デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
1節 朝鮮
4款 朝鮮製糖株式会社
■綱文

第54巻 p.384-385(DK540078k) ページ画像

明治45年7月6日(1912年)

是ヨリ先、中野武営、栄一等ノ賛成ヲ得テ、当会社ヲ創立スルニ決シ、是日、東京商業会議所ニ於テ発起人会ヲ開ク。


■資料

中外商業新報 第九四〇二号明治四五年七月二日 朝鮮製糖発起人会(DK540078k-0001)
第54巻 p.384 ページ画像

中外商業新報  第九四〇二号明治四五年七月二日
    朝鮮製糖発起人会
三沢羆氏等尽瘁の朝鮮甜菜糖事業は今回中野武営氏を中心とし、渋沢男を始め大橋・牟田口・佐竹・尾高・小池・菊地・伊藤・吉村・郷・村上・渡辺・大倉・村井・鎌田・園田・服部・福原・根津・小野氏等知名の実業家数十名の発起賛成を得、本月六日午後一時より東京商業会議所に於て発起人会を開き、持株の割当、其他諸般の打合せを為すに決定したり、同会社の総資本金は五百万円にて、第一回百二十五万円の払込を以て五百噸の製糖能力の設備を完ふし、工場を黄州地方に設置する予定也と


中外商業新報 第九四〇七号明治四五年七月七日 朝鮮糖業発起人会(DK540078k-0002)
第54巻 p.384 ページ画像

中外商業新報  第九四〇七号明治四五年七月七日
    朝鮮糖業発起人会
六日午後二時、東京商業会議所内に開会、創立委員長に中野武営氏を同委員に大橋新太郎・伊藤幹一・尾高次郎・佐竹作太郎・吉村鉄之助氏を選み、発起人の引受株は一名五百株以上と決定し、四時散会したるが、同社の創立事務所は日本橋区蠣殻町一丁目に設くる由


竜門雑誌 第二九四号・第二三頁大正元年一一月 ○朝鮮両製糖の合併に就て 青淵先生(DK540078k-0003)
第54巻 p.384-385 ページ画像

竜門雑誌  第二九四号・第二三頁大正元年一一月
    ○朝鮮両製糖の合併に就て
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が読売新聞記者の訪問に答へられたるものにて、十月二十四日発行の同紙上に掲載せるものなり(編者識)
△両製糖の生立 中野氏一派の発起に係る朝鮮製糖会社は、是初総督府より該事業を奨励せられたるを以て、中野氏は大橋・佐竹氏等を説き発起人持株等を取極めたるに、既に資本金五百万円、株数十万に対し七万株の引受あり、直ちに総督府へ出願したるに、其後松平直平子小栗富次郎・小川平吉・嶺八郎氏等、朝鮮甜菜糖株式会社を発起出願したるを以て、総督府は双方に対し合併を慫慂し、自分に対し中野氏等を説き合併を勧められんことを希望せり。
△合併反対に非ず 余は決して合併に反対するものにあらず、故に中野氏一派に対し合併を勧告したるに、中野氏は双方発起人の顔触を見るに、資力性格其他種々の点に於て非常に相違あれば、持株数に於て非常に大小ある場合は兎に角、双方平等に株主権を有せんか、後日に至り権力の争奪を生じ、円満に事業を経営し難き慮かりありとて、合
 - 第54巻 p.385 -ページ画像 
併を肯ぜず、故に止むを得ず拒絶したるなり
△善後策 余は合併勧告の際、各発起人に於て相当なる費用を醵出し少くも尚一年間位は甜菜糖の試作をなしては如何と主張したるも、他発起人は充分なる試験をなすには約三十万円を要すべく、総督府並に東洋拓殖会社の多年の実験によれば、採葉上生黴防止方法を除き凡て良好と認めたるを以て、此儘実行せらるゝことにせられとの事なりき此事業にして果して有望なりとせば、右両会社は各営業の根拠地を異にし、前者は全羅道、後者は公州附近を目的地とする由なれば、総督府は双方共に許可せば可なりと思ふ、然らずんば孟子の所謂為湯武駆民者桀紂也、朝鮮の為め会社を駆る者は総督府会社令なりとの君子の非難を蒙るに至らん乎