デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
13節 土木・築港・土地会社
3款 田園都市株式会社
■綱文

第53巻 p.377-387(DK530063k) ページ画像

昭和2年6月30日(1927年)

是日、多摩川園ニ於テ、当会社関係地主等地元有志主催ノ栄一歓迎会挙行セラル。栄一、出席シテ演説ヲナス。

席上栄一、当会社ノ事業発展ヲ賀シテ、一詩ヲ賦シ、当日随行ノ二松学舎漢学者、之ニ唱和ス。後、之等ノ漢詩ヲ集輯シテ「玉川唱和集」刊行セラル。


■資料

竜門雑誌 第四六六号・第一〇二頁昭和二年七月 青淵先生動静大要(DK530063k-0001)
第53巻 p.377-378 ページ画像

竜門雑誌 第四六六号・第一〇二頁昭和二年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
 - 第53巻 p.378 -ページ画像 
三十日 田園都市地主催青淵先生歓迎会(多摩川園)


集会日時通知表 昭和二年(DK530063k-0002)
第53巻 p.378 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
六月三十日 木 午前 八、三〇 田園都市会社御出向 飛鳥山発
        午前 九、二〇 目黒駅着
           九、四〇 洗足駅着
          一〇、五〇 調布駅着


竜門雑誌 第四六六号・第一〇七―一〇九頁昭和二年七月 祝辞(田園都市地主の青淵先生歓迎会に於けるもの)(DK530063k-0003)
第53巻 p.378-379 ページ画像

竜門雑誌 第四六六号・第一〇七―一〇九頁昭和二年七月
    祝辞(田園都市地主の青淵先生歓迎会に於けるもの)
 機を見るに敏にして、事を処するに公平なる地方諸賢の斡旋と、会社当事者諸氏の忠実なる努力と相俟ちて、我が田園都市会社の事業が斯く完全の発展を遂げ、玆に地方諸賢より特に老生の為に、此大会を挙行せられたるは、実に望外の光栄にして欣喜に堪へざる所なり、因りて老生は此機会に於て一場の祝辞を陳べて地方諸賢に感謝すると同時に、数十年来の記憶と理想とを喚起して、来会諸君の清聴を請はんとす
 回顧すれば老生は維新前より数回欧米の諸邦を旅行し、其大都市を観察するに、各商店は概ね店舗と住宅とを異にし、而して其住宅は多く都塵を避けたる郊外に在りて、朝に店舗に来り、夕に住宅に還るを常とせり、然るに我が東京市の如きは、古来の慣習上店舗住宅同一なるが為に、緊要の商業地区を庭園庖厨等に浪費して各般の施設を妨ぐるのみならず、風紀衛生上に及ぼす弊害も亦鮮からず、之を改善するは実に都市に於ける地積の経済にして、同時に商工業発達の一助たるべきを痛感せり
 仍りて老生は此理想を実現せんと欲し、大正四・五年の交、二・三の同志と謀りて、多摩川の流に沿へる荏原郡の一角を其候補地に擬したり、蓋し此地は東京・横浜両都市の中間に介在し、土地高燥且つ肥沃にして、四望山水の風致に富み、気候亦最も人に宜しく、幸に交通機関の便あらば、真に恰当の住宅地たるべきを以てなり、恰も好し此地に居住する畑弥右衛門君は老生の旧友なるを以て、同氏に依りて地方の諸賢に協議したるに、諸賢も亦大に賛意を表せられ、遂に一事業会社を設立するに決したり、而して其基礎となるべき数十万坪の土地は、地方諸賢の尽力に依り極めて廉価を以て会社へ提供せらるゝ事となりたれば、玆に始めて創業の事務其緒に就き、七年九月田園都市株式会社の成立を見るに至れり
 会社創立の事由は此の如くなれば、爾来会社は専ら田園都市に必要なる諸般の施設即ち道路・上下水道より公園・学校等の整備に力を注げり、就中最も其意を用ゐたるは交通機関に在り、蓋し交通の便を欠けば田園都市は殆ど無用の長物となり了るべければなり、老生は単に首唱者たるに止りて、固より自ら経営の任に当れるにあらざれば、今詳に其業績を列挙するを得ざれども、現在本社の姉妹会社とも云ふべき目黒蒲田電鉄会社に依りて、目黒・蒲田間に電車を運転し、以て田園都市と東京市の中心とを聯絡し、又東京横浜電鉄会社に依りて京浜
 - 第53巻 p.379 -ページ画像 
の交通を一層便ならしめつゝあるの一事を以て、其異常なる発達を証するに余りあるべし
 斯くて多摩川の左岸水清く草緑なる処、広袤五・六十万坪に亘れる此田園都市は、真に理想的なる別寰区を現出し、延て傍近町村の発展となり、都人と地方在住者と相互に便益を蒙りつゝあるは、誠に老生の欣快に堪へざる所なり
 然りと雖も喜あれば必ず憂あり、一利あれば一害随て生ずるは数の免れざる所なり、田園都市の年を逐ひて発展するに伴ひ、識らず知らず都会軽佻の風を移入して、地方質実の美俗を壊るの虞なしと云ふべからず、殊に近時一般の人情輙もすれば浮華に流れ、我利に競奔して犠牲奉公の念に乏しく、大学に所謂、義を以て利と為すが如き行為に至りては、絶えて見る能はざるの状態なるは、老生の深く慨歎する所なり、冀くば地方の諸賢相戒めて安逸に流れず、驕泰に陥らず、義利両つながら全くして、長へに模範的住宅地たらしむるに務められんことを
   賀田園都市会社事業発展
新阡先喜映朝光。 四望山川引興長。 商不二価耕譲畔。
果然義利両全郷。
  昭和二年六月三十日
               八十八翁 青淵 渋沢栄一


二松学報 第一一号昭和二年九月 渋沢舎長(DK530063k-0004)
第53巻 p.379 ページ画像

二松学報 第一一号昭和二年九月
○渋沢舎長 今より十数年前舎長の考案指導に係る多摩川左岸広袤六十万坪に亘れる田園都市が完全に出来し、理想的別天地を実現したるを以て、同地及附近有志者は本年六月三十日を以て同地に於て舎長歓迎の会を開きたり、二松学舎理事教授は当日同伴の栄を得て、自動車数台を連ねて新都市の街衢を遍く巡覧したり、午前十時より会場に於て式を挙げ終つて盛大なる宴会に移り、宴終りて余興数番午后三時を以て一同散会せり、当日舎長は左の詩を賦せられたり
   ○詩ハ前掲ニツキ略ス。
 一同次韻の作あり、尚広く募集して小冊子として頒布する予定なり


竜門雑誌 第四六九号・第六六頁昭和二年一〇月 ○文苑(DK530063k-0005)
第53巻 p.379 ページ画像

竜門雑誌 第四六九号・第六六頁昭和二年一〇月
    ○文苑
青淵先生はさきに田園都市の招待会に臨まれた席上、次のやうな詩をお作りになりました。
   ○詩ハ前掲ニツキ略ス。


玉川唱和集 第一―二〇丁(昭和三年)刊 和綴本(DK530063k-0006)
第53巻 p.379-386 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(浜口録之助) 書翰 渋沢栄一宛昭和三年二月一三日(DK530063k-0007)
第53巻 p.386 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第四八一号・第三五九―三六〇頁昭和三年一〇月 儒学と青淵先生 山田準(DK530063k-0008)
第53巻 p.386-387 ページ画像

竜門雑誌 第四八一号・第三五九―三六〇頁昭和三年一〇月
    儒学と青淵先生
                        山田準
○上略 昨年六月、先生が十余年前発議勧誘された玉川田園都市が完成したので、其地方人士が歓迎会を開いて先生を招待した。当時余等読書の士十数人が勧められて随行した。其時先生が会場で発表された詩は左の通りである。
 新阡先喜映朝光。 四望山川引興長。 商不二価耕譲畔。 果然義利両全郷。
 右に唱和の作が数十篇集り、序跋も出来、「玉川唱和集」と題して
 - 第53巻 p.387 -ページ画像 
立派な書物に刷り上げ、田園都市の諸人に配布された。先生の一生を織り成せる、先憂後楽の美しい精神が其間に磅礴せるを覚えるのである。○下略