タムトシ、明治三十五年三共商店ト称シテ東京日本橋南茅場町ニ薬舗ヲ開始セリ、明治四十年四月同人夫妻両名ニテ資本金五十万円ノ合資会社組織トナシ三共合資会社ト改称シ、同四十二年本会社現在ノ同区室町二丁目ニ移転シ、大正元年高峰譲吉博士ヲ新ニ出資社員ニ迎ヘテ資本金六拾万円トナリ、同二年二月塩原氏ハ本事業ヲ永遠ニ且鞏固ニ維持シ、又大ナル発展ヲ期スル為メ、個人的経営ヲ棄テ株式組織ニ改ムルコトヽシ、組織変更ノ便宜上友人高峰譲吉・鳥居徳兵衛・長井利右衛門・渡辺和太郎・大谷幸之助・古谷竹之助六氏ニ発起人タル署名ヲ依頼シ、別ニ資本金拾万円ノ三共株式会社ヲ起シ、高峰博士ヲ社長ニ推シ、之ト合併ノ方法ヲ執リ、合資会社ノ積立金其他ヲ資本金ニ併算シ、払込済資本金九拾五万円トナリ、次デ渋沢栄一氏・益田孝氏ノ後援ヲ得テ数十名ノ新ナル株主ヲ迎ヘテ、同年七月資本金弐百万円ノ三共株式会社トナリ、大橋新太郎氏・植村澄三郎氏ハ新株主ヨリ委嘱セラレテ新ニ取締役ニ就任シ、塩原専務ヲ援助セラルルコトヽナレリ
 大正五年三月東京製薬株式会社ヲ併合シタル結果、資本金額金参拾万円ヲ増加シ、大正七年四月増資ヲ行ヒ資本金四百六拾万円トナリ、大正八年三月サトウライト株式会社併合ニ依リ資本総額金五百六拾万円トナリ、更ニ大正九年九月内国製薬株式会社ヲ合併シ資本総額金六百拾万円トナリシモ、同会社株式ノ大部分ハ当会社ノ所有ナルヲ以テ同年十一月合併ニヨル増資額金五拾万円ヲ銷却シ、改メテ資本総額金五百六拾万円トナレリ、大正十一年七月社長高峰博士ハ米国ニテ死去セリ、大正十三年九月増資シ資本総額金壱千弐百万円トナレリ(大正十三年九月)


渋沢栄一書翰 植村澄三郎宛 (大正二年)八月一五日(DK530029k-0003)
第53巻 p.161-162 ページ画像

渋沢栄一書翰 植村澄三郎宛 (大正二年)八月一五日 (植村澄三郎氏所蔵)
再度之貴翰拝読、賢台益御清適奉賀候、然者過日来種々御高配被下候
三共株式会社之紛議も、一昨夜之委員総会ニ於て新加入之株式を優先といたし候外、会社之資産を鞏固ならしむる為め室町土地を会社財産ニ編入し、東京製薬株式等之有価証券並ニ箱崎町之建物等を塩原氏ニ
 - 第53巻 p.162 -ページ画像 
引受しめ、且会社取締役として大橋・藤原二氏を加へ、別ニ常勤之会計主任を置く等之御企望を塩原氏ニ於て全部同意致し、玆ニ目出度解決を告け、来ル廿九日を以て株主総会相開候筈協議相成候由、三井側よりも岩原謙三氏出席いたし、賢台及大橋君等定而格別之御斡旋有之右様円満ニ終局仕候事と察上候、右ニて老生も高峰氏ニ対し聊申訳有之義と安心仕候
過日塩原氏と共に兜町ニ尊来之節、益田氏・大橋氏へ書状差出候後、益田氏より之回答ハ其十一日ニ大橋氏会見、一覧ニ供し、是非前段之如き協定予期致候処、爾来之御尽力を以て好都合ニ取纏り候ハ真ニ御同慶之至ニ候、何卒大橋君へ御骨折之程感謝いたし候旨、賢台より御申通し被下度候
右拝答旁一書得貴意候 敬具
  八月十五日
                    小涌谷ニ於て
                        渋沢栄一
    植村賢契
        拝答



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正六年(DK530029k-0004)
第53巻 p.162 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴 寒
○上略 六時常盤屋ニ抵リ、三共会社ノ宴会ニ出席ス、高峰博士ト談話ス
○下略



〔参考〕(三共株式会社)第弐拾壱回報告書 自大正十二年六月一日至同十二年十一月三十日 第一―七頁刊(DK530029k-0005)
第53巻 p.162-163 ページ画像

(三共株式会社)第弐拾壱回報告書 自大正十二年六月一日至同十二年十一月三十日
                         第一―七頁刊
    第二十一回事業報告
      株主総会
七月九日 本社ニ於テ第二十回定時株主総会ヲ開キ、左記事項ニ付承認並決議セリ
     一、自大正十一年十二月一日至大正十二年五月三十一日事業報告書、損益計算書並大正十二年五月三十一日現在財産目録及貸借対照表ノ承認ヲ求ムル件
     二、利益金処分案ノ決議ヲ求ムル件
     三、取締役二名満期改選ノ件
      取締役大橋新太郎・同植村澄三郎再選就任ス
○中略
      損益勘定
金壱百八拾六万七千百七拾七円五拾壱銭    総益金
  内
 金壱百弐拾参万壱千九百拾七円拾七銭    総損金
  差引
 金六拾参万五千弐百六拾円参拾四銭     当期利益金
 金参拾弐万弐千七百四拾九円七拾弐銭    前期繰越金
   合計金九拾五万八千拾円六銭
 - 第53巻 p.163 -ページ画像 
右之通ニ有之候也
  大正十二年十二月
               三共株式会社
                専務取締役 塩原又策
                取締役   大橋新太郎
                同     植村澄三郎
                同     古田宗二郎
                同     福井源次郎
                同     湯浅武孫
右調査候処相違無之候也
                監査役   室田義文
                同     荻原勘助
                  理学博士薬学博士
                学術顧問  長井長義
                  農学博士
                同     鈴木梅太郎
                相談役   大谷嘉兵衛
                同     福原有信
○下略



〔参考〕(三共株式会社)第弐拾壱回報告書 自大正十二年六月一日至同十二年十一月三十日 第九頁刊(DK530029k-0006)
第53巻 p.163 ページ画像

(三共株式会社)第弐拾壱回報告書 自大正十二年六月一日至同十二年十一月三十日
                        第九頁刊
    三共株式会社定款(大正十三年一月十二日改正)
      第一章 総則
第一条 当会社ハ三共株式会社ト称ス
第二条 当会社ノ目的ハ左ノ如シ
 一、医療及工業用品其他化学的製品ノ製造並ニ売買業ヲ営ムコト
 二、量器ノ製作並度量衡器及計量器ノ売買業ヲ営ムコト
 三、化学工業ヲ目的トスル会社又ハ個人ノ事業ニ出資スルコト
 四、化学ノ研究ニ従事スルコト、並ニ同一目的ノ研究者ニ対シ研究費ヲ幇助シ、其研究ニ依リ得タル産出物ノ製造販売権利ヲ収得スルコト
 五、其他右諸項ノ目的ニ関聯シ又ハ助成裨益スル事項ヲ為スコト
○下略