デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
13節 土木・築港・土地会社
6款 仙石原地所株式会社 箱根温泉供給株式会社
■綱文

第53巻 p.421-428(DK530069k) ページ画像

昭和3年3月14日(1928年)

是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、益田孝・安川雄之助等ト会シ、明治十三年以来益田・三井両家ト共有シ来レル箱根仙石原ノ土地ヲ基トシテ、資本金百万円ノ株式会社設立ヲ内定シ、又、予テ宮内省帝室林野局ノ勧奨ニ係ル温泉供給会社ノ設立ニ関シ協議ヲナス。


■資料

渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第五五二―五五五頁 昭和八年一二月刊(DK530069k-0001)
第53巻 p.421-423 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第五五二―五五五頁 昭和八年一二月刊
 ○第四編「初秋」四 農業と牧畜
    その三 奥箱根の開発
 箱根――親しみを以て響く温泉郷箱根の名は、箱根登山鉄道沿線か又は所謂箱根七湯に限られる様に一般に諒解せられる。然し事実は左様ではない。箱根国立公園を実現すべき地域――『大箱根』から見ては、此等は僅かに一部分に過ぎない。交通機関の関係もあらう。地勢の関係もあらう、其原因は何れにあるにしても、他の部分――奥箱根を知る人は少い。奥箱根は駒ケ岳・冠ケ岳・大涌谷をつなぐ線を境とし、湖尻峠・長尾峠・乙女峠などの外輪山を以て囲まるゝ部分である軽井沢・富士見と共に、関東三大高原と云はれる仙石原を中心とする高原地帯である。
 奥箱根と渋沢子爵との関係は古い。グラント将軍を迎へて空前の大歓迎の中心となつて働いた明治十二年、当時常に事を共にした益田男爵と計り、毛布の原料たる羊毛を得ん為め、勧農局に『純粋のメリノー種羊五百頭拝借の儀』を出願したのがその最初である。明治の初年既に羊毛の輸入防遏を企図したところ子爵の面目が躍如として居る。勿論子爵等の希望は容れられ、綿羊貸下げの許可があつた。此等綿羊飼育の方法練習の為め、同年須永伝蔵を三里塚牧場に派遣した。須永は子爵の従弟で、嘗て渋沢喜作等と共に彰義隊に在つて活躍した人である。
 三里塚に赴き指導者ジヨンスにつき実務練習中、須永は子爵等の牧畜業経営の計画を聞き、候補地として仙石原を推薦した。蓋しジヨンスの主張を其儘取次いだのであらう。須永の提案により益田男爵は親しく其実地を踏査し、好適地なるを認め、子爵も亦之を賛し、神奈川県庁との間に払下げの手続を了し、愈開拓に着手したのは明治十三年二月であつた。かくして子爵等の仙石原に於ける事業が開始せらるゝと共に、須永は選ばれて其主任となり、文字通り野に臥し山に寝ね、専心努力した。然し須永の懸命の努力に拘らず、原を埋めた萱は、刈るに従つて延び、限りある人力を以てしては如何とも出来なかつた。
 - 第53巻 p.422 -ページ画像 
かくて已むなく先づ乳牛を牧して草の質を改良し、然る後徐ろに綿羊飼育に移ることに方針を更め『綿羊拝借願』を取消した。羊毛の輸入防遏と云ふ当初の目的は放棄したが、其代り、牛乳とバタの販売によつて当時の時代相であつた欧化主義の具体化に資した。恐らくは牛肉を戸外にて煮たであらう明治初年に、牛乳の普及に努め、バタを製造販売した苦心は察するに余りがある。乳牛の飼育と牛乳の普及に鋭意する傍、又馬の放牧をも営んだが、仙石原を埋骨の地として奮闘刻苦した須永の二十余年に亘るこの事業――耕牧舎に対する努力は次第に実を結び、東京(中根岸・築地・芝、及四谷)・宮ノ下・箱根・小田原・沼津・猿橋等に支舎を設置する迄になつた。然るに明治三十七年須永が病に斃れ、俄に中心を失うた耕牧舎の事業は一頓挫を来した。かくて各地支舎はそれぞれの主任者の自営に委ね、独立せしめて始末したが、仙石原は又もとの原野にかへり、萱草徒らに生ひ、空しく枯れつゝ二十余年の春秋を送り、昭和三年七月仙石原地所会社として更生するまで静寂を守り続けた。五十年の無駄の累積は長尾峠下に鬱蒼たる杉林となり、又長尾以西に続く傾斜面に青く浮ぶ植林地となり、更にこの仙石原地所会社となつた。而してこの会社の関係から――明治初年以来子爵と益田男爵が奥箱根に交渉を持つた関係から、此等有力者の手で箱根温泉供給会社が生れた。箱根温泉供給会社は仙石原を中心とする奥箱根一帯を、温泉の普及、温泉の大衆化によりて開発せんことを目的として設立せられたもので、その成立に就ては子爵の主張と配慮とを挙げねばならない。遡つて記して見よう。
 我邦医学史に偉大なる足跡を印したベルツ博士は、明治二十年長文の意見書を宮内大臣に提出し、箱根大涌谷を中心としてバーデン・バーデンの如き大温泉郷を設け、大衆の衛生保健に資せんことを主張した。宮内省はこの意見に基き、大涌谷・姥子附近一帯の土地山林を漸次買上げて御料地に編入したが、ベルツの理想は実現するに至らず、三・四の人々が温泉の払下げを受けるに過ぎなかつた。然るに昭和三年に至り、宮内省は本来の目的に副はんことゝ、温泉払下げ権利者統制の煩を避けん為め、大涌谷の開放を決意し、之を基礎として『温泉供給』を目的とする会社を組織せんことを希望するに至つた。
 かくて昭和三年二月この宮内省の内議は林野局長官より内示せられ翌三月子爵は益田男爵・安川雄之助・渋沢敬三等の諸氏を渋沢事務所に招き之が対案を練つた。実業界を脱して後十数年、社会公共・国民外交等の広き分野に働いた子爵が、形式から見て一営利会社のことに関係した様に見えるこの事実は、子爵の凝滞なき大人格を語るものであると共に、社会大衆を思ふ熱情の現はれである。それはこの記念すべき会合に於て発表した子爵の意見によつて明かである。
 『私は益田男爵と共に、昔から箱根の奥仙石原に土地を持ち、牧畜開墾等種々の事業を経営しましたが、何れも成績が挙らず今日になりました。これ迄度々宮内省当局の方々に対し、大涌谷の開放に就て御話しましたが、容易に御同意を得ることが出来ませんでした。ところが今回宮内省に於ける大涌谷開放の内議を洩れ承り、欣快に堪へません。然し今度のことは仙石原のみを目的とするものでありませんので
 - 第53巻 p.423 -ページ画像 
私等の関係した土地は何等の影響を受けないかも分りませんが、私は自分の関係ある土地へ、たとへ一滴の温泉が来なくとも、地方一般の利益を増進し得るならば、真に結構であると喜んで居ります。この内議が、私共の仙石原に土地を有つて居る関係から、最初に私共の耳に入つたことを考へますと、仙石原に関係したことが始めて意義あることになり、明治初年以来の苦心が酬いられた様に思はれまして、誠に喜びに堪へません。
 然し此の種の事業は利益を主として考へる様では到底目的を達することが出来ないのと、宮内省の希望により、之に代つて経営すると云ふ訳でありますから、此等の点を考へて、余程慎重に進まねばならぬと思ひます』
 子爵のこの感慨と注意とを基礎として組織せられたこの会社は、パブリツク・ユーチリチーの模範として立つ覚悟を以て出発し、『営利』よりは『奉仕』を目的として経営せん為め準備につとめ、爾来幾春秋を基礎調査と設計とに送り、漸くにして第一期計画を完成し、子爵の指導と激励によつて成れる新式木管によつて、強羅並に仙石原村に予期の如き温泉を送ることが出来、子爵の希望した『奉仕』の第一歩を踏み出したのは、昭和八年三月一日であつた。
○下略


(増田明六)日誌 大正一四年(DK530069k-0002)
第53巻 p.423-424 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一四年      (増田正純氏所蔵)
十四日○十月 水 晴              出勤
本日来訪者及其要件
○中略
六佐々田彰夫 仙石原共有地ニ於て温泉堀鑿願書《(掘)》を出したる者あり、同地温泉地帯は隣接地ウバ《(姥子)》湖温泉ニ接続するものなるハ先年巨智部博士の調査報告ニ依りて明かなれハ、若し之を許可するニ於てハ必す同温泉営業者より苦情あるハ明燎《(瞭)》なるニ付、之を不許可と為す方可ならんと思ふが、貴見如何との事なり、図面上より見るも如何にも佐々田氏の言の如く思はるゝニ就き、至極賛成と同意したり、特ニ先年来宮内省ニ出願し居る大地獄拝借の件許可せらるゝ場合ハ、温泉を引用する事容易なるべきを以てなり
○下略
   ○中略。
二十二日○十月 木 曇              出勤
○上略
本日の来訪者及要件
○中略
3佐々田彰夫 仙石原村共有地宮内省ニて百町歩買入希望の内交渉ありしが之が諾否ニ関する件 折柄子爵御出勤中ニ付、佐々田氏と共ニ御意見ヲ伺ひ無条件ニて之を応諾する事、但先年来希望願書を提出したる温泉引用の義、許可を与へらるゝ様内願する事ニ決す
○下略
   ○中略。
 - 第53巻 p.424 -ページ画像 
二十日○一一月 金 晴
午前中飛鳥山邸拝訪、子爵並同令夫人御病気御見舞の上子爵ニ左記ノ件御話申上けたり
○上略
一仙石原共有地の内宮内省御買上地の件
○下略


(増田明六)日誌 昭和三年(DK530069k-0003)
第53巻 p.424 ページ画像

(増田明六)日誌 昭和三年        (増田正純氏所蔵)
二月二日 木 晴                 出勤
○上略
本日の来訪者と要談
○中略
2大崎新吉氏 箱根仙石原村所在地所一部分を測量用地として一時借入度件
   ○中略。
二月七日 火 晴                 出勤
○上略
渋沢子爵去二日以来軽微の風邪で、飛鳥山邸ニ引籠り加療せられて居る○中略
出勤掛に拝訪して種々要務ニ付き御報告をした、其中ニ就き
○中略
二箱根大涌谷温泉統一ニ関し、宮内省より温泉引用会社設置の勧誘ありし件ハ、其趣旨賛成なるも尚講究すべきニ付き、増田等ニ於ても十分研究せよと申聞された
○下略
   ○中略。
二月十日 金 晴                 出勤
前十事務処ニ於て佐々田彰夫氏の来訪を受け、渋沢敬三氏と共ニ仙石原共有地(渋沢・三井・益田男)開発策ニ付き協議す、今度宮内省ニ於て其所有する大涌谷の温泉地を提供するニ付、温泉引用会社を組織してハ如何との勧誘ありしニ関し、之を組織する事が仙石原開発の根拠なるは勿論なるが、其設置ニ付き如何なる方法ニ依るを適当とする哉ニ付き協議したる次第なるが、大体ニ於て此勧誘は是非甘諾すべき事とし、其方法ニ付てハ三井・益田両家ニても十分講究せられたし、我も十分考慮すべきを約したり
○下略


渋沢栄一 日記 昭和三年(DK530069k-0004)
第53巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十三日 晴 寒気強カラス
○上略 佐々田彰夫氏増田ト共ニ来リテ、箱根仙石原ノ土地及温泉設備等ニ関シ宮内省ノ意向ヲ報告セラル、依テ先ツ益田氏及三井物産会社ト熟議ノ必要ヲ縷述シ、物産ト益田氏トニ充分ノ内話ヲ注意ス
○下略
 - 第53巻 p.425 -ページ画像 

(増田明六)日誌 昭和三年(DK530069k-0005)
第53巻 p.425-428 ページ画像

(増田明六)日誌 昭和三年       (増田正純氏所蔵)
二月十三日 月 晴                出勤
朝飛鳥山邸ニ子爵拝訪した、○中略 佐々田彰夫氏の箱根仙石原開発ニ関する件の談話ニ参加した
右佐々田氏の子爵報告は、箱根ニ於ける宮内省所管大涌谷を中心としたる温泉会社設立ニ関し、宮内省より特ニ勧誘ありし事、並之を引受くべき哉との問題なり、子爵ハ右設立は至極結構の事なれとも、其方法を充分講究の上ニせされハ、或ハ富豪対宮内省の事業丈けニ世人より誤解を受くる恐あり、当方ニても特《(篤)》と研究可致ニ付、共有者たる益田男・三井物産ニても十分此点を考慮し、適当之方法を案出する事ニ致度と答へられた
○下略
   ○中略。
二月十五日 水 晴                出勤
○上略
本日の来訪者
○中略
2佐々田彰夫氏 仙石原土地開発ニ関し打合ハせの為め
夕刻帰宅の序、飛鳥山邸に子爵を拝訪した、最早御病気御全快ニて明日は事務処ニ出勤すとの御話であつた
○中略
一佐々田彰夫氏来訪、仙石原土地開発の件々、近日相談会開き度しとの益田孝男より子爵ニ伝言ありし事
○中略
等を報告した
   ○中略。
二月廿九日 水 晴                出勤
午後一時半、箱根温泉会社設立の件ニ付き、之ニ先ちて仙石原共有地を会社と為すの義ハ、予て共有者たる渋沢家・益田男・三井家の協議なりしが、此原案出来せりとて、佐々田彰夫氏来訪、説明を聞き、篤と講究の上再会すべき事を約した
○下略
   ○中略。
三月十三日 火 晴                出勤
朝阪谷男爵を原町邸ニ訪問
○中略
等を御話した、又仙石原地所開発ニ関する件をも御報告した
○下略
三月十四日 水 晴                出勤
早朝飛鳥山邸ニ子爵を訪ね
一仙石原共有地を基として会社設立の件
一箱根温泉会社設立の件
に就き詳細説明をして、午後の右ニ関する御会合の参考に供した
午後二時、丸の内に、子爵・益田孝男爵・安川雄之助氏、渋沢敬三氏、
 - 第53巻 p.426 -ページ画像 
佐々田彰夫氏と会し、仙石原共有地(渋沢家・三井家・益田家共有地)を株式となすの件に付き種々意見の交換を為して、資本金百万円、内第一回払込金弐十七万五千円と為す事を決定した、次て箱根温泉会社設立の件ニ移り協議したが、是又、仙石原共有者が其設立の中心となり、同社を設立すべき事とし、予て来会を請ふた宮内省林野局技師東郷直氏より、右会社設立の事情、及必要等に付き談話を聞いた
箱根温泉会社は、宮内省の案であつて、之が設立に付て共有者側が主となりて尽力を請ふとの希望があつたのである、今日の会談で之を承知した次第である
○下略
三月十五日 木 晴                出勤
朝九時、渋沢敬三氏と共ニ阪谷男爵を訪問した、前日事務所に於て仙石原及箱根の両土地会社の件ニ付き会合の際、男爵ニ両社の社長たる事を三井側安川氏より希望したので、之を相談する為であつた
渋沢氏及小生より両社の設立ニ関する前日会談の顛末を報告した処、快く阪谷男爵は承諾されたのであつた。
○下略
   ○中略。
三月廿九日 木 晴                出勤
本日の来訪者と要件
○中略
4佐々田彰夫氏 仙石原地所会社設立の件
   ○中略。
五月二日 水 晴                 出勤
○上略
佐々田彰夫氏来訪、仙石原地所会社設立並箱根温泉供給会社設立の件ニ付き協議があつた
   ○中略。
五月廿二日 火 晴                出勤
○上略
今日の接客及用談
1佐々田彰夫氏 仙石原土地会社設立の経過報告があつた
○下略
   ○中略。
六月二日 土 降雨風あり             出勤
○上略
本日の面会人
1佐々田彰夫氏 仙石原温泉供給会社の件で、宮内省との交渉の次第報告の為めと、大倉男爵から宮内大臣宛温泉供給の願書があつたのを報告の為めであつた
○下略
   ○中略。
六月七日 本 晴                 出勤
朝阪谷男爵を拝訪して○中略 仙石原地処会社設立ニ関し御報告を為し、
 - 第53巻 p.427 -ページ画像 
又御協議をした
○下略
六月八日 金 晴                 出勤
○上略
午後一時大倉男爵をホテルに訪問す、偶々午食中に会し、語りつゝ饗を受けた
食後別室に於て、仙石原地所会社並箱根温泉会社設立の件ニ付き共同尽力せられ度と陳へたが、男爵は篤と考慮し置くとの挨拶であつた
小生は宮内省は共存共栄の主義で、温泉供給会社設立を仙石原共有地者ニ内談があつた、段々調査した処、其設立は引湯既得権者ニ取り、又未た温泉を得さるものに取り頗る有利のものと思はるゝので、目下宮内省ニ於て既得権者ニ交渉中である、不日談は纏まる筈であるから其場合御互ニ協力して其成立を期したいのであると語りしニ対し、男爵は、予は単独に温泉引用を宮内省に出願して居るがまた何等の回答ニ接して居ない、不許可ならは其願書を却下するがよい、予として考がある、又宮内省は既得権者ニ交渉して居る由であるが、孰れも夫れを問題として居ない、到底其交渉は円満に解決するもので無い、又宮内省の温泉会社設立に就いては甚た純で無い点がある、或る人に内談して之を他ニ謀らない○中略 とか種々勝手の説を吐いて居た○下略
  ○中略。
六月十一日 月 晴                出勤
○上略
午後三時、丸の内渋沢事務所に阪谷男爵・東郷直(宮内省林野局技師)・佐々田彰夫(仙石原共有地監理人)・渡辺得男の四氏と会す、佐々田氏より仙石原地所会社の経歴、東郷氏より箱根大涌谷の来歴並宮内省ニ於て温泉供給会社設立の計画等に就き報告があつた、尚小生より去八日大倉男爵と温泉会社ニ関し談話した次第を報告した
右の会合は地処会社並供給会社の社長として就任せらるゝ内約の阪谷男爵に、過去の状況を報告して篤と了承を請はん為である
○下略
   ○中略。
七月二日 月 半晴
○上略
今日の来訪者は左の通である
○中略
3佐々田彰夫氏 仙石原地所の件
○下略
   ○中略。
七月七日 土 晴                 出勤
○上略
本日の来訪者
1佐々田彰夫氏 仙石原地処会社設立ニ関スル件
   ○中略。
七月十二日 木 晴                出勤
 - 第53巻 p.428 -ページ画像 
朝阪谷男爵を同邸に訪問し、仙石原地処会社の件○中略 に付き御協議した
○下略