デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
14節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第53巻 p.445-447(DK530074k) ページ画像

明治44年4月(1911年)

是月栄一、毎夕新聞記者ノ質問ニ対シ、角田真平ノ当取引所調査部長就任ニ関係ナキコトヲ説明ス。


■資料

竜門雑誌 第二七五号・第六八―六九頁 明治四四年四月 ○角田氏推薦に就て(DK530074k-0001)
第53巻 p.445-447 ページ画像

竜門雑誌 第二七五号・第六八―六九頁 明治四四年四月
 - 第53巻 p.446 -ページ画像 
○角田氏推薦に就て 角田真平氏が先般東京株式取引所内に設けられたる調査部長となれるは、青淵先生の推薦に因れるものなりとの巷説ありし為めなるべく、毎夕新聞記者は青淵先生を滝ノ川の別邸に訪ひて其実否を質したりとて、四月上旬の同紙上に掲載せる青淵先生との問答は左の如くなり。
 △問 東京株式取引所にては今回「調査部」なる一課を設け、角田真平氏を其部長に選任し、専ら取引所の改善上に付き調査を遂ぐるとの事ですが、巷間の伝ふる所に依れば、角田氏は閣下及び大倉喜八郎氏の御推薦に依て入所したさうですが、果して事実でせう乎。
 △答 イヤ、私は決して角田氏を推薦致しません、ソレは何かの間違でせう……私は大倉氏が推薦せられた様に聞いて居りますが……
 △問 角田氏は古い代言人で、法律家としての名聞は承知して居りますが、記者の寡聞なる為めか、氏が是れ迄実業界に於て大成功を収め、又た株式取引所に就て現当事者に超絶せる程深い智識経験を有して居らるゝ方とも思はれませぬ、今日朝野の間を物色すれば、之れが改革又は調査を委託するに足るべき学識経験手腕を兼備せる其人に乏からぬ様に考へられまするのに、斯界を料理するに特殊の大技倆も無く、経験智識も無き人を此重任に推薦した方の意思、及び甘んじて就職した角田氏其人の真意の存ずる所を領解するに苦しみます、角田氏には定めし大なる希望も抱負も有りませうが、局外者には寝耳に水の感が致しまするし、多数の株主仲買人や取引所に関係せる者の間にも私と同一の感を抱いて此間の消息を知りたいと翼望せる人も有りませうから、夫れで御伺致した次第であります。
 △答 私と角田氏とは数十年来の知合で、懇意の間柄でありますが今回の事に就ては前にも申しました通り、推薦も致しませねば、未だ氏から入所の挨拶にも接して居りませぬ、併し何日ぞや氏が市区改正局長を罷められた時私の宅に来られて、任期の満了を幸ひに市との関係を絶ち、将来は実業界に入りて働きたいとの相談がありましたから、適当の仕事が有つたら推薦もしようと思ふて居たのです成程氏の洋行した時欧米都市の設備も見て来たでせうが、何分短時日の事でもあり、主として保養の為めの漫遊だと聞いて居ります。
 △問 ソレでは角田氏は従来の口の人は止めて実業界の人たらんとして閣下に御相談したるものゝ、未だ適当の仕事の見付からざる中に、大倉氏の推薦に依り就任した様に思はれますが、一体大倉氏は取引所とドンな関係があるのですか。
 △答 大倉氏は益田と私と同じく取引所設置請願員の仲間です、現生存者中には他にも有りませうが、重なるものは先づ此三名です、私は今でこそ取引所の株も亦た役員の名義も持たずに無関係でありますが、私と株式取引所とは縁故最も深く、其設立当時も、私が率先して之を首唱し請願したのであります。
 △問 設立当時の状を承りたいものですが……
 △答 仁を為せば富まず、富めは仁ならずとは清国道徳の誤謬にして、英米の如き富強国に於ても、仁義道徳は最も厳しく行はれて居ります、私は夙に営利殖産にあらずんば国を興す能はざるを知り、
 - 第53巻 p.447 -ページ画像 
取引所設立に就ても、明治七年福地源一郎を英国に派して其の制度を調査せしめたる結果、取引所は文明国に於ける経済上重要機関なるを知り、時の大蔵卿大隈伯に出願せしに、官こそ異なれ私と同等の地位に在りて最も親密の友人たりし民部大丞玉乃世履を筆頭に法曹社会の反対激しく、相場は投機、則ち当時の語の空売買の弊ありとて、如何に理非を別けて説明するも聴かれなかつたのですが、同八年ボアソナードが我が司法省に聘せらるゝに及んで、氏に依りて始めて取引所の説明を聞き、流石頑強なりし法曹連中も玆に其迷想を覚醒し、十一年始めて認可をすることになつたので、資本金二十万円にて設立したのです、当時の公債と云へば秩禄、起業の如きものでも、其総べてを合せても千数百万円に過ぎず、株式としては僅少の銀行株存せしのみなりしが、既往を回想すれば殆んど隔世の感があります、今日の如く公債二十余億万円、株券亦数億円に達し、取引所の資本も一千二百万円の尨大なる大組織となりては、之れが改善の必要なる無論のことです、中野氏よりも昔しの縁故を以て忠言して貰いたいとの要求もあり、大倉氏よりも共々尽力せんとの勧告がありましたけれど、弊害は徐々に改正せざるべからず、舅姑が多くしては現理事も仕事が遣り悪いでせうから、過日もお話した様な次第であります……



〔参考〕東京株式取引所五十年史 同所編 第二五二―二五四頁 昭和三年一〇月刊(DK530074k-0002)
第53巻 p.447 ページ画像

東京株式取引所五十年史 同所編 第二五二―二五四頁 昭和三年一〇月刊
 ○第九章 役員・所員
    第一節 役員
○上略
選任又は退任年月日      理事長 理事長代理者 理事 監査役
○中略
明治四十四年十二月二十二日 男爵郷誠之助氏 角田真平氏
○中略
大正八年三月二十一日         角田真平氏死去
○下略
   ○理事・監査役ノ氏名略ス。