デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
17節 貿易
3款 仏国通商株式会社
■綱文

第54巻 p.12-18(DK540006k) ページ画像

大正14年(1925年)

是ヨリ先栄一、日仏共同事業組織ニ関シ、大倉喜七郎・門野重九郎・藤山雷太・山田三良等ト協議シ、又、増田明六ヲシテ各方面ト協議ヲナサシム。

是年、仏国通商株式会社設立セラル。


■資料

(増田明六) 日誌 大正一三年(DK540006k-0001)
第54巻 p.12 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一三年      (増田正純氏所蔵)
十二月一日 月
○上略
午後二時、大倉組ニ山田馬次郎氏を訪問して、日仏共同事業組織ニ関する爾来の経過を聴取す
○下略


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK540006k-0002)
第54巻 p.12 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一四年      (増田正純氏所蔵)
一月廿五日 日 晴
○上略
午前十一時西ケ原ニ武之助氏を訪問す、湯河原の子爵閣下より書面申聞けられたる日仏聯絡事業ニ関する閣下の御意見を伝へんが為めなり右ハ予て前仏国駐在武官たりし予備砲兵大佐小林順一郎氏より子爵ニ協議あり、続て仏大使よりも其成立ニ付き尽力を請ふ処あり、折柄子爵病気と為られしを以て、之を藤山雷太氏と大倉喜七郎氏とニ之が調査を依頼し、又子爵の代理として武之助氏を両氏と協力せしらめられたるが、後小林氏ハ大倉氏の意見の意ニ満たさる処ありし由にて、同氏と絶縁して、別ニ藤村義郎男ニ頼りて之が事業を成立し、大倉氏ハ仏ノシユナイダー会社と直接交渉して、其武器販売権を獲ん事を企画する処あり、各湯河原ニ子爵閣下を訪問して援助を請う旨語られたる由ニて、子爵ハ帰京の上大倉氏並ニ藤山氏と熟議の上何分とも決せらるゝ御考なりしを以て、此旨武之助氏ニ伝へ、若双方より賛同方申出し場合ハ、決答を見合ハすべき旨心得居るべしと同氏ニ併て伝へ置けとの御申越なり
○下略
  ○中略。
二月二日 月 晴
○上略
後三時、日仏聯絡事業の件ニ付き大倉組ニ参会すべき約なりしが、前記の迎送会に時間を費し、遂ニ出席する事を得ざりしハ遺憾なり
○下略


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK540006k-0003)
第54巻 p.12-13 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
三月三十日 曇 軽寒
 - 第54巻 p.13 -ページ画像 
○上略 増田明六来リ、山田三良博士ヨリ日仏貿易発展ニ付、曾テ小林順一郎申出ノ要旨ニ付、種々ノ事情ヲ陳述セラレシ旨ヲ告ク○下略


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK540006k-0004)
第54巻 p.13 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一四年      (増田正純氏所蔵)
三月三十日 月
午前飛鳥山邸ニ山田三良博士の来訪を受け会見、同氏ハ予て大倉喜七郎氏が渋沢子爵・藤山雷太両氏の代理を兼ね仏国シユナイダー会社と兵器の東洋販売権の事で協議して居るのニ対し、夫れニ反対して居る小林順一郎氏(予備砲兵大佐)から、大倉氏の右協議方法が総て自我から出て毫も他之迷惑等を省ミない、如此して販売権の協定が成立したならハ、反感者多数生して日仏間の交歓も却て悪結果を生するならんと聞かれたので、驚いて小生を経て子爵ニ右の談を伝へ度しとの事であつた、仍て小生ハ小林氏の談話は多少誤解の点ある如く思はるゝ旨を述へ、且子爵ニ伝言を快諾したのである
右会見後子爵ニ御転話したるニ、子爵も小林氏の談のみにてハ明了ならさるニ付き、大倉氏ニ篤と其後の経過並ニ現在の状況を聴くべしと其上ニて博士ニ答ふる様と云ハれたり
○下略


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK540006k-0005)
第54巻 p.13 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年         (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 曇 軽寒
○上略 木島孝蔵氏来リ、日仏貿易増進ノ件ニ付、目下大倉組ニテ経営ノ方法ト、藤村義朗氏担当ノ組織トハ一事二分ノ嫌アルニ付、協同シ得ル様努力セラレン事ヲ丁寧ニ説示ス○下略


(増田明六)日誌 大正一四年(DK540006k-0006)
第54巻 p.13-17 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年        (増田正純氏所蔵)
六日○五月 水 晴
○上略
午後六時、牛込弁天町ニ山田三良氏を訪問し、日仏聯絡事業の件ニ付き談話す
  ○中略。
八日 金
○上略
後三時、大倉組ニ門野重九郎・山田馬次郎・伊吹震・藤山愛一郎及小生相会し、仏国シユナイダー会社と大倉・渋沢・藤山三氏との仮契約並仮契約の条項ニ依る新会社組織の件ニ付き協議す
夜飛鳥山邸ニ子爵拝訪す、御病気逐日御快方ニ向ハれ大慶至極なり、本日大倉組ニ於ける日仏事業ニ関する協議の要領を報告したり
九日 土 晴
朝飛鳥山邸ニ出頭、子爵より日仏事業ニ関し過去の協議事項等を承る
  ○中略。
十四日 木 晴
前十時、飛鳥山邸に門野重九郎・伊吹震両氏と会し、子爵の病室ニ於て日仏聯絡事業の件ニ付き協議す
 - 第54巻 p.14 -ページ画像 
○下略
十五日 金
朝十時、三田三良氏飛鳥山邸《(山田三良)》に子爵を訪問す、日仏聯絡事業の件ニ付てなり
○下略
  ○中略。
二十三日 土 曇
前十時、飛鳥山邸ニ大倉喜七郎・山田馬次郎・伊吹震氏子爵の招請ニ応し来会し、日仏事業の件ニ付き種々協議あり、小生亦参列す
○下略
二十四日 日 雨(夕立)
飛鳥山邸より電話、午前九時半参向、子爵御容態未た御全癒ニ至らす本日気分頗る悪しき由ニ承る
日仏事業○中略等ニ関し種々御談話あり、午後一時帰宅
○下略
  ○中略。
三日○六月 水 晴
前十一時、帝国ホテルに仏国実業団長アデール氏を子爵代理として訪問す、通訳を木島孝造氏《(木島孝蔵)》ニ依頼したるが、同席ニ曾我子爵(仏国ニ於てアデール氏と同窓の間柄なりと云ふ)及山田三良の両氏列したるが木島氏よりハ曾我子の通訳頗る熟達して却て子爵を煩ハしたる事多し
 小生ハ、渋沢子爵ハ仏実業団一行の来着を予て承知し居れるが、病臥中ニて、訪問する事を得さるハ勿論、又一行を御案内する事を不得、頗る遺憾と為し居れるが、今又一行各位が来六日帰国せらるゝを知り、遂ニ親敷会談する事を得さるを嘆し、小生を代理として貴台の健康を祝し、且右の次第の諒解を得、又将来日仏親善の為ニ尽力せられん事を請ふ旨を伝ふるなり
 子爵ハ今より六十年前(貴台の生れさる前なるべし)仏国ニ留学し得る処頗る多く、爾来両国の親善に就てハ種々考慮する処あり、先般日仏会館を設けて両国親善の一端ニ供したるも、此意ニ外ならさる也と述へたるニ対し
 アデール氏ハ、予は本国ニ在りて子爵の声望を知れり、故に日本ニ来着したる際、直ニ面会を求めたるが、御病気の由にて、爾来面会の機会を得さるを遺憾とす、日仏親善ニ付てハ、予も子爵と同感にて、予の今回来遊の使命ハ之ニ外ならざるなり
 日本ニ来着して観察するニ、クローデル大使の日仏親善ニ関する種種の企画は、誠ニ適当の施設なりと同感したり
 同氏の企画したる日仏通商振興会は、両国の親善を図るニ適当したるものなるが、其事業を営むニ於ては、相当の利益を生む事業を有せさるべからざるニ、此目的を以て得んとしたるクルーソー会社の代理権ハ、渋沢・大倉・藤山三氏の組合の獲得する処となれり、ク大使の失望同情ニ堪へざれは、此際何とか協議して、或ハ大倉氏の組織せんとする新会社ハ、其利益の一部を割いて振興会ニ配布して其事業を遂行せしむるか、又ハ大倉・藤山・渋沢の三氏を新興会《(振)》ニ
 - 第54巻 p.15 -ページ画像 
加入せしむるか、勿論他ニ良策あらハ承ハり度きものなりとの事なりしかば、子爵ハ過般来種々考慮を重ね居れるが、未た良案無きが如し、貴見の次第は克く子爵ニ報告すべしと答へたるニ、然らハ予ニ於て両者の代表者ニ面会して親敷意見を聞かんと思ふが、幸ニ子爵も予の此希望を試ミよと云ふならハ、明日午後四時より両者ニ会合を請う事ニすべしと、小生ハ貴見の趣詳細承ハリたるニ付、子爵ニ報告すべきも、明日懇談せんとの御希望ニ対してハ子爵も勿論異議無かるべきニ付き、仮りニ会開《(マヽ)》の事ニ約束し置クべしと答へ辞去帰路大倉喜七郎・山田馬次郎両氏を訪問、右の顛末を語り、又伊吹氏へも電話し、明日の会合ニ出席を約したり
夜飛鳥山邸ニ至り、アデール氏との会見の次第を報告す、子爵は明日の会合ニハ単ニ予の代理としてアデール氏其他の意見を聴くニ止め、成効するか否哉明かならさる妥協議ニ就てハ、黙止すべしと戒しめられたり
四日 木 晴
朝飛鳥山邸ニ子爵の御見舞を為す
午後三時半、大倉喜七郎・山田馬次郎・伊吹震の三氏と会す
午後四時、前日の約ニ依り、前記三氏と共ニ帝国ホテルニ至る、アデール氏外出中ニて帰宅せす、五時尚帰宿せす、止む無く辞去せんとしたる際漸く帰来、直ニ会議ニ移る
出席者 アデール・大倉喜七郎・山田馬次郎・伊吹震・増田明六(以上四氏大倉側)小林順一郎・木島孝蔵・結城某・オードヴアユ(以上三氏振興会側)《(四)》
 外ニ曾我子爵(アデール氏と同窓の由)三田三良《(山田三良)》の両氏
アデール氏より前日小生ニ語られたると略均しき談話ありて、此際是非両者妥協して一致の行動を取られたしとの希望あり
大倉氏ハ、アデール氏の御意見承知したるが、何分複雑せる事情もあり、又大倉としてハ支払保証責任の位置にもあり、直ニ妥協と云ふ話ニ進ミ難し、仍て熟慮の上決定する事ニ致度し、但アデー氏《(アデール)》の御希望ニハ可成副ふ様心懸くべしと答へたるが、アデール氏ハ此答ニハ満足せす、今日は時間少き為め、更ニ明日再会致度との希望ありしも、大倉氏も小生も先約ありて欠席の外無き旨答へたるニ
曾我子爵ハ、此問題ニ付てハアデール氏ハ大ニ憂慮せられ居るニ付き同氏ニ花を持たせて、本日の会合ニてハ両者共渋沢子爵ニ一任して妥協する旨決議せられてハ如何との緊急動議を出し、両方の出席者之ニ賛し、此旨アデール氏ニ翻訳話したるニ、氏も満足の意を表したり、但小生ハ最後ニ斯く決定したるハ誠ニ結構の事なれとも、子爵ハ目下病床ニ在り、各位は可成子爵ニ迷惑を懸けさる意念ニ於て妥協案を作り、最後の決定を請ふ事ニせられ度旨陳へ置きたり
此日入沢・大滝・林三氏の子爵の診察あり、引続き漸次御快方との断案なり、真ニ可悦
五日 金 晴
朝飛鳥山邸ニ至り、子爵ニ前日アデール氏懇談の状況を報告す
○下略
 - 第54巻 p.16 -ページ画像 
  ○中略。
十日 水 晴
○上略
午後三時、大倉組ニ於ける日仏関係事業ニ関する相談会に出席し、大倉氏と仏国シユナイダー会社との契約対日仏通商振興会の件ニ付き、種々意見の交換を為したる上覚書を作成したり
出席者ハ大倉喜七郎・山田馬次郎・脇道誉・大崎  《(原本欠字)》・伊吹震・渋沢武之助・増田明六の諸氏なり
夜飛鳥山邸ニ参上、子爵右会合《(ニ脱)》の次第並覚書を談話且朗読し、書類を提出し置きたり
十一日 木 晴
朝飛鳥山邸ニ至り、日仏関係事業ニ関する意見を陳述す
○下略
十二日 金 晴
朝飛鳥山邸ニ参候
○中略
午後五時、同族会社臨時重役会に出席す
一仏国通商事業ニ関する経過を小生より報告す
十三日 土 晴
○上略
午後三時、藤山雷太氏自動車に同乗して飛鳥山邸ニ到る、神崎驥一氏も子爵ニ面会の為め同乗して到る、子爵と藤山氏との会見ハ日仏事業ニ関し、大倉氏計画対振興会を如何ニ処理すべきかの問題ニ関してなり、種々合議せられたるも名案も無ク、結局藤山氏と三田三良氏《(山田三良)》と会談する事となり、其席ニハ小生も参列、一応意見の交換を試ミべき事となれり
○下略
  ○中略。
十七日 水
後三、日仏通商事業の件ニ付藤山雷太氏と曾我祐邦子及山田三良博士両氏との会見ニ小生列席す
  ○中略。
二十六日 金
○上略
午後五時、日仏通商事業の件ニ付大倉喜七郎・山田馬次郎の諸氏等と会議す
二十七日 土
○上略
午後三時、華族会館ニ藤山・曾我子・山田博士の三氏と共ニ日仏通商事業の件ニ付き会議す
  ○中略。
三十日 水
午後三時、日仏通商事業ニ付き藤山雷太・大倉喜七郎・山田馬次郎三氏を招かれ、子爵会談、小生参列す、来七月早々藤山氏南洋旅行の途
 - 第54巻 p.17 -ページ画像 
ニ就くニ付き、其前大体を決定し置かんが為めなり
七月
一日 水
朝九時、藤山雷太氏を其白金の邸に訪問して、仏国通商会社の件ニ付き協議す
○中略
午後飛鳥山邸ニ子爵を拝訪し、仏国通商会社ニ関し今朝藤山氏と会談の顛末を報告したり
二日 木
午後一時、子爵には仏国通商会社の件ニ関し山田三良・曾我祐邦の両氏を飛鳥山邸ニ招き、懇談せらる、小生も命ニ依り参列す
○下略
七月三日 金
○上略
午後二時、華族会館ニ於て曾我祐邦・山田三良両氏ニ会見、仏国通商会社ニ関する件なり
  ○中略。
十二日○一一月 木 晴              出勤
○上略
午後大倉組ニ於ける仏国通商会社重役会ニ出席す、来廿六日開催の同社総会ニ提出する計算書を検す、重役ニあらぬ小生が同会ニ出席するハ如何はしき次第なるが、大倉同社長其他ハ是非小生ニ監査役たる事を承諾せよと切なる懇談ありて、已ニ其職ニあるものとして取扱ふなりとの事なり
○下略
  ○中略。
二十六日 木 晴                 出勤
前十、仏国通商会社株主総会(於大倉組)ニ出席、原案ニ賛成、全部可決す
此席ニ於て大倉喜七郎・門野重九郎・山田馬次郎の諸氏より小生ニ監査役ニ就任せよと懇切なる希望談あり、考慮の上回答する事としたり
○下略


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK540006k-0007)
第54巻 p.17 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
三月五日 朝雪後曇 寒
午前○中略 武之助来リ、日仏通商会社ノ現状ヲ説明ス○下略


(増田明六)日誌 大正一五年(DK540006k-0008)
第54巻 p.17-18 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年        (増田正純氏所蔵)
十二月二日《(一)》 火 晴             出勤
○上略 左ニ訪客と其用件とを記述す
一渡辺穎吉君 仏国通商会社業務ニ関する件
○下略
  ○中略。
十一月四日 木 晴                 出席
 - 第54巻 p.18 -ページ画像 
○上略
本日の来訪者
○中略
山田馬次郎 仏国通商会社営業ニ関する件
○下略
  ○中略。
十一月廿四日 水 晴               出勤
○上略
同○午後二時半、大倉組ニて開催せられたる仏国通商会社重役会ニ出席
○下略
  ○中略。
十一月三十日 火 晴               出勤
午後三時、大倉組ニ於ける仏国通商会社の株主定時総会に出席、監査役として監査の結果を報告した
○下略


(増田明六)日誌 昭和二年(DK540006k-0009)
第54巻 p.18 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年       (増田正純氏所蔵)
一月十日 月 晴                 出勤
○上略
本日の来訪者と要件
○中略
6山田馬次郎君 仏国通商会社業務ニ関する件
○下略
  ○中略。
五月廿三日 月 曇                出勤
前十時、大倉組ニ於ける仏国通商会社重役会ニ参会した、来卅日開会の決算書類、定款改正の件等を審議す
○下略
  ○中略。
五月三十日 月 晴                出勤
夕刻より開催せらるゝ同族会議案其他の準備ニ忙殺され、午後三時開会の仏国通商会社の総会へも欠席するニ至れり
○下略