デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
9款 農・牧・林業関係諸資料 3. 財団法人帝国森林会
■綱文

第54巻 p.279-282(DK540059k) ページ画像

大正8年7月2日(1916[1919]年)


 - 第54巻 p.280 -ページ画像 

是ヨリ先、本多静六、本邦林業ノ振興ヲ目的トスル当会ノ創立ヲ企画シ、栄一及ビ益田孝・武井守正ニ議ル。栄一、其趣旨ニ賛同シ、之ガ設立ヲ援助ス。是日、当会創立総会開カレ、十年二月八日付ヲ以テ財団法人ノ認可ヲ受ク。栄一、設立当初ヨリ会員トナリ、歿年ニ及ブ。


■資料

帝国森林会提要 帝国森林会編 第三頁大正一二年五月刊(DK540059k-0001)
第54巻 p.280 ページ画像

帝国森林会提要 帝国森林会編  第三頁大正一二年五月刊
    第一編 本会の設立並に組織
      第一 本会の設立
 本会は欧洲大戦後に於ける内外経済界の情勢に鑑み、本邦林業の振興発展を促進せんが為め、男爵武井守正・同益田孝両氏主唱の下に、全国に於ける有力なる実業家及び林学専門家相謀りて設立したる財団法人にして、大正八年七月二日の創立総会に於て其基礎成り、越えて大正十年二月八日附を以て農商務省より財団法人設立認可の指令を受けたり。


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二〇頁 昭和六年一二月刊(DK540059k-0002)
第54巻 p.280 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第二〇頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 八 四《(七)》 ―帝国森林会々員昭和六、一一。


本多静六談話筆記(DK540059k-0003)
第54巻 p.280-281 ページ画像

本多静六談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
                昭和十三年七月十四日 於帝国森林会事務所 石川正義聴取
    帝国森林会について
 創立は大正八年で、私がひとりで計画したものです。最初にこの会のプランをつくつて相談したのが益田孝・武井守正男・渋沢さんの三人でした。大正八年のはじめです。華族会館に、日は忘れましたが、この三人の方におあつまりを願ひました。当日は渋沢さんは風邪を引かれて御出席されませんでした。あとの二人の人は早速来て呉れました。御相談したところ、早速賛成してくれましたが、その日から間もなく、渋沢さんにも御相談して心よりの賛成を得ました。
 渋沢さんとは同郷であり、埼玉学生誘掖会のことで先づ御世話になつてをりまして、その頃この会では先生が会長、私が副会長と云ふ訳で、もう長い御交際を戴いてをりました。それでこの私の計画した森林会のことも早速御引受下さいまして、力を藉そうと云ふことになつたのです。この会は財団法人にして、会員は一口金一千円也の入会金をとり、この会費を寄附行為とすることにしました。但し会費は最初の入会の時とつて、これを終身会費とし、会員も従つて終身と云ふことにきめました。渋沢さんにも、皆さんと同じやうに一口金一千円だけ先づ出してもらひましたが、知名の財界諸名士を会員にあつめるには、どうしても渋沢さんの力なしには出来ないことでした。益田さん武井男も随分骨折つてくれましたが、顔の広い渋沢さんは殊の外色々
 - 第54巻 p.281 -ページ画像 
と御尽力下さつて、当時財界・政界の諸名士を忽ちの内に会員にして十万円の会費をつくることが出来、この金でその年の七月帝国森林会を創立しました。ですから渋沢さんは単なる会員ではなくて、当会の発起人であり、生みの親とも云へる訳です。
 他の会員を募つてくれるには、主に私に懇切な紹介状を書いてくれるか、自分で直接機会ある毎に頼んでくれました。諸井恒平氏も当時縁の下の力となつて私と一緒に会の創立事務に奔走してくれました。唯今は、廿五万円の財団法人となり、色々と重要な国家的事業をしてをります。
 話は違ひますが、日露戦争過ぎて間もなく、事業界が大変膨脹しました時に、渋沢さんが私を実業界に引入れやうとして、中野武営・服部金太郎・大橋新太郎氏等が渋沢さんの使ひで私の駒場の官舎を訪問したことがありました。たしか田園都市会社の社長になつてくれとのことでした。然し私は、学者は実業をやる丈の才能がない。貴方たちは学者と云ふものを買被りすぎてゐると云つて断りました。後で渋沢さんに会つた時、大日本製糖の酒匂博士でさへ、あれ程の切れ物が、やはり会社に乗り出して失敗し、自殺してしまつた位だから、私のやうな鈍物は問題になりませんと云つて笑ひ合つたことがありました。酒匂氏は私の学友で、学生時代よりよく知つてゐました。政治的才能もある切れ物でしたが、そう深く学問のある人ではなかつたのです。あの人を渋沢さんがすゝめて学問より砂糖会社に転じさせて、あの日糖事件を引きおこして、当人は自殺してしまつたのです。私は其後日新ゴム会社創立の時も、渋沢さんより頼まれましたが、お断りしました。然しこの時は渋沢さんが大学の総長に話をされたので、遂々顧問にさせられました。無報酬を約束で引受けましたが、辞任の時給料を積立てゝおいたからとて一度にもらひました。この帝国森林会だけが私の結局の住家で、こゝを去る事は出来ませんよ。


帝国森林会寄附行為 第一―九頁大正一〇年二月刊(DK540059k-0004)
第54巻 p.281-282 ページ画像

帝国森林会寄附行為  第一―九頁大正一〇年二月刊
    帝国森林会寄附行為
      第一章 名称及事務所
第一条 本会ハ帝国森林会ト称ス
第二条 本会ハ事務所ヲ東京市赤坂区溜池町一番地ニ置ク、但シ理事会ノ決議ニ依リ之ヲ変更スルコトヲ得
      第二章 目的及事業
第三条 本会ノ目的ハ本邦林業ノ振興ヲ図リ、治山治水ノ実ヲ挙ゲ、併セテ内外林産物利用ノ促進ヲ期シ、以テ国富ノ増進ト国土ノ安寧トヲ図ルニ在リ
○中略
      第七章 会員及会員総会
第二十五条 本会ノ事業ヲ翼賛シ、寄附額一口以上、又ハ之ニ相当スル物件ヲ寄附シタル者ヲ本会ノ会員トス
 寄附額一口ハ金壱千円トス
 新ニ本会会員タラントスルモノハ、会員ノ紹介ニ依リ入会ノ申込ヲ
 - 第54巻 p.282 -ページ画像 
ナスヲ要ス
○中略
      附則
第三十二条 本会設立当時ニ於ケル会員左ノ如シ
 子爵 渋沢栄一(同)《(東京)》○外一四四名氏名略ス。


渋沢栄一 日記 昭和三年(DK540059k-0005)
第54巻 p.282 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 曇 寒威強カラス
○上略 本多静六博士来話、山林関係ニ付大川・藤原二氏ニ勅撰議員ニ推薦セラレン事ヲ進言ス○下略