デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
5款 中日実業株式会社
■綱文

第55巻 p.5-12(DK550001k) ページ画像

大正3年4月25日(1914年)

是ヨリ先、栄一ノ主唱ニヨリ、孫文一派ト合辦シテ設立セラレタル中国興業株式会社ハ、其後、中華民国ニ於ケル政情変化セルタメ、孫文ノ諒承ヲ得テ北京政府側ト提携スルコトトナリ、之ガ具体的条件ニツキ、同政府当局ト折衝ヲ重ネタル結果、会社改造ニ関スル両者ノ協定成リ、是日、東京商業会議所ニ開カレタル第一回定時株主総会ニ於テ、会社名ヲ改メテ中日実業株式会社トシ、中華民国側取締役ニ楊士琦・孫多森等四名ヲ、同監査役ニ胡宗瀛ヲ選任シ、且ツ総会終了後ノ取締役会ニ於テ、楊士琦ヲ総裁ニ互選シ、更ニ、北京政府農商総長張謇等五名ヲ相談役ニ推挙ス。中華民国側ノ持株モ亦、北方派ノ手中ニ移リ、且ツ政府資金ヲ以テ支弁セラレタル結果、恰モ同国ノ官設機関タルノ特質ヲ備フルニ至ル等、玆ニ会社ノ性格ハ全ク更新ヲ見ルニ至ル。

栄一、引続キ相談役トシテ在任歿年ニ及ブ。

尚、是年一月、北京政府ヨリ派遣セラレタル劉崇傑一行来日ス。


■資料

中国興業関係書類(DK550001k-0001)
第55巻 p.5-6 ページ画像

中国興業関係書類             (白岩竜平氏所蔵)
  大正二年十二月六日
                 中国興業株式会社
                    尾崎敬義(印)
    白岩竜平殿
拝啓
陳者社名及本店変更問題ニ関スル支那側ノ照会ニ対シ、去ル三日相談役会ノ決議ニ基キ北京宛返電致置候処、昨五日午後八時着ヲ以テ左記ノ通来電有之、総テ相談役会ノ決議通リ決定候趣ニ就キ、左様御承知被下度候
 本店ノ件ハ相談役会決定ノ通リ本店ヲ東京ニ、総局ヲ北京、又ハ天津ニ置クコトニ支那側ヲ同意セシメタリ、之ニテ大綱ハ総テ協定出来タ、当地ニテハ之ヲ成効ト認メ居ルモ、貴方デハ余リ御満足ニ非
 - 第55巻 p.6 -ページ画像 
ル様故、協定済ノ事項ハ之ヲ仮契約トシ、帰朝ノ上確答ヲ為スコトトシタリ云々(以下略)
尚北京ニ於ケル協定済ノ事項念ノ為メ左ニ申上候
一、会社ノ総裁ニ楊士琦ヲ推薦スルコト、
一、会社ノ名称ヲ中日企(起)業株式会社ト改ムルコト、
一、会社ノ本店ハ東京ニ置キ、更ニ北京、又ハ天津ニ支店ヲ設ケ、之ヲ支那総局ト称シ、支那ニ於ケル各支店ヲ統轄セシムルコト、
一、会社ノ国籍ハ日本ニアルモ、別ニ支那政府(商工部)ニ登録シ、支那会社ト同一ノ特権ヲ得ルコト、
右取急ギ申上度、委曲ハ拝芝ノ上ニ譲リ申候 匆々敬具


中国興業関係書類(DK550001k-0002)
第55巻 p.6 ページ画像

中国興業関係書類             (白岩竜平氏所蔵)
  在北京森氏来電写
    大正三年一月十二日 午後一時五十分発同五時二十分着
「倉知副総裁来訪答礼ノ意味ニテ、支那公使館詰タリシ劉崇傑氏、楊士琦氏ノ代表トシテ明日当地出発、貴地ヘ往ク」


中国興業関係書類(DK550001k-0003)
第55巻 p.6 ページ画像

中国興業関係書類             (白岩竜平氏所蔵)
  大正三年一月十二日            北京
                         森恪
   東京
    中国興業株式会社御中
拝啓
    劉崇傑渡日ノ件
過般倉知副総裁ノ御来訪相成リタルニ対シ、支那側ヨリノ相当人物ヲ答礼ノ意味ニテ日本ヘ派遣シテハ如何ト、山座公使ヨリ熊総理・張謇楊士琦ニ注意アリタル趣ニテ、今回駐露公使館参賛ニ任命セラレタル原ト、東京公使館参賛タリシ劉崇傑氏ヲ代表トシテ渡日セシムルコトト相成リ、明日当地出発、満鮮ヲ経テ東上ノ途ニ就キ可申候
今回小生ノ張謇ト会見シタル際、同氏ハ中国興業公司改名ニ関シ頑強ニ改名センコトヲ主張致シ候ニ付、小生ハ現在ノ名称ニテ公司ノ事業ニ何等影響ヲ及ボスモノニアラザルコトヲ縷々説明致候得共、依然トシテ其主張ヲ枉ゲズ、是非上海ニ於ケル関係者等ト相談サレ度シト申出デ候、旁劉氏渡日ノ事等ニ就キ上海ニテ打合セ致シ置ク必要有之候ニ付、上海ヲ経テ帰朝致スコトニ決定シ、不取敢
「倉知来訪答礼ノ意味ニテ東京支那公使館詰タリシ劉崇傑、楊士琦ノ代表トシテ明日当地出発貴地ニ行ク、森恪本日当地出発、上海ニテ周金箴等ト打合セ帰朝ス
ト御架電申上候ニ付、先着御承知被成下候事ト存候、当電確メ旁如此ニ御座候 敬具


中国興業関係書類(DK550001k-0004)
第55巻 p.6-7 ページ画像

中国興業関係書類            (白岩竜平氏所蔵)
  大正三年一月十四日
                    中国興業株式会社
 - 第55巻 p.7 -ページ画像 
    白岩竜平殿
拝啓
愈御清祥奉賀候、陳ハ別紙ノ通リ支那国務院ヨリ東京支那公使館宛来電有之候間、不取敢供御一覧候 匆々
(別紙)
  北京来電写
    一月十二日 東京支那公使館着電
中国興業会社ノ件ニ関シ、旧臘倉知氏渡支セラレ、其協商纏マリタルニ付テハ、楊士琦氏本国ヲ代表シテ日本ニ赴キ、各実業家ヲ訪問ノ筈ナリシガ、目下已ムヲ得サル事情アル為メ、政府ヨリ秘書劉崇傑氏ヲ派遣スルコトトナリ、十三日ニ北京出発、日本ニ赴キ、各実業家ヲ訪問スルニ付キ、右ノ趣直ニ渋沢・倉知両氏ニ通知セラレ度シ、尚ホ序ヲ以テ日本外務省ヘモ通知セラルヽ様致シ度
                        国務院


中国興業関係書類(DK550001k-0005)
第55巻 p.7 ページ画像

中国興業関係書類            (白岩竜平氏所蔵)
  大正三年一月十五日
                    中国興業株式会社
                         (尾崎)
                          (印)
    白岩竜平殿
拝啓
十二月二十七日相談役会決議ニ対スル北京楊士琦氏ヨリノ返電写別紙供貴覧候 匆々
(別紙)
  北京来電写
    一月十三日午後九時五分東京着
     (訳文)
    倉知副総裁宛        北京 楊士琦氏発
「貴電拝承、社名ノ件之ヲ同人ニ商カリシニ、皆ナ謂フ、企業ノ二字ニシテ非ナレバ、亦須ラク実業ト改用スベシ、又張総長ヨリモ森恪君ニ面属セリ」


中国興業関係書類(DK550001k-0006)
第55巻 p.7 ページ画像

中国興業関係書類            (白岩竜平氏所蔵)
  大正三年一月十七日
                    中国興業株式会社
    白岩竜平殿
拝啓
予而貴意ヲ得候倉知副総裁支那訪問ニ対スル答礼ノ為メ、支那政府ヨリ簡派サレタル劉崇傑氏一行、来ル十九日午後一時五十分新橋停車場着ノ旨支那公使館ヨリ報知有之候間、不取敢御通知申上候 匆々敬具


中国興業関係書類(DK550001k-0007)
第55巻 p.7-8 ページ画像

中国興業関係書類            (白岩竜平氏所蔵)
  大正三年一月二十日
                    中国興業株式会社
 - 第55巻 p.8 -ページ画像 
    白岩竜平殿
拝啓
愈御清適奉賀候、陳者此度支那政府ヨリ派遣セラレタル公使館一等秘書官劉崇傑氏ノ齎セシ熊国務院総理・張工商総長連署ノ書状、別紙日訳御送付申上候間、御一覧被下度候 敬具
(別紙)
    熊総理張総長両氏来信訳文
拝啓
陳者去月台駕恵臨セラレ、偉論ヲ拝聴スルヲ得欣佩ノ至ニ存候、玆ニ歳華肇始ニ値フ、敬シテ維フニ、福祉綏嘉忻祝限リ無ク奉存候、中日合辦公司ノ件ニ付キ先頃御面談致シ、已ニ端緒ヲ得候、就テハ敝国ノ代表楊士琦氏貴国ニ赴クベキ筈ニ有之候処、適々病ヲ獲テ発程致シ兼候為メ、此度敝国政府ヨリ駐日公使館一等秘書官劉崇傑ニ委托シ、貴国ニ赴キ各実業家ト一切ノ事情ヲ面談致サセ度、已ニ同人ニ依嘱シ、貴台ニ御面陳申上クル様致シ候間、何卒可然御尽力被下度、尚ホ各実業家ヘ御紹介セラレ、同人ヨリ敝国政府ヘ其推誠賛助ノ意ヲ代達セシムル様宜敷願上候
公司ノ迅速ニ成立センコトハ、貴我双方均シク希望ノ至ニ御座候、先ハ右ノミ申上度、敬ンテ日祉ヲ頌シ候 敬具
  一月七日
                        熊希齢
                        張謇
    倉知鉄吉先生


渋沢栄一 日記 大正三年(DK550001k-0008)
第55巻 p.8 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正三年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴
○上略
午後五時過田中屋ニ抵リ、中国興業会社ノ饗宴ニ出席ス、平井晴次郎氏及三井物産会社・三菱会社等ノ社員十数名来会ス、夜食中支那ニ関スル種々ノ談話アリ○下略
   ○中略。
二月二十八日 晴 寒威厳ナラス
○上略 中国興業会社倉知氏来話ス○下略


(中日実業株式会社)営業報告書 第一回大正三年四月刊(DK550001k-0009)
第55巻 p.8-9 ページ画像

(中日実業株式会社)営業報告書 第一回大正三年四月刊
    営業報告書
一、大正二年八月十一日ヨリ同三年三月三十一日ニ至ル第一期営業期間ニ於テハ、主トシテ当会社組織完成ニ関スル計画ニ忙殺サレタリ由来当会社ノ性質タル日支合辦事業ニアリシト雖モ、創立ノ当時恰モ支那第二革命ノ変乱ニ際シタルヲ以テ、其組織内容ニ於テ頗ル遺憾ノ点尠カラザリシガ、今回漸ク其完成ヲ見ルノ運トナルニ至レリ
一、当期ニ於テハ前述ノ如ク組織変更準備ニ多忙ヲ極メタルヲ以テ、自ラ営業上ノ商談ニ意ヲ専ラニスル暇ナカリシモ、支那各地ヨリ借
 - 第55巻 p.9 -ページ画像 
款ノ交渉ラ受ケタルモノ拾九件、内申込金額ノ確定セルモノ日金壱千壱百参拾万円、洋銀壱千七百五万元、規銀弐百五拾万両ニ上リタリ
一、当会社ハ資金準備ノ一法トシテ欧洲資本家ト連絡ヲ取ル必要ヲ感シタルヲ以テ、大正二年九月以来英仏資本家ニ対シ資金供給ニ関スル契約締結ノ交渉中ナリ
一、当会社ハ支那各地ニ於ケル鉱山調査ノ目的ト、諸方ヨリノ調査依頼ニ応スル為メ、大正二年十月以来技師二名ヲ傭聘シ、先ツ長江沿岸ニ於ケル鉱山ノ調査ヲナサシメタリ
一、当期収支計算ハ、総収入金四万九千七百弐円弐拾六銭、之ニ対スル総支出金四万七百九拾円九拾三銭ニシテ、差引金八千九百拾壱円参拾参銭ノ利益ヲ得タルヲ以テ、此内創業費金五千七百拾四円七拾参銭ヲ償却塡補シ、差引利益金参千百九拾六円六拾銭ヲ後期繰越金トナセリ


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一七頁 昭和六年一二月刊(DK550001k-0010)
第55巻 p.9 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第一七頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 二 三 ―中国興業株式会社発起人総代○中略―昭和《(大正)》三、四、―中日実業株式会社相談役―昭、六、一一。


当社の沿革 三(DK550001k-0011)
第55巻 p.9-10 ページ画像

当社の沿革 三          (中日実業株式会社所蔵)
当会社第一回定時株式総会は四月二十五日午前十時東京商業会議所内に開かれ、出席株主総数委任状共六十九名、此株数三万六千四百株、其内本人の出席は
 日本側
  男爵 渋沢栄一氏   志立鉄次郎氏   松方巌氏
     倉知鉄吉氏   大橋新太郎氏   中野武営氏
  男爵 中島久万吉氏  門野重九郎氏   尾崎敬義氏
     浅野総一郎氏  小池国三氏    福原有信氏
     神田鐳蔵氏   若尾民造氏    森恪氏
 支那側
     孫多森氏    周金箴氏     印錫璋氏
     朱葆三氏    胡宗瀛氏
の諸氏にして、副総裁倉知鉄吉氏議長席に就き、本期の営業報告並に計算につき承認を経たる上、当会社改造の骨子たる定款の変更並に辞任支那側取締役・監査役の補欠及取締役二名の増選を提議し、定款は原案通可決し、重役は取締役印錫璋・王一亭・張人傑の三氏が辞任せる為、左の通支那側四名、日本側一名選任、又監査役沈縵雲氏辞任せる為め胡宗瀛氏選任されたり、即ち
      取締役   楊士琦氏
      〃      孫多森氏
      〃      周晋鑣氏
 - 第55巻 p.10 -ページ画像 
      〃      李士偉氏
      〃   男爵 中島久万吉氏
      監査役    胡宗瀛氏
而して楊士琦・倉知鉄吉の両氏は共同代表取締役として当会社を代表することゝなり、玆に全く当会社組織の変更を了し、社名も亦中日実業株式会社と改称し、尚周馥(前清両広総督)、張謇(現農商総長)、李経羲(前清雲貴総督)、朱佩珍(上海商総会総理)、印有模(商務印書館総経理)の五氏を相談役に推選し、各其承諾を経たり
    定款改正事項
一、中国興業株式会社定款ヲ中日実業株式会社定款ト改ム
一、第一条ヲ左ノ如ク改ム
  本会社ハ中日実業株式会社ト称ス
  但中華民国ニ於テハ中日実業有限公司ト称シ、英文ニテハ
  The China-Japan Industrial Development Company Limitedト称ス
  (原文)
  本会社ハ中国興業株式会社ト称ス
  但中華民国ニ於テハ中国興業有限公司ト称シ、英文ニテハ
  The China Industrial Development Company, Limitedト称ス
一、第二条ノ終ニ左ノ一項ヲ加フ
  前項ノ業務ヲ営ム場合ニ於テ、政府ノ許可ヲ要スルモノアルトキハ、夫々中日両国政府ニ対シ、其手続ヲ経ルコトヲ要ス
一、第四条ヲ左ノ如ク改ム
  本会社ハ本店ヲ東京市ニ、中華民国営業所ヲ北京及上海ニ置ク
  北京営業所ハ之ヲ総行ト称シ、中華民国内ニ於ケル各営業所統轄ノ任ニ当ルモノトス
  業務ノ状況ニ依リ必要アル場合ニ於テハ、取締役会ノ議ヲ経テ内外枢要ノ地ニ営業所ヲ設クルコトヲ得
  (原文)
  本会社ハ本店ヲ東京市ニ、支店ヲ上海ニ置ク
  但業務ノ状況ニ依リ、必要アル場合ニ於テハ、取締役会ノ議ヲ経テ、内外枢要ノ地ニ支店又ハ出張所ヲ設クルコトヲ得


中日実業会社書類(二)(DK550001k-0012)
第55巻 p.10-12 ページ画像

中日実業会社書類(二)        (渋沢子爵家所蔵)
(写)
  大正三年四月二十九日
                   中日実業株式会社
          殿
拝啓 陳者予テ御配慮ヲ辱フ致居候中国興業株式会社組織変更ノ件ニ関シテハ、今回愈々実行ノ運ニ相成、支那側旧株主ノ大多数ハ一律ニ会社ヲ脱退シ、同国南北ヲ通シ在朝在野ノ有力者ニ於テ之ニ代リ、新ニ株主トナルコトヽ相成申候(右新株主ノ現在表ハ別紙ニ)、依テ去ル二十五日東京商業会議所ニ於テ開催セル会社第一回定時総会ニ於テ
 - 第55巻 p.11 -ページ画像 
定款ニ修正ヲ加ヘ、社名ヲ中日実業株式会社ト改ムル件外数項ノ改正ヲナシ、且重役ノ補欠並増加選任ヲモ実行致シ、尚ホ右総会後直チニ重役会ヲ開キ、総裁及支那側専務取締役ノ互選ヲ了シ候、右新重役ノ氏名ハ左ノ通相成申候
   総裁        楊士琦(新)
   副総裁       倉知鉄吉
   専務取締役     孫多森(新)
   同         尾崎敬義
   取締役       周金箴(新)
   同         李士偉(新)
   同      男爵 中島久万吉(新)
   同    支那駐在 森恪
   監査役       胡宗瀛
   同         大橋新太郎
尚右重役会ニ於テ支那側相談役トシテ周馥・張謇・李経羲・朱葆三・印錫璋ノ五名ヲ推挙シ、又日本側相談役トシテ現在ノ十氏ノ外ニ男爵近藤廉平・中野武営ノ両氏ヲ推挙スルコトニ決定致候、右ニテ会社改造ニ関スル事項ハ一段落ト相成申候間、御礼ヲ兼ネ不取敢前記ノ次第申上候 匆々
(別紙)
    中日実業株式会社支那側株式一覧表


図表を画像で表示中日実業株式会社支那側株式一覧表

    株主    株数   楊士琦  三、〇〇〇   孫多森  二、〇二〇   周金箴  二、〇〇〇   李士偉  二、〇〇〇   胡宗瀛  二、〇〇〇   李経羲  二、〇〇〇   袁樹勛  二、〇〇〇   向瑞琨  二、〇〇〇   株主    株数  周学熙  二、〇〇〇  孫傅鼎  二、〇〇〇  聶其煒  二、〇〇〇  印錫璋    八〇〇  呉錦堂    五〇〇  朱葆三    四〇〇  顧履桂    二〇〇  張趾麟     八〇 




              日本側相談役
                    渋沢栄一氏
                    早川千吉郎氏
                    古市公威氏
                    井上準之助氏
                    志立鉄次郎氏
                    柳生一義氏
                    三村君平氏
                    山本条太郎氏
                    大倉喜八郎氏
                    小山健三氏
   ○中国興業株式会社改造ニツイテハ、大正二年十二月副総裁倉知鉄吉北京ニ於テ楊士琦ト協議セシニ始リ、後大正三年一月劉崇傑来日シテ日本側重役ト商議シ、更ニ二月取締役森恪北京ニ赴キ、農商総長張謇ト交渉シ、覚書
 - 第55巻 p.12 -ページ画像 
ヲ作製ソノ骨子ヲ定メ、是ヲ南方派株主代表印錫璋ニ諮リ、ソノ来燕ヲ俟チ、三月三十一日楊士琦邸ニ於テ、中華民国側関係者一同熟議ノ結果調印セルモノニ係ル。社名ヲ改ムルハ北京側ノ主張ニシテ、民国側持株二万五千株ノ中、周金箴等純粋ナル実業家持株四千株ヲ除キ、残余ノ国民党一派ノモノ約二万一千株ヲ全部北京側ニテ引受ケ、ソノ資金ハ北京政府ヨリ支出セラレタリ。「当社の沿革、三」ニ拠ル。