デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
2款 日清起業調査会
■綱文

第54巻 p.483-484(DK540092k) ページ画像

明治42年6月22日(1909年)

是ヨリ先、栄一、益田孝・近藤廉平・大倉喜八郎ト共ニ、当調査会ヲ組織シ、屡々会合シテ、中国経済事情ノ調査ニ当リタルガ、是日、三井集会所ニ於テ、外務次官石井菊次郎等ヲ交ヘテ会合シ、中国ニ於テ各般ノ事業ヲ営ムベキ会社ノ設立ニツキ協議ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK540092k-0001)
第54巻 p.483 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年         (渋沢子爵家所蔵)
九月十七日 雨 冷               起床六時
○上略 三時三井集会所ニ抵リ、日清起業調査会ニ出席シ、原田要氏其他ト清国鉄道工事ヲ協議ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK540092k-0002)
第54巻 p.483 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 曇 軽寒
○上略 午後三時三井集会所ニ抵リ、日清起業調査会ニ出席シ、小河氏ニ面会シ、北京馬車鉄道ニ関スル爾来ノ景況報告アリタリ○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK540092k-0003)
第54巻 p.483 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
五月七日 雨 暖
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、日清起業調査会ニ出席シ、近藤・大倉白岩・成田ノ諸氏ト共ニ、小田切氏ヨリ北京滞在中伊集院公使トノ協議顛末ヲ聞ク、英独人ノ清国鉄道事業ニ関スル経営ヲ詳説セラル、更ニ清国政務ノ近状ヲ話ス○下略
  ○中略。
六月三日 晴 暑
○上略 午後二時帝国ホテルニ抵リ、日清起業調査会ニ出席ス、石井外務次官・益田・大倉・近藤諸氏来会ス ○下略
  ○中略。
六月二十二日 曇 冷
○上略 十二時三井集会所ニ抵リ、日清起業調査会ニ出席ス、石井外務次官・倉地政務局長《(倉知)》・近藤・大倉・山本・白岩ノ諸氏来会ス ○下略


銀行通信録 第四八巻第二八五号・第五三頁明治四二年七月 ○対清企業団の組織(DK540092k-0004)
第54巻 p.483-484 ページ画像

銀行通信録  第四八巻第二八五号・第五三頁明治四二年七月
    ○対清企業団の組織
渋沢・大倉・益田・近藤等有力なる実業家諸氏の間には、予て日清企業調査会なるもの組織せられ、種々調査中なりしが、過般粤漢・川漢両鉄道借款問題の興起は、痛く我政府当局者を刺撃して、少からざる努力を為さしむるに至り、其結果前記の実業家諸氏は、六月二十二日
 - 第54巻 p.484 -ページ画像 
三井集会所に会合の上、愈々一の対清企業団を組織することに決したり、而して右企業団の地位は、英国「シンヂケート」と同様なるも、我国法上「シンヂケート」の組織を認めざるのみならず、出資者側に在りても無限責任の組織となすには躊躇の向もありて、結局資本金百万円の株式会社となし、此会社を通じて清国鉄道に要する枕木其他の建築材料を供給せしむる計画にて、不日桂総理大臣より関係実業家を招き協議を重ぬる筈なり



〔参考〕白岩竜平談話筆記(DK540092k-0005)
第54巻 p.484 ページ画像

白岩竜平談話筆記              (財団法人竜門社所蔵)
                昭和十三年五月六日 於渋谷区南平台白岩邸 佐治祐吉筆記
 日清起業調査会は、子爵と近藤廉平・益田孝・大倉喜八郎の四人、それに私が幹事として行つたもので、これが南潯鉄道借款即ち九江・南昌間八十哩の鉄道となつたものです。後に東亜興業株式会社が出来て小村寿太郎侯の指命があつて古市公威男が社長となり、それに私と山本条太郎・門野重九郎及岩下清周が取締役となつて、五百万円《(マヽ)》の資本で、この借款も東亜興業が引請けることゝなりました。
 この鉄道は九江を起点として江西省の全部に延び、南は広東、西は湖南、東は福建・浙江へ連るもので、揚子江の中腹に存在し、短線ではあるが、中支の云はゞ車の心となるところの重要線で、現在蒋介石の盛に利用してゐるものです。
 孫文との話があつたのはその後のことです。日本が支那に発展するには、どうしても鉄道を主としてやつて行かなければならぬと云ふ事は、孫の来る前から、子爵も我々も夙くに決心してゐたことです。
  ○当調査会ハ明治四十年四月設ケラル。次款「東亜興業株式会社」参照。