デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
18節 其他ノ商工業
7款 株式会社三越呉服店
■綱文

第54巻 p.74-75(DK540022k) ページ画像

大正10年6月22日(1921年)

是日栄一、当店西館増築落成披露式ニ招カレ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK540022k-0001)
第54巻 p.74 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
六月廿二日 水 午前十一時 三越呉服店西館増築落成披露(同店)


竜門雑誌 第三九八号・第六四頁 大正一〇年七月 ○三越呉服店増築落成披露(DK540022k-0002)
第54巻 p.74 ページ画像

竜門雑誌  第三九八号・第六四頁 大正一〇年七月
○三越呉服店増築落成披露 東京三越呉服店は従来の東館に接続して地下室の外総五階、一部七階の西館建築中なりしが、工程一箇年半にして今般竣工せるより、六月二十二日午前十一時朝野の諸氏一千余名を招待して、盛大なる披露会を催したるが、当日は倉知専務取締役の挨拶、原首相・山本農相・後藤市長・青淵先生等の祝辞あり、最後に大倉男爵の発声にて同店の万歳を三唱し、午後二時半散会せる由。


竜門雑誌 第四〇〇号・第七六―七七頁 大正一〇年九月 ○三越呉服店増築落成式に於て(DK540022k-0003)
第54巻 p.74-75 ページ画像

竜門雑誌  第四〇〇号・第七六―七七頁 大正一〇年九月
○三越呉服店増築落成式に於て 左は六月廿二日東京三越呉服店増築落成式に於ける青淵先生の祝辞として「三越記念号」に掲載せるものなり。
  かゝる盛宴に一言を求められることは恐縮又光栄とする所であるが、既に両大臣、東京市長の御祝辞に尽きてゐるから、私の言ふことは残つて居りません。
  先程後藤氏は東京市長として述べると言はれましたが、私は何の資格で述べませうか、渋沢は所謂無職の閑民であつて、何も代表するものはないが、唯私は年老つてゐるだけ――この席には大分御年寄方も御見えのやうですが――昔のことを比較的よけいに知つてゐると自己を推定してもよいと思ふのであります。
  度々申しますが、私は三越呉服店に対して一種の関係をもつてゐる。尤もその関係は先方には分らぬといふ片だよりの関係かも知れません。
  次に申上げる昔語は、この老人が世の中の変遷を観たところのも
 - 第54巻 p.75 -ページ画像 
のでありますが、私が十四・五歳の子供の時分、江戸の町は目のあたり一帯が二階建の土蔵造りで、家の高さが平均してゐた。今日はその高さが不揃であつて、昔見た目を其儘にして見ると大分変化してゐる。素より変化も喜ぶべきことではあるが、そのうちには多少考慮せねばならぬこともあります。私は維新頃、先刻首相から御話があつたボンマルシエに行き、かくの如き便益なものがあるかと感心し、又三十六年《(五)》には市俄古のマーシヤル・フヰールドを見て二度びつくりした、其頃は既に三越の端緒が開かれてゐたのであつた。
  世の中の進歩として玆に社会の花を得、都市の必要物を得たことを諸君と喜ぶと共に、一言倉知専務に申上げたい。それは世の便利は善い方のみならず、悪い方にもなるもので、世の進むに伴れて兎角奢侈浮薄を導き易い。これについて社会を訓ゆることは自家これを努めなければならぬ。而して薄利多売誠に宜しとするも、徒に新成金者流に投ずるやうなことはしてもらひたくない。このお目出度い時に斯かる事を申上げるのも年寄の老婆心であります。これを以て祝辞とします。