デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
17節 貿易
2款 渋沢貿易合名会社
■綱文

第54巻 p.8-11(DK540005k) ページ画像

大正8年1月2日(1919年)

是ヨリ先、四男正雄、河野通・草刈元ト共ニ、当会社ヲ設立ス。是日栄一、当会社ヲ訪レ、社員一同ニ対シ訓示ヲナス。

当会社ハ、第一次欧洲大戦後ノ不況ニヨリ蹉跌ス。栄一、其整理ニ与ル。


■資料

竜門雑誌 第三五七号・第八七頁大正七年二月 渋沢貿易合名会社(DK540005k-0001)
第54巻 p.8 ページ画像

竜門雑誌  第三五七号・第八七頁大正七年二月
○渋沢貿易合名会社 本社会員渋沢正雄君は、昨秋第一銀行を辞せられ、爾後内外貨物の輸出入貿易並に国内に於ける貨物の売買等に従事せらるゝの目的を以て、十一月一日河野通・草刈元両氏と共に資本金拾万円の渋沢貿易合名会社を組織せられ、自ら同社の代表社員社長として拮据経営せられつゝあり。尤も同社は渋沢同族株式会社とは資本上の関係無く、全く正雄君個人の資格を以て之を組織せられたるものなりといふ。


集会日時通知表 大正八年(DK540005k-0002)
第54巻 p.8 ページ画像

集会日時通知表  大正八年       (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 木 午前十時 渋沢貿易会社御出向ノ約


渋沢栄一 日記 大正八年(DK540005k-0003)
第54巻 p.8-9 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 曇 寒 昨夜ノ暴風ハ歇タレトモ、天候悪シク時々寒風雲深クシテ霰ヲ降スニヨリ、寒威モ亦凜然タリキ
○上略 十時、正雄ノ経営セル貿易会社事務所ヲ海上保険新建築内ニ訪問シ、会社員一同ニ対シテ一場ノ訓言ヲ為ス○下略
  ○中略。
一月二十五日 雨 寒
○上略 草刈元氏来リ貿易会社ノ営業景況ヲ報告ス○下略
  ○中略。
二月八日
○上略 午前十時過兜町事務所ニ抵リ、草刈元氏来リ貿易会社ノ近状ヲ聞ク、八十島親徳氏ヲシテ向後要務ニ参与セシメ、且其営業ノ概況、計算ノ真想《(相)》ヲ調査スル事ヲ命ス、蓋シ今朝明石照男・佐々木頭取ノ内示ヲ以テ注意セラレタル事アルニ依ル○下略
  ○中略。
二月十四日 雨 寒
○上略 午前河野通氏来リ貿易会社ノ事ニ付訓示ス、佐々木勇之助氏来話ス、種々ノ要件ヲ談ス○下略
  ○中略。
二月十七日 晴 軽寒
 - 第54巻 p.9 -ページ画像 
○上略 八十島親徳・増田明六二氏来ル、八十島ニハ正雄ノ経営ニ関スル貿易会社ノ始末ニ付阪谷ヨリノ来書ノ趣旨ヲ告ケ、余ノ意見ヲ懇示ス増田ニハ来状ノ処分ニ付詳細ニ指示ス○中略
(欄外記事)
 昨日阪谷ヨリ送致セル貿易会社関係ノ書状ニ付テハ詳細ニ余ノ意見ヲ八十島ニ訓示ス
  ○中略。
二月十九日 晴 軽寒
○上略 河野通氏来リ貿易会社ノ事ヲ談ス、夜十二時就寝ス
○下略
  ○中略。
二月二十四日 曇 寒
○上略 明石照男来リ貿易会社ノ処分ニ付テ協議ス、武之助モ来話ス○下略
二月二十五日 晴 寒
○上略 明石照男来リ貿易会社ノ処分ニ付協議ス○中略 夜飧後八時、杉本病院ニ正雄ノ病ヲ訪ヘ、貿易会社ノ処分ニ付鄭寧親切ニ正雄及河野・草刈二氏ニ訓示ス、明石・八十島二氏参席ス○下略
二月二十六日 晴 寒
○上略
午後六時帰宅、夜飧後同族会ヲ開キ、通常ノ会務ヲ了リテ、正雄経営ノ貿易会社ノ不始末ヲ報告シ、其処分ニ付余ノ意見ヲ予告シテ一同ノ同意ヲ求ム
○下略
二月二十七日 晴 寒
○上略 午前九時明石照男ト共ニ佐々木勇之助氏ヲ本郷ノ家ニ訪問シ、貿易会社処分ニ付依頼ス、後正雄ヲ其病院ニ訪ヘ種々ノ訓示ヲ為ス○下略
二月二十八日 晴 軽寒
○上略 朝飧ス、畢テ明石照男ノ来訪アリ、貿易会社ノ処分ヲ談ス○下略


渋沢栄一書翰 渋沢秀雄宛大正九年一月一九日(DK540005k-0004)
第54巻 p.9 ページ画像

渋沢栄一書翰  渋沢秀雄宛大正九年一月一九日   (渋沢秀雄氏所蔵)
大正九年一月十九日大磯明石家別業ニ於テ
○中略 正雄之貿易会社跡始末ハ今以て結了ニ至らす、時々苦配之事も相生し候、併最早大違却とてハ無之筈ニ候、而して正雄も近日中日米合同之小会社ニ従事致候都合ニ候
○中略
                          栄一
    秀雄殿
      坐下
○下略
  ○本書翰ハフランス、パリ、堀越商会気付ヲ以テ発セラル。


渋沢栄一 日記 大正九年(DK540005k-0005)
第54巻 p.9-10 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
二月二十日 半晴 寒
○上略
 - 第54巻 p.10 -ページ画像 
夜ニ入リテ正雄東京ヨリ来リテ、富士製鋼会社ニ関スル談話アリ、又同族会社ノ事ニ付テ種々ノ提案アリ○下略
  ○是日栄一、大磯明石別邸ニアリ。
  ○中略。
二月二十八日 雪 厳寒 朝来飛雪夜ニ入ルモ尚歇マス積テ七八寸ニ至ル
○上略 午前十一時、兜町事務所ニ抵リ○中略 午後五時ヨリ同族会ヲ開ク、七時夜飧ヲ畢リ、食後同族会ヲ継続シ、各議案ヲ了ス、正雄身上ニ関スル議案ハ追テ財務委員ニ於テ審案ノ後決定スヘキ事トス○下略


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK540005k-0006)
第54巻 p.10 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十四日 晴 寒
午前七時起床入浴朝飧ヲ畢リ、浅野総一郎氏来訪、富士製鋼会社関係ノ事ヲ談ス、正雄共ニ来リテ貿易会社ノ整理ヲ談話ス
○下略


(増田明六) 日誌 大正一二年(DK540005k-0007)
第54巻 p.10 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一二年    (増田正純氏所蔵)
二月一日 木 晴
午前八時、阪谷男爵を小石川原町の同邸ニ拝訪し、秩父セメントの監査役に当撰するニ至りし次第を報告して御同意を得た、其序元渋沢貿易会社債務弁済ニ関する計算を提出して検印を得たり
○下略


竜門雑誌 第五二三号・第四〇頁昭和七年四月 ○父を語る(一) 渋沢正雄(DK540005k-0008)
第54巻 p.10 ページ画像

竜門雑誌  第五二三号・第四〇頁昭和七年四月
    ○父を語る(一)
                        渋沢正雄
○上略
      三、慍らぬ人
○中略 恰度大正七年の暮に、私は外国貿易をやつて大変失敗をしたことがあります、で八年の春になつてお目にかゝつたら、さぞ叱られるであらうと恐縮して居りました処、別に叱られなかつた上に『お前の失敗も困つたことだが、許した私も悪かつたさ』と云はれたので、穴があれば這入りたい程に感じたことがありました。
○下略


竜門雑誌 第六〇〇号・第七―八頁昭和一三年九月 父の追憶 渋沢正雄(DK540005k-0009)
第54巻 p.10-11 ページ画像

竜門雑誌  第六〇〇号・第七―八頁昭和一三年九月
    父の追憶
                       渋沢正雄
○上略
      忠恕
 「己ニハ厳ニシテ人ニハ寛」。これは青淵先生の終生かはらざる生活態度であつた。私はこの点に関し一生忘るゝ事の出来ない深い、そして感謝に充ちた記憶を述べよう。
 私が学業を卒へて、銀行の見習奉公を済ませてから始めた仕事は貿
 - 第54巻 p.11 -ページ画像 
易会社の経営であつた。折から欧洲大戦の好景気を迎へてゐた時代であつたから、最初は非常な好調に恵まれた。然しそれは長くは続かなかつた。間もなく大戦の反動期が襲つて来て、社会生活に経験の浅かつた私は、急激な経済情勢の変化に立直る暇もなく、再び立つ能はざる悲境に陥つてしまつた。私はこの事業の失敗に対する詫を言ふべく――その頃失敗による懊悩が原因して永の病床にあつた為め、暫く父とも会つてゐなかつたので――久しぶりに父の面前に出た。莫大な損害を父に負はせた責任感と、自分の面目なさとを思ふ心で、私は全身をこはばらせながら、また俗に云ふ、穴あらば入りたい気持ちであつた。そして、どんな叱責でも甘んじて受ける覚悟であつた。
 ところが、その時の父の態度は、私の想像とは全く反対であつた。父はものやはらかい言葉で私を慰めてくれるのであつた。そして最後に、「事業に失敗したお前にも責任がなくはないが、経験のない若者にこんな社会状態の急激な時期に一人でやらせたわしも悪かつたよ」といふ言葉であつた。これに対して私は恐懼、感激して涙なきを得なかつた次第である。
○下略