デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
7款 其他 1. 全国化学工業大会
■綱文

第53巻 p.199-200(DK530035k) ページ画像

大正6年11月15日(1917年)

是日、上野精養軒ニ於テ、全国化学工業大会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK530035k-0001)
第53巻 p.199 ページ画像

集会日時通知表 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月十五日 木 午後一時 全国化学工業大会(化学工業博覧会内)

竜門雑誌 第三五五号・第九一―九二頁 大正六年一二月 ○全国化学工業家大会(DK530035k-0002)
第53巻 p.199-200 ページ画像

竜門雑誌 第三五五号・第九一―九二頁 大正六年一二月
○全国化学工業家大会 青淵先生・清浦子爵・内田逓信次官・高松博士諸氏に依り発起せられたる同会は、十一月十五日上野精養軒に於て開会せられたる由なるが、来会者は千余名に達し、青淵先生にも一場の演説を為されたる由なるが、学者と実業家と握手したる此の手を永久に離たず進まば、これ戦後に備ふる唯一の力なる旨述べられたる趣十七日発行の帝国新報は報ぜり。
 欧洲戦争のお蔭で日本は黄金の波の上を漂つてゐる、日本人は恰も今黄金時代に陶酔してるかの如き観がある。景気の好と言ふ事は何より結構な話であるが、此の陶酔が長く日本人を眠らせてゐたなら其の夢の醒め際には、如何なる不幸が突発せぬとも限らぬ。総ての方面に於て総ての事業を戦後如何にするかと言ふ事は実に刻下の急務である。此未曾有の大戦乱に依つて何が最も進歩したかと言へば先づ化学工業であらう。併し又最も苦境に陥つたのも化学工業である。殆んど外国品のお蔭を蒙つてゐた処を、戦争が始まると同時に染料を始め種々の化学工業製品はバタリと来なくなつた。在庫品の減少するに従つて価格はドンドン昂る。是れを何うにかして補給せねばならぬと言ふ発奮と苦悶とが遂に今日の化学工業の進歩を生むだ。何故今日迄化学工業の進歩遅々として振はなかつたと言ふに、学者と実業家が兎角接近しなかつた為めである。両者が一致協力してこそ初めて完全な進歩が出来るのに、お互に妙な偏見を持つてゐた。学者は社会と没交渉な姿で研究室にばかり燻つてゐるし、実業家は学者を看板同様に取扱ふ傾きがあつた。是れに就て面白い話があるが、確か十三・四年前《(マヽ)》の事、東京瓦斯局に仏国人でペレゲレンと言ふ人が技術の方をやつてゐたが、何時迄も外国人の手に委ねて置くのは面白くないと言つて、高松博士等と相談したところが、博士が助手として一人の学士を寄こした、瓦斯事業も将来発展させるには相等経営が出来るやうになつたら、民間の手に引渡さねばならぬだらうと、大に其助手に勇気を与へる為めに言つたところが、其助手は驚いたやうに『私は将来官途に名を成したいと思つてゐる。町人の手に渡されるやうでは、一旦お約束はしたものゝお断りしま
 - 第53巻 p.200 -ページ画像 
す』と言ひ出して大に手を焼いた事があるが、所謂学者根性、兎角町人を嫌ふ、又実業家は学者を利用する事にのみ努めてゐるから悪い、夫れが今度の戦争で所謂無い苦しみからお互に何んとかしやうと手を握つたのであるが、単に化学工業許では無い、如何なる事業でも、欧洲戦後の第一策としては学者と実業家が堅く握手をして進む外ない。此握手の手が堅ければ戦後の経済戦に臨んでも決して恐るゝ事はあるまい云々
   ○本資料第四十七巻所収「学術」中「其他八、全国化学工業家大会」参照。