デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
7款 中央開墾株式会社
■綱文

第54巻 p.233-245(DK540051k) ページ画像

大正8年12月26日(1919年)

是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社発起人会開カル。栄一出席シ、座長トシテ議事ヲ司宰ス。栄一、創立委員タルコトヲ辞退シ、創立相談役トナル。発起人会終了後、総理大臣原敬及ビ農商務大臣山本達雄等ヲ招待シテ、晩餐会開カル。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK540051k-0001)
第54巻 p.233 ページ画像

集会日時通知表  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿六日 金 午後二時 開墾会社の件(銀行クラブ)


中央開墾株式会社書類(DK540051k-0002)
第54巻 p.233 ページ画像

中央開墾株式会社書類           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清適奉大賀候
陳者来ル拾弐月弐拾六日午後 時、東京市麹町区永楽町二ノ五東京銀行集会所ニ於テ中央開墾株式会社設立発起人会開会、定款ノ作成、創立委員ノ選定其他重要事項ニ関スル御協議致度候ニ付、実印御携帯御出席被成下度、猶万一当日御出席難相成場合ハ、別紙委任状ニ御調印ノ上拾弐月廿四日迄ニ御回附被成下度願上候 敬具
 追テ発起人会結了後晩餐会相開キ、同席ヘハ原総理大臣閣下初メ開墾事業ニ直接関係ノ当局者ヲ招キ、御意見拝聴可致手筈ニ相成居候為念申添候
  大正 年 月 日
               中央開墾株式会社設立発起人
                      渋沢栄一
                      益田孝
                      武井守正
                      窪田四郎
  発起人
         殿
  ○別紙略ス。


中央開墾株式会社発起人会速記録(DK540051k-0003)
第54巻 p.233-238 ページ画像

中央開墾株式会社発起人会速記録
               (中央塩業開墾株式会社所蔵)
 - 第54巻 p.234 -ページ画像 
大正八年十二月二十六日午後二時四十分開会
○男爵渋沢栄一君 御忙シイ中、殊ニ月迫ニ皆様ノ尊来ヲ戴キマシタノハ、誠ニ恐縮ニ存ジ上ゲマス、御通知申上ゲテゴザイマス通リ、開墾会社組織ノコトニ付テ是非御賛同ヲ蒙リタイ、相当ナル会社ヲ玆ニ成立セシメタイト云フ、少シ皆年寄ノ冷水、私ガ第一ノ年寄デ三人○栄一・益田孝・武井守正共ニ老人申合セテ斯フ云フ企テヲ起シタノデゴザイマス、殊ニ一言私ハ申上ゲネバナラヌノハ、随分会社創設ニ付テハ度々各種ノ総会デ是非株ヲ持ツテ戴キタイト云フコトヲ御勧メシタコトハ、何十遍ト算ヘ切レヌ位ゴザイマスケレドモ、余リソレバカリガ人ノ一生デモナイト心得マシテ、一昨々年即チ七十七ヲ堺ニ、一切サウ云フコトヲ断念致シマシテ、全ク取止メテ居ルノデゴザイマス、ソレニモ拘ラズ、玆ニ遂ニ発起人会ノ間ヘ立ツテ、是非株ヲ御引受ケ下スツテ、此会社ヲ成立セシメタイト云フコトヲ御願ヒスルト、又所謂禁酒シタヤツガ盃ヲ持ツヤウニ見エマスケレドモ、実ハ之ニハ少々申訳デハゴザイマスガ、理由ガアルコトデゴザイマシテチョット其コトヲ簡単ニ申上ゲテ本問題ニ掛リタウゴザイマス、此東北ノ地方ノドウモ一般ノ帝国ノ進運ニ伴ハヌ有様ガアルト云フコトハ、東北ノ方々モ此所ニ居ラツシヤイマスケレドモ、倶ニ共ニ憂ヘテ居ル所デアツテ、遂ニ数年前カラ東北振興会ト云フモノガ吾吾仲間デ組織サレテアルノデゴザイマス、益田男爵モ其一人、村井吉兵衛サンモ其一人、根津嘉一郎サンモ其一人、大分此所ニ御集リノ方々中ニモ東北振興会ノ方々モ居ラツシヤル、其振興ハ単ニ地方ノ生産ニ俟ツト云フ土地開墾ニ属スルモノデハゴザイマセヌケレドモ、段々近頃土地ニ付テ東北振興ニ是非力ヲ注イデ宜クハナイカト云フ考ヲ以チマシテ、昨年ノ冬カラ当春ニ掛ケテ折角其コトヲ企テツヽアツタノデゴザイマス、是ハ会社ヲ組織スルト云フ意味ヨリハ寧ロ東北ヲ振興スルニ丁度此時機、即チ米価ノ昂騰ハ東北発展ノ兆候デアルト云フ位ニ考ヘテ、先ヅ単純ナル経済思想若クハ社会政策ト云フ意味カラ考ヲ起シタノデゴザイマス、其企テヲ致シテ居ル中ニ、丁度此所ニ三人相合シテ、又武井男爵ガ是ハ単ニ東北ト言ハズニ、全国ヲ意味シタ開墾ノ御企テヲナスツテ、此開墾ノ御企テト吾吾東北ノ企テノ小部分トガ、敢テ衝突ハ致シマセヌケレドモ、二者共ニ成立タントシタノデゴザイマス、玆ニ両方相談ヲ致シマシテ、ドウモ此場合二ツニスルヨリハ、東北モ日本ノ内、他ノ地方モ東北ヲ加ヘテ差支ノアル訳ハナイデハナイカ、一緒ニシタラ宜クハナイカト云フコトガ協定サレマシテ、乃チ其趣意ニ依テ是非此開墾会社ヲ起サウト云フ、三人御相談ヲ仕合ツタ上ニ計画ヲ致シタコトガゴザイマス、蓋シ是ハ当年ノ二月頃デゴザイマス、政府ノ御筋ニモ追追ト意見ヲ申上ゲテ、多分三月ノ五日ノ日ト記憶シマス、当時私ハ病気ノ為ニ欠席シマシタガ、総理大臣ノ官舎ニ多数ノ方ノ尊来ヲ戴イテ、開墾会社組織ニ付テ勧誘的ノ総理ノ御話モアツタヤウニ記憶致シテ居リマスガ、其コトハ不幸ニシテ十分ニ成立チ得ヌヤウニナリマシタガ、但シソレハ政府ガ大ニ補給スルト云フヤウナ方法デアツタノガ、其コトガ行ハレヌ為デアリマシタ、其顛末ヲ今此所ニ喋
 - 第54巻 p.235 -ページ画像 
喋ノ必要ハゴザイマセヌケレドモ、右等ノコトカラ私病気全快後ニ尚ホ両男爵トモ御相談シマシテ、以テ止ムベキコトデハナカラウト思フカラ、此事業ハ唯単ニ政府ヨリ配当ノ補給ヲ望ムヨリモ、此事業ニ対シテ当路ノ大臣ヨリ相当ナル援助ヲ与ヘテ貰フタナラバ、必ズ維持経営ノ為シ得ルモノト考ヘル、然ル上カラニハ、唯目ノ子勘定デ八分ノ補給ガアルト云フダケデヤルヨリモ、将来ハ一割カ一割五分ノ利益アルモノト為サシメタイモノデアル、果シテ然ラバ、其事ガ止ンダカラ此事モ止ムト云フコトハ言ハレナイモノデアルカラ是非起スコトガ宜クハナイカト云フコトヲ、寧ロ両君ニ誘導的ニ御話ヲシ、続イテ其筋々ニ色々御話ヲシマシタノガ、玆ニ此会社組織ト云フコトノ稍具体ノ進歩ヲ見タ次第デゴザイマス、右様ナ訳故ニ余義ナク、前ニ申上ゲタ通リ会社組織ノコトハ全ク断念シマシテ、総テ御免ヲ蒙ラウト思フタノデアリマスガ、此所ニ皆様ノ御出デヲ戴キ、先ヅ此所ニ立ツテ是非会社ヲ起シタイト思ヒマス、発起人ニナツテ戴キタイ、其決定ガアツタナラバアトノ方法ヲ斯クシタラ宜カラウト云フ御協議ニ参与スル次第ニ立至リマシタ次第デ、甚ダ斯カル場合ニ自己一身ノ御申訳ヲスルノハ無用ノ弁ニ時ヲ費シマスケレドモ、併シ事ノ次第ガ左様ナ訳デゴザイマスカラ、簡単ニ其御申訳ヲ致シテ置キマスカラ、ドウゾ御了承ノ程ヲ御願ヒ致シマス、此御寄合ヲ願ヒマシタニ付テハ、凡ソ斯カル方法ニシテ、斯ウシタナラ宜カラウト云フニハ、矢張リ大体ノ御相談ヲ是ハミンナデ致シマシタガ、特ニドウシテモ大ニ主トナツテ取扱フ人ガ欲シイト云フノデ、三人ノ評議カラ窪田四郎氏ヲ推シマシテ、此人ニ専ラ此業務担当ヲ希望致シマシテ、同人モ若シ幸ニ皆様ノ信任ヲ受ケテ其地位ニ立入ルナラバ、或ハ当ラヌカモ知レヌケレドモ、十分献身的ニ務メテ見ヤウト云フコトデ、即チ色々ナ調査ヲ致シマシテ、玆ニ提案ヲ致シ得ルヤウニ相成ツタノデゴザイマス、所ガ不幸ニモ同氏ガチヨツト風邪気デゴザイマシテ、何分今日出席ノ出来ヌ次第ニ相成リマシテ、是ハ甚ダ皆様ニ対シマシテモ折角将来ニ引当テベキ人ガ、此所ニ参席致シテ皆様ノ御質問ニ御答ヘシ或ハ意見ヲ陳述スルト云フコトノ出来マセヌノハ、誠ニ不都合デゴザイマスガ、私ハ実ニ調査ニ付テモサウ審カニ尽シテナイカラ、細カイコトハ申上ゲラレマセヌガ、尚ソレニ付テハ事業上ニ於テ、若クハ其数字ノコトニ於テハ窪田氏ニ親シイ一・二ノ人ヲ同行致シテ居リマスルノデ、是等カラ説明ヲ致サセルヤウニ仕リマスカラ、是ヨリドウゾ中央開墾株式会社トシテ一ツ此会社ヲ成立セシムルト云フ意味ニ於テ、御協議アランコトヲ御願ヒ申上ゲマス、甚ダ長クナリマシタガ右様ノ次第デ今日ノ御参会ヲ願フタノデゴザイマス、説明ニ付テハチヨット申上ゲマシタ通リ、木下・須原ノ両氏ガ窪田君ト能ク事情ヲ知合ツテ居ル間デ、此両君ガ参ツテ居リマスカラ、両氏ヲシテ詳シク事情ヲ申上ゲマシテ、ソレカラ大体ニ於テ会社ヲ設立スベキモノトシタラ、其株式ハ如何ニスベキヤ、創立委員ヲ作ルカドウカ、作ルトスレバ其委員ハ幾人選ブカ、発起人デ引受ル株ハドウシテ、幾ラ公募スルカ斯フ云フコトガ今日ノ事項デ、是等ノ廉々ヲ御取決メヲ願ヒタイ
 - 第54巻 p.236 -ページ画像 
○根津嘉一郎君 皆様如何デゴザイマス、渋沢男爵ヲ座長ニ御願ヒスルコトニシテハ……
 (「賛成」ト呼フ者アリ)
○男爵渋沢栄一君 ソレデハ私ガ御引受ケシテ、御免ヲ蒙リマス
 (男爵渋沢栄一君座長席ニ着ク)
○座長(男爵渋沢栄一君) ソレデハ木下氏ヨリ事業上ノ説明ヲ致シマス
○木下弥八郎君 私ハ窪田サンニ代リマシテ、此中央開墾会社ノコトニ付キマシテ、重ニ其技術上ニ亘ルコトヲ御説明申シテ呉レト云フコトデゴザイマスカラ、ソレヲ申上ゲマス○中略此中央開墾会社ハ素ヨリ営利会社デゴザイマスカラ、営利ト云フコトヲ離レルコトハ出来マセヌケレドモ、併シソレダト云ツテ利益ノ多カランコトノミ走ルノデハナクテ、一面国家的ノ観念ヲ持ツテ居ルノデアルト云フ話デゴザイマス、ソレハ此会社ノ立場ガ、是カラ地方ニ起キテ参リマス開墾事業ニ関スル他ノ会社若クハ個人ノ事業、是等ノ援助者トナリ、本邦ニ於ケル開墾事業ノ中軸トシテ立ツテ行カウ、ソレカラ一面官庁ノ此開墾事業ニ対スル諸般ノ施設ニ対シテハ補助ノ機関トナラウ、サウシテ以テ此開墾ヲ堅実ニ且ツ迅速ニ方々ニ起キルヤウニ力ヲ尽シマシテ、之ニ依テ糧食欠乏ノ一般国民ノ急ヲ救ハウト云フ抱負ヲ持ツテ居ルノデアルト云フ御話デゴザイマス、ソコデ、ソレナラバサウ云フ抱負ヲ持ツテ居ルトスレバ、事業ヲ経営シテ行ク方針ハドウデアルカト云フコトニ移リマスレバ、総体土地ト云フモノハ、其地方ノ人ガ之ヲ開墾シ之ヲ耕作スルノガ至当ナルコトデアル他ノ資本家ガ這入リ込ンデ行ツテ、ソレト利益ヲ争ヒ合フト云フコトハ宜クナイコトデアル、ソレデ此会社ハ何所マデモ其主義ヲ保ツテ行ツテ、サウシテ地方ノ開墾事業ヲ企テル人ノ援助者トナリ、味方トナリ、モウ一ツ詳ク言換ヘレバ、其開墾ヲ企テル人ガ、若モ開墾ノ計画ヲ立テルコトガ出来ナイヤウデアツタナラバ、此方カラ技術者ヲ派遣シテ計画ヲ立ツテヤラウ、工事ヲ施行スルコトガ出来ナイ向ニハ、其工事ヲ請負ツテ此方ノ会社デ工事ヲ施行シテヤラウ、ソレカラ地方デ開墾ニ要スル資金ガ不足致シマシタ場合ニハ、此方カラ資金ヲ融通モシテヤラウ、ソレカラ官有地・公有地ノ払下若クハ貸下ヲ願出デ、其目的ガ開墾デアル場合ニハ、今ノヤウナ援助ヲ致シマスハ勿論、更ニ進ンデハ其会社ニ代ツテ、官庁ニ対シテ土地ノ払下・貸下ヲ周旋若クハ代ツテ願ツテヤラウ、サウスルト官庁ハ個人ノ願出ニ対シマシテハ、其設計ガ杜撰デアルトカ、工事ガ出来マイトカ、乃至ハ資金薄弱デアルトカ云フヤウナコトデ、払下・貸下ヲ中止スル場合ニモ、会社ガ之ヲ保証スレバ、官庁ハ安心シテ速ニ出願人ノ目的ヲ達シサセルコトガ出来ル、凡ソノ事柄ハ斯ウシテ進マウ、併ナカラ若モ開墾有望ナル土地ガゴザイマシテ、ソレガ余リ大キナ土地デ、個人ノ力カ乃至ハ地方ノ資力ニハ任セナイト云フヤウナ、一口ニ言ヘバ地方ノ人ガ手ガ届カナイヤウナ大キナモノガアツタ場合ニハ、是ハ地方ニ競争者ガ無イノデアルカラ、会社自カラ其仕事ヲ経営シヤウ、是ダケノコトデアル、此会社ノ事業ヲ此方
 - 第54巻 p.237 -ページ画像 
針ヲ以テ会社ノ事業ヲ経営シテ行カウト思フ、斯フ云フ話デゴザイマス、ソレデサウ云フ方針デ仕事ヲスルノデアルナラバ、一ツ一ツニ書上ゲテ見レバ、ドンナ箇条ニナルカト云フコトハ、此原案ノ定款ノ第二条ニ現ハレテ居リマスヤウナ仕事デゴザイマス○中略ソレカラ今度ハ引続キマシテ、窪田サンハ是非此会社ハ三千万円ニシテ欲シイト云フコトヲ、技術上ノ眼カラモ一ツ述ベテ欲シイト云フ御希望デゴザイマスサウデ、ソレハ窪田サンノ御話ガゴザイマセヌトモ私モサウ考ヘマスノデゴザイマス○中略ソレデ一千万円デト云フコトハ、同時ニ地方ノ人ト利益ヲ奪合ハズニ、何所マデモ利益ヲ他ニ与ヘテ、此方ハ援助者ノ位置ニ立タウト云フ大人振ツタ抱負ハ、一千万円デ実行ハ如何デアラウカト私ハ存ジマス、其他資本ガ大キケレバ仕事ハ割合ニ挙ガルト云フヤウナコトハ、是ハ私技術者トシテ申上ナクトモ、常識デ行クコトデゴザイマスケレドモ、今ノ資本金ガ千万円デドウカ、モツト大キイ方ガ宜イヂヤナイカト言ハレヽバ、勿論多イ方ガ宜イト考ヘマス、大キイノハドノ位大キケレバ宜イカト云フコトハ、ソレハ私ニモ一向見込ハゴザイマセヌデス、唯多々益々弁ズルト云フコトモ、余リ斯フ云フ具体的ノ場合ニハ申上ゲ悪イコトデゴザイマスケレドモ、兎ニ角モ窪田サンノ御考ノ通リ、一千万円デハ矢張リ余リ少ナ過ギヤウカト考ヘマスコトダケハ、是ハ私勝手ニ附加ヘテ申上ゲマスノデゴザイマス、之デ申上ゲマスコトハ殆ド尽キタト思ヒマスカラ御免蒙リマス
○中略
○根津嘉一郎君 段々御説明ヲ承ハツテ大ニ要領ヲ得マシタガ、遺憾ナノハ唯窪田君ノ御病気デ、御出席ノナイコトハ甚ダ遺憾デゴザイマス、先刻チョット資本金ナドノコトニ付テモ、一千万円ハ今日ノ所デハ少イカラ、二・三千万円ニ増額ヲシナケレバナルマイト云フヤウナ御説明モゴザイマシタガ、先頃総理大臣ノ所デ窪田君ニ会ヒマシタ時ニモ、窪田君ノ意志ハ、一千万円位ナラ広ク発起人ヲ募集スル必要モナシ、今日ノ時勢ニ於テ何事モ出来ナイ、ドウシテモ三千万円位ニハセナケレバナラヌト云フヤウナ御話モゴザイマシタ、ソレガ為ニ総理大臣ニモ御相談シテ、各府県ノ有力者ヲ以テ発起人ニシタイト云フヤウナ御話ガゴザイマシタ、同氏ノ意見モ三千万円位ノ考ヲ有ツテ居ラレルコトヽ私ハ信ズルノデアリマス、サウ云フヤウナコトデゴザイマスレバ、或ハ又今日三千万円ガ適当デアルカ五千万円ガ適当デアルカ、ト云フコトモ、是モ余程考究シナケレバナラヌ問題ト考ヘマス、今日此席デ資本金ヲ三千万円ニスルガ宜カラウト云フヤウナコト迄ニ私共ハ考ヘテ居リマセヌ、兎ニ角一ツノ会社ヲ拵ヘマスニハ、準備委員ト云フモノガ出来ルノガ相当デゴザイマスルカラ、私ハ先刻鎌田君カラモ御発言ガゴザイマシタガ、従来御関係ノ渋沢・武井・益田三男爵ニ窪田君モ這入ツテ、此外ニ適当ノ数ノ創立委員ノ御方達ガ、或ハ資本金ヲ定メルナリ、或ハ定款ノ改正ヲスベキモノハ定款ノ改正ヲシ、其他ソレニ伴フ適当ナル御準備ヲ此方々ニ御任セシテ、吾々ニ又御示シヲ願フコトガ宜カラウト思ヒマス○中略
 - 第54巻 p.238 -ページ画像 
 (「賛成」ト呼フ者アリ)
○座長(男爵渋沢栄一君) 根津サンノ今ノ御動議ハ誠ニ御尤モ千万ト思ヒマスガ、玆ニ第一ニ私デゴザイマスガ、此席ニ立ツテソレヲ申上ゲナガラ、ドウモ創立委員ハ御免ヲ蒙ルト云フコトハ、何ダカ皆様ヲ御招キヲ申上ゲテ、其仕事ノ成行ハ構ハヌト云フヤウニ聞エテハ相済ミマセヌケレドモ、御相談相手ニハ必ズナリマスケレドモ如何デセウ創立委員ハ御案内ヲ申上ゲタル年寄ヲ除イテ、尤モ其中ニ年老ツテ精力ノエライ御方ガアツタラ、ソレヲ嫌フト云フ意味デハゴザイマセヌ、其十二名デアルカ十五名デアルカノ中ヨリ吾々三人ヲ除イテ、窪田君ハ加ヘニヤ行ケマセヌカラ、窪田君ヲ加ヘテ、三人ダケハ御省キ下サル訳ニハ行キマスマイカ○中略
○根津嘉一郎君 私ハ強ヒテ創立委員ニ御成リ下サレト云フコトデハナイノデスガ、今日迄ノ渋沢男爵ナドノ御趣意カラ考ヘルト、創立委員ト云フコトハ甚ダ御迷惑ダト思ヒマス、併ナガラ何トカ名称ガ無イト、是カラ御心配ヲ下サルノニ、創立委員ト云フモノガ出来タ以上ハ、発起人ダケデアルト御相談合ヒニナル、相談役トカ何トカ何レデモ宜シウゴザイマス、協議ニ与カルダケノ名称ノ下ニ御這入リ下サレルヤウニ、創立委員ガ出テ仕舞ツテ、オ三方ハ発起人ダケデ相談ニ与カル資格ガ無イト云フコトデハ困リマス
○座長(男爵渋沢栄一君) ドウモ創立委員ノ相談役ト云フノハ余リ……形式的ナモノデハナイカラ出来ヌコトハアルマイガ……
○根津嘉一郎君 近頃アリマスネ
○座長(男爵渋沢栄一君) アリマスカ、ソレナラバ老人ハ相談役ト云フコトニ願ツテ、創立委員ヲ十五名選バウヂヤアリマセヌカ、吾吾ハ創立委員以上ニ努メルト云フコトニ御約束ヲ申上ゲル、サウシマスルト資本額ハ、今根津サンモ仰セノ窪田サンガ三千万円ニシタイト云フコトヲ提議シテ貰ヒタイト云フ○中略二千万円ニスルカ、三千万円ニスルカハ、創立委員デ協議シテ確定スル迄ニ御任セ戴クト云フコトニシテ……
(「異議ナシ」ト呼フ者アリ)
○中略
○座長(男爵渋沢栄一君) ソレデハ今ノ創立委員ノ指名ハ、今此所デ忽卒ニ致シマスヨリ、熟考ヲ致シマシテ、明日ニモ申上ゲルコトニ致シタウゴザイマス
 (「賛成」ト呼フ者アリ)
○座長(男爵渋沢栄一君) サウ致シマスト、今日御願ヒシマスコトハ、先ヅ大体ノ此会社ノ此所ニ至ツタ経過ヲ御報道申上ゲル、ソレカラ続イテ資本増額ヲ致シタイ、定款ノコトニ付テ御協議ヲ願ヒタイト申シタノデスガ、ソレハ創立委員ニ一任、ソレカラアトハ公募ノ方法ヲ如何ニスルカ、時期ヲドウスルカ、申込書作製等ヲドウ云フヤウニスルカト云フヤウナ手続ガ、今日ノ御評議ノ要件デゴザイマシタカラ、是デ大要議決シマシテゴザイマス、誠ニ有難ウゴザイマシタ。(拍手起ル)
  午後三時五十五分散会

 - 第54巻 p.239 -ページ画像 

中央開墾株式会社書類(DK540051k-0004)
第54巻 p.239-241 ページ画像

中央開墾株式会社書類         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
(表紙)
  大正八年十二月廿六日東京銀行集会所ニテ開催ノ中央開墾株式会社設立発起人会ニ於ケル
   原総理大臣山本農商務大臣 演説筆記

    原総理大臣演説
唯今渋沢男爵ヨリ御紹介ノアリマシタ通リ、此開墾会社ヲ発起セラルルコトニ付テハ、従来極メテ賛成ヲ表シテ居ル、一通リ其趣意ヲ申シテ置キタイ、御承知ノ如ク糧食殊ニ米ノ問題デアリマスガ、是ハ実ハ国家ノ重大問題デ、数年間根本的ニハ解決サレテ居ラヌノデゴザイマス、ソレ故ニ糧食問題ノ根本的解決トシテハ、先般経済調査会ヲ設ケテ之ニ諮問致シテ、段々研究ヲ致シテ居ルカラ、何トカ糧食ノ根本的解決ハ之ニ依テ確立致スコトヲ希望致シテ居ル、又左様相成ルダラウト考ヘテ居ル、其根本的問題ハ何レニ帰着スルニシテモ、穀物就中米ノ産額ヲ多クスルト云フコトハ、根本的問題ハドチラニ決スルニシテモ必要ナルコトデ、又日本ノ状態ハ未開墾地ノ非常ニ多イト云フコトハ事実デアル、之ニ相当ナル力ヲ注ゲバ、開墾ガ出来テ糧食ノ充実ヲ計ルコトガ出来ルト云フコトモ何人モ疑ヒナイガ、サリトテ之ニ着手スルコトガ甚ダ困難デ、開墾事業ハ仲々僅カバカリノ資本ヲ以テ、其所此所デ企テタト云フヤウナコトデハ十分ナル効果ヲ挙ゲラレヌコトハ、何人モ実験上知ツテ居ルコトデアリマス、故ニ政府ニ於テハ先般開墾助成法ナドヲ設ケテ、ソレゾレ開墾ヲスル者ニ相当ナル補助ヲ致シテ開墾ヲ奨励シテ居ルノデハアリマスケレドモ、仲々ソレノミヲ以テ将来糧食ノ充実ヲ期スルト云フコトハ覚束ナイ、左様ナ状勢デアツタ所ニ、丁度十年計リ前ニ設ケラレタ東北振興会、之ニ於テ未開墾地ヲ開墾シテ云々トイフ企テガアツタ、其所ニ又丁度国産奨励会ニ於テモ同様ナ企テガアツタ、是等ノコトニ付テ武井・渋沢・益田三男爵等ヨリ段々御趣意ヲ承ハリ、至極適当ナルコトデ国家ノタメニ満幅ノ賛成ヲ表スル事柄デアルカラ、一ツ其企テヲ実行スルヤウニ希望スルト云フ段々御話ヲ致シテ、会社ノ創立案ヲ定メテ帝国開墾会社ナルモノガ先般企テラレタノデアリマス、併シ是ハ政府ヨリ開墾助成法以外ニ補助スル案デアリマシタカラ、或ハ誤解ヲ来シタ点モナキニシモアラズカト思ヒマスガ、兎モ角モ、此事ヲ実行シテ議会ニ出シタ時ニハ、如何ニモ議会ノ会期切迫ノ時デアツテ、貴族院ニ於テハ僅ニ一両日ホカ審査ノ期間ガ無イヤウナ時デアリマシタカラ、終ニ議会ヲ通過スルコトガ出来ナカツタ、之ヲ企テラレタ方々ハ無論ノ話、政府ニ於テモ極メテ遺憾ニ考ヘテ居リマシテ、何ントカ致シテ如何ナル方法ニ依ルニ拘ラズ、其目的ハ必ズ貫徹致シタイモノダト希望致シテ居リマシタガ、丁度同様ナルコトヲ渋沢・益田・武井三男爵等ニ於テモ考ヘラレテ、先般政府ノ補助ニ依テ成立スル案ハ、第四十一議会ニ通過シナカツタト云フ訳ヲ以テ、吾々ハ国家ノ為メニ必要ト云フ企テタ趣意ヲ抛
 - 第54巻 p.240 -ページ画像 
擲スル訳ニ行カヌノデ、今度ハ政府ノ補助ナドヲ仰ガズシテ此会社ヲ是非企ツテ、国家ノ為ニ貢献シタイト云フ段々御話ガゴザイマシタ、政府ハ当初ヨリ斯様ナル企テヲ致シテ居ツタノデアリマスカラ、此話ニモ極メテ御同感ヲ表シマシテ、政府ハ昨年来考ヘタ通リニ此会社ニ向ツテハ出来ルダケノ御援助ヲ致サウト云フ訳ヲ以テ段々其話ガ進ミ遂ニ今日ハ発起人会ヲ開カルヽ迄ニ立至ツタノデアリマス、誠ニ国家ノ為ニ慶ブベキ事柄ト思フノデアリマス、政府トシテハ左様ナル次第デアリマスカラ出来ルダケノ便宜ヲ与ヘ、援助ヲ与ヘ、此開墾会社ノ目的ヲ遂行シテ国家ノ為ニ貢献セラルヽコトヲ希望ニ堪ヘヌノデアリマスルカラ、政府ヨリ利子ヲ補給スルト云フヤウナコトハ止メマシタケレドモ、此企テニ付テハ政府ハ出来ルダケ、法律規則等ニ於テ許ス範囲内ニテ、此会社ニ十分ナル便宜ヲ与ヘル積リデアリマス、又会社ハ唯今モ申シタガ如ク、別ニ政府ノ補助モ仰ガズ国家的ニ企テラレタノデアリマスルガ、サリトテ此会社ニ利益ナクシテ資本ヲ吸耗スルコトモ困難ナ訳デアリマス、又相当ナル利益ヲ挙ゲテモ差支ナイノデアリマスカラ、営利一方デナイト云フ趣意デ企テラレテ居ル以上ニハ、国家ノ為ニ尽サレル所ノ意思ニ何等影響ヲ及ボス訳デモナイノデアリマスカラ、此会社ガ相当ナル計画ヲ立テヽ発起セラレ、又其事業ヲ着着進行セラレマシタナラバ、会社ガ国家ノ為ニ貢献セラルルト云フ趣意ヲ貫徹セラレ、又必ズ国家ノ為ニ将来利益ナルコトヽ思フノデアリマス、元来糧食問題ハ、既ニ申シタ如ク多年ノ問題デアリマスケレドモ、殊ニ深ク其必要ヲ感ズルノハ、先般欧洲ノ大戦争ニ依リ、金サヘアレバ糧食ハ何所カラデモ得ラレテ安全ナリト云フヤウナ議論モ一時アリマシタケレドモ、左様ナルコトハ此大戦争ノ結果ニ依テ見ルト云フト、全クノ空想デ、成程一地方デ見マスレバ、昔ハ凶作饑饉ノ時ニハ金ヲ懐ロニシテ餓死シタコトガアリマシタガ、今日ハ左様ナコトハナイヤウニハナツテ居リマス、併シ国家トシテ考ヘテ見ルト、一朝事有ル時ニ外米ナドヲ入レヤウト云フコトハ毛頭出来ナイ、必ズ内地ニ産スル所ノモノヲ以テ其需要ヲ充タサナケレバナラヌ、是ハ大戦争ノ実験ニ依テ其必要ヲ感ズルノデアリマス、是等ノコトカラ考ヘテ見テモ、幸ニシテ日本ニハ未ダ未開墾地モ多イ、之ヲ開キサヘスレバ国家ハ安泰ナルモノト思フノデアリマスカラ、政府トシテハ、仮令、私共ハイツ迄モ此職ニ居ル訳デハアリマセヌケレドモ、政府ガ替リマシタ所ガ、其主意ニハ変リハアルマイト思フ、国家トシテハ此開墾ナドノ企テニハ満幅ノ同情ヲ表シテ、出来ルダケノ援助ヲ与ヘテ差支ナイモノト思フノデアリマス、斯様ナ趣意デアリマスカラ、此開墾会社ノ速ニ成立致シテ着々効果ヲ挙ゲルコトヲ希望致ス、ソレニ付テモ政府モ出来得ル限リノ援助ヲ辞サヌ積リデアリマス、此コトヲ皆様ニ御参考ニ申シテ置クノデアリマス、ドウゾ一日モ速ニ此会社ノ成立セラレ、効果ヲ挙グルコトヲ深ク希望スル次第デアリマス。
    山本農商務大臣演説
今日ハ此中央開墾会社ノ発起人会ニ方リマシテ、承ハリマスト云フト何事モ円満ニ参ツタサウデ寔ニ悦ビニ堪ヘナイコトデアリマス、此会社ノ国家ニ必要ナルコト、又此起リマシタルコトニ付テノ成行ニ付テ
 - 第54巻 p.241 -ページ画像 
ハ、総理大臣ヨリ充分ニ今御述ベニ相成リマシタ故ニ、私ヨリ尚ホ申上ゲル必要ハナイノデアリマス、唯此開墾ノ事業ハ農商務省ニ直接ニ関係スルコトガアリマスルガ故ニ、初メヨリ此コトニ付テ渋沢・益田武井三男爵ノ御相談ヲ受ケテ、意見ニ付キマシテハ腹蔵ナク是マデ述ベテ居ルコトデアリマス、政府ニ於テモ今年ハ開墾助成法ト云フモノヲ設ケマシテ来タガ、此助成法ニ付キマシテモ、政府ニ於テ直接ニスルコトハナイノデ、皆民間ニ於テソレゾレ開墾事業ヲ企テマシテ、ソレニ依リソレゾレ助成ヲスルト云フノデゴザイマス、是モ矢張リ立派ナル会社ガ起リマシテ、サウシテ之ヲ利用スルト云フ途ヲ作ラナケレバ、折角法律ヲ定メマシテモ効果ハ甚ダ薄イノデアリマス、折々各府県ヨリモ之ニ依テ請願モ重ツテ参ツテ居ルノデゴザイマスルガ、尚ホ此方モ地方ノ開墾ヲスル人ニ付テ調査ヲシテ見テモ、資本ニ於テ不足ガアリ、或ハソレヲ開墾スル上ニ付テ力ガ足ラナイト云フヤウナコトニ於キマシテ、大ニ之ヲ助ケ、又進ンデサウ云フコトヲ指導シテ参ルト云フ如キ会社ノ必要ガ今日起ツテ居ル次第デアリマシテ、其所ニ至リマシテ、此東京及各府県ノ重立ツ諸君ガ発起トナツテ、サウシテ此大会社ヲ起スト云フコトハ、一ハ開墾ヲ誘導スル上ニ付キ、又地方ニ於テ及バナイコトヲ之ヲ引受ケテ、所謂請負的ニシテ其開墾ヲナサシムル上ニ付テモ多大ノ効果ヲ得ルコトトシテ、大ニ悦ンデ居ル次第デゴザイマス、就キマシテハ、尚ホ今後此会社ヲ有効ニ働カセル上ニ付キマシテ、又腹蔵ナク吾々ハ意見ノアル所ヲ述ベモシマス、又御相談ニ依テハ、出来得ルダケ便利ヲ斗ルコトニ努メタイト云フ精神デゴザイマス、要スルニ総理大臣ヨリ述ベラレタ如ク、政府ニ於テハ充分ニ此会社ニ付テ成功スルヤウニ直接間接ニ尽力ヲ致シタイト云フ考デゴザイマス、此際ニ於キマシテ此会社ノ成立チマシタコトヲ国家ノ為メニ祝スルト同時ニ、又政府ニ於テハ及ブダケ御努力モ致シマセウト云フコトヲ此所ニ明言シテ置キマス。


中央開墾株式会社書類(DK540051k-0005)
第54巻 p.241-242 ページ画像

中央開墾株式会社書類           (渋沢子爵家所蔵)
(写)
謹啓 益御清適奉大賀候、陳者本日開催仕候中央開墾株式会社発起人総会ノ決議ニヨリ、貴下ヲ同創立委員ニ御推薦申上候間、御多端之折柄御迷惑トハ存し候得共何卒御承諾被成下度、他ノ委員ノ御氏名ハ別表ノ通リニ有之候ニ付御了承願上候、猶下名等ハ創立委員ヲ御辞退申上候得共、同決議ニ基キ相談役トシテ乍不及今後共微力ヲ尽シ可申候間右様御諒承被成下度、此段御依頼旁得貴意申候 敬具
  十二月○大正八年廿六日         武井守正
                      益田孝
                      渋沢栄一
      殿
 追而乍御手数別紙御署名御調印ノ上御回附被成下度願上候

    創立委員芳名
 三井代表    三菱代表   古河代表
  団琢磨     桐島像一   井上公二
 - 第54巻 p.242 -ページ画像 
  根津嘉一郎   小倉常吉   村井吉兵衛
  窪田四郎    木下弥八郎  小池国三
  鎌田勝太郎   横山章    小池張造
  大村彦太郎   若尾幾造   安川敬一郎
  佐藤清右衛門  中村円一郎  神田鐳蔵


竜門雑誌 第三八〇号・第六二―六三頁大正九年一月 ○中央開墾会社発起人会(DK540051k-0006)
第54巻 p.242 ページ画像

竜門雑誌  第三八〇号・第六二―六三頁大正九年一月
○中央開墾会社発起人会 旧臘廿六日午後二時より銀行集会所に於て掲題会社の発起人会開催せられ、青淵先生・武井男・益田男を首めとして八十余名出席したる由にして、先づ青淵先生より会社定款並に計画に関し縷々説明せらるゝ処あり、出席者一同発起人たることを承諾し、尚ほ創立委員として村井・窪田諸氏等十五名を挙げ、今後の処理を一任して四時散会せる由。之に就て青淵先生には往訪の新聞記者に対し左の如く語れる由。
 会社の資本金は最初の計画にては一千万円なりし所、事業遂行上に不足なるを以て、多分二千万円に増額することゝなるべく、武井・益田両男及予は発起人各位より創立委員たるべきことを慫慂せられたるも、同社設立計画に就ては是れまで相当の尽力を為したるを以て、此の際創立委員は別に人選し、自分等は相談役として今後同社の為に尽すことゝなれり云々。


渋沢栄一 日記 大正九年(DK540051k-0007)
第54巻 p.242 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 晴 寒
○上略 午前十一時半大礼服ニテ参内シ新年宴会ニ列席ス、午飧ヲ賜ル、畢テ兜町事務所ニ抵リ○中略栖原氏来リ中央開墾会社ノ事ヲ談ス○下略


集会日時通知表 大正九年(DK540051k-0008)
第54巻 p.242 ページ画像

集会日時通知表  大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
一月廿三日 金 午前十一時 中央開墾会社ノ件(帝国ホテル)


中央開墾株式会社書類(DK540051k-0009)
第54巻 p.242-243 ページ画像

中央開墾株式会社書類           (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 益御清適奉賀候、陳ハ客年十二月二十六日東京銀行集会所ニテ開催ノ中央開墾株式会社発起人会ニ於テ左記ノ通リ決議相成候
 一、資本金ハ弐千万円乃至参千万円ノ範囲ニテ創立委員会ニ於テ決定スルコト
 一、創立委員約十五名ヲ選定スルコトトシ、其選定ハ渋沢栄一・益田孝・武井守正ノ三氏ニ一任スルコト
 一、渋沢栄一・益田孝・武井守正ノ三氏ハ相談役トシテ創立委員同様当会社創立ニ尽力スルコト
 一、定款作成其他創立ニ関スル事項ハ創立委員ニ一任スル事
右決議之結果、下記ノ通リ創立委員選定御承諾ヲ得候ニ付、本年一月二十三日委員会ヲ開キ左記ノ通リ議定致候
 一、資本金ハ参千万円トスルコト
 一、定款ハ別冊通リ決定スルコト
 一、可成本会社創立ノ趣旨ヲ徹底セシムル為、改定発起人ノ外、尚
 - 第54巻 p.243 -ページ画像 
広ク全国有力者ニ発起人又ハ賛成人タルコトヲ勧誘スルコト
 一、発起人引受株数ヲ最低五百株ト定メ、五百株以上引受差支アル向ハ賛成人トスルコト
 一、窪田四郎氏ヲ創立委員長トシ、創立ニ関スル他ノ事項ハ委員長ニ一任スルコト
右御通知迄申上度如此ニ御座候 敬具
  大正九年一月 日
                     窪田四郎
                     武井守正
                     益田孝
                     渋沢栄一
        殿
  ○別冊略ス。


中央開墾株式会社書類(DK540051k-0010)
第54巻 p.243 ページ画像

中央開墾株式会社書類           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 益御清適奉賀候、陳者中央開墾株式会社創立に付御賛同之儀御懇嘱申上候処、早速発起人たることを御快諾被成下深く奉感謝候、以御蔭創立事務着々進捗致候ニ付、計画確定の上不日発表之事に取運ひ度と存居候、就而ハ此際乍御手数御引受株数御確定に預り度、他之発起人の方々の振合は最低五百株に有之候に付御参考迄ニ申添候
右御依頼迄申上度如此ニ御座候 敬具
  大正九年一月廿四日
                     窪田四郎
                     武井守正
                     益田孝
                     渋沢栄一
        殿


竜門雑誌 第三八一号・第五五―五六頁大正九年二月 ○中央開墾会社委員決定(DK540051k-0011)
第54巻 p.243-244 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第五五―五六頁大正九年二月
○中央開墾会社委員決定 予て計画中なりし中央開墾株式会社に就ては青淵先生並に益田男・武井男・窪由四郎氏等其衝に当り、専ら斡旋しつゝありしが、此程委員及委員長は左の如く決定せりと云ふ。
 △委員長
   窪田四郎
 △委員
   井上公二    横山章
   安川敬一郎   大村彦太郎
   団琢磨     小池張造
   小倉常吉    根津嘉一郎
   小池国三    若尾幾造
   中村円一郎   斎藤清右衛門《(佐藤清右衛門)》
   鎌田勝太郎   村井吉兵衛
   木村久寿弥太  神田鐳蔵
 - 第54巻 p.244 -ページ画像 
   木下弥八郎
 △相談役
   青淵先生    益田孝
   武井守正
 尚ほ同会社の株式は総数六十万株にて、其内二十万株は発起人に、又二十万株は賛成人に割当て、残余の株式は広く一般より募集する予定なりといふ。



〔参考〕竜門雑誌 第三八〇号・第一四―一八頁大正九年一月 ○現代喫緊の急務 青淵先生(DK540051k-0012)
第54巻 p.244-245 ページ画像

竜門雑誌  第三八〇号・第一四―一八頁大正九年一月
    ○現代喫緊の急務
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が「実業公論」記者の訪問に対し、現時の物価問題に付て意見を披瀝せられたるものにて、同誌七月号に掲載せるものなり。(編者識)
○中略
△米価の暴騰と需給の関係 米価の暴騰する第一の原因は、大戦以来我邦の商工業頓に勃興したるに際し、従来農作に従事したるものが、旧来の業務を抛棄して、或は工業に走つて職工となり、或は鉱山に赴いて鉱夫となりたる結果、農作に従事するもの減少して、米穀を食するもの次第に増加したるが故なり、第二の原因は時勢の好景気に伴ひ上流社会は多々益々贅沢を極め、中流亦之に做ひ、下級民に至る迄通貨の潤沢なるに従ひ、奢侈の風長足の進歩を為し、各階級を通じて米に対する一般の需用は次第に其品位の上等なるを撰ぶに至り、由来下級民の代用食を為せるもの当今に至つて唯に代用食を為さゞるのみならず、外国米を購求するものさへ減少するに至り、内国米の欠乏は牽て米価の奔騰を惹起せること、需用供給の原則に照して当然此結果を招来したるや論を俟たず、故を以て其之が傾向を根本的に挽回せんと欲せば、到底其本に返るの外他に何等の方途なきなり、即ち大に農業を奨励して収穫の実を挙ぐるの計画に出でざる可からず、由来我邦は農業を以て本位とし、五穀豊穣にして瑞穂の国と称せらるゝも、今や米の産額は年々不足を来たして、自給の余地なき境遇に瀕せり、其此処に至りたる原因は、畢竟我邦の農業を策する政治の進歩せざる罪に坐す、案ずるに今春○大正八年企劃されたる開墾会社の如きは、其目的一に農作地域を拡大して農産の発達を促がし、食料の自産自給を策し、国家百年の長計に備へんと憂慮したるものなり、然るに、此計劃の如きも不幸にして議会の為めに蹂躙せられ、終に其目的を達すること得ず、一部の人士を嗟嘆に咽ばしめたるものあり、而かも百年の大計を策する我邦現下の急務として、大に土地を開墾して耕地の拡大に努め農民を奨励して其業に安んぜしめ、地主と小作の調和を計り、資本・労働分配の道を講ずる等、農民保護の政策を講じ、仮令鉱夫若くは職工等より農民となるの域に達せずとも、少なくとも彼等農夫をして其業に止まらしむるは目下の最も重要なる問題なりとす。
 論者或は曰はん、我邦耕地の見るべきもの、多くは皆既に耕境に達せんとし、其開墾すべきは山間の赫土と雖も、既に既に耕作の用に宛
 - 第54巻 p.245 -ページ画像 
つ、又開墾の余地なきなりと、然れども、之れ等の議論は余りに皮相論に走れるものにして、今春に於ける開墾会社の企劃に見るも、猶ほ開墾の余地頗る豊富なり、現に政府殊に農商務省の有する土地の如き又陸軍省の有する全国に散在する漠大なる土地の如き、何が故に陸軍省が之れ等多くの土地を有する必要ありや、吾人の怪訝に堪へざる所なり、猶ほ又宮内省の如きも多くの漠大なる土地を有し、曩きに帝室に移転したる広大なる土地の如きも、未だ之に対して何等一指を下さざるが如き、明かに之等官有地若くは帝室に属するものゝみに徴するも、開墾に因て拡大すべきの余地綽々として豊富なりと謂はざる可からざるにあらずや。
△喫緊の急務 開墾の事素より目下の急務にして、決して等閑に附すべからざる問題なりと雖も、諸物価の暴騰に起因する生活難の圧迫は更に一層等閑視すべからざる問題にして、或種の貧民の如きは、他人の救助に依るに非ずんば、到底一日も生命を維持すること能はざる悲境に陥れるもの尠なからず、殊に当今失業の徒続々として発生せんとする傾向を呈するに当つて、之等失業者に対して一定の常業を附与し安心定業に就かしむの最も必要にして且つ喫緊事たるは、吾人の日夜憂慮に堪へざる所なりと雖も、今猶ほ憂慮に止まり、何等之に対する具体的実行を見る能はざるは、頗る遺憾に堪へざる所なり、素より養育院の如きは其設備既に就れりと雖も、此種貧民に対して養育院を以て俟つ可からざるは明かなる所にして、須く他に良策を講ずべきなり於此乎、余等は、是等失業の徒は勿論、現時の青年に対して、殊に農業に因て生ずる利益に傾到せしめ、之を養成して農業に就かしむるに於て、其利益僅少ならざる可きを信ずるものなり、即ち多少開墾費用の過大を要するものありと雖も、以て失業者をして直ちに一定の業務に就かしむるを得べく、牽て食糧品に対する自産自給の目的を大成すべきなり。
○下略