デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
9款 農・牧・林業関係諸資料 6. 農村振興ニ関スル栄一ノ意見
■綱文

第54巻 p.296-306(DK540065k) ページ画像

大正11年―昭和3年(1922-1928年)

栄一ノ農村振興ニ関スル意見、「向上」・「銀行通信録」・「大観」・「糧友」・「実業之世界」等ノ諸雑誌ニ掲載セラル。


■資料

竜門雑誌 第四一四号・第一四―一七頁大正一一年一一月 ○積極的勤倹の要道 青淵先生(DK540065k-0001)
第54巻 p.296-297 ページ画像

竜門雑誌  第四一四号・第一四―一七頁大正一一年一一月
    ○積極的勤倹の要道
                      青淵先生
 本篇は青淵先生の訓話として「向上」八月号に掲載せるものなり。(編者識)
○中略
△徹底的積極的なれ 或人は云ふ、余り急激な事はよくないから勤倹を奨励実行するにも徐々にやる方がよいと、然し乍らそんな事を云つて居たのでは、何時まで経ても悪風潮の改善されることがない。宜しく果断な態度を以て徹底的に行ふべしである。少し強過ぎる位でなければ、人の耳目を動かして傾聴せしむることは出来ぬ。
 尊卑長幼の別なく国民挙つて、怠惰驕奢の弊風を破るよう奮起せねばならない。前にも云つた如く、倹は決してたゞ節約さへすれば其の目的を達したと云ふものではない事を忘れてはならぬ。
 一般農業に就てこれを見ても、時勢の進むに随つて農民の知識が進む事を必要とする。養蚕の如きは専門学者の研究が出来てゐる為余程進歩してゐるが、普通の耕作等に至つては、耕地整理、人造肥料位に稍見るべきものがあるのみで、十年一日の如く昔の儘の事を続けてゐるに過ぎぬ有様である。大に科学的に研究して、一方には更に金をか
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けて教へもし、習ひもせねばならぬと思ふ。さうしなければ農家の衰退が見え透いてゐる。農業から工業へとすつかり移つてしまつて、英国は非常に困難してゐるが、日本もやがてさうなる。地主・小作人の問題にも徹底的の研究を要する。かゝる事業に金を投じて研究改善するのは、勤倹の道に適ふものである。


渋沢栄一 日記 大正一二年(DK540065k-0002)
第54巻 p.297 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一二年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 晴 寒
○上略 銀行通信録ニ添附スヘキ現下ノ農業保護策ニ関スル一案ヲ調査シ其筆記ヲ書状ト共ニ集会所江口氏ニ郵送ス○下略
(欄外記事)
 通信録ニ掲載スヘキ意見書中、農業問題ノ原稿ヲ小川氏ノ帰京便ニ托ス
  ○栄一、湯河原ニ在リ。


竜門雑誌 第四一八号・第一六―二七頁大正一二年三月 ○物質界及精神界に対する予の希望 青淵先生(DK540065k-0003)
第54巻 p.297 ページ画像

竜門雑誌  第四一八号・第一六―二七頁大正一二年三月
    ○物質界及精神界に対する予の希望
                      青淵先生
 本篇は銀行通信録新年号に掲載せる青淵先生の談話なり。(編者識)
○中略
 現下の商工業に就て希望を述べたる序を以て、更に一言を添へたきは、全国農業不振の状況に対して如何にして之を匡救すべきやといふ問題であります、数十年来工業の進歩に伴ふて、田家の青年が家を出て工に転ずるは、事業の大変遷に影響されたものであるから、已むを得ざることであるといふものゝ、近来農業に利益の無いのは争ふべからざるの事実である、殊に種々なる科学上の発明が、工業に及ぼすものは年々其度を加へて、便益を増すことが多いけれども、農に対しては養蚕事業の外には、学理応用の効果を受くるものが極めて少ないと思ふのである。故に今日農業の衰頽を救ふて、其振興を図るには、先づ学理的耕作の必要を認め、第一に耕地の整理、機械又は牛馬力の利用、土地と肥料との関係調査、耕作物の選択、生産物其他荷物運搬の利便、此他尚ほ実地必要の新案を講究して充分に之を研鑽し、以て実際に施設することにしなければならぬ、斯くしてこそ始めて学理的農業となることが出来ると思ふ、併し此事を実施するには、全国各町村毎に設備し得るものにもあらざるべく、且又其調査所設置及学者傭聘等に付ても、一時又は継続的に相当の経費を要するは勿論であるから今日各政党の諸君が農税軽減の事を議せらるゝけれども、私は寧ろ其消極的の保護を後とし、積極的に前に述べた学理的農業経営方法を先にし、これをして全国に普及せらるゝことを切望する者であります。○下略


竜門雑誌 第四三五号・第七五―七六頁大正一三年一二月 ○青淵先生説話集 政党の堕落と国策の忘却(DK540065k-0004)
第54巻 p.297-298 ページ画像

竜門雑誌  第四三五号・第七五―七六頁大正一三年一二月
 ○青淵先生説話集
    政党の堕落と国策の忘却
 - 第54巻 p.298 -ページ画像 
○上略
 其他之と相関聯して、現下の重大なる国策問題は、農村の振興問題である。今日我農業の一番欠点とする所は、学問の応用が足らぬ事であるが、学問と農業とを密着せしめるには、多少金が費るけれども、学理を応用して農業の改良と増収を図ると云ふ事は、今日焦眉の急務と云はなければならぬ。○中略(十月十五日新使命所載)


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK540065k-0005)
第54巻 p.298 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 半晴 軽寒
午前八時起床○中略植村澄三郎氏来リ、下位某氏カ商工奨励館ニ於テ講演セシ伊太利国ノ近状ヲ談話ス、且米人ホード氏カ丁抹国農業改良ニ関スル講演ノ事ヲ談シ、某講演筆記《(其)》ヲ示サル○下略
  ○中略。
一月四日 半晴 寒
○上略 夜飧後、米国人ホート氏講演ノ丁抹農業改良方法筆記ヲ朗読セシム○下略


竜門雑誌 第四五一号・第七八―八二頁大正一五年四月 ○青淵先生説話集 国産の振興と其方策 国情を深省せよ(DK540065k-0006)
第54巻 p.298-301 ページ画像

竜門雑誌  第四五一号・第七八―八二頁大正一五年四月
 ○青淵先生説話集
    国産の振興と其方策
      国情を深省せよ
 国産品を愛用し、国産品の産額を増すやうに、上下貴賤を問はず男女老幼の別なく、国民をあげてこれを努むべきは、いつの時代でも必要であるが、今日は特に必要であると信ずるのである。申すまでもなく我邦は天然の資源に乏しく、土地は極めて狭く、しかも之に反して人口の割合が多く、その増加率の多いことも世界各国に比して著しいものがあり、今において之が対策を考へることは刻下の急務である。
 たゞ現在の状態でいへば、我邦の農業だけは、決して欧米のそれに劣つてゐないことを断言することが出来る。それはどういふことであるかといへば、いはゆる集約的であるから、掻いところへ手が届いてゐる様に、緻密に耕作が施されてゐるといふことである。しかしそれは単に手に入つてゐる点においてまさつてゐるのであつて、その働きの割合に伴うて能率が挙がつてゐるといふことは出来ない。而してその原因は何であるかといへば、それは器械及人力の応用的方面が、欧米のそれに比べて著しく劣つてゐることである。
 御承知の如く欧米においては大農法が行はれ、我邦は集約農法で小仕掛にやつてゐる。そこで一部の人々の間には、我邦の農業上の能率をあげるためには、須らく大農法を採用すべしといふ者がある。ちよつときくと如何にも一理ある様に聞かれ、又欧米の諸国に現に行はるるところであるから、何人も異論のない様であるが、しかしそれはいはゆる翻訳的、半可通の議論であつて、我が邦の国状に照し、我邦の農業の実状に鑑み、深くその真相を弁へざる議論であることが判るのである。この事については、実は私に一つの懺悔話があるのである。
      懺悔話
 - 第54巻 p.299 -ページ画像 
 去る明治四十二年、私は我が渡米実業団の一員に加はり、之が団長となつて、たまたまミネヤポリス市における一夕の歓迎会に招かれた折、大北鉄道社長のゼームス・ヒル翁と同席したことがある。このゼームス・ヒル翁はいはゆる立志伝中の人であつて、身を微賤から起して遂に大北鉄道の社長となり、アメリカの鉄道王と云はれた人であるが農業に関する著述があり、それを故井上馨侯が手に入れられ、之を翻訳して各方面に配ばられたことがあり、私もその一部を戴いたことがあるが、全編の要旨は米国の大農法と全然反対の集約説であつたので幸ひいま翁とめぐり遭つたのを機会に、多年の疑問を直接翁に尋ねたのである。さうすると、翁は
 『あなたは銀行家であり、又工業家と承つてゐるが、それでゐて農業上のことを尋ねられ、私の説を多年心に留められて今玆に質問されるのは可笑しいことである。』
といつて、如何にも奇異の感に打たれたやうに見受けたが
 『もともと私も百姓をやつたこともあり、百姓から身を起したものであることゝ、我邦の産業においては農業に重きをおいてゐること並びに我邦の農業を改良革新するには大農法によることが慥に一つの有力な方法であるとの説があり、私もまたこの説に耳を藉すものであつて、幸こゝにあなたに遇つて、大農国における集約論者たるあなたの御説を直接に承ることは実に千載一遇の好機である。』
ことを話すと、翁は頗る喜んで
 『実はあれは私があるところで演説をした筆記の大要であつて、もともと著述ではないがその主張は今も正しいと信じてゐる。といふ訳は、地味がわるく、且つ人口も少なく、土地が十分であるところでは、大農法は適当である。けれども土地が肥え、且つ人口が多く一人当りの耕地に限りあるところでは、与へられた土地において出来る限りの能率をあげることを努めなければならない。それには集約法によるの外はないのであつて、出来るだけその作業を緻密にして、能率の上に遺利のない様にすることが緊切である。なほ之を人文の進化からみても、粗より細に入ることは自然の道行であるから殊に貴国の如き人口の多いところ、耕地に余力のないところで、大農法を唱へるが如きは文明の逆行ではあるまいか。』
 これは私も一言なかつた。私は今日においても全然ヒル氏の説を以て甚だ真理だとは信じてゐない。けれども大体論として、殊に我邦農業の実状に照して、大に考慮すべき点が多いと思ふのである。翁はなほ私に、他に一つの著述をもつてゐるから、いづれお送りしようといふ約束をされたが、翁は約束に基いて私はニユーヨークでその著述を受取つたのであるが、帰朝後これを翻訳して知友並に農業関係者に贈つたことがある。
      養蚕上の一進歩
 以上、ヒル氏との問答によつて読者諸君もいろいろお考へのことゝ思ふのであるが、それは学説についてもよく考へ直して見ることが必要である。さうしてこの態度は、独り精神科学だけではなく、特に形而下の学問技術においては、その当否を適確に証明することが出来る
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のであるから、国産振興に対する理化学的研究の必要は極めて重大な位置と使命とを有することを知らなければならない。
 理化学研究所はこの目的を以て、朝野の識者の賛成の下に発起され漸次業績をあげつゝあるのであるが、同所における最近の研究の中に養蚕に関する一つの発見は実に初冬蚕に成功した事である。昔は養蚕といへば春蚕に限られてゐた、開闢以来幾千年、春蚕に限られた養蚕がついで夏蚕の飼育に成功し、更に進んで秋蚕を発見し、今玆に初冬蚕に成功するに到つたことは皆これ学問研究の賜物である。くはしく云へば秋蚕の中にも、初秋蚕と中秋蚕と晩秋蚕とがあり、玆に初冬蚕を加へると、その飼育並に生産上の能率は驚くべき展開といふ事が出来る。今日我邦の輸出貿易の大宗として養蚕に伴ふ生糸・繭・絹織物の総額が七・八億に達し、全貿易額の四割を占むるに到つたことは一に研究努力の賜物であつて、この一事を見ても、如何に国産の振興と学問研究並に国民の努力が大切であるかゞ判らうと思ふのである。
      能率増進と着眼点
 思ふに我邦の農業は、過去より現在に、はた将来に向つて集約的に徹底してゐる。既に限りある地上を緻密周到に耕してゐるから、最早改善の余地がないかといふに、決してさうではない。現在の農業をいたづらに高尚にせよといふのではないが、更に文化を加へ一層の学理を加へることは極めて必要である。即ち農具について見ても、昔からの手鍬・柄鍬だけが農具ではない。更に能率を高め得るところの農具を工夫するも慥に一つの大切な事柄であらうと思ふ。或は地質を改良するために簡易な方法を考出すが如き、或は電気を農業に応用するの道を考へるならば、その前途はなほ余裕の綽々たるものがあることを感ずるのである。
 電気の応用に関して想ひ出さるゝ事は、私どもが明治の初年に洋行をして、瑞西にいつた時に初めて電灯の応用を見たのであるが、それからパリーに居つた時、あるホテルの前に二つの電灯がついて輝いてゐるといふので、パリー中の評判となり、毎晩群をなして見物に出けるといふ有様で、我邦への電灯が輸入されたのは慥か明治十六年頃と記憶するが、爾来四十年にして全国津々浦々に到るまで電灯を見ざるはなく、更にそれが陸に水に船車を動かし、各方面に動力を供給し、或は電信電話となり、無線電信ラヂオとなり、こゝに電気の世界を出現して、前途なほ測り知る可らざるものがある。
      根本的振興策
 翻つて之を我邦の現状に見るに、この学理的研究においてなほ努力の足らざるものがあり、応用工夫の実際に到つては更に遺憾な点が多い。国民の教育は年と共に進み、農学校の数はふえ、生徒の数は増して行くけれども、是等教育がよくこの時勢の要求に応ずる様に出来てゐるかは頗る疑問である。いな大に考究すべき点が多々あることと思ふのである。
 以上は主として農業に関して、一・二の例を示して所見を述べた次第であるが、工業の方面においても、亦同様であると思ふのである。もとより我国の資源は乏しく、原料の国産も甚だ心細い。けれども更
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に学問の力により、人間の力によつて開発し、発見し、増加する方法は決して少くないことを確信する。(実業三月号所載)


竜門雑誌 第四五八号・第一一七―一一九頁大正一五年一一月 ○青淵先生説話集 産業立国と文化農業(DK540065k-0007)
第54巻 p.301-302 ページ画像

竜門雑誌  第四五八号・第一一七―一一九頁大正一五年一一月
 ○青淵先生説話集
    産業立国と文化農業
 国運の隆盛を所期する上に於て、産業の振作は最も重大なる問題であることは事新しく言ふ迄もないことである。而して産業立国は、口に言ひ易くして実行容易ならざる問題である。
 一概に産業と称すと雖も、種類頗る多くして且つ複雑を極めて居るのであつて、我国の現状に照らして観れば、産業と総称さるゝものゝ中にも、最も産業的意味を含むでるのは農業であるとしなくてはならない、古来農業は建国の基なりと言はれて、農業は立国上の最大意義を有してゐたものであるが、文化の進むだ今日に於ても亦、此重大意義ある点に於て変りはない、否人口の増加につれて愈々益々農業立国の意義を強からしむるのである、されば産業立国を説く者は、先づ以て農業より入らなくてはならないのである。
 現在の我農業状態を観ると、遺憾ながら幼稚の域を脱せぬものゝ如く、生産技術の方面に於ても、販売方面に於ても、改善せしむべき幾多の問題が残されて居る、農村救済乃至農村振興の声が近年喧すしくなつて来たのも、農業経営上何等かの欠陥があつて他との均衡を失したが為めであつて、其声が盛んとなり、所有方面から研究され討議された上、少しづゝにても農村掘興の緒につかんとすることは、真に結構のことであるに相違ない、併しながら農業の発展を期する目的下に行はるゝ政策にしても、其他にしても、現在の状況を以てしては到底満足すべきものではない、まだ振興の緒についたか、つかないかと云ふ程度にも至らずして、研究時代に属するものゝ如くに窺はれる。
 農業政策を論ずる政治家は農業の実際に迂遠で、農民の心の中へ踏み込むで議論することが出来ない、詰り農民心理の真髄を握ることなくして、論ぜんが為めに論じて居るのであるから、徹底したる農業政策の樹立が出来ない、農村の振興を徹底せしめやうとならば、須らく農村の真に触れて仕事をするのでなくてはならない、喧々轟々たる議論ばかり戦はして居たのでは、何時迄経つても農業の発展は期せられないのである。又学者にしても学理にのみ基礎を置いて農村の発展を論議するに於ては、政治家の政治論と同様で、農村の真に触れ得ないのであるから実績が挙らないのも道理である。
 斯くて其一面に於ては、農民の頭が古い鋳型に箝つて居るのみで、先祖伝来の手段方法の圏内を脱することが出来ず、農村に必要なる新しい智識を欲求しやうとしないのであるから、政治家・学者の議論の為めの議論と相俟つて、農業の発達を遅滞せしめつゝあるのである。農村子弟中には、農業学校等に学むで相当新智識を授けられたるものもあるであろふが、之等の人々の多くは農業を嫌つて他の方面に志し農村に止まつて農村の中堅となり、農民を指導して農業の発展を希ふことをしないから、農民の多くは古来のまゝの農業に甘じて居るので
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ある。
 政治家・学者の議論が頼り少いものとしたならば、せめて之等の新智識を授けられた農村子弟が、踏み止まつて郷村の発展の為めに献身的の尽力をせなくてはならないのであるが、其人々が亦、農業を毛嫌ひして他の職業に志すのであるから、農村の活動は容易に期待することが出来ないのである。農村に、農村を指導啓発するだけの人材がなく、中央では中央で議論のみ戦はして能事足れるが如く思つてる昨今の状態では、農村の振興も、産業の発達も実績は容易に挙げ得ないであろふ。
 国礎を築くべき農業が前述の如くであつて、容易に振作の道程に入り難いことは、農業それ自身の為めのみでなく、産業立国の上からも遺憾に堪えない次第である、商工業の発達は産業立国上必須の事柄であることは否定出来ないが、商工業の源泉とも称すべき農業が萎微振はないことは、産業立国上より以上重大な事柄でなくてはならない。
 依つて、予は、現在の農業経営者に対して、時代に適当したる経営方法を採用すべく、新智識の吸収に意を注いで貰ひ度いと云ふことを希望すると同時に、政治家・学者等は、農業の実際をより能く理解して農業の真に触れた指導を行はんことを切望するのである、学者・政治家が実際の農業を理解して之を指導し、農業者が新智識を吸収して農事の学理化に努めたならば、両々相俟つて、玆に本当の文化農業の新機軸を出すことが出来るであろふ、文化農業と言つても、外面的な皮相的文化の農村を構成せよと云ふのではない、現代に適応したる文化的施設経営を行ひ、学理と農事とを密着せしめて其処に産業的基礎を置くと共に、精神的向上を図らなくてはならないと云ふのである。我国の農業は斯くて初めて駸々乎として発達するであろふ。(大観十月号所載)


渋沢栄一 日記 昭和二年(DK540065k-0008)
第54巻 p.302 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 晴 寒気少ク減ス
○上略 午後三時過、青山青年会館ニ抵リ、石黒忠篤氏監督セラレ加藤氏○完治校長タル学校協会○日本国民高等学校協会ニ出席シ、加藤氏丁抹国往訪ノ報告ヲ聴取シ、且農事又ハ家畜ニ関スル活動写真ヲ一覧ス、晩飧ヲ共ニシ夜九時過帰宿ス○下略


竜門雑誌 第四六四号・第八五―八六頁昭和二年五月 ○青淵先生説話集其他 農業知識の普及と糧友(DK540065k-0009)
第54巻 p.302-303 ページ画像

竜門雑誌  第四六四号・第八五―八六頁昭和二年五月
 ○青淵先生説話集其他
    農業知識の普及と糧友
 我国は御承知の通り、明治大帝の偉業より世の百般は長足の進歩をいたしました。例へば工業は家庭工業から機械工業に遷り、商業は個人小商から合同大会社に変りました。それに比して我国の農業は進歩はしたものゝ、その発達は遅々として進まないので、その経営法は旧態依然たるものがある。
      ×
 これは近世の社会的傾向たる都市集中がすべての制度の上にも現れ
 - 第54巻 p.303 -ページ画像 
且つ都会は注目し易いから政治問題等ともなつて、都会にある商工業が都会と共に進んだ為に、そこに商工と農業の懸隔が出来、都市の繁栄に比して農村の沈滞を見たのであります。
      ×
 而して経済的にも我農村は疲弊してゐるが、之等の原因は農民の合同力の鈍いのと、科学的農業経営法を採用せぬからである。農村を振興するは種々なる点より綜合実行すべきであるが、この科学的経営法を利用して生産を能率的ならしめ、土地利用を完全ならしめなければなりません。農事試験場等は有るにはあるけれ共、それが一般農民に常識化して咀嚼せしめる機関が農村に乏しい感があります。
      ×
 次に農村の科学的経営法の普及すると同時に、農業知識と農業趣味を喚起する事が必要である、夫れは農村のみならず都会人士等も大に農村趣味を理解させなくてはならない。元来現今の教育は如何しても農業の理解が無い為めに、教育を受ければ受ける程農業を嫌ふ様な傾向が濃厚である、玆にも現今教育の欠陥があるのであります。故に私の郷里埼玉県の八基村では、農民補習教育に力を注でゐますが、思ふ程効果が挙りません。その意味で石黒農務局長の後援してゐる茨城に創立せられた加藤完治氏の丁抹式高等農民学校の如き、大に普及すべきものであると存じます。
      ×
 我国民はもう少し農を喜び国土を愛し、農を精神的に高潮すると共に、科学的方法を利用して大に振興せねばなりませんが、之等のことは国民の中堅なる二十万の壮丁に対しても、「糧友」を通じて注ぎ込んで貰ひたいものであります。(糧友四月号所載)


竜門雑誌 第四六六号・第一一一―一一二頁昭和二年七月 ○青淵先生説話集其他 財界混乱の根本原因(DK540065k-0010)
第54巻 p.303-304 ページ画像

竜門雑誌  第四六六号・第一一一―一一二頁昭和二年七月
 ○青淵先生説話集其他
    財界混乱の根本原因
○上略 質実剛健の気風が薄いので、遂に今日財界破綻の根本原因をなしたものであるから、国民一般にこの質実剛健の気風を養成する様にしなければならない。之れをなすには色々の手段方法があるかも知れないが、私の考へる処によれば、農家が相当の経営をなすことが出来るやうにしなければならぬ、農がどしどしと商工に変つて仕舞ふと云ふことは、国家の憂ひと思ふ。世の変化、時の移り変りに伴ひ、農業も学理の応用をなすやうにならなければならぬ。尤も昔と比較せば今日と雖も、大なる進歩発達に相違ないけれど、他の商工業の急激なる進歩発達には比較すべくもない。之れが為めに農から商工へ転化するのであるから、農を時勢に適応する様にしなければならぬ。
 農に対する教育が商工に比して大なる懸隔があるので、私は国の小学校に公民教育なるものを設け、農民に必要なる農業の実地教育をやらして居る。このやうな計画を全国の小学校に設けることも良いと思ふ。その外畜産、豚を飼ふとか、養鶏をやると云ふことも良い。三州は養鶏が盛んである。独り養豚とか養鶏と限つた訳でないが、何か研
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究して農産物の発達を図らなければならぬ。このやうなことを言へば東京のやうな都会人は迂遠の説と言ふか知れないが、商工に比して農業の現状を見ては何とか転回策を講じなければならぬ。
○中略(実業之世界六月号所載)


竜門雑誌 第四六八号・第一〇七―一〇九頁昭和二年九月 ○青淵先生説話集其他 孔子の所謂忠恕の道(DK540065k-0011)
第54巻 p.304 ページ画像

竜門雑誌  第四六八号・第一〇七―一〇九頁昭和二年九月
 ○青淵先生説話集其他
    孔子の所謂忠恕の道
○上略 我が国は天恵の少い上に、人口が多く而も年々百万人宛増加して行くと云ふから、之れが救済の方法を講究しなければならぬが、之れは政治上に関係するから言はぬが、私は我が国はもつと農業に力を入れ、その改善によつて収穫の増加を図ることが良いと思ふ。私は現に農業改善の一端に資する為めに、三年前に郷里に公民教育の機関を設けて居る。日浅い為めにその功果の如何を未だ見ることが出来ないが相当の成績を挙げ得ようと思ふ。
 おしなべて農家は従来の職業に多少の変化もあり、又耕作上の改良によつて生産も増加し、之れを明治初年の生産高と今日と比較せば非常の差があらう。斯の如く耕作上の改良も必要なことは言ふまでもないが、更に副業――畜産などを奨励する必要があると思ふ。私の郷里の農家は元副業として粗末な絹織物をやつたが、之れを織つて自用又は市場に出して売つてその収入に資したものであるが、今日では機械織に圧迫されてこの副業を失つたが、之れに代るべき副業が未だに行はれて居ない。若し副業によつて二割の収入を得るものとしても、之れを全国的に見ると可なり大なるものとなる。
 農業は改良され生産は増加して居ても、他の産業に比して比較的文明の利福を受けることが少ない。(農業の電化とか、肥料問題もあるが、学者の努力が未だ足らん処がある)その上副業をも奪はれて居るので、生活に脅威を感じて居る。故に天恵の少い我国は、天恵の豊かな支那と提携しようと云ふことを唱へられて居る。勿論之れも緊要なことに相違ないが、農業及副業などによつて自国を働かして生産力を発達させることが更に急務である。
○中略(実業時代九月号所載)


竜門雑誌 第四七三号・第八七―九〇頁昭和三年二月 ○青淵先生説話集其他 電気事業に就て(DK540065k-0012)
第54巻 p.304-306 ページ画像

竜門雑誌  第四七三号・第八七―九〇頁昭和三年二月
 ○青淵先生説話集其他
    電気事業に就て
○上略
 更にもう一つ申上げて見たいのは、私は農業に就てもう少し日本の全体に渉つて進歩を図る必要がありはしまいかと思ひます、元来私は百姓の育ちでございます為に、二十歳頃からは始終鍬柄を執る許りではありませぬ、多少外の事も致しましたが詰り田を鋤く事も、麦を蒔く事も、肥料を担ぐ事も能く知つて居ります、蓋し普通の百姓と変らぬだけの経歴を持つて生長した者であります、唯私の故郷は其頃には藍を作ります為に、即ち藍と云ふのは蓼葉の草藍でありますが、それ
 - 第54巻 p.305 -ページ画像 
が唯一の産物であつたけれども、今は全く廃しました、廃したと云ふのは鉱物藍が盛んになつた為に、草藍は総て勢力を失つたのでありまして、今日は少しも草藍は残つて居りませぬ、其頃には藍の耕作と、これを又藍玉に製する方法は中々重要なのでありまして、私は製藍業に就ては、百姓仲間で丹精する者の一人として算へられて居つたのであります、其やうな事から農業に就ては、単り藍の耕作のみでなしに田の苗を植ゑます事や、畑の麦を作る事、或は芋を作る事や、総ての耕作に就ては一通り心得て居ますが、此農業に対する電気の応用は今日充分なる働きを為して居るかと問ふたなら、私はまだ否とお答するより外なからうと思ふ、それは農民彼等が求めて来ぬからだと、或は諸君が言はれるかも知れぬ、併し総ての事物、殊に新発明の事抔はこちらの方から進めて行つて、良い方法を教へ導いてやると云ふことが多くあるものではないか、果して然らば、農業に対しての電気応用が今日満足と迄行き届き得るかと云ふと、否と答へざるを得ない、私はどうも我邦の電気と云ふものが、何故工の方法のみ頻りに応用して、農の方面に応用する程働いて呉れぬかと質問したくなります、若し私自身が電気事業家であつたならば、諸君に対して不平苦情を申上げることになるかも知れませぬ、甚だしきは農工業に軽重の差別があるかと思はれます、是は老婆心かも知れませぬが、どうもさう云ふ傾きを持つて居るやうなのは、教育の仕組と謂ひ、其他事業の進展と謂ひ、実際土地に着いて働きます者は段々少くなる、少し頭のあるやうな者は皆都会に行きて、商工に志すとか、若くは政治界に入ると云ふやうになりはしないか、但し此見解は新聞紙上の社会的意見に拠つたのですから、直に諸君に対して申上げるのは少し当を失したことでありますけれども、実際一般の人心にさう云ふ傾きがあると云ふことは、例へば私が関係して居る東京市養育院の入院者に就て見ても、多くさう云ふ有様が見えるのである、別に食ひ詰めたものでなくして、何か宜い所がありはしないかと云ふ考を以て田舎を出て都会に来るが、病気になつて国にも帰れず、終に養育院に入ると云ふ人々が中々に少なくないのであります、是等の例は押しなべて断言する訳に参りませぬが以て如何に農が転じて商工になる一例であります、それも完全に商工になつてしまへばまだ宜いが、商工にもならぬで、所謂遊子徒食の人になるのが甚だ多いと云ふ点を憂ひざるを得ぬのであります、それは電気が働かぬ為めと私が諸君に苦情を申すのではありませぬが、若し田舎の農業に対して更に電気応用が一層進んで行つたならば、私は農をして大いに改善せしむることがありはしないかと思つて、殊にこれを希望するのであります。
 蓋し此事は欧羅巴に例を引くのでもありませぬが、丁抹の農業に就ては、能く電気或は蒸気の利機応用が進んで居るやうに承知致します其働きがどれだけであるか、どう云ふ事がどうなつて居るかと云ふことを、此処に説明して申上げる程の研究を持つて居りませぬが、大体に於て現在の日本は面積が非常に狭い、然るに人文の進歩から種々の事物の進むに付て、殊に農業に力を注ぎたいと思ふに拘らず、電気の働きが農に対して未だ以て満足でないと云ふことは、私には電気業者
 - 第54巻 p.306 -ページ画像 
がもう少し力を尽して下さる責任がありはしないかと思はれるのであります、蓋し諸君の中には既に充分御研究になつてお出でになる方がありませう、勿論斯う云ふ理由からいけないと云ふことがあるかも知れませぬ、又私が皮相の見解であるかも知れませぬ、何れにせよ此帝国の土地面積の狭いに拘らず、今日の有様では農業に対しての各方面からの施設が不完全である、不満足であると思ひますと同時に、国家の根源から論じても、どうも斯の如く農が減じて商工にのみ変ると云ふことは、或る点には便宜の点もありませうけれども、詰りは元を忘れ根本を抛却すると云ふやうなことになりはせぬかと憂ふるのであります。
 私の甥に当る渋沢元治と云ふ人は、電気の技術家でありますが、現在頻りに電気の力が植物にどふ云ふ風に影響するかと云ふことを数年来研究して居ります、どうもまだ其研究を完全に発表する迄に至らぬのであります、但し多少の効果はあると申して、或る植物の学者と相談して相共に、一つの試験的に新発明を発表したいと言うて、最早五年以上も掛つて居ります、私も微力ながら其仕事に少なからぬ同情を表して居るのであります、詰り電気の力が植物にどう云ふ助けを与へるかと云ふのでありますが、麦などの畑に電気をかけて其力がどう影響するか、何処迄利益があるかと云ふ事を研究して居る訳でございます、併しまだ発表が出来ぬと云うて居らるゝから、私は学者と云ふ者は不便なものだ、両三年も経過して未だ発表出来ぬといふはと素人理窟を言ふのでありますけれども、さう行くものかと頻りに弁解して居ります、是は蓋し電気の力が植物に対してどう感ずるかと云ふことですが、私の今述べるのはさうでなくして、電気の働きとか、或は運送の発明をするとか、電気其のものゝ効用許りでなしに、電気をもう少し農業に応用することがあるであらうと熱心にこれを企図するのであります。
 詰り何が何であるか自分にも分らないことで、雲を掴むやうな申分であるけれども、どうしても国家の上から云うたならば、根本的大計であらうと思ふのであります、故に斯様なる機会に於て、特に諸君に御願ひ申して宜しく御注意を乞ひたいのでございます、要するに何等諸君を益することなく、唯私の無要の弁を此処に陳情して、御参考に供したのであります、或は御参考にならないかも知れませぬが、仮令ならないにしても、私は自分の思つて居る事を腹蔵なく陳述したのを満足するのであります、是で御免を蒙ります。(昭和二年十月十五日電気協会関東支部総会に於て)