デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
18節 其他ノ商工業
2款 合資会社沖商会(沖電気株式会社)
■綱文

第54巻 p.49-50(DK540016k) ページ画像

大正元年8月26日(1912年)

是日、沖電気株式会社設立セラル。栄一、沖牙太郎・浅野総一郎・安田善三郎等ト共ニ発起人タリ。大正六年二月、当商会トノ合併成ル。


■資料

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年七月二十三日(DK540016k-0001)
第54巻 p.49 ページ画像

青淵先生関係会社調 雨夜譚会編 昭和二年七月二十三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
    沖電気株式会社
一、創立   大正元年八月二十六日
一、資本金  五万円(創立当時)
       五百万円(現在)
一、場所   芝区田町四丁目二番地(創立当時より現在まで)
一、創立の目的 電気諸機械の製造・販売並に電気諸工事の設計請負
一、創立当時の関係人 青淵先生・伊藤潔・八十島親徳・浅野総一郎・沖牙太郎(二代目)沖馬吉・加藤藤太郎・木下英太郎・安田善三郎。
一、青淵先生との関係 沖電気株式会社の前身合資会社沖商会に出資して、有限責任社員たり。
       後ち資本金五万円の沖電気会社が創立され、沖商会と合併されて、資本金百五万円の株式会社となつた際は青淵先生は其発起人として尽力し、尚創立総会に於て議長の役を執られた。○下略


渋沢栄一沖商会関係文書 大正二年(DK540016k-0002)
第54巻 p.49 ページ画像

渋沢栄一沖商会関係文書  大正二年      (増田正純氏所蔵)
沖商会之木下○英太郎氏ニ面会し、曾而相談せし武漢陽電話事業を早々中国興業会社倉地氏ニ依頼し、充分し《(に)》調査致度と存候、但都合よく成立之上ハ、相当之報酬ハ致候義と相心得可申事
 (別筆朱書)
    日取追倉知氏《(而脱カ)》ノ都合ヲ承リ合セ依頼スル旨、木下氏ヨリ返事アリ
○下略


渋沢栄一 日記 大正六年(DK540016k-0003)
第54巻 p.49-50 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十二日 晴 寒
○上略 午後五時ヨリ築地瓢屋ニ抵リ、内田嘉吉氏ノ招宴ニ出席ス、沖電気会社ノ事ニ関スル宴会ナリ、浅野氏・安田氏等来会ス、沖会社員多数来会ス、夜十時頃帰宅ス○下略
  ○中略。
二月一日 晴 厳寒
○上略 午前十時浅野総一郎氏ヲ田町邸ニ訪ヒ、セメント会社・沖電気会
 - 第54巻 p.50 -ページ画像 
社ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
二月二十二日 晴 寒
午前八時起床、入浴朝飧例ノ如クシテ、後浅野総一郎氏来訪、沖電気工場ノ事ヲ談話ス。○下略


渋沢栄一 日記 大正九年(DK540016k-0004)
第54巻 p.50 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二十一日 晴 軽寒
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵リ、浅野総一郎・安田善次郎・伊東祐忠氏等ト沖電気会社組織変更ノ事ヲ協議ス○下略


OKI八十周年 沖電気工業株式会社編 昭和三六年一〇月刊(DK540016k-0005)
第54巻 p.50 ページ画像

OKI八十周年 沖電気工業株式会社編  昭和三六年一〇月刊
    沿革
一八八一年(明一四年) 創立者沖牙太郎明工舎を設立し、電気通信機器の製造販売および電気工事の請負を開始。
一九〇七年(明四〇年) 合資会社沖商会設立(資本金六〇万円)、芝区田町に工場建設、福岡市に出張所を設置。
一九一二年(大正元)  資本金を一〇〇万円に増資、別に販売部門として、沖電気株式会社設立(資本金五万円)。
一九一五年(大四年)  無線機器の製造開始。
一九一七年(大六年)  合資会社沖商会を沖電気株式会社に合併。
○下略
  ○右ハ刊行ニ当リ追補ス。