公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正2年10月5日(1913年)
是日栄一、当取引所営業満期継続祝賀会ニ出席シ、来賓総代トシテ祝辞ヲ述ブ。
竜門雑誌 第三〇五号・第六三頁 大正二年一〇月 ○東京株式取引所営業継続祝賀会(DK530078k-0001)
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竜門雑誌 第三〇五号・第六三頁 大正二年一〇月
○東京株式取引所営業継続祝賀会 東京株式取引所営業満期継続記念
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祝賀会は、十月五日午後一時より同取引所内に行はれたるが、当日の来賓は青淵先生・橋本農商務次官・尾崎三郎男・大倉喜八郎・日比谷平左衛門・杉原栄三郎・中島行孝・宮川助役以下官公吏・実業家等朝野の名士約六百名にして、定刻郷理事長主人役としての挨拶あり、之に対し大臣代理橋本農商務次官の謝辞あり、最後に来賓総代として青淵先生起て
明治七・八年頃、余が株式取引所設立のことを称ふるや、政府当局者(余も当時は大蔵権大丞たりき)間に反対論多く、就中法曹社会の反対著しく玉乃世履氏の如き最硬の反対論者なりき、余は間もなく官を辞したるが、越て九年の冬、玉乃氏一日余が居に来訪し、其後ポアソナアード氏来朝と共に限月取引の断然賭博と性質を異にし法律上何等の差支へなきものたることを学び得たり、従つて往年の反対論を撤回し、改めて設立論者たる余に同感なる旨を語れり、爰に於てか勇猛一進、間もなく明治十一年当取引所の設立を見たる次第にして、当時の資本僅かに二十万円なりしもの今や千幾百万円に増加されたるが如き、今日より之を見れば殆んど隔世の思ひありて感慨の深きものあり、古きを温ねて新しきを知る、余が此の一片の昔話しが将来の発展の上に何ほどかの参考とならば望外の幸也云々
と述べ、右終りて各種の余興及立食の饗応ありて、午後六時頃散会したりと云ふ。
〔参考〕渋沢栄一 日記 大正三年(DK530078k-0002)
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渋沢栄一 日記 大正三年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十八日 曇天 寒気厳ナラス少ク春色ヲ催フスニ似タリ
○上略 十二時半、銀行倶楽部ニ抵リテ午飧シ、後株式取引所ヨリノ申出ニ付、早川・松方・池田・佐々木・深井英五ノ諸氏ト協議ス、畢テ其議決ノ趣旨ヲ久万書記長ヨリ回答セシム○下略
〔参考〕東京株式取引所五十年史 同所編 第四三―四四頁 昭和三年一〇月刊(DK530078k-0003)
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東京株式取引所五十年史 同所編 第四三―四四頁 昭和三年一〇月刊
○第二章 本所の沿革
第四節 自明治三十七年 至大正四年
○上略
数年来、本所が各取引所と共に尽瘁せし取引所法及び取引所税法改正案は大正三年三月、帝国議会を通過し、同年九月一日より実施せられたるを以て、定款を変更し、随て売買手数料及び仲買人口銭の定率をも改正し、又新に委託手数料率を定めたり。
○下略
〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK530078k-0004)
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集会日時通知表 大正五年 (渋沢子爵家所蔵)
一月廿三日 日 午後一時 株式取引処新年宴会(同処)