デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
15節 倉庫
1款 渋沢倉庫株式会社
■綱文

第53巻 p.499-500(DK530089k) ページ画像

明治42年8月30日(1909年)


 - 第53巻 p.500 -ページ画像 

是日栄一、渡米ノ船中ヨリ、当会社専務取締役八十島親徳ニ書翰ヲ寄セ、当会社ノ経営ニ関シ指示ヲ与フ。


■資料

渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治四二年)八月三一日(DK530089k-0001)
第53巻 p.500 ページ画像

渋沢栄一書翰  八十島親徳宛(明治四二年)八月三一日   (八十島親義氏所蔵)
○上略
倉庫之事務ハ新創之際ニも有之、可成不都合無之様進行いたし度、百事佐々木君と御相談被成、精々業務進歩候様御勉力有之度候
○中略
    八月三十一日     ミネソタ号船中ニ於テ
                      渋沢栄一
    八十島親徳殿
         梧下
  ○栄一、是月十九日横浜出帆ノ汽船ミネソタ号ニテ渡米ノ途ニツク。右書翰ノ封筒ニ「四十二年八月三十一日 米国シヤトルヨリ」ト記セリ。


(八十島親徳)日録 明治四二年(DK530089k-0002)
第53巻 p.500 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四二年    (八十島親義氏所蔵)
九月六日 晴
○上略
兜町ニ出頭○中略 貯蓄銀行ニ至リ若主人○篤二ニハ掛違ヒ面会ヲ得ズ、南茅場町倉庫会社出張所ニ立寄ル、在荷六十万円、一見充満ノ体ナレド価格倍加セサレハ満足スルヲ得ズ、修繕工事一切成就、一見立派ニナレリ、深川本社ニ至リ営業ヲ見ル、総在荷二百卅万円、松辰ノ定期米買占、米価騰貴ノ為入荷多ク繁忙ナルハ幸也○下略
  ○中略。
十二月十二日 晴 日曜
○上略
今夜紅葉館ニ於テ渋沢倉庫員(職員及受渡方全員)ニ対シ慰労ノ宴ヲ開ク、之ハ旧渋沢倉庫部ガ組織変更ノ為事実上解散スルニ際シ、一同ヘ手当金ヲ給与シタル外ニ慰労ノ宴ヲ開ク事ニ定メシモ、予ノ健康ト季候ノ暑キトニヨリ延期シテ今日ニ至リシ処、最早年内余日モ無キニツキ愈今夕開会ト定メタル也、予ハ五時車ニテ同館ニ至ル、渋沢若主人氏ハ当夜ノ催主トシテ予等一同ニ対シ挨拶アリ、予ハ答辞ト予以下ノ部員ニ対スル謝詞ヲ陳ブ、日本風ノ丁寧ナル宴会ニシテ、末々ノ者ニ至ルマデ満足セシ事ト察セラル、但予ト若主人氏ハ早ク罷帰リ、後ハ一同ヲシテ充分ニ酣ヲ尽サシメタリ
  ○中略。
十二月十八日 晴
今朝飛鳥山邸ニ伺候ス○中略
倉庫会社ノ取締上ノ事ハ第一銀行ニモ相談ノ事等注意アリ○下略
  ○栄一、十二月十七日帰国ス。