デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
1節 朝鮮
6款 東洋拓殖株式会社
■綱文

第54巻 p.405-408(DK540081k) ページ画像

大正15年1月14日(1926年)

是ヨリ先、栄一、安東義喬ヲ当会社理事ニ推挙方ニツキ、当会社前理事井上孝哉ヨリノ依頼モアリ、是日、当会社総裁渡辺勝三郎ヲ訪ヒ、右件ニ関シ要談ス。


■資料

(井上孝哉)書翰 渋沢栄一宛大正一四年三月一六日(DK540081k-0001)
第54巻 p.405 ページ画像

(井上孝哉)書翰  渋沢栄一宛大正一四年三月一六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆朱書)
                大正十四年三月十六日
                井上孝哉氏ヨリ安東義喬氏紹介
拝啓 伝承仕候処、閣下には先般来御疲労のため御地に御静養被遊候由、為邦家格別御自愛奉祈候、実は御見舞申上拝顔を得て親敷御願申上度存候得共、彼是取紛れ御無礼致以書中懇願申上候、予て(今より十六年前)東拓創立の際、閣下の御心添にて入社したる安東義喬氏事爾来長年月同社に精勤致、閣下御推薦の名を辱しめさる者に有之、今より八・九年前に於て、小生同社重役退任の頃にても、既に右安東氏ハ重役に昇任せらるゝも可然適材として相当に人より認められたるものに有之候得共、従来折悪く其機会を逸し候事に御座候、冷静に批判して、同氏ハ同社に於ける稀に見る有為の人物と存せられ候、此頃小生欧米漫遊の途次、上海にて同氏努力の結果同地に於ける東拓の事業も稍緒に就きたる様見聞仕候、就てハ二昔以前よりの同人に対する御眷顧に甘へ、更に御縋り申上度ハ、近頃東拓に重役欠員多く候間、閣下の御口添に依り同人を理事の末班に加へられ候事と相成候ハヽ、同人の光栄ハ申すに及ハす、同社のためにも洵に好適の役員を得る事と愚考仕候間、差出ケ間敷恐入候得共、何卒御一顧の労を奉煩度只管御願申上候 匆々敬具
  三月十六日              井上孝哉
    渋沢子爵閣下

 - 第54巻 p.406 -ページ画像 

(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛大正一四年三月二四日(DK540081k-0002)
第54巻 p.406 ページ画像

(菊池恭三)書翰  渋沢栄一宛大正一四年三月二四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆朱書)
                   大正十四年三月廿四日
                      菊池恭三氏来状
 尚々本件ハ当地長谷川正五氏よりも承り申候
謹啓 時下春暖相催候処、先以閣下愈御清祥被為渉候段慶賀此事奉存候、陳ハ曩ニ御紹介相蒙候東洋拓殖会社安東義喬氏と出会致、支那江蘇省棉作事情承り候処、従来屡々伝承せし同種之ものより進歩せるものある如くニ有之、将来ハ相当有望のものと推察罷在候ニ就而ハ、適当之時機ニ於てハ乍不及御助言申上可然乎と存候、不取敢同氏会見之模様得貴意置申度如此御坐候 敬具
  三月廿四日
                      菊池恭三
    渋沢子爵閣下
         御侍曹


(安東義喬)書翰 渋沢栄一宛大正一四年三月三一日(DK540081k-0003)
第54巻 p.406-407 ページ画像

(安東義喬)書翰  渋沢栄一宛大正一四年三月三一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 春暖之候に御坐候得共兎角不順に候処、御機嫌如何に候哉奉伺上候、偖小生帰任後早速御挨拶可申上乍存、張謇氏訪問之上委細御報告申上度と存し、打過申居候次第、不悪御諒承被下度候、然るに張氏へハ過日幸便有之、御芳志の程相伝へ、又御尊翰ハ小生訪問之折直接差上可申様先方へ通し置候、近日当地の用向も一段落と相成可申ニ付農場に相伺候途中同氏訪問の都合ニ有之、面談之上にて模様御報告可申上候
次ニ井上孝哉氏より、小生身上に関し閣下ニ御願ヒ候趣、此度通知ニ接し候ニ付、其件ニ関し一通り事情申上、御許容相願度と存候、東拓創立当時、御推薦ニ依り入社、地所課長の職ニ就き、社有地の獲得及整理並ニ小作料の取立及処分の任ニ当り、事業の基礎を作ることニ多少相勤め候以来十有七星霜を経過仕り、其間屡々重役の更迭ニ遭ひ、其度毎ニ創立当時よりの同僚を失ひ、今日剰す所小生以下僅ニ三人と相成候程、社内の事情変遷ニ変遷を重ね候為め事業方針も一貫致さす小生目下担任の事業の如く、成功迄には少くも十数年を要するものも重役の異動頻繁にして、着手当時関係致候重役今や一人も現存せす、財界不況の今日、寧ろ之を今更の如く持て剰さるゝ観有之、其の為め折角これ迄支那側と協調し、馴致し来れる勢を妨けられ候実情ニ付、目下欠員二名有之候を幸ひ、誠ニ僭越なから御援助ニ依り此際重役の席末ニ列なる様相成候ハヽ、当方面の事業を大成するに大ニ力を得可申と存候次第ニ御座候、尤も目下総裁も欠員にて何れ近々任命を見るへく右内定に伴ひ理事の補欠も自ら問題と可相成と存候、現ニ事業の拡張ニ関し一方ならさる御配慮を蒙り居候折柄、此上甚た身勝手には候得共、何卒井上氏にも御尋ねの上、御差支無之限り宜敷様御執成下され度、尚失礼の段ハ幾重にも御海容被成下度、偏ニ御願申上候
 - 第54巻 p.407 -ページ画像 
乍末筆為邦家折角御摂養専一ニ被遊度奉祈上候 草々頓首
  (太字ハ別筆朱書)
  大正十四年
  三月三十一日            安東
                        義喬
    渋沢子爵閣下             上海、北蘇州路東和洋行旅館


渋沢栄一書翰控 安東義喬宛 大正一四年五月一九日(DK540081k-0004)
第54巻 p.407 ページ画像

渋沢栄一書翰控  安東義喬宛大正一四年五月一九日   (渋沢子爵家所蔵)
(別筆)
大正十四年五月十九日付安東義喬氏宛総長親書写
拝復 貴方五月三日附尊翰同八日に落手拝読仕候、過般御出京之際は乍例匆卒之御接待いたし欠礼奉謝候、偖御内嘱之一事は、爾来老生宿痾之為め今尚ほ籠居致し世間と没交渉の有様に候間、東拓新総裁の渡辺氏とは通常之交誼は有之候も、唐突に申出候事柄にも無之に付、其儘と相成居候、何卒病気全快まで御猶予被下度候、但貴方に於て何か他に方案にても有之、老生の紹介状抔必要と申場合ニは、来示に随ひ差出候様取計可申に付、御遠慮なく御申越可被下候
○中略
                     渋沢栄一
    安東義喬様


渋沢栄一日記 大正一五年(DK540081k-0005)
第54巻 p.407 ページ画像

渋沢栄一日記  大正一五年           (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 雪後晴 寒
午前七時半起床○中略 後来人ニ接ス、横山徳次郎・安東義喬二氏来話、安東氏ノ身上ニ付東洋拓植会社《(殖)》ノ総裁ニ対シテ依頼ノ事ヲ托セラル○下略
  ○中略。
一月十四日 晴 寒
○上略 十一時東洋拓植会社ニ抵リ、渡辺総裁ニ面会シテ、安東義喬氏ノ事ヲ依頼ス○下略
  ○中略。
一月十六日 曇 寒
午前七時起床入浴朝食例ノ如クシテ後、安東義喬氏来訪ス、過日ノ依頼ニ応シ、渡辺総裁ニ会見シテ其身上ノ事ヲ細話シタル事ヲ告ク○下略
  ○「東洋拓殖株式会社三十年誌」所掲ノ歴代役員表ニヨレバ、理事ノ中ニ安東義喬ナシ。


集会日時通知表 昭和二年(DK540081k-0006)
第54巻 p.407 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
四月十九日 火 午後五半 東洋拓殖・朝鮮銀行主催斎藤朝鮮総督送別会(銀行クラブ)


竜門雑誌 第四六四号・第六七頁昭和二年五月 青淵先生動静大要(DK540081k-0007)
第54巻 p.407 ページ画像

竜門雑誌  第四六四号・第六七頁昭和二年五月
    青淵先生動静大要
      四月中
十九日 ○上略 東洋拓殖会社及朝鮮銀行催斎藤朝鮮総督渡欧送別会(東京銀行倶楽部)

 - 第54巻 p.408 -ページ画像 

集会日時通知表 昭和二年(DK540081k-0008)
第54巻 p.408 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
七月廿五日 月 午前十時 東洋拓殖・朝鮮銀行両総裁ト会見(事務所)
  ○中略。
九月十三日 月 午前九時 安藤義喬氏来訪《(安東義喬)》(飛鳥山)


竜門雑誌 第四七〇号・第九一頁昭和二年一一月 青淵先生動静大要(DK540081k-0009)
第54巻 p.408 ページ画像

竜門雑誌  第四七〇号・第九一頁昭和二年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
十九日 鮮銀・東拓催斎藤朝鮮総督招待会(東京会館)○下略


集会日時通知表 昭和三年(DK540081k-0010)
第54巻 p.408 ページ画像

集会日時通知表  昭和三年      (渋沢子爵家所蔵)
十月四日 木 午前八時半 安藤義喬氏来約《(安東義喬)》(飛鳥山)
十月五日 金 午前九時 安藤義喬氏来約(飛鳥山)
  ○中略。
十二月廿四日 月 午前 九時 安藤義喬氏来約(飛鳥山)


諸挨拶状綴(一) 【(印刷物) 拝啓 時下益御清栄奉慶賀候、陳者小生儀今回東洋拓殖株式会社総裁辞任致候処…】(DK540081k-0011)
第54巻 p.408 ページ画像

諸挨拶状綴(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 時下益御清栄奉慶賀候、陳者小生儀今回東洋拓殖株式会社総裁辞任致候処、在任中は何角御懇情相蒙り候段奉深謝候、尚将来共不相変御交誼の程願上候、先は不取敢右御挨拶迄得貴意申度如斯御座候
                           敬具
  昭和五年十二月 日
            東京市外目黒町下目黒五四一ノ一二
                      宮尾舜治


諸挨拶状綴(一) 【(印刷物) 拝啓 時下益御清勝の段奉大賀候、陳は私儀今般東洋拓殖株式会社総裁被 仰付候に付ては…】(DK540081k-0012)
第54巻 p.408 ページ画像

諸挨拶状綴(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 時下益御清勝の段奉大賀候、陳は私儀今般東洋拓殖株式会社総裁被 仰付候に付ては、将来何卒格別の御懇情相蒙り度奉希上候、先は不取敢右御挨拶申上度如此に御座候 敬具
  昭和五年十二月五日           菅原通敬


諸挨拶状綴(二) 【(印刷物) 拝啓 時下益御清勝の段奉大賀候、陳は私儀今般東洋拓殖株式会社理事被命候に付ては、…】(DK540081k-0013)
第54巻 p.408 ページ画像

諸挨拶状綴(二)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 時下益御清勝の段奉大賀候、陳は私儀今般東洋拓殖株式会社理事被命候に付ては、将来何卒格別の御懇情相蒙り度奉希上候、先は不取敢右御挨拶申上度如此に御座候 敬具
  昭和六年二月二十三日         山田穆
  ○当会社ハ、韓国ニ於テ拓殖事業ヲ行フヲ目的トシテ、明治四十一年十二月設立セラレタルモノニシテ、栄一、設立委員トシテ之ニ関与セリ。資料ハ第五十六巻所収「補遺」ニ収ム。