デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
16節 ホテル
1款 株式会社帝国ホテル
■綱文

第53巻 p.534-536(DK530103k) ページ画像

明治43年1月15日(1910年)

是日栄一、当ホテルニ於ケル当会社重役会ニ出席シ、ホテル経営ニ関シテ意見ヲ述ブ。爾後栄一、屡々当会社重役会及ビ其他ノ会合ニ出席シ、又、内閣総理大臣桂太郎・農商務大臣大浦兼武・宮内大臣波多野敬直等ヲ訪問スル等、当会社ノタメ尽力スルトコロ少ナカラズ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK530103k-0001)
第53巻 p.534 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十五日 雪 寒甚
○上略 十一時半帝国ホテルニ抵リ、重役会ニ出席シテホテル営業ニ関スル意見ヲ述フ、大倉・村井・若尾・田中・林諸氏来会ス○下略
  ○中略。
一月二十六日
○上略 桂首相ヲ永田町官邸ニ訪ヘ、先ツ喜賓会ノ事、帝国ホテルノ事ヲ談話シ○下略
  ○中略。
二月十五日 晴 軽寒
○上略 島田俊雄氏来リ、東京市ニ大ホテル建設ノ事ニ関シ談話アリ○下略
  ○中略。
四月七日 晴 軽寒
○上略 正午帝国ホテルニ抵リ、大倉氏及林氏ト面会シテ将来ノ経営ニ関スル協議ヲ為ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK530103k-0002)
第53巻 p.534-535 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
 - 第53巻 p.535 -ページ画像 
七月十四日 晴 暑
○上略 六時帝国ホテルニ抵リ、大浦大臣・平山成信氏等ト会話ス、大倉・林二氏来会シテホテル事業ヲ談ス、夜大雷アリ、十時散会帰宿ス
○下略
  ○中略。
七月二十二日 曇 冷
○上略
午前九時永田町総理大臣官舎ニ抵リ、済生会ノ事ニ関スル会合ニ出席ス、畢テ大倉氏ト桂公爵・平田男爵ニ帝国ホテ《(ル脱)》ノ事ヲ談ス、畢テ農商務省ニ大浦氏ヲ訪ヘ、同ク帝国ホテルノ事ヲ依頼ス○下略
  ○中略。
十月二十一日 雨 冷
○上略
帝国ホテル林愛作氏来リ、将来ノホテル業拡張ノ見込ニ付種々ノ意見ヲ述ヘラル


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK530103k-0003)
第53巻 p.535 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月二十三日 晴 軽寒
○上略
午前十一時第一銀行ニ抵リ○中略 帝国ホテル林愛作氏○中略 来リ各要務ヲ談ス○下略
  ○中略。
六月十三日 曇 暑
○上略
午飧後有楽町内務大臣官舎ニ抵リ、原大臣ニ面会シテ○中略 帝国ホテルニ土地引渡ノ事○中略 等ヲ談話ス、畢テ帝国ホテルニ抵リ、林氏ト面話ス○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK530103k-0004)
第53巻 p.535 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
二月十八日 曇
○上略 十時宮内大臣官舎ニ抵リ、大倉氏ト共ニ波多野宮相ニ会見シテ、帝国ホテル新築敷地ノ事ニ関シテ種々ノ請願ヲ為ス○下略
  ○中略。
六月八日 曇夕方ヨリ雨
○上略 正午帝国ホテルニ抵リ、午飧後非常報知機ノ設備ヲ実験ス○下略
  ○中略。
十月十九日 晴
○上略 正午帝国ホテルニ抵リ、大倉氏等ノ役員会ニ出席シテ向後ノ経営ニ付意見ヲ述フ
○下略


集会日時通知表 大正四年(DK530103k-0005)
第53巻 p.535 ページ画像

集会日時通知表  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
十月十九日 火 正午 大倉喜八郎氏ヨリ御案内(帝国ホテル)

 - 第53巻 p.536 -ページ画像 

集会日時通知表 大正五年(DK530103k-0006)
第53巻 p.536 ページ画像

集会日時通知表  大正五年       (渋沢子爵家所蔵)
五月廿五日 木 午後六時 帝国ホテル重役会(同所)


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK530103k-0007)
第53巻 p.536 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 晴 寒
○上略 午後四時ヨリ帝国ホテルニ抵リ、建築ノ事ニ関シ大倉氏ト共ニ技師両名ト会見ス、門野重九郎氏通訳、林愛作氏も同席ス○下略



〔参考〕竜門雑誌 第三二八号・第四四―五三頁 大正四年九月 ○井上侯 青淵先生(DK530103k-0008)
第53巻 p.536 ページ画像

竜門雑誌  第三二八号・第四四―五三頁 大正四年九月
    ○井上侯              青淵先生
 故井上侯と青淵先生との関係及び侯生前の功績等に就て、青淵先生の談話として全国都鄙の各新聞紙に掲げたるもの少からずと雖も、其詳を悉くせるものを挙ぐれば即ち左の如し
○中略
 △中外商業新報掲載
○中略
△装飾方面の尽力 井上侯の外務大臣時代に於ては、務めて官民一致の風を成すに意を用ひられ、其香港大守ヘンネツシー氏の来朝ありし場合の如き、東京商業会議所を中心として官民合同の歓迎大会を開かしめたるが如き、若くば米国大統領グラント氏の来朝せし場合等、機会ある毎に外交上の方面に於ても、亦官民の連絡を取る事に注意せられたりき、而して侯が外務大臣の職を去るや、建築局総裁として内面的の外交のみならず、之を外面的の装飾に於ても一通り之を整ふる必要ありとなし、此見地によりて独逸の建築請負業者たるエンデーブツクマンによりて海軍省・裁判所其他日比谷に於ける独逸風建築に着手せられたるが、更に帝国ホテルも亦同一建築業者の手によりて落成したりしなり、当時井上侯は建築局総裁として帝国ホテルの創設に対して斡旋大に努め、其結果株式の一部は帝室に於て御所有あらせらるゝに至りし訳にして、民間に於ては益田・大倉の諸氏を始め予も亦出資者の一人たりき。
○下略