デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
17節 貿易
4款 貿易関係諸資料 1. 日英貿易
■綱文

第54巻 p.25-27(DK540009k) ページ画像

大正9年10月3日(1920年)

是ヨリ先、栄一、日英実業家ノ提携ニ尽力ス。是日栄一、駐日イギリス国大使チャールズ・エリオットニ招カレ、同大使館ニ於ケル午餐会ニ出席シ、日英通商問題ニツキ懇談ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK540009k-0001)
第54巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正二年          (渋沢子爵家所蔵)
二月四日 晴 寒
午後○中略 外務省ニ抵リ、松井次官ニ面会シテ○中略英国商工業者ト密接ノ事ニ付、大隈伯トノ談話ヲ述ヘテ外務当局ノ考案ヲ促ス○下略


渋沢栄一 日記 大正八年(DK540009k-0002)
第54巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 快晴 寒
○上略 午飧後家ヲ出テ一時半原首相ヲ官邸ニ訪ヘ、船舶及製鉄事業ニ付談話ス○下略
一月九日 曇 軽寒
○上略 午飧後事務所ニ抵リ、書類ヲ点検ス、中島男爵○中島久万吉来リ、製鉄ノ事ヲ談ス、服部文四郎来リ、英国商業者トノ交驩ニ付談話ス、昨日原首相トノ談話ニ因スルナリ○下略


東京日日新聞 第一五一八一号大正八年一月一八日 日英経済提携 渋沢男の斡旋(DK540009k-0003)
第54巻 p.25 ページ画像

東京日日新聞  第一五一八一号大正八年一月一八日
    日英経済提携
      渋沢男の斡旋
日米両国は従来政治上の問題以外互に実業家を派遣し、以て両国経済上の提携に努力しつゝあれども、日英間に於ては政治上の同盟以外、経済上の提携に資すべきものなきのみならず、東洋市場に於ける日英実業家間の感情は往々疎隔する事あるを以て、今回渋沢男は此欠陥を補ひ且将来一層両国経済関係の密接を計るべく企画し、之が実行方法を原首相に諮りしに、首相は該問題は政治上の問題にあらずして経済上の問題なるを以て、商業会議所に諮られたしとのことなりしを以て同男は昨今東京商業会議所側と共に極力具体案に就き講究中なりと


竜門雑誌 第三八六号・第三九頁大正九年七月 ○日英同盟に就て(DK540009k-0004)
第54巻 p.25-26 ページ画像

竜門雑誌  第三八六号・第三九頁大正九年七月
    ○日英同盟に就て
 目下日英両国間に於て交渉中なる日英同盟問題に関し、青淵先生には七月一日東京商業会議所に於て東京新聞記者団に会見を求めて、大要左の如き談話を為したる由。
 - 第54巻 p.26 -ページ画像 
○中略
 △対外貿易発展 ○中略翻へつて現時の我が対外貿易の状況を見るに欧洲大戦中は其の特殊地位の関係上非常の殷賑を極め、未曾有の大発展を遂げたりと雖も、最近の状況は果して如何、対外貿易殊に対欧貿易は著しき衰退を示し、或は形勢再び逆転せんとするの徴候顕著なるものなきか、余の深憂とする所は此点にあり、然らば我が対欧通商は悲観するの外なきやと云ふに決して然らず、現に最近羅馬尼亜皇儲カロル殿下の御来朝後同国外交代表者たる和蘭公使は余を来訪して、日羅通商関係の開始に関し尽力を求めたるが如きあり、又丁抹との通商関係に関しても頃日来訪して余の意見を叩きたる同国新聞記者あり、即ち従来未だ多くの通商関係を有せざる諸国にして既に此の如き希望を有するものあるに見るときは、戦後の我対欧貿易の如き何等の悲観を要せざるや明かなり、唯余の解する能はざるは、我商工界の有力者が此点に関し頗る冷淡なるかの観あること是なり、殊に当面の責任機関たる
 △我商業会議所 の如き未だ十分の活動を為しつゝありと言ふを得ざるを遺憾とす○下略


集会日時通知表 大正九年(DK540009k-0005)
第54巻 p.26 ページ画像

集会日時通知表  大正九年       (渋沢子爵家所蔵)
十月 三日 日 午後一時 英国大使館午餐会


竜門雑誌 第三八九号・第七〇頁大正九年一〇月 英国大使館午餐会(DK540009k-0006)
第54巻 p.26 ページ画像

竜門雑誌  第三八九号・第七〇頁大正九年一〇月
○英国大使館午餐会 英国大使エリオツト博士は十月三日正午より同大使館に於て青淵先生を招待して午餐会を開催したるが、席上日英通商問題に付懇談せらるゝ所ありたりと云ふ。


銀行通信録 第七一巻第四二三号・第一六―一七頁大正一〇年一月 新年の感想 子爵渋沢栄一(DK540009k-0007)
第54巻 p.26-27 ページ画像

銀行通信録  第七一巻第四二三号・第一六―一七頁大正一〇年一月
    ○新年の感想
                     子爵 渋沢栄一
○上略 私は尚ほ英吉利に対する国民的交際が頗る乏しいのも甚だ遺憾に思つて居る。此事は昨年の冬新大使エリオット氏と添田博士の家で会見の時に其話をしましたら、大使は、誠に好い考だ、自分も其事は極く賛成である、本国の方へも言つてやりませうなどと同情して呉れました。夫に付て昨年の十二月《(マヽ)》の初めに大使館から特に招かれて、横浜の商務官も来会され午餐を共にして頻に話をしましたが、元来日本の貿易は当初英吉利から習つたのである、殊に英吉利から明治十年・十一年頃に紡績糸及木綿織物を沢山輸入して、日本にも又必要があつたから多く買ふた。貿易としては結構であるけれども、外国から買ふよりは日本で製造を始めたいと云ふ希望を起して、私共が其事を首唱した。是から紡織の業を日本に進めて、今日では余所から輸入のないやうになつた。棉花こそは輸入するけれども、製品としては輸入がなくなつた。是は英吉利の商売人には得意を失つたと言はれるか知れぬが国の経済上已むを得ぬ事である。其代りに何か外の商売が進んで行くべき筈である。それには英吉利の商人も成るべく日本にはどう云ふ物
 - 第54巻 p.27 -ページ画像 
が必要だ、又日本からは斯う云ふ物が宜からうと互に攻究すれば、次第に貿易を進める道は多々あるに相違ないと思ふ。殊に欧羅巴の大戦乱後一般に模様が変つて来て、交通の状態にも物品の需給にも色々と相違を生じて来たから、此際東京・大阪等の商売人が団体でも拵へて欧洲の実況視察調査の為めに、英吉利は勿論其他の諸国スカンヂナヸヤ方面までも旅行して、丁寧に研究して来るやうにしたいものだと私は希望して居ります。近頃は中央欧羅巴の羅馬尼亜若くはスカンヂナヸヤ方面の丁抹より種々なる人が渡来して日本との交通貿易を企図して居るから、日本からも相当の人を出すやうにしたいものだと英吉利の大使に言ひましたら、大使も、それは至極尤もだ、併し貴所は今商売人仲間には居らぬではないかと言はれたから、実業界は隠退しても始終心は其方面にあるものですから、友達にもさう云ふ事を勧めて居りますと言つて話合つたことがあります。此事に就ては私が原総理大臣に嘗てお話をしたら、総理は兎に角羅馬尼亜だけは早速人をやつて調べて見やうと云ふことでありましたが、私は一国だけとせずに各国に亘つて丁寧に調べる必要があらうと思ひます。且つ羅馬尼亜に於て調べたものは未だ公表してないやうだが、海外に対する貿易の調査は敢て怠つて居るとは申さぬけれども、普く届いて居るとは未だ言へぬやうである。私の希望は、其間には外交もありませうが、貿易に就ても支那・亜米利加ばかりでなく、欧羅巴各方面に就て、もう少し力を入れたいやうに思ひます。
○下略