デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
4款 中国興業株式会社
■綱文

第54巻 p.520-534(DK540098k) ページ画像

大正2年6月14日(1913年)

是日、帝国ホテルニ於テ日本側発起人及ビ関係者ノ集会開カレ、栄一及ビ井上準之助・門野重九郎・倉知鉄吉・柳生一義・三村君平・志立鉄次郎・山本条太郎ノ八名、当会社創立委員ニ選バレ、栄一、委員長トナル。十九日、創立委員会開カル。


■資料

渋沢栄一 書翰 野口弥三宛(大正二年)六月二日(DK540098k-0001)
第54巻 p.520 ページ画像

渋沢栄一 書翰  野口弥三宛(大正二年)六月二日   (野口弥三氏所蔵)
拝読 御赴任後益御清適御鞅掌被成候事と抃賀之至ニ候、此程ハ中国興業会社設立ニ付、其株式引受方を貴地之各銀行其他有力者諸氏ニ依頼之為、畔田明と申者貴地ヘ差出候得共、賢台も御新任之際ニ付、特ニ依頼状も相添不申候、尤も銀行側ハ小山君・岩下君ニ相願、其他ハ中橋君へも申通し、目下夫々心配いたし呉候由ニ候、就而ハ賢台より畔田へ御申通被下、老生申越も有之候間出来得る丈け助力可致と御申聞被下候ハヽ、別而忝奉存候、畔田と申人ハ青年なから稍間ニ合候ものニ付、御隔意なく御引合可被下候
○中略
  六月二日
                     渋沢栄一
    野口弥三様
        拝復
  ○野口弥三ハ第一銀行大阪支店長ナリ。


中日実業会社書類(二)(DK540098k-0002)
第54巻 p.520-522 ページ画像

中日実業会社書類(二)          (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    中国興業株式会社創立ニ関スル協議要項
      大正二年六月五日
一、中国興業株式会社ハ、準拠法ヲ日本商法ト定メタルヲ以テ、其創立事務ハ主トシテ東京ニ於テ取扱フコトトシ、創立事務所ヲ東京市麹町区内幸町一丁目三番地万国館内ニ設ケ、書記二人及小使一人ヲ使用シ、渋沢男爵監督ノ下ニ五月二十六日以来毎日事務ヲ取扱ヒ居レリ
二、株式ハ東京ニ於テ約壱万八千株、大阪地方ニ於テ約六千株、其他ニ於テ壱千株ノ引受アリタリ
三、支那側ニ対シ立替フヘキ金約四十余万円ハ、東京資本家トノ間ニ内談整ヒタリ
四、本月十二・三日頃日本側発起人会ヲ催シ、創立ニ関スル日本側ノ意見取纏メノ上代表者派遣ノ筈ニ付、支那側ニ於テモ夫迄ニ各般ノ意見取纏メ置クコト
五、別紙定款熟議審査ノコト、尚不日、日本側代表者ヨリ定款正本ヲ持参スベキニ付、支那側発起人ハ之ニ氏名及住所ヲ記載シ捺印スル
 - 第54巻 p.521 -ページ画像 
コト
六、会社ノ設立手続ハ大体左ノ如シ
 (一)株式引受人ハ株式ノ申込証二通ニ其引受クベキ株式ノ数及住所ヲ記載シ、之ニ署名捺印スルコトヲ要ス
 (二)株式申込証ハ法定ノ形式ヲ要スルヲ以テ、予メ之ヲ作製シ、印刷ノ上配布ス(同時ニ印鑑四通ヲ徴スル事)
  此場合ニ於テ発起人ハ遅滞ナク創立総会ヲ招集シ、会社創立ニ関スル事項ヲ報告ス
 (四)《(ママ)》創立総会ハ東京ニ於テ開会スルヲ以テ支那側株主ハ其代表者ヲ之レニ出席セシムベシ、而シテ其代表者ハ各株主ノ委任状ヲ持参スルコト
 (五)創立総会ニ於テハ取締役及監査役ヲ選任ス
 (六)取締役及監査役ハ株式引受ノ有無及第一回ノ払込ヲナシタルヤ否ヤ等ヲ調査シ、之レヲ創立総会ニ報告ス
 (七)会社ハ右創立総会終結ニ因リテ成立ス、而シテ其日ヨリ二週間内ニ其本支店ノ所在地ニ於テ、商法第百四十一条記載ノ事項ヲ登記スルコトヲ要ス
 (八)右設立登記ハ取締役及監査役全員ノ名ニヨリテスノ規定ナレハ、支那側取締役及監査役ハ之レニ要スル委任状ノ提出ヲ要ス
 (九)右設立登記料ハ払込資本金ノ千分ノ五ナリ
七、支那側ニ於ケル創立事務取扱ニ関シテハ、経費節減ノ主旨ニ依リ左記条件同意ノ上開始相成タキ事
 イ、創立事務所ハ成ルベク中国鉄路総公司内ノ一部ヲ無賃ニテ借入ルヽ事
 ロ、月給五十円以内ノ事務員、及月給二十円以内ノ小使各一人ヲ限リ使用スルコト
 ハ、事務取扱ニ必要ナル筆墨紙・通信費等ハ必要ノ範囲ヲ超ヘサル様注意スルコト
 ニ、一ケ月五十円以内ノ車馬費
 ホ、其他臨時ニ必要ナル経費ノ支出ハ、東京事務所ヘ知照ノ上支出スルコト
 ヘ、主要ナル創立事務ハ東京ニ於テ取扱フ事
八、当会社ノ事務ハ取締役会ノ決議ニ依ルコト勿論ナリト雖モ、東京及上海両行ニ於ケル職務分掌ニ就テハ、大体左記ノ分類ニ暫定スルコト
  東京
 (一)資金調達ニ関スル件
 (二)事業ノ選択・引受・仲介等ニ関スル件
 (三)顧問・技師等ノ推薦又ハ選任ニ関スル件
 (四)株主総会及取締役会ニ関スル件
 (五)会社経費ノ予算及決算ニ関スル件
 (六)諸契約及法律事務ニ関スル件
  上海
 (一)企業ノ調査・撰定ニ関スル件
 - 第54巻 p.522 -ページ画像 
 (二)企業資金・各種債券其他金融ノ申込ニ対シ其良否ヲ調査スルノ件
 (三)関係事業ノ管理・監督ニ関スル件
 (四)関係会社ノ管理・監督ニ関スル件
 (五)中国ノ金融・商工業其他参考資料ノ調査蒐集ニ関スル件
 (六)中国官辺ニ達スル交渉ニ関スル件
九、会社ノ経費ハ予算ヲ定メ、其範囲内ニ於テ支出シ、若シ已ムヲ得サル予算外ノ支出ハ、総裁・副総裁ノ同意ヲ得テ之レヲ支出スルコト
十、営業規則ヲ定メ之レヲ厲行スルコト
十一、旅費規則ヲ定メ、経費ノ濫用ヲ防グコト
 以上諸規則ハ後日協議ノ上作成スルコト
十二、会社ノ役員ハ取締役八名、監査役四名トシ、其他相談役若干名ヲ置クコトヲ得ルコトヽセリ、取締役・監査役ハ中日各半数ヲ出スコトヽナレルヲ以テ、日本側ニ於テハ其候補者略決定セリ、支那側ニ於テモ予メ選定セラレ置クベシ、相談役ハ会社重要事項ノ諮問ニ答フルモノニシテ、実行的権限アルモノニアラサレドモ、事業ノ発展ニ資スル為メ日本側ニ於テハ実力・名望共ニ優秀ナル銀行家・事業家約七・八名ヲ推薦スル積ナリ
十三、総裁・副総裁及専務取締役ヲ除キ、他ノ取締役及監査役ハ一切無給ヲ元則《(原)》トシ、会社ニ利益金ヲ生シタル場合ニ始メニ報酬ヲ与フルモノトス


中日実業会社書類(二)(DK540098k-0003)
第54巻 p.522 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(写)
  大正二年六月十五日
                      渋沢栄一
          殿
拝啓 予テ計画中ノ中国興業会社ノ儀多大ノ御同情ヲ得、今般愈設立ノ事ニ決定相成候段、邦家ノ為御同慶ノ至ニ存候、右ニ付キ昨十四日帝国ホテルニ於テ日本人側発起人会ヲ開キ種々協議ノ上、法律上ノ諸手続ヲナス為、発起人ヲ定ムルノ必要アリ、之ヲ大倉・中橋・倉知・安田・山本・益田・三村・渋沢ノ八氏ニ委嘱スルコトヽ相成リ、次ニ会社創立ニ関スル諸般ノ事務ヲ処辦スル為、創立委員ヲ設クルコトヽシ、之ニ井上(準之助)・門野(重九郎)・倉知・柳生・山本・三村・志立・渋沢ノ八氏ヲ選定致シ、不日上海ニ派遣シ、支那側株主ト諸般ノ協議ヲ遂クベキ委員ノ選定、及其協議事項等ニ関スルコトハ、之ヲ創立委員ニ委任スルコトヽ相成候、尚第一回払込金(一株ニ付金弐拾五円也)ノ儀ハ来ル六月三十日迄ニ株式申込証ト同時ニ御払込相願フコトニ相成候間、左様御承知被下度候、先ハ右御挨拶旁御通知迄如斯ニ御座候 草々拝具
 追テ株式申込証用紙ハ印刷出来次第御手許迄御送付可申上候間、御記名御調印ノ上、払込金ト同時ニ記載銀行ノ内ヘ御差出被下度候


中日実業会社書類(二)(DK540098k-0004)
第54巻 p.522-524 ページ画像

中日実業会社書類(二)       (渋沢子爵家所蔵)
 - 第54巻 p.523 -ページ画像 
(写)
    六月十九日創立委員会決定事項要領
一、日本側重役ニ付テハ倉知・尾崎両氏ヲ候補者トシ、其他ハ創立総会迄ニ候補者ヲ選定スルコト
 支那側重役ハ上海派遣員ニ於テ先方ト協議ノ上、候補者ヲ選定スルノ方針ヲ取ルコト
二、日本側ニ於テ数名ノ相談役ヲ置クコト
 支那側ニ於テモ亦相談役ヲ置クコト必要ナルヘキモ、株主モ未タ十分決定セサル今日ナルニ依リ、此際ハ追テ相談役ヲ置クベシトノ主義ノミヲ定メ置クコト
三、支那側ニ対スル融通金ニ付テハ、左ノ方針ニテ其向ニ交渉スルコト
 (一)支那側第一回払込総額六十二万五千円ヨリ、既ニ預入ラレタル銀九万元ヲ差引タル、残金約五十三万五千円ノ融通ヲ請フコト
 (二)右融通金ハ孫文ノ同意シ且正金上海支店長ノ異議ナキ数名ノ支那人ニ分割シ、正金ヨリ貸与スルコト
  但シ其総数ハ孫文共十人位トスルコト
 (三)右貸与金ハ六月三十日迄ニ東京ニテ交付シ、且同日支那側第一回払込金トシテ直チニ之ヲ東京正金銀行支店ニ預入レタル事トナスコト
 (四)右融通金ニ対シテハ創立委員ノ名義ニテ仮証書ヲ正金銀行ニ差入レ置キ、第二項ノ借受人確定次第、借受人名義ニ書換ユルコト
 (五)右ノ手続ハ遅クモ六月三十日ヨリ一ケ月以内ニ之ヲ終了スルコト
四、前項融通金ノ中二千株相当ノ額ヲ孫文ニ貸与シ、残額ハ天津・漢口・上海・広東四地方ニ於ケル日本諸会社ノ買辦等中ヨリ適当ナル者ヲ選定シ、之ヲ借受名義人トナスコト
 右買辦等ノ選定ハ上海派遣委員ニ於テ之ヲ取計フコト
五、右ノ外張謇・盛宣懐等ハ出来ル丈株主トナル様、上海派遣員ニ於テ勧誘スルコト
六、会社ニ適用スヘキ法律ノ件ニ付、支那側ヨリ交渉アリ、何等カノ約束ヲ与フルコト、已ムヲ得サルトキハ、上海派遣員ヨリ大要左ノ意味ノ書面ヲ交付スルコト
  拝啓 陳者今回中国興業株式会社設立ノコトヽ相成候処、本会社ハ中国ニ於ケル利源ノ開発ヲ目的トスルモノニ御座候間、中国法律ニ依リ之ヲ設立スルコト適当ナル義ニハ有之候ヘ共、目下中国ノ法制未タ十分完備セサル為、今直チニ之ニ準拠スルコトヽナスニ便ナラサルモノ有之候ニ付、今回日本法律ニ依リ之ヲ設立スルコトニ決定致シタル次第ニ御座候、就テハ後日中国法制完備シ、且ツ其実施満足ナルニ至リタルトキハ、日本側発起人等ニ於テハ本会社ヲ中国法律ニ遵拠シタル会社ト改ムルコトニ異存無之候
                           敬具
七、日本側及支那側重役間ニ事務取扱ノ重複スルヲ避ケ、且ツ会社株金ノ確保ヲ計ル為、上海派遣員ニ於テ大要左ノ意味ノ協定ヲナスコト
 - 第54巻 p.524 -ページ画像 
 会社ノ事務ハ取締役会ノ決議ニ依ルコト勿論ナリト雖モ東京及上海両行ニ於ケル職務分掌ニ就テハ大体左記ノ分類ニ暫定スルコト
  東京
 (一)資金調達ニ関スル件
 (二)事業ノ撰択・引受・仲介等ニ関スル件
 (三)顧問・技師等ノ推薦又ハ選任ニ関スル件
 (四)株主総会及取締役会ニ関スル件
 (五)会社経費ノ予算及決算ニ関スル件
 (六)会社株金ノ確保及出納ニ関スル件
 (七)諸契約及法律事務ニ関スル件
  上海
 (一)企業ノ調査・撰定ニ関スル件
 (二)企業資金・各種債券・其他金融ノ申込ニ対シ其良否ヲ調査スルノ件
 (三)関係事業ノ管理・監督ニ関スル件
 (四)関係会社ノ管理・監督ニ関スル件
 (五)中国ノ金融・商工業・其他参考資料ノ調査蒐集ニ関スル件
 (六)中国官辺ニ対スル交渉ニ関スル件
八、日本側発起人ノ記名調印セル会社定款ニ付テハ、支那側発起人ヲシテ之ニ同意シ記名調印ヲ了セシメ、已ムヲ得サル修正ハ之ヲ創立総会ニ提出セシムル事
 支那側発起人ニ於テ定款漢訳ヲ調製センコトヲ希望スルトキハ、上海派遣員ニ於テ之ヲ調製シ、先ツ支那側発起人ヲシテ記名調印セシメ、日本側発起人ハ之ニ記名調印シテ保管シ置クコト
九、創立総会ハ約七月下旬ト定メ置キ諸般ノ準備ヲナスコト
十、上海派遣員ハ前記諸項ノ外、尚出来得ルナラハ左ノ事項ニ付支那側ト打合ヲ遂ケラレタキコト
 (一)会社ノ事業ニ関スル件
 (二)東亜興業合併ニ関スル件
十一、山本条太郎氏ニ上海出張ヲ請フコト        (完)


中日実業会社書類(二)(DK540098k-0005)
第54巻 p.524-525 ページ画像

中日実業会社書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(写)
  大正二年六月 日
                      渋沢栄一
    高木陸郎殿
    森恪殿
拝啓 中国興業会社創立ニ関シテ目下孫文氏モ留守中ノコトニモアレハ、此際ハ当方代表者差出サヾルコトニ決定致シ、不取敢福間甲松氏ニ創立手続ニ関シ必要ナル書類携帯出発為致候ニ就キテハ、万事ハ同氏ヨリ御聞取リノ上、至急会社成立ノ手続御結了被成下候様致度、右ニ関シテハ去ル十九日創立委員会決議ニ基キテ御取計ヒ相成度候、尚御参考ノ為左ニ重要問題ニ関スル当方ノ意見申上置候
一、総裁問題
 - 第54巻 p.525 -ページ画像 
総裁問題ニ関シテハ当地ニ於テモ種々議論有之候処、此際総裁ハ之ヲ支那側ヨリ選任シ、且ツ時局平静次第孫文氏ヲ推シテ此職ニ就カシムヘキコトニ内決シ置キ、今暫クノ間之ヲ欠員ノ儘ト致シ、後日機ヲ見テ孫文氏ヲ戴クコトニ致ス方可然トノ説最妥当ト存候間、本件ニ就テハ支那側トモ御懇談ノ上、暫時総裁ヲ置カザルコトニ致度候間、其御積リニテ御配慮相成度ク、斯クテハ支那側殊ニ孫文氏ニ於テモ多少不満ノ意モ有之ベキナレトモ、総裁ヲ孫文氏以外ニ待ツコトハ決シテ無之只時期ヲ見テ同氏ヲ戴クコトハ無論ノ義ニ有之候間、左様御含ミノ上誤解ナキ様御交渉被下度候
二、重役問題
従テ重役ハ此際双方共四人宛トシ、他日孫文氏ノ就任ヲ待テ五人宛トスル事ニ致度ト存候、尚重役ハ別紙決議録○欠クニモ有之候通リ、可成実業家中ヨリ御選定相成度、専務モ同様予メ御選定相成置候様致度、右候補者確定次第至急御報知願上候
三、立替金貸与名義人
    (欠)
四、借用証書日附ノコト
右名義人ヨリ正金ニ差出スベキ借用証書日附ハ何レモ六月三十日附ニ願度、是レハ立替金ヲ当地正金銀行ヨリ同日附創立委員連帯ニテ一時代理借受ケ置候ヘハ、右日附ノ一致ヲ要スル次第ニ有之候
五、創立総会
創立総会ハ成ベク七月一杯ニ開キ度キ積ニ有之候間、右総会ヘ出席スベキ支那側株主選定方御配慮相成置度、尚ホ総会ノ通知ハ二週間以前ニ発送スルノ必要有之候間、発起人氏名住所ト共ニ、各株主氏名住所判リ次第大至急御通知相成度候
六、発起人
ハ八名程従来確定ノ株主中ヨリ御選定ノ上、氏名住所及持株至急御通知被下度、又発起人ノ株式引受ハ申込証ニ拠ラサルモノナレバ、其印鑑(四通)ハ御失念ナク単独御徴収相成度候
七、其他ノ設立手続一班
ニ付テハ悉皆書類ト共ニ福間氏ニ相渡シ置候間、委細同氏ヨリ御聴取ノ上便宜御取計被下度候
  ○高木陸郎・森恪ハ、後掲「当社の沿革」ニヨレバ日本側及ビ中国側ノ連絡ニ当リタルモノナリ。


中日実業会社書類(二)(DK540098k-0006)
第54巻 p.525-526 ページ画像

中日実業会社書類(二)          (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    中国興業株式会社創立事項報告案
      大正二年八月十一日創立総会席上ニ於テ
○上略
一、六月十四日発起人及関係者一同帝国ホテルニ集会シ、発起人ヲ確定シタル上、定款並ニ株式申込証ヲ作成シ、確定発起人ニ於テ凡テ之ヲ承認シ、定款並ニ発起人会決議書ニ調印ヲ了シ、此際株式ノ一般募集ヲ廃シ、関係者一同ニ於テ之ヲ引受クルコトヽシ、第一回株
 - 第54巻 p.526 -ページ画像 
金相当額ヲ六月二十三日ヨリ六月三十日ニ至ル間ニ於テ株式申込ト同時ニ払込マシメ、引受確定ノ上、之ヲ直チニ株金払込ニ充当スルノ便法ヲ議定シ、其他今後事務進行上ノ諸般ノ打合セヲ為シ、且ツ諸般ノ調査目論見等凡テ創立事務進捗ノ便宜ヲ図ル為メ、創立委員トシテ三村君平、門野重九郎、倉知鉄吉、山本条太郎、井上準之助、志立鉄次郎、柳生一義及渋沢栄一ノ八名ヲ選定シ、会社創立ニ関スル一切ノ事項ヲ委託シタリ
一、次テ同月十九日創立委員会ヲ帝国ホテルニ開キ、創立ノ方針確定シタルヲ以テ、此際倉知鉄吉・尾崎敬義ノ両氏ヲ重役候補者トシテ推薦シ、今後ノ創立事務ノ一切ヲ挙ゲテ之ニ委託スルコトヽシ、創立事務所ヲ東京市麹町区内幸町一丁目三番地ニ設ケタリ
一、爾来支那日本両国ニ於ケル株式ハ六月三十日ニ於テ引受全部確定シタルヲ以テ、申込証条項ニ基キ、七月廿一日附ヲ以テ右引受株数ノ確定ノ件並ニ曩キニ払込済ノ金額ヲ以テ第一回株金払込ニ充当スヘク、従テ当初ノ受領証ト引替ニ株金受領証交付ノ旨ヲ各株式申込人ニ通知ヲナシ、右払込事務ハ七月廿五日ヲ以テ終了シタリ
一、七月二十六日創立委員並ニ専任事務執行者ハ創立事務所ニ集会ノ上、創立総会ヲ八月十一日東京商業会議所ニ開会スルコトニ議決シ七月二十七日附ヲ以テ各株主ニ対シ、総会開催ノ日時・場所及決議事項等ヲ往復端書ヲ以テ通知シ、且ツ支那側株主ニ対シテハ曩キニ上海ニ出張中ノ森恪ニ右ノ趣ヲ打電シテ、即時各株主ニ通知ヲ了セリ
右之通及報告候也
            中国興業株式会社設立発起人総代
                      渋沢栄一


中国興業関係書類(DK540098k-0007)
第54巻 p.526-527 ページ画像

中国興業関係書類            (白岩竜平氏所蔵)

図表を画像で表示--

 (印)[img 図]参銭収入印紙貼用消印ノコト   (申込証ハ正副弐通ヲ要シ、壱通ニ印紙貼用、別ニ印鑑四通ヲ添付セラレタシ)                              株式申込証 




 一中国興業株式会社株式     株
右ハ貴会社定款及左記事項承認ノ上、前記株式引受致度此段申込候也
   追テ第壱回払込金相当金額 提供致置候間、他日引受確定ノ上ハ、第壱回払込金ニ御充当相成度候也
  大正二年 月 日
              住所
               申込人
                 (記名調印)
    中国興業株式会社発起人御中
一定款作成年月日 大正二年六月十四日
一目的      (一)各種企業ノ調査・設計・引受及仲介
         (二)各種ノ企業ニ対シ直接又ハ間接ニ資金ノ供給及融通ヲ為
 - 第54巻 p.527 -ページ画像 
スコト
         (三)各種債券ノ応募又ハ引受
         (四)其他一般金融並ニ信託ノ業務
一商号      中国興業株式会社
一資本ノ総額   金五百万円
一壱株ノ金額   金壱百円
一取締役ガ有スベキ株式数   壱百株以上
一本店及支店ノ所在地     本店東京市 支店中華民国上海
一会社ガ広告ヲ為ス方法    本店所在地ノ所轄裁判所ノ公告ヲ掲載スル新聞紙ヲ以テ之ヲ為ス
一会社ノ負担ニ帰スベキ設立費 金壱万円以内
一第壱回払込金額       壱株金弐拾五円
一株式申込取消        大正二年十二月三十一日迄ニ会社ガ成立セザル時ハ、株式ノ申込ヲ取消スコトヲ得
    発起人ノ氏名住所及引受株式ノ数左ノ如シ
七百株 東京市赤阪区葵町三番地            大倉喜八郎
五百株 東京市本所区横網町二丁目七番地        安田善三郎
五百株 東京市深川区清住町四番地           渋沢栄一
参百株 東京府豊多摩郡千駄ケ谷町字原宿二百番地ノ一号 倉知鉄吉
参百株 東京府荏原郡品川町北品川宿三百十二番地    益田孝
参百株 東京市赤阪区新坂町三十六番地         三村君平
弐百株 大阪市南区天王寺悲田院町三千八百四十七番屋敷 中橋徳五郎
百株  東京市赤阪区新坂町四十三番地         山本条太郎
 一申込期限 大正二年六月二十三日ヨリ同月卅日迄トス
 一取扱銀行
 東京市  横浜正金銀行支店   大阪市 株式会社三十四銀行
  株式会社台湾銀行出張所        株式会社北浜銀行
  株式会社第一銀行           株式会社住友銀行
  株式会社三井銀行       神戸市 株式会社三十四銀行支店
      三菱合資会社銀行部  京都市 株式会社三十四銀行支店
 横浜市  横浜正金銀行     上海      横浜正金銀行支店
   東京市麹町区内幸町一丁目三番地(電話新橋三、一九七番)
              中国興業株式会社創立事務所


中国興業関係書類(DK540098k-0008)
第54巻 p.527-529 ページ画像

中国興業関係書類 (白岩竜平氏所蔵)
    中国興業株式会社株式申込数確定表

                     五月二十八日現在
台湾銀行  千五百株  第百銀行   五百株
興業銀行  千五百株  満鉄     (未定)
正金銀行  千株    古河虎之助  五百株
第一銀行  五百株   山本条太郎  三百株
渋沢    五百株   末延道成   二百株
 - 第54巻 p.528 -ページ画像 
三井    千五百株  服部金太郎  二百株
三菱    千五百株  神田鐳蔵   五百株
安田善三郎 (未定)  飯田義一  (未定)
大倉喜八郎 千株    福原有信   百株
第十五銀行 五百株   根津嘉一郎  二百株
赤星鉄馬  五百株   早川千吉郎  (未定)
高田慎蔵  三百株   福島浪三   百株
馬越恭平  二百株   原六郎    五百株
川崎金三郎 二百株   中野武営   二百株
薩摩治兵衛 五百株   村井吉兵衛  百株
小池国三  二百株   森村市左衛門 二百株
益田孝  (未定)   大橋新太郎  二百株
斎藤恒三  百株    郷誠之助   二百株
和田豊治  百株    田中平八   二百株
今村繁三  二百株   高木陸郎   二百株
  計 壱万六千二百株

(朱筆書込ミ)
大坂・京都・名古屋・横浜及東京に於ける残余の分は六月二日迄に全部確定の筈なり

    中国興業株式会社日本側株式一覧表
                  総株数 弐万五千株
 氏名      株数    氏名     株数
日本興業銀行 一、〇〇〇  日本郵船会社 一、〇〇〇
大阪商船会社 一、〇〇〇  柳生一義   一、〇〇〇
三井合名会社 一、〇〇〇  三菱合名会社 一、〇〇〇
大倉喜八郎    七〇〇  住友吉左衛門   七〇〇
南満洲鉄道会社  六〇〇  渋沢栄一     六〇〇
第一銀行     五〇〇  第百銀行     五〇〇
中川小十郎    五〇〇  久原房之助    五〇〇
安川敬一郎    五〇〇  安田善三郎    五〇〇
松方巌      五〇〇  藤田平太郎    五〇〇
薩摩治兵衛    五〇〇  原六郎      三〇〇
日本棉花会社   三〇〇  若尾民造     三〇〇
高田慎蔵     三〇〇  浪速銀行     三〇〇
倉知鉄吉     三〇〇  山口銀行     三〇〇
益田孝      三〇〇  古河虎之助    三〇〇
赤星鉄馬     三〇〇  麻生太吉     三〇〇
三十四銀行    三〇〇  北浜銀行     三〇〇
三村君平     三〇〇  茂木惣兵衛    三〇〇
住友銀行     三〇〇  井上準之助    二〇〇
岩本栄之助    二〇〇  今村繁三     二〇〇
服部金太郎    二〇〇  日清汽船会社   二〇〇
西脇済三郎    二〇〇  大橋新太郎    二〇〇
川崎金三郎    二〇〇  樺山愛輔     二〇〇
神田鐳蔵     二〇〇  田中平八     二〇〇
 - 第54巻 p.529 -ページ画像 
根津嘉一郎    二〇〇  中橋徳五郎    二〇〇
中島久万吉    二〇〇  村井吉兵衛    二〇〇
小池国三     二〇〇  郷誠之助     二〇〇
広岡恵三     二〇〇  森村市左衛門   二〇〇
岩下清周     一〇〇  原富太郎     一〇〇
早川千吉郎    一〇〇  大石広吉     一〇〇
大谷嘉兵衛    一〇〇  小田切万寿之助  一〇〇
尾崎敬義     一〇〇  和田豊治     一〇〇
渡辺福三郎    一〇〇  川崎芳太郎    一〇〇
門野重九郎    一〇〇  田中源太郎    一〇〇
高木陸郎     一〇〇  高峰譲吉     一〇〇
左右田金作    一〇〇  中村房次郎    一〇〇
中野武営     一〇〇  武藤山治     一〇〇
山辺丈夫     一〇〇  山本条太郎    一〇〇
松方幸次郎    一〇〇  馬越恭平     一〇〇
福原有信     一〇〇  福島浪蔵     一〇〇
藤瀬政治郎    一〇〇  鴻池銀行     一〇〇
浅野総一郎    一〇〇  安部幸兵衛    一〇〇
佐竹作太郎    一〇〇  菊池長四郎    一〇〇
三好重道     一〇〇  塩原又策     一〇〇
末延道成     一〇〇
    支那側発起人名及引受株数
  千株                孫文
  八百株               印錫璋
  四百株               李平書
  四百株               顧馨一
  四百株               張静江
  四百株               周金箴
  四百株               朱葆三
  四百株               沈漫雲《(沈縵雲)》
  四百株               宗嘉樹
  弐百株               龐青城
  弐百株               王一亭


当社の沿革 一(DK540098k-0009)
第54巻 p.529-531 ページ画像

当社の沿革 一           (中日実業株式会社所蔵)
    当社の沿革
創立より改組まで
大正二年三月、当時中華民国全国鉄路籌弁全権たりし孫文氏日本に来遊の際、渋沢子爵に面会し、談偶々日支両国の経済聯絡並に民国に於ける富源開発の事に及ひたるが、之が実行機関として両国合弁に成る企業機関設置の必要を認め、当会社創立の議起れり、蓋し中国に於ける日本の投資機関としては東亜興業株式会社あれと、同社は純然たる日本法による株式会社なれば、業務遂行上不便とする点尠なからす、之か目的貫徹には両国実業界有力者の出資による合弁組織の株式会社
 - 第54巻 p.530 -ページ画像 
新設を可とするとの趣旨に外ならす、竟に渋沢子爵提唱の下に、同月二十日第一回発起人会を三井集会所に開催し、日本側は渋沢子爵を首とし、大倉喜八郎・安田善次郎・益田男爵・倉知鉄吉・三村君平・山本条太郎の諸氏出席し、中国側は孫文氏代表し、通訳には随員たる戴天仇氏之に膺り、最初の協議を遂け、大体の方針を確立したるが、爾来日本側は渋沢子爵親ら之に膺り、中国側は孫文氏を主体とし、両者の聯絡には高木陸郎・森恪の両氏之に膺りたり、而して第二回発起人会は四月二十日に三井集会所に於て開催され、会社設立発起人として公表すべき員数、人選、会社の資本金・定款其他附随事項に就き協議を遂げ、五月十九日第三回発起人会を帝国ホテルに開催し、発起人は日本側八名、中国側八名、計十六名とし、其人選、引受株数等を協議したり
越へて六月十四日発起人及関係者一同を帝国ホテルに招集し、発起人総会を開催し、発起人を確定したる上、定款並に株式申込証を作成し確定発起人に於て凡て之を承認し、定款並に発起人会決議書に調印を了したり
 日本側発起人八名
  渋沢栄一・大倉喜八郎・安田善次郎・益田孝・倉知鉄吉・三村君平・中橋徳五郎・山本条太郎の八氏に確定す
 中国側発起人八名
  孫文・印錫璋・李平書・顧馨一・張静江・周金箴・朱葆三・沈縵雲・宋嘉樹・龐青城・王一亭の十一氏中より選定す
 一商号  中国興業株式会社(中国興業股份有限公司)
 一資本  金五百万円(壱株金壱百円とし、総株式数五万株、之を日支両国各半額宛、即ち金弐百五拾万円宛として第一回払込額は四分の一、即ち一株につき金弐拾五円とす)
一目的   (一)各種企業の調査・設計・引受及仲介
      (二)各種の企業に対し、直接又は間接の資金の供給及融通なすこと
      (三)各種債券の応募又は引受
      (四)其他一般金融並に信託の業務
一本支店の所在地
      (一)本店 日本国東京市
      (二)支店 中華民国上海
株式の割当は、日本側に於ては東京に於て約一万八千株、大阪地方に於て約六千株、其他に於て一千株を引受くることとし、一般の募集を廃し、関係者一同にて引受け、第一回払込株金相当額を六月二十三日より同三十日迄に株式申込みと同時に払込み、引受確定の上之を直ちに株金払込に充当することとし、事務進行上諸般の打合せを為すため創立委員として三村君平・門野重九郎・倉知鉄吉・山本条太郎・井上準之助・志立鉄次郎・柳生一義及渋沢栄一の八氏を選定せり、而して右の趣は当時上海に在りて孫文氏其他の中国側と折衝の任に膺れる高木陸郎・森恪両氏に通知し、中国側に於ても必要なる創立準備を為さ
 - 第54巻 p.531 -ページ画像 
しめたり
是より先き当会社は準拠法を日本商法と定めたるにより、創立事務は主として東京に於て取扱ふこととし、創立事務所を東京市麹町区内幸町一丁目三番地万国館内に設け、倉知・尾崎氏は書記二名(畔田明・野口米次郎)を使用し、五月二十六日以来執務することとなり、全国実業界有力者に対し、渋沢委員長より左の書簡を発送して、之か賛同並に株式引受方を慫慂せり
拝啓 益々御清適奉賀候、陳者過般中華民国孫文氏と小生との間に於て日支合弁中国興業会社設立の相談相試み、爾来中華民国に於ては上海の重なる実業家諸氏の賛成を得、着々設立準備進捗の模様に有之候、経済上に於ける日支連絡の必要なるは今更申上候迄も無之又該企劃は営利事業としても将来有利なることゝ存居候次第にて、右会社設立に就きては、我国側にても予め其筋及有力なる銀行並に事業家の賛成を得、既に大多数の株式予約も決定致し、近々会社創立の運相付き候に就ては、此際是非発起人且つ賛成者として相当株式御引受相願ひ、将来同会社経営上充分の御援助賜はり候様偏に懇願致候、右ニ付き甚た恐縮御手数の至りに候へ共、御賛成の上御引受株数御一報相煩し度、併せて御願上候 匆々敬具


当社の沿革二(DK540098k-0010)
第54巻 p.531-534 ページ画像

当社の沿革二            (中日実業株式会社所蔵)
拝啓 小生事去月十八日中国鉄路公司楼上にて御面会の翌日帰京の途に就き候より既に一ケ月と相成候、当地にて諸事進行の模様は屡次藤瀬・森両氏迄申送置候ニ付き、其都度御聴取のことと存候、山田純三郎氏は本月九日出発貴地に赴かれ候間、自然諸事御聴取と存候、扨昨日渋沢男爵より貴台に左の通御伝へ申呉れとの御依頼有之候(以下渋沢男爵の伝言)
中国興業公司に就きては、去ル四月十九日附貴翰を以て、目下政治問題にて御繁忙の際にも拘はらす、貴地にての諸準備着々御進捗の由拝承し、忻懐に堪へす、当方より疾に御返事致すべき処、準備稍や遅れ候為、老生より今以て書面差上兼候次第にて、第一には老生去月○三月来微恙に罹り約一ケ月引籠り居候と第二には当方株主中には将来貴国にて実地に事業経営を希望する向も可有之に付、全国金融界・事業界の有力者を網羅すべき様との注文も有之候儘、其積りにて極力財界実業界に提唱致候処、欣然之に賛同し陸続株式引受の申出有之、之か割当其他にて意外の時日を費し候、然るに突如五国大借款前渡金問題勃発し、山本条太郎氏宛貴電によれば、倘し五国財団が前渡金を承認せば、南北の抗争倍々劇烈となり、其結果南方不利に陥り、延ひて東洋の平和を蠹毒するに付、決して前渡金の応諾せられさる様云々と承り又井上侯爵より懇諭の次第も有之、深く閣下の地位を諒とし居候に付首相並に外相に前後三回も面会致し、民国南方一帯と日本との通商上の利害を説き、先般御来遊の際に於ける実情を述へ、其考慮を求め候即ち初次には鄙見を開陳し、第二回には井上侯の命を伝へ、第三回には高木氏に宛てたる貴電の次第を述へ、鄙見をも披瀝致し、要路諸公の省察を請ひ候処、深く閣下の地位に同情せられ候、惟ふに五国借款
 - 第54巻 p.532 -ページ画像 
は其由来する所甚た遠く、幾多の曲折を経て今日に至り、其間列国の利害も等しからす、中には猜疑を抱き、異議を挟み、進行を阻碍するものもありて、動もすれば歩調の整一を欠き候事一再ならす、万一本借款の成立を見されば、或は財政上にて貴国は破産の悲運を招徠するやも難料、之か為め列国瓜分の端を啓き、東洋和平に最大の影響を及ぼすこと少なからず、日本は主として斯る惨禍を未萌に防く見地より極力斡旋し、漸く其成果を見たるに、若し今日本が突然契約破棄と同様なる挙に出で《(なば脱)》、列国の歩調を攪乱すべしとのことにて、積日の奔走徒らに水泡に帰し、老生を信頼しての御懇嘱に毫も効果のなかりしは寔に漸愧に堪へす、中国興業会社創立に就きては、今日貴国の改変に対し杞憂を抱く者も有之候へども、原来政局と何等関係なく、殊に中日経済界の連絡は東洋平和に対し賚す所の利益至大なるは一般の認むる所に有之、政府の要路も均しく此挙に賛成され、既に積極的援助を与ふることを言明され、又特殊銀行たる日本銀行・横浜正金銀行・日本興業銀行・台湾銀行の各首脳者、並に三井・三菱・大倉・安田等の各実業家とも会合し、慎重商議を重ね、株式の割当数等をも決定し、数日内に書面差上くべき手筈に有之候得共、余り時日を経過致候故、高木氏に依頼し右事情達貴聞候、尚藤瀬氏には別に書面差出置候間、同氏より親しく可申上事と存候、尚又過日李平書氏来京の節、当地の事情は委細御話申置候、老生は同氏出発前に中国興業会社関係の人々を集め、李氏に御紹介致し度、其手配致候折柄、借款前払全問題の決定相成り候為、至急貴聞に入るゝ必要起り、急遽退京され候は遺憾の次第に御座候、何卒御序の節李氏に可然御伝へ被下度候
以上は渋沢男爵より御依頼の大要に有之、山田氏の帰滬に際し、委曲は同氏より貴聞に達する様依頼致置候、申迄もなく渋沢男爵は実業界の泰斗にて、全国各界の輿望を一身に荷はれ候のみならす、日支関係に付ては深甚の関心を抱かれ、特に閣下及関係諸氏に対し、満腔の同情を以て極力斡旋せられしこと、貴良友の名に背かす、今回の借款前払問題に関し、閣下の友人に此公ありて貴嘱に尽瘁されしをは衷心懽悦を禁せす、現に我国有識階級にては貴国の現状を五十年前の我維新当時に比し、閣下等を薩長二藩の勤王家に擬し、最後の大勝を疑はす只時期尚早の嫌ありとは万口同音に有之、小生は閣下を総裁に戴くべき中国興業会社の成立し経営緒に就候は其爛熟の頃乎と存候(下略)
  五月十八日○大正二年
                      高木陸郎
    孫中山先生
  ○五国借款ハ、民国二年(大正二年)四月二十六日日英仏独露五ケ国財団ト袁世凱トノ間ニ結ハレタル二億五千万円ノ借款ヲ云フ。是ハ北京政府ノ命脈ヲ繋ク一大資源トナリ、且南方派弾圧ノ軍資ニ流用セラレタリ。
  ○四月十九日付孫文書翰ヲ得ズ、蓋シ右五国借款ノ成立ニ反対シ、ソノ日本側不参加運動ヲ栄一ニ請ヒタルモノカ。
 拝啓 御帰国後既に三ケ月と相成候、先頃四月十九日附貴翰に接し早速御返書可差上の処、種々なる差支有之候儘、高木氏を通し本月十八日を以て申進置候間、定めし御覧済のことと存候、今回又本月
 - 第54巻 p.533 -ページ画像 
十七日附貴翰拝受御来示の次第逐一敬承、貴国政界多事、何彼と御繁忙の際にも拘はらす、益々御勇健の由、不堪慶賀候、然者北京政府に於て既に調印を了したる五国借款を戦費に流用せさる様制限したく、之が斡旋方法依頼相成候処、我政府に於ては東洋平和維持の目的により、欧米各国をして中国瓜分の端を啓かしめさる様、不断の注意を払ひ、本借款の交渉開始以来、進んて居中調停の任に膺り引続き列国間の斡旋ヲ努め居る為、今回の御来嘱に副ふ能はさりしは遺憾なりしも、一に是れ至誠に出でしものにて、我国朝野の苦衷御諒察相成度候、必竟北京政府は今回御申越の如き本借款を戦費に流用し、南方圧迫の挙に出て間敷く、其御懸念の要無之と存候、過日政府当局に面会の折、其意嚮の老生と同一にて、且つ本借款を戦費に充当し、南方政党威圧の具に供するか如きは絶無の事にて、当初列国中にも斯る考を抱き居る向もありたれば、借款の用途は一々之を五国の推薦する監督員に明示し、其承認を経ることに取極めたりと申され候、然る上は平和に有害なる戦費に流用する能ハす、随て之に因り政争劇甚を加へ、挙国戦乱に導く等の虞なきに付、決して御心配は無きことと存候、唯貴国政局の現状は誠に憂慮に堪へす貴台は天資英明頗る時務に通し居られ候こと故、東亜の大局に顧み宜しく隠忍自重、終局の勝利を獲ることに力められ度、南北の主義相反せるは氷炭も啻ならされば、其争ふや立憲的行動に出ること已むを得さる処なれど、今南方の準備未た完成の域に達せさるに、激情の余り、北方の誘致する処となり、大局決裂し、砲火を交ゆることゝなれば、国民塗炭の苦を享くるのみならず、時局は益々紛糾し列国をして通商保護に藉口し、国政に干渉し、或は領土分割の端を啓くことゝなり、其極東亜の大乱となり、影響する所至大なるべきは贅言を要せす、万一にも斯る事態の発生せば、其主義政見が如何に善美なりとも、恐らく之を施す所なき次第なれは、何卒鄙見を諒とせられ、十分心神を冷静に持され、深謀遠慮、必す軽挙して他の術策に陥らさる様、専ら東洋平和と同種保持を目的とし、一箇の忍字を大切に守り、静かに時機の至るを待たれ度し、其時期は決して悠遠のものに有之間敷、昔張公芸は帝の下間に対し百箇の忍字を書し奉答せりと申伝候、今老生も忍字を以て貴台に進め候間、何卒等間視せられ間敷候、貴国の政争は貴国内部のこととは申せ、東亜の全局に関するのみならす、世界の大局に至大の影響を及ぼし候ヘハ充分御考慮相煩度、御懇意の間柄なれは鄙見を述へ忠言を呈し候事老生の義務なりと相信し申候
 中国興業公司に就きては、去ル二十六日電報にて一切の事情申進め候通、日本側発起人の引受株数は全部確定し、立替金に付ても承諾を得候、而して日本側株主は有力実業家の全部を網羅致候為、株式の割当等に種々なる事情あり、為に遅延致候、代表者派遣は大に相後れ誠に遺憾に存候、多分来月初旬全部決定し、同二十日前後には代表出発のことと可相成候、回顧すれば本年三月貴台と中国興業公司創立の御相談致候てより已に三箇月、此間多少の曲折を見候へ共全体より見て好成績に有之候、相互の誠意を見るに足り、東亜百年
 - 第54巻 p.534 -ページ画像 
の大計の為め欣慰措く能はさる所に御座候、何卒為国家御自愛専一ニ存候 早々不尽
  五月 日○大正二年             渋沢

    孫中山先生
本書と行違に孫文氏より渋沢男爵に宛て五月二十七日附の書面を寄せ尚六月三日附の書面にて南北の抗争倍々劇烈となり、孫氏は広東に急行の必要起りたれは、当会社創立に関する一切の件を黄興・陳 《(陳英士)》・王 《(王亮疇)》の三氏に共同処理方を委任したれは承知ありたしとの趣を申越せるにつき、渋沢男爵は成功を急くの余り軽挙盲動せさる様懇々勧告し、諸事忍の一字を守られ度しと丁寧親切に回答されたり
 拝啓 然者去ル五月二十七日並ニ六月三日附貴翰前後入手、御来示ニよれは貴国政界の紛争は益々甚劇と相成候由、遺憾至極に存候、貴国南方の諸氏は何れも明識にして、汎く世界の大勢に通暁さるゝも、概して少壮気鋭、事を処するに方り稍や成功を急ぐの嫌あり、此際貴台の態度は前書に絮述致候通、飽く迄忍の一字を固守せられ万事忍字を以て処理さるゝ方穏妥と存候、現在に於ける貴台の御胸中拝察に余りあり、誠に御気の毒に堪へす、何卒忍耐持久徐かに英気を内に養はれ、終局の勝利を期せられ度希望致候、老生は御懇意なれは、既往は勿論現在も又将来も当然諸事御援助致し、友誼を全ふし可申候間、御諒承相成度候
 中国興業公司創立に付ては貴台此度広東に赴かるゝに付、留守中一切の事項を黄克強・陳英士・王亮疇の三氏に於て共同代理せらるゝ趣拝承致候、目下日本側にては公司の株式引受を申込む向頗る多く誠に盛況を呈し、申込株数は既に定額より数千株を超過致候間、此等株主に対し振当数の減少を交渉致居候、已に本月十四日には株式の割当数確定致候処、此等株主は皆一流の銀行家及実業家にて、何れも満腔の熱誠を以て本事業を賛助せんとする者に有之、其氏名は別表御一覧被下度候、日本側発起人に於ける創立準備事項は最早完成致候間、本月十九日創立委員会を開催し、貴国へ出張すべき代表者の選定、及貴国側発起人諸氏と御協議可致事項に付慎重討議致し代表者には山本条太郎氏を煩し、不日発程、貴地にて諸氏と御相談申すべきことに決定致候ニ付御承知置被下度、右申進候 敬具
  六月 日○大正二年             渋沢
    孫中山先生