デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
3款 電気化学工業株式会社
■綱文

第53巻 p.164-167(DK530030k) ページ画像

大正4年4月1日(1915年)

是日、三井集会所ニ於テ、当会社発起人会開カル。

栄一、発起人トシテ出席シ、創立委員十名ヲ指名ス。


■資料

集会日時通知表 大正四年(DK530030k-0001)
第53巻 p.164 ページ画像

集会日時通知表 大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
四月一日 木 午後二時 電気化学工業会社発起人会(三井集会所)


渋沢栄一 日記 大正四年(DK530030k-0002)
第53巻 p.164 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十八日 晴
○上略 午後三時事務所ニ於テ○中略団琢磨氏来リ、化学工業会社創立ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
四月一日 晴
○上略 午後二時三井集会所ニ抵リ、化学工業会社発起人会ヲ開ク、創立委員十名ヲ指名ス○下略


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁 昭和六年一二月刊(DK530030k-0003)
第53巻 p.164 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第一八頁 昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 四 一 ―電気化学工業株式会社発起人―大、四、四。


竜門雑誌 第三二四号・第五九―六〇頁 大正四年五月 ○電気化学工業会社の設立(DK530030k-0004)
第53巻 p.164-165 ページ画像

竜門雑誌 第三二四号・第五九―六〇頁 大正四年五月
○電気化学工業会社の設立 青淵先生其他有力なる実業家諸氏の発起に係る電気化学工業株式会社の由来を尋ぬるに、其の前身は北海カーバイト会社と称し、明治四十五年以来三井家後援の下に北海道苫小牧に於て、藤山常一氏の特許方法に基き炭化石灰窒素及び硫酸安母尼亜を製造しつゝありしが、此度其の組織を変更し、資本金五百万円を以て電気化学工業株式会社を創立するに決し、四月一日其発起人会を三井集会所に開催したり、発企人は二十二氏にて株式は発企人に於て大部分を引受け、其他は関係者に之を分ち、一般公募を要せざるべく、事業は多く電気に依る化学工業の経営にあるも、当分は硫酸安母尼亜の製造を主とすべし、九州には既に同種の工場存在すれども、そは独逸人の特許を買受けたるものにして、本邦人の発明を以てする斯業は実に電気化学工業株式会社を以て嚆矢とし、極めて経済的なる現今唯一の方法にして、本邦を始め英・米・仏・伊の各国より特許を得たり硫酸安母尼亜は最も重要なる窒素肥料にして、殊に千五・六百万円の輸入あり、同社は漸次各地に工場を建設し大規模の製造を為し、啻に輸入を防遏するのみならず、進で海外に輸出せむことを期するに在り
 - 第53巻 p.165 -ページ画像 
と云ふ


青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年八月(DK530030k-0005)
第53巻 p.165-167 ページ画像

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年八月
                    (渋沢子爵家所蔵)
  電気化学工業株式会社
    創立趣意書
電気化学工業ハ輓近ノ発達ニカヽリ、殊ニ空中窒素問題ハ著シク世人ノ注意ヲ喚起スルニ至レリ、窒素固定ニ関シ諸種ノ方法アリト雖モ、我国情ニ最モ適スルモノハ炭化石灰ニ窒素ヲ吸収セシムル方法ニシテ其製品タル石灰窒素ハ肥料トシテ効用大ナルト共ニ、之ヲ硫酸安母尼亜ニ変成スルヲ得ルノ特質ヲ有ス、我国ニ於ケル窒素肥料ノ需用ハ近年頓ニ増加シ、大正三年度ニハ欧洲戦乱ノ影響ヲ受ケ前年度ヨリ輸入減少セシト雖モ、尚ホ肥料輸入総額六千参百万円ノ内窒素肥料ハ実ニ五千参百万円ヲ占メ、硫酸安母尼亜ノミニテ拾万四千噸、壱千五百万円ヲ算セリ
藤山常一氏ハ明治四十五年五月北海道苫小牧ニ於テ工場建設ニ着手シ王子製紙株式会社ヨリ電力ノ供給ヲ受ケ、同年十二月ヨリ炭化石灰、大正二年四月ヨリ石灰窒素、大正三年十月ヨリ硫酸安母尼亜ヲ製出シ何レモ好成績ヲ収メツヽアリ、此間同氏ハ是等ノ製造ニ関シ、七件ノ特許権ヲ得、殊ニ特許第二五五五七号ハ在来ノ製造ト異リ、電気加熱ヲ要セスシテ化合熱ノミニヨリ石炭窒素ヲ製造スル現今唯一ノ方法ニシテ、其製法ノ経済的ナルハ勿論又之ヨリ硫酸安母尼亜ヲ製出スルノ有利ナルハ疑ヲ容レサル処ナリ
発起人ハ玆ニ電気化学工業株式会社ヲ設立シ、前記藤山氏ノ工場及ヒ特許権ヲ譲受ケ、尚ホ各地ニ工場ヲ建設シ、将来大規模ノ製造ヲ為シ年々激増スル需要ヲ充タシ、進ンテ海外輸出ヲ謀リ、更ニ諸種ノ化学工業ヲ経営セントスルモノナリ
  大正四年四月一日
                       発起人
  電気化学工業株式会社
    現況 (昭和二年八月調ベ)
一、所在地   東京市京橋区畳町八番地
一、資本金   三千五百万円
一、工場    大牟田工場 大牟田市
        青海工場 新潟県西頸城郡
        伏木工場 富山県伏木町
一、発電所   大淀川発電所 宮崎県
        小滝発電所 新潟県
        大所発電所 新潟県
一、製造能力  化学工業品(炭化石灰・硫酸安母尼亜・石灰窒素等)
        年拾万三千噸
一、電気供給量 年三千五百キロワツト
  発電所の自家発電量 年二万八千キロワツト
 - 第53巻 p.166 -ページ画像 
  電気化学工業株式会社
一、創立    大正四年四月一日
一、資本金   五百万円(創立当時)
        壱千弐百五十万円(大正八年十一月増資、但し宮崎県大淀川水力電気株式会社の株式八万三千六百株引受が主因)
        壱千六百五十万円(同九年十二月増資、但し北陸・高砂両水電合併のため)
        壱千七百五十万円(同十四年五月増資、和賀水電合併の為め)
        参千五百万円(同十五年六月増資、工場拡張其他にて)
一、場所    東京市日本橋区三井二号館(創立当時)
        同  京橋区畳町八番地(現在)
一、創立の目的 イ創立趣意書参照
        ロ(創立当時定款第二条)
         炭化石灰・石灰窒素及硫酸安母尼亜其他の化学工業品の製造
        ハ(大正十二年参月五日には此の外に)
         電力・電灯供給の件を逓信大臣より認可せられたるを以て定款に追加
一、創立当時の関係人 早川千吉郎・和田豊治・田中栄八郎・団琢磨・植村澄三郎・大橋新太郎・益田孝・青淵先生等
         以上は同社の発起人
一、青淵先生との関係 発起人たり
一、創立迄の沿革 明治四十五年五月、藤山常一氏が北海道苫小牧に工場を建設、王子製紙株式会社より電力の供給を受け、同年十二月より炭化石灰、大正二年四月より石灰窒素、翌三年十月には硫酸安母尼亜を製造した。而してその製造方法に関し七件の特許権を得、特に石灰窒素の製法については同氏独特の技術を発案実行した。依て前記発起人は藤山氏の工場及特許権を譲受け、電気化学工業株式会社の設立に着手した。
一、創立後の沿革 イ大正四年五月四日北海道苫小牧に於ける藤山常一氏の北海カーバイト工場及び特許権其他事業上一切の権利義務を譲受けたり
         ロ同年同月廿四日藤山常一氏より譲受けたる発明に対し、合衆国・英吉利・加奈陀・仏蘭西及伊太利の各国より特許を附与されたり
         ハ同年十一月三日九州大牟田町に工場設置の計画を立て之が準備に着手
         ニ同五年三月十一日同社と南満洲鉄道株式会社と協同し、満洲撫順に於て炭化石灰・石灰窒素・硫酸安母
 - 第53巻 p.167 -ページ画像 
尼亜製造の目的を以て工場建設の事に決定
         ホ同年十月一日大牟田工場炭化石灰の製造開始
         ヘ同年十一月廿五日撫順工場一部落成、炭化石灰の製造開始
         ト大正七年五月大牟田工場にてセメント製造開始
         チ同八年十一月資本金を壱千三百五十万円に増資
         リ同九年二月宮崎県大淀川水力電気株式会社株式八万三千六百株を引受
         ヌ同年十二月資本金を壱千六百五十万円に増資、同時に北陸・高砂両水力電気株式会社を合併
         ル同十年十二月富山県伏木町に伏木工場を開始
         ヲ同年十二月新潟県西頸城郡青海村に青海工場開設し炭化石灰を製造
         ワ同十一年五月苫小牧工場を王子製紙会社に売渡す
         カ同十二年三月五日電力・電灯供給の件を逓信大臣より認可
         ヨ同十四年五月和賀水力電気株式会社を合併し、同時に資本金を壱千七百五十万円に増資
         タ同十五年六月資本金を三千五百万円に増資し、大牟田・伏木工場の拡張その他を行ひ現在に至る