デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
13節 土木・築港・土地会社
3款 田園都市株式会社
■綱文

第53巻 p.373-377(DK530062k) ページ画像

大正12年1月11日(1923年)


 - 第53巻 p.374 -ページ画像 

是日栄一、当会社重役会ニ出席シ、当会社ノ将来ニツキ意見ヲ述ブ。其後モ栄一、当会社重役会及ビ其他ノ会合ニ屡々出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK530062k-0001)
第53巻 p.374 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 木 午前十一、半時 田園都市会社ノ件(同会社)


渋沢栄一 日記 大正一二年(DK530062k-0002)
第53巻 p.374 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 曇 寒
○上略 田園都市会社ノ重役会ニ出席シテ同会社ノ将来ニ付意見ヲ陳フ、服部金太郎・明石照男等モ来会ス、畢テ一同ト午飧シ○下略


(増田明六) 日誌 大正一二年(DK530062k-0003)
第53巻 p.374 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一二年     (増田正純氏所蔵)
三月十三日 火 曇
定刻出勤
本日の来訪者如左
○中略
一竹田政智氏 田園都市会社及化学塗料会社の件に付き来談○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK530062k-0004)
第53巻 p.374 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
三月廿五日 日 午前九時 畑弥右衛門氏外数氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
六月廿七日 水 午後一時 田園都市会社重役会(第一相互館)


集会日時通知表 大正一三年(DK530062k-0005)
第53巻 p.374 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 金 正午 田園都市会社重役会(帝国ホテル)
   ○中略。
五月廿七日 火 午後六時 田園都市会社催 高工教授招待会(帝国ホテル)


竜門雑誌 第四三四号・第九〇―九三頁大正一三年一一月 ○青淵先生説話集 『温故』と『知新』(DK530062k-0006)
第53巻 p.374-376 ページ画像

竜門雑誌 第四三四号・第九〇―九三頁大正一三年一一月
 ○青淵先生説話集
    『温故』と『知新』
 論語に『故きを温ねて新しきを知る。以て師たるべし。」(温故而知新。可以為師矣。)と言ふ言葉があります。何事にも、唯だ「新知識々々々」とばかりではいけない、常に古い昔からの事、殊に所謂先哲の道を学んで、それを自分の基礎として、新来の事物に接し、新しい学問を修めて行くといふ事が必要であります。
 それと同時に、『新しきを知つて古きを温ねる』といふことも、甚だ必要であらうと思ひます。即ち、日進月歩のこの社会で、日々に多くの新しい事柄に接するのでありますが、その都度、唯だ新しい面白さに酔ふてしまふことなく、必ず、先哲の訓へた処を思ひ起して、反省を加へて行かなくてはならぬと思ひます。此様に『故きを温ねて新しきを知る』といふ態度と、『新しきを知つて故きを温ねる』といふ
 - 第53巻 p.375 -ページ画像 
態度との二つが、交互に錯綜して、そこにはじめて真の完全なる社会の進歩が見られるのであると考へます。
 まことに世の中が文明になるにつれて、あとからあとからと新しい事柄が沢山出て来ます。電気の応用なども手近かな一例です。昔は菜種油に灯心で灯をともしてゐたのが、今はどんな田舎でも電灯をつける様になつて来ました。電灯のみならず、その他にも応用限りなく、全く今では凡て電気ならざるなしといふ有様であります。
 昨日も多摩川方面の調布へ行つて、電気ホームといふのを見て来ました。あの方面に目下田園都市といふのが出来て居りますが、これは欧米式に、店と住宅とを分離しようといふ趣旨から出たものであります。東京市内の様な、繁華な雑閙した処に商店や事務所等を持つてゐる人の住宅を郊外の衛生に適した処に作る様にしようといふ事を、私はずつと以前から論じて居たのでしたが、遂に、殆ど私が主唱者となつて田園都市会社といふものを起しました。それから十年ばかりを経過して、近頃は余程、立派な新家屋も沢山出来、交通も便利になるといふ工合で、十年以前の私の理想が次第に実現されて来るのでよろこんでゐる次第であります。
 ところが、更に近頃私の伜が主として世話をやいて、家庭の電化といふことを主唱し、此程、電化された家庭の見本として調布に電気ホームといふのが出来たので、昨日は百人ばかりの関係者が集まつて実見する、私にも来てスヰツチを押せ(スヰツチインの式)といふ様なわけで行つて見て来ましたが、仲々便利に出来てゐるので感心しました。灯火は勿論の事、暖房も煮炊きも凡て電気でする。家の中がまことにきれいに工合よく出来てゐる。一寸椅子に掛けても、暖かく心持の良い電気座蒲団といふのがある。冷い時には足も電気で暖められる家庭生活に最も大事なのは火と水であるが、その火の役は凡て電気でつとめる。水までも電気で汲むといふ状態。菜葉や米の様な材料はまさか電気で作るわけには行かぬが、これら材料を買つて来さへすればあとはみんな電気が為てくれる。実に便利なものでした。
 併し電気といふものは、仲々吾々に正体の分らないもので、私には他の学問に関した話なら聞いても大抵の事は判るが、電気の話位聞いて判り難いものはありません。色々説明を聞いても、出て来る言葉が妙な変な言葉が多くて何うも判りにくい。此間も或る処で鯨井博士の無線電話の講演を聞いたが、これもよく判らぬ。その判らなかつた私に、講演のあとで、大勢に代つて挨拶として何か感想を話せと言はれて甚だ迷惑したが、次の様な事を申しておきました。『鯨井博士の話し方は良かつたのでせうが悲しい哉、私にはそれを充分に理解するだけの素養が無いから、御話になつたことの殆ど三分の一も判らなかつた。多分玆に居なさる皆様の中にも御判りにならなかつた節の沢山ある方が可なりあることゝ思ふ。尤も私が小学校の生徒であるとすれば皆様は中学校の生徒位といふ程度に、私よりはよくお判りなつた事と思ひますが、私は殊に新しいことを知らぬ。まことに自分の無学なことを歎息せずには居られません、併し又、ある方面から言ふと私は甚だ愉快に思ひます。この老年でありながら、すつかり昔の子供に返つ
 - 第53巻 p.376 -ページ画像 
た様な気がしました。今迄知らなかつたことを少しづつでも知つて行く事は甚だ愉快なもので、それに又、これからも益々新しい事を学んで、自分も尚大いに進歩して行ける様な気がして甚だ愉快です』
 まことに世の中の進歩といふ事は偉いもので、何もかも新しい事物ばかりの様に思はれますが、併しその間にも何時までも活きて行かねばならぬ古い物があります。それは即ち『道義』とか『人情』といふものであります。如何に文明になり科学が進んでも、これが失はれては決して完全なる進歩といふ事が出来ません。たとへ先人の説いた処に一部の改善を必要とすることありませうが、この道義・人情と云ふものは、何処迄も生きて行かねばならぬものであります。即ち新奇な事物に接して故きを温ねると云ふのは、この事を申すのであります。
 世の中の事凡てがさうであります。政治でも、昔風のお上は有りがたいもの、お上の仰せなら何んでも御無理御尤もと云ふ様な態度になり切つてしまふのもいけないが、反対に自分さへ良ければ、他人、社会は何うなつても良いと云ふのも困る。それでは、如何にデモクラシーが良いとか、人間の権利は生れながらにして平等である等と唱へて見ても、決して社会の進歩と云ふ事は望まれない。『皇室中心』の様な惇い情愛が忘れられたら、決して国家が安全になることも、完全なる文明に進むことも出来ないこと云ふ迄もありません。
 故い事のみに拘泥してもいけなければ、新しい事ばかりに拘泥してもいけない。温故而知新と、知新而温故との二つの心の態度を兼ね備へて、進み行く時勢に善処したいのであります。
                    (十一月向上所載)


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK530062k-0007)
第53巻 p.376 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
二月四日 晴 寒
○上略 秀雄来話ス、依テ田園都市ニ於テ蔵前土地取扱ノ事ニ付不注意ノ事ヲ訓示ス○下略


集会日時通知表 大正一五年(DK530062k-0008)
第53巻 p.376 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 水 午后四時 田園都市会社御案内(歌舞伎座)


渋沢栄一書翰 渡辺得男・白石喜太郎宛(大正一五年)八月一三日(DK530062k-0009)
第53巻 p.376-377 ページ画像

渋沢栄一書翰 渡辺得男・白石喜太郎宛(大正一五年)八月一三日
                   (白石喜太郎氏所蔵)
○上略
又今日別紙印刷物持参、田園都市関係之電鉄会社職工代表と申事にて当旅宿へ両名之職工体之者来訪、別紙を以て取次者なる中野まて種々申出有之候へとも、会見候ても詰り要領を得る事ハ難出来と思惟して其儘聴置申候、右者秀雄ニ於て心得居候事と存候、早々御照会之上事情御詳報被下度候、来訪者之申候処に拠れバ、市原社長ハ取合呉れ不申、鉄道之専務ハ頑固之挨拶にて、秀雄様にも面会致候も、確乎たる回答無之困却之由、取次者たる中野まて縷々申出候由ニ候、是も早々秀雄ニ御打合相成、何分之報知被成度候
○中略
 - 第53巻 p.377 -ページ画像 
  八月十三日
                         栄一
    渡辺
    白石両兄梧下
○下略
   ○別紙ヲ欠ク。


渋沢栄一書翰 白石喜太郎宛(大正一五年)八月一五日(DK530062k-0010)
第53巻 p.377 ページ画像

渋沢栄一書翰 白石喜太郎宛(大正一五年)八月一五日 (白石喜太郎氏所蔵)
○上略
石川島造船所及田園都市職工之現状ハ其中詳細之報知可有之云々承知いたし候
○中略
  八月十五日
                         栄一
    白石喜太郎様
         貴酬
○下略


(増田明六) 日誌 昭和元年(DK530062k-0011)
第53巻 p.377 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和元年     (増田正純氏所蔵)
十二月廿八日 火 晴             出勤
本日の来訪者と其要件
1、竹田政智君 田園都市会社並目黒蒲田電鉄会社株式ニ関する件
○下略


渋沢栄一 日記 昭和二年(DK530062k-0012)
第53巻 p.377 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 曇 寒気昨日ト同シ 朝来雲霧ハ多キモ雨ニ至ラス風ナクシテ庭前頗ル幽静ヲ覚フ
○上略 朝飧ス、畢テ秀雄ノ来訪ニ接シ、田園都市会社ノ近状ヲ聴取ス、又同会社其他諸会社ノ実況ヲ説明セラル○下略
   ○中略。
一月十一日 曇 寒威昨ト同シ
○上略 秀雄来訪、田園都市会社ノ事ヲ談ス○下略