デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
16節 ホテル
2款 日本ホテル協会
■綱文

第53巻 p.552-554(DK530107k) ページ画像

明治45年2月10日(1912年)

是日栄一、帝国ホテル支配人林愛作ノ主催ニカカル、当協会晩餐会ニ出席シ、演説ヲナス。


■資料

中外商業新報 第九二六一号 明治四五年二月一一日 ○交通ホテル業者会合 帝国ホテルの晩餐会(DK530107k-0001)
第53巻 p.552 ページ画像

中外商業新報  第九二六一号 明治四五年二月一一日
    ○交通ホテル業者会合
      帝国ホテルの晩餐会
帝国ホテルにては十日午後六時より全国ホテル業者大会に出席の各地ホテル業者、同ホテル業及交通業等に関係ある諸名士を招待して、盛大なる晩餐会を開きたるが、宴半ばにして林帝国ホテル支配人の挨拶及乾盃あり、次に阪谷男立ちて、男がホテル業が其国の国民外交上に於て殊に必要あるを切実に感じ、之に深き注意を払ひ、且つ関係を有するに至りし成行を叙し、且つ外国二・三ホテルの実例を引て、同業の決して卑む可きものにあらざるを述べ、且つ花より団子とは云ふも誠実誠意の花なくば団子の価値を損する事大なりと結び、平井鉄道院副総裁は、一昨年瑞西に開かれたる万国鉄道同盟会出席当時の実験談より我ホテル業者に対し一場の希望を述、且今回計画しつゝあるツーリスト・ビローに対し列席者の賛成を請ひ、木下鉄道院営業課長は平井副総裁の後を受け観光局組織の沿革及内容に関し
 四十一年頃阪谷男尚蔵相たりし当時より内議ありたるが、今回愈々我鉄道院及一般交通・ホテル其他外国人相手の主なる商業家と協議の結果、之を組織する事となれり、而して其目的とする処は、外来旅客に対し旅行・宿泊・案内・購買及紹介等万般の便宜を図らんとするにあり
と述べて満場の賛助後援を求め、次に金子子爵は我ホテル殊に鉄道の不便不潔なる点に関し、先年来朝のプライスポール氏の批評を挙げて忌憚なく批評し、観光局の成立に際し、先づ請ふ隗より始めよと平井副総裁に警告し、渋沢男は金子子の直言に対しホテル業者側の為め滑稽的に弁明を試みたる後、男が明治二十三年以降四十二年迄ホテル業に関係せし当時の苦心を語り、次で今日の進運に向へるを祝福し、更らに将来に対する希望を述べ、来賓に代りて乾盃したり、尚ほ此他一二氏のテーブル・スピーチあり、主客十二分に歓を尽くして十時過散会したり、来会者は前記諸氏の外に大倉・村井(吉)・浅野・山脇大博事務官・頭本氏・各新聞記者等五十余名


竜門雑誌 第二八六号・第一一―一二頁 明治四五年三月 ○日本ホテル協会晩餐会に於て 青淵先生(DK530107k-0002)
第53巻 p.552-554 ページ画像

竜門雑誌  第二八六号・第一一―一二頁 明治四五年三月
    ○日本ホテル協会晩餐会に於て
                     青淵先生
 本篇は本年二月十日帝国ホテル代表者林愛作氏の主催にかゝる日
 - 第53巻 p.553 -ページ画像 
本ホテル協会晩餐会に於て青淵先生が述べられたる演説速記なり
                         (編者識)
私も二・三年前ならば諸君の御仲間となつて此宴会の主人位地に立つたのでありますが、今日は御客として御招待を受けまして種々の御高話を伺ひました、最早時間も経過しましたから長い事は申しませぬ、只御隣席の金子子爵から強い御小言がありまして、私も其直言を喜びます、若し三年前で有つたならば、私も此御攻撃を受ける一人で有りました、故に私は此席に於て特に申上げまする程の意見も有りませぬが、ホテル事業に就きましては、平井副総裁・木下課長の御演説と同様の感じを持つて居りますから、金子子爵の御小言で一縮みに縮むやうな思ひも致します、御非難も結構でありますが、一方からは奨励も致さなければ成りませぬのであります、私はホテル業に対しては所謂敗将勇を語らずと云ふ身柄で、ホテルの事業に就て申上げる資格は無いかも知れませぬ、けれども御小言を言ふは易いが、実行するのは仲仲難いものであります、私も随分苦みましたが、一向苦み甲斐がない明治二十三年から四十二年迄殆んど二十年間此れが経営に従業したが少しも此事業の進歩を見ない。
又喜賓会の事は明治十九年頃から継続してやつてをるが一向に発達しない、併しながら遅々として居る内に矢張り幾分の進歩はして居る、今日のホテル事業に就て金子子爵から段々の御訓誡によりて、大に改めなければならぬ点がある、他日は御褒め言を頂戴するやうにしなければならぬ、即ち二十年来の辛苦は是れより大に発展するの基礎を作る様になつたと思ふと、叱られつゝも斯業に苦んだ甲斐ある様に思はれる、是に於て始めて勇を語る資格も生ずる事であらうと思ふ。
諸君、先刻阪谷男爵は花より団子と云ふ御説があつたが、此の卓上の花は奇麗は奇麗でも室咲きの花である、室咲きではいけない、真の花を咲かせたいと思ふ。
故にホテル業者諸君の御会合に当つて、私の希望する所は斯業の信用を益々高めて真の花を咲かせたい、ホテル業は一国の経済にも関係する重要な事柄である、外国人を引受けて風景を見せる、物品を販売する、為めに自国に落つる貨幣は少なからぬのである、毎年欧米人が瑞西其他の風光明媚の地へ旅行して費消する金は少なからぬのである、どうか日本も多くの外国人を引受けて、ドシドシと来る様にしたいと思ふ、是れは一に此席に列せらるゝ諸君の勉強如何に依て出来る事である。
現今の貿易は海外より輸入がいつも超過する、而して此貿易は坐貿易といふて、従来我邦の当業者の微力を歎じた、併し此ホテル事業は外来の御客を接伴して外国人に満足を与ふるやうにしなければならぬ、詰り坐貿易にて経済の発達を謀るべきものである、幸ひに此ホテル事業が追々に進歩して、其力に依て貿易上に良影響を与ふることが出来るならば、実に国家の幸福である、而して我国内に巨額の金貨が流入するなれば、遂に兌換券の濫発も苦にならぬことになる、兎に角ホテル業者諸君の御勉強に依て、延ひて我邦の経済上又は国際上にも良影響を及ぼす様に御尽力有りて、金子子爵の御小言が追々と少くなるこ
 - 第53巻 p.554 -ページ画像 
とを諸君の為めに祈るのであります、私は終に臨んで御列席諸君の御健康を祈ります。



〔参考〕諸会発起趣意書(四) 【昭和二年八月五日 日本ホテル協会】(DK530107k-0003)
第53巻 p.554 ページ画像

諸会発起趣意書(四)          (渋沢子爵家所蔵)
  昭和二年八月五日
             日本ホテル協会
              会長 種田虎雄 日本ホテル協会之印
   子爵
    渋沢栄一殿
拝啓 時下酷暑之候愈御清適之段奉慶賀候
陳者日米親善を計ると共に本邦紹介の目的を以て、当協会主催の下に米国主要ホテル業者約四十人を本年九月下旬より一箇月に亘り招待する計画を樹て、既に内々先方の了解を得置、過般「カリホルニヤ・ホテル」協会宛公式の招待状を発信仕り候次第に有之候
右に付本計画を最も効果あらしめんが為、各方面に於ける有力者の御援助を願ふこととし、過般当協会理事たる帝国ホテル支配人犬丸徹三氏を介して御高堂の御援助を懇願申上候処、御快諾の御内意を得候段深謝に不堪儀に御座候
然る処、今般前記「カリホルニヤ・ホテル」協会より本件は意義ある大計画に有之候に付ては、人撰を厳にし、且相当の準備を為すの要あると共に、一方本年十一月紐育に於て米国ホテル協会総会開催せられ同時に「ホテル」博覧会をも開催する為、本年秋季に於ては乍遺憾招待に応じ兼ね候に付、是非来春迄延期あり度旨申越候に付ては、事情已むを得ずと被存候間、申越通り来春迄延期することに致す心算に有之候
今回の計画に対し折角御後援御快諾被下候にも不拘、右の次第にて本年秋季の招待は一と先づ之を延期する事に決し候に付ては、来春来邦の節は御援助蒙り度、伏して懇願仕る次第に有之候
先は右事情御報告旁々御依頼迄申上候 敬具



〔参考〕集会日時通知表 昭和三年(DK530107k-0004)
第53巻 p.554 ページ画像

集会日時通知表  昭和三年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十四日 月 午後三時 米国ホテル業者懇話会(飛鳥山邸)



〔参考〕竜門雑誌 第四七七号・第五七頁 昭和三年六月 青淵先生動静大要(DK530107k-0005)
第53巻 p.554 ページ画像

竜門雑誌  第四七七号・第五七頁 昭和三年六月
    青淵先生動静大要
      五月中
四月廿一日以来、自邸に於て専ら療養に努めらる。

渋沢栄一伝記資料 第五十三巻 終