デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
5款 中日実業株式会社
■綱文

第55巻 p.44-51(DK550019k) ページ画像

大正14年2月4日(1925年)

是ヨリ先、当会社副総裁高木陸郎、北京ニ於テ中華民国執政段祺瑞ト会見シ、当会社ノタメ参戦・兵器両借款問題ノ解決促進方ヲ要望シ、又、王正廷トモ会見シテ、政局安定ノタメ、外交総長就任ヲ勧奨スル所アリ。是日栄一、当会社書翰ニヨリ、右会見顛末ノ報告ニ接ス。


■資料

中日実業会社書類(一)(DK550019k-0001)
第55巻 p.44-50 ページ画像

中日実業会社書類(一)         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正拾四年一月二十九日
            中日実業株式会社
                    専務取締役 春田茂躬(印)
    (宛名手書)
    渋沢子爵閣下
拝啓 愈々御清適奉慶賀候、陳者旧臘高木副総裁、段祺瑞・王正廷ノ両氏ト会見致候処、今回別紙ノ通リ会見記ヲ送付越シ候ニ付、玆許同封奉供貴覧候 敬具
(栄一墨書)
  十四年二月四日一覧
  段祺瑞・王正廷二氏ト会見ノ顛末及談話要領ニ付報告
  王氏ヲ外交総長タラシメ、現ニ我邦ニ特約アル無線電話案ヲ好都合ニ結了セントノ尽力

(別紙一、謄写版)
(表紙)
  大正拾参年拾弐月弐拾九日
   段祺瑞氏トノ会見顛末
                      高木陸郎

    段祺瑞氏トノ会見顛末
 大正十三年十二月廿九日午后四時、段氏ヲ吉兆胡同ナル私邸ニ訪フ偶々内務総長龔心湛氏病後始メテ来邸シ、段執政ト密議中ナリシヲ以テ、梁秘書長代リテ接待シ、龔氏ノ辞去スルヲ待テリ。四時四十分龔氏去リ、予ハ招カレテ段氏ノ書斎ニ入ル。座ニ在ルハ段氏ト予ノ二人
 - 第55巻 p.45 -ページ画像 
ノミ。一別以来ノ挨拶ヲ述ベテ後、予先ヅ曰ク
 本月一日拝眉シテ後、予ハ四日朝北京発、十日上海ニ到着シ、各方面ト応酬ノ後、十六日再ビ上海発、青島・済南ヲ経テ二十四日夜帰京セリ。今次旅行中最モ愉快ニ感シタルハ、官民共閣下ニ多大ノ希望ヲ嘱シ居ル事是レニシテ、斯クノ如キハ民国トナリテ以来未ダ見ザル所ニ係ルナリ。又上海ニテハ唐紹儀氏ト会見シタリ。小川《(少川)》(唐紹儀ノ号)謂フ。段氏個人ニ対シテハ予(唐自称)甚ダ佩服ス。但シ種々ノ内情ト形勢トハ予ヲシテ外交総長ニ就任スルヲ得ザラシメ旁々予ノ入京ハ当分見込無シト言明セリ。
 又天津ニテハ孫中山ノ秘書ト会見シ、孫氏ノ伝言ヲ聴ケリ。曰ク予(孫中山氏)ハ誠意ヲ尽シテ合肥(段氏)ト合作スル方針ナル故、公使等ニモヨク其意ヲ伝ヘラレタシ。云々ト。此時予曰ク、聞クガ如クンバ、民党側ニハ段氏ニ対シ多少ノ不満アリトノ事ナリ。事実ナルヤ否ヤト。彼曰ク然ラズ。現ニ日本ノ後藤子爵及田中大将ヨリモ、支那ノ紛乱長引キテハ、列国共同管理ノ気運ヲ醸成スル危険アル故、此際多少ノ不満ヲ忍ビ、国家ノ為メ曲ゲテ段合肥ト合作サレタシトノ意ヲ電信シ来レリ。仍テ日本知己ニハ直チニ予ノ真意ヲ披瀝シ置ケル外、吉田総領事ニモ、必ズ段氏ト合作スベキニ就キ御安心請フ旨委嘱シ置キタリ。斯ク予ハ段氏ト合作スベキ誠意ヲ有スレトモ、段氏ハ表面上予等ヲ優遇シ、裏面ニ却テ合作ヲ避クルノ傾向アルハ憾ムベシ。現ニ今回ノ時局ハ、段氏ノ名望地位ト、奉天ノ兵力ト、民党トガ合力シテ築ケルモノナルニ、今ハ已ニ民党ヲ無視シ一切ヲ処理セントスルハ何事ゾ。江西省軍務督理問題ニテハ、方本仁・胡思義ヲ推挙シテ督理・省長トセルガ、此二人ハ元来吾等民党ノ仇敵視セルモノ、如何ニ政治ヲ段氏ニ委セタリトハ云ヘ、如此ハ余リニ民党ヲ無視スルノ甚ダシキモノナル故、既ニ予(孫中山)ハ公電ヲ発シテ反対シタルニ拘ハラズ、段氏ハ遂ニ彼等方・胡ヲ任命セリ。民党ノ不満ニ思フ亦必ズシモ因無キニ非ザルナリ。云々トノ不平ヲ聴ケリ。如此不平ハ一応尤モノ様ニモ聞ユルナリ。之レ等ノ点ニ於テモ閣下ニ於テ相当考慮ヲ払ハルヽ必要アルベシ。
段氏曰ク。当方ハ民党ヲ優遇スルニ敢テ表裏ヲ有スル考ヘニハ非ザレトモ、民党方面ハ却テ種々陰謀ヲ計画シ、擾乱ヲ助成スルノ傾向アルノミナラズ、一ヲ得バ二ヲ得シトシ、二ヲ得バ又三ヲ得ントシテ饜ク所ヲ知ラザルナリ。殊ニ謡言ヲ伝播シ、民心ヲ攪乱セントスルモノアルニ至ツテハ、赦スベカラザルナリ。江西督理問題ノ如キハ従来ヨリ江西ノ地ハ江蘇・安徽・湖北ト連繋シ居ルモノナルニ、今江西ノミ切リ離シテ民党系ノモノヲ持ツテ行クモ、之ヲ維持スル事能ハザルナリ。現ニ広東北伐軍ガ直チニ方軍ノタメニ繋退《(撃)》セラレタルニ非ズヤ、故ニ民党ノ希望ノ如ク、李烈釣氏ヲ任命スルトスルモ江西ノ現勢力ハ之レヲ喜バザルハ明カニシテ、ヨシ李烈釣氏ガ押シテ江西ニ入ラントスルモ、殆ンド不可能ナル状況ニアルモノナルヲ以テ、現時ノ如キ形勢ノ下ニ於テハ、方本仁ヲ任命スル方尤モ時宜ニ適切ナリト認メタルヲ以テ実行シタルナリ。
予曰ク。斯カル問題ニ対シテハ或ハ貴説ノ如クナルベシ。但シ翻ツテ
 - 第55巻 p.46 -ページ画像 
貴下ノ内閣ヲ見ルニ、成立シテ月余、未ダ閣員全部整斉セズ。殊ニ最モ重要ナル外交総長ガ欠員ノ儘ナルニ至ツテハ、啻ニ閣下ノ威信ニ関スル少カラザルノミナラズ、引イテハ人心ヲ不安ナラシムルノ惧レ無キヲ保シ難シ。故ニ民党ニ対スル誠意ノ一表示トシテ、外交総長以下閣員ノ二・三ヲ民党系ノ人ヲ以テ補充スル事ニセラレナバ人心安定ノ上ニモ効果アルベキヲ信ズルナリ。貴意如何。
段氏曰ク。外交ニハ唐少川ヲ任命シ、未ダ唐氏ヨリ正式ノ辞退無キ為メ、他人ヲ拉シ来ルヲ得ザルノ事情アリ。
予曰ク。唐氏ノ来京シ得ザルハ上述ノ如シ。唯ダ唐氏ハ閣下ニ対スル交誼上公電ヲ以テ正式ニ辞退シ難シト考ヘ居ルナラン。然ルニ閣下ハ亦辞退無キ故他人ヲ以テ補任シ難シト云ハヾ、本問題ハ遂ニ解決ノ日無キニ非ザルカ。
段氏曰ク。唐少川ハ最初孫中山氏ガ京津ヨリ離ルヽ様ニナリタラバ就任スト云ヒ、近クハ善後会議終了後来京ストノ伝言アル故、兎ニ角少川ノ来京ヲ待ツ事ニ決心シ居ルナリ。
予曰ク。唐少川氏、孫中山氏ト合ハザルハ予モ亦承知シ居レリ。少川ヲシテ云ハシムレバ、中山ハ言行一致セズ、彼トノ合作ノ不可能ナルハ広東政府時代ノ実験ニヨリテ明ラカナリ。ト言フニ在レトモ、斯ク唐氏一人ノ事情ヲ以テ内閣ノ重位ヲ空位トセバ、単ニ外交ノ渋滞ヲ招クノミナラズ、遂ニハ執政府ノ鼎ノ軽重ヲ問ハルヽニ至ランヲ惧ルヽナリ。寧ロ党派外ノ外交家ニシテ閣下ニ同情アリ、且ツ一面ニハ孫中山氏トモ好感有ル有力者ヲ拉シ来ツテ、補任スルニ如カザルベシ。黄郛・王正廷ノ両氏、殊ニ王正廷氏ノ如キヲ擢用セラレナバ如何ニヤ。
段氏曰ク。外交ハ目下次長ヲシテ部務ヲ代理セシメ居レルニ付、外交ノ渋滞ヲ来スガ如キ心配無ク、静カニ唐少川ノ来京ヲ待ツ積リナリ
予曰ク。外交ノ件ハ閣下ニ成算アラバ予亦タ再ビ贅言セズ。然ルニ民党方面ノ態度ニ対シテハ閣下充分ノ考慮アル様切望ス。
段氏曰ク。此方面トハ許世英ヲシテ接衝セシメ居レルガ、要スルニ民党ハ口舌ノミノ勇者ニシテ、喧伝ニハ巧ミナレトモ、其議論ハ実行シ難キヲ如何ンセン。予已ニ出山シタリトハ言ヘ、各方面ニ完全ナル満足ヲ与ヘン事ハ不可能ナリ。
予曰ク。其ハ甚ダ誤リナリ。閣下ハ今民党ハ単ニ口舌ノ勇者ノミナリト言フ。然ルニ前ニ本月一日予ガ閣下ニ面接セル其夜、突然張作霖氏ガ天津ニ去リシハ何故ゾ、又十五日朝予ガ上海ニ在リシ時、上海『デエリー・ニユウス』ハ、閣下ガ十四日夜天津ニ逃亡サレタル旨掲載シタリ。是レ等ハ無論謡言ナルモ、兎角民党ニハ又民党トシテノ潜勢力アリ。閣下ガ之レヲ軽視スルハ宜シカラズ。
段氏曰ク。謡言ハ甚ダ多シ。但シ顧慮スルニ足ラザルナリ。
予曰ク。必ズシモ謡言ノミニ非ザルナリ。孫中山ニ呼応スベシト予期サルヽ軍隊、京畿ノミニテ十万ニモ及ブト称ス。殊ニ政変以来地位ヲ得能ハザルモノハ、相率ヒテ孫中山ニ走ルノ実状ニ対シテハ、閣下亦タ深甚ノ注意ガ肝要ナルベシ。現ニ孫中山氏方面ヨリハ郭泰祺ガ斎燮元・蕭耀南ニ使ヒシ、連衝《(衡)》ヲ計レルガ如キ比々皆其ノ一例ナ
 - 第55巻 p.47 -ページ画像 
リ。之レニ由ツテ之レヲ観ルモ、閣下ハ此際大度量ヲ以テ各派ニ臨ミ、各方面ヲシテ安心セシムルノ至要タルヤ論無キナリ。前ニハ王楫唐氏安福倶楽部ヲ解散シテ一党一派ニ偏セザルノ真意ヲ示シ、王印川氏亦タ天下ニ通電シ、段氏ハ段派ノ段氏ニ非ズシテ中国ノ段氏ナリト高唱セル為メ、一般国民均シク閣下ノ出盧ヲ懇望シ、殆ンド旱天雲霓ヲ望ムノ観アリシハ慶スベシ。然ルニ爾後ノ一切ハ依然一方面ニ偏倚スルノ弊竇ニ陥リ、国民遂ヒニ多少ノ失望無キヲ得ザルニ至リシヲ惜ムナリ。而カモ如斯ニシテ推移センカ、乱源益々弥蔓シテ、竟ニハ独リ貴国ノミニ止マラズ、日本並ビニ東亜全体ニモ波及スル無キヲ保セザルナリ。就テハ閣下ガ切ニ此点ヲ顧慮サルヽ様懇望ス。
段氏曰ク。然リ。人材ヲ広ク各派ニ採リ以テ各派ヲ満足セシメントハ予本来ノ祈願ナレトモ、実際問題トナレバ中々意ノ如ク行カザルヲ遺憾ト為ス。這間ノ苦心願ハクバ御推量ヲ乞フ。
予曰ク。実際閣下ガ広ク人材ヲ求メ度キ意向ナラバ、今日ノ場合外交総長モ唐氏ヲ止メ、他ヨリ適材ヲ補佐シテハ如何。唐氏ニハ予ヨリ意ヲ伝ヘ、正式ニ辞退スル様取リ計ヒテモ宜シキナリ。
段氏曰ク。其ハ却テ不可ナルベシ。兎モ角予ハ現ニ信ズル所ニ向ツテ猛進シツヽアルモノ故、暫ク傍観サレンコトヲ切望ス。日本ニ対シテハ衷心ヨリ感謝シ居レリ。カラハン大使ニ対シテハ前ニ会見セシ折、貴国ト国交ハ回復スベキモ、中国ニ適セザル主義ノ宣伝ハ真ツ平ナリト声明シ置キタリ。
予曰ク。孫中山ヲ目シテ或ル一部ハ共産主義者ト関係アル如ク吹聴スレトモ、右ハ一部ノ宣伝ニ過ギズシテ、孫トシテハ外交上、若シクハ内部ノ関係上利用シ居ルニ過ギザルナリ。要スルニ孫中山ノ共産云々ハ謡言タルヤ素ヨリナリ。
段氏曰ク。予モ亦タ然カ思フナリ。孫中山ト共産党関係ナド予ハ信ジ居ラズ。
予曰ク。予ガ閣下ニ報告セント欲セシモノハ大略上述ノ如シ。以下弊社ノ問題ニ付少シク具申セン。
 予ハ前ニ閣下ノ指図ニ遵ヒ、曹如霖氏ヲ訪ヒ、万事ヲ同氏ニ委嘱セリ。曹氏ハ又一切ヲ曾毓雋氏ニモ話シ置ク様注意サレタルニ付、予ハ直チニ曾氏ニモ其意ヲ通ジ置キタリ。曹氏ハ総裁ガ袁乃寛氏ナラバ各方面トノ折リ合極メテ好都合ナラント云ヒ居リタリ。
段氏曰ク。曹潤田(如霖)モ近ク来京スル事ニナリ居ル故、予ヨリモ直接貴下ノ意ヲ通ジ置クベシ。
予曰ク。弊社ハ参戦・兵器ノ両借款書換ヘニテ甚ダシク難渋シ居ルナリ。閣下ノ本案ニ対スル御意向如何。
段氏曰ク。誠ニ申訳ケ無シ。兎ニ角李総長ニモ申シ付ケ置クベキニ付財政部ト御交渉アリタシ。
予曰ク。本問題ハ懸案久シキニ亘リ、日本方モ亦タ一方ナラズ焦灼シ居レルニ付、閣下ヨリモ李総長ニ即時手続実行方御催促アリタシ。
段氏曰ク。委細承知シタリ。必ズ財政総長ニ催促シ置クベシ。
予曰ク。目下交通部関係ニ属スル電話借款ノ延期モ、当路ト交渉中ナ
 - 第55巻 p.48 -ページ画像 
リ。此方モ閣下ヨリ当局ニ御催促アル様切望ス。
段氏曰ク。確カト申シ伝ヘ置クベシ。
 時已ニ六時ヲ過グル十五分、段氏亦タ多忙ノ如ク見受ケラレタルニ付、再会ヲ約シテ一先ヅ段邸ヲ辞去ス。
(別紙二、謄写版)
(表紙)

  大正拾参年拾弐月弐拾九日
   王正廷氏トノ会見顛末
                   高木陸郎

    王正廷氏トノ会見顛末
大正十三年十二月廿九日午前十時、王氏ヲ鉄匠胡同ノ私邸ニ訪フ。一別以来ノ挨拶ヲ述ベ、又上海方面ノ現勢ヲ語レル後、予先ヅ曰ク。唐少川モ遂ニ外交総長ニ就任セザル旨言明シタリ、貴下ハ今日ノ政局ヲ如何ニ観ラルヽヤ。
王氏曰ク。唐氏ハ将来ヲ洞察スルノ眼光アルナリ、但シ予ハ極メテ僅カ乍ラ未ダ一分ノ望ミヲ現政府ニ嘱シ居ルモノナリ。尚ホ今後トモ斡旋スルヲ辞セザルベシ。尤モ段氏一派ニ誠意無キハ事実ニシテ、民党ノ今日不満ヲ唱フル素ヨリ其ノ所ト言フベキナリ。前ニハ孫中山折角北来スト言フヲ、其到着ヲ待タズ急遽入京シテ独断ニテ執政府ヲ設立シタリ、是レ民党ニ取リ不平ノ種子タル事勿論ナルベシ。又段氏今日ノ地位ハ東三省・民党・段派ノ三者ガ提携シテ設立セル株式会社ニ外ナラザルナリ。然ルヲ重要ナル民党ノ株主ニハ相談セズ、自派ノミニテ勝手ニ一切ヲ処理スル専横行為ニ至ツテハ恐ラク何人モ憤激セザルハ有ラザルベシ、就テハ此点段氏自身反省スルノ要アルベク、予トシテハ失望ノ裡ニモ尚ホ助力シ度シト思フナリ。
予曰ク。然ラバ段氏若シ貴下ヲ外交総長ニ推サバ、貴下出山サルヽヤ如何。
王氏曰ク。場合ニヨリテハ引キ受ケテモ宜シキナリ。
予曰ク。可ナリ。中国ノ統一玆マデ進行シ乍ラ再ビ崩壊センハ惜ムベシ、万一執政ニシテ失敗センカ、独リ貴国ノミナラズ、遂ニハ東亜ノ大乱ヲ招致セザルヲ保シ難ク、此際、小異ヲ捨テ大同ニ就キ、邦家ノ為メ曲ゲテ和平ヲ計ルガ専一ナリ、若シ貴下愈々出山ヲ決心シ段氏ト民党トノ中間ニ立チ、楔子ノ役ヲ勤メラルヽヲ得バ、邦家ノ為メ此上無キ大幸ト信ズルナリ。予ハ本日午後四時段執政ト会見スル約束ナルガ、段氏ト会見スル前先ヅ貴下ニ会見ヲ求メタル事情又実ニ予メ貴下ノ真意ヲ確メ置カント欲セルニ由ルモノナリ。尚ホ予ハ貴下ト晤談スル前、張我華氏トモ会見シ、貴下ノ段執政ニ対スル意向ヲ聴取シタルガ、張氏ハ外交方針ハ政党政派ヲ超越シテ確立スベク、段氏ニシテ希望セバ王氏モ政派ヲ離レ、単ニ国民ノ一分子トシテ奔走スル決心ナル旨言明シタリ。由ツテ予モ玆ニ始メテ安心シ特ニ来リテ責下ノ真意ヲ確メント欲セルナリ。
王氏曰ク。然リ。段氏ニシテ誠意ヲ以テ希望セバ、予モ国民ノ一分子トシテ尽力スベシ。然ルニ段派中ニハ策士頗ル多ク、予ノ出盧ヲ希
 - 第55巻 p.49 -ページ画像 
望スルヤ否ヤハ又尚ホ疑問ナリ。
予曰ク。今日段氏ト会見シ、談、外交問題ニ及バヾ、予ハ貴下ヲ推挙セント欲スルナリ。故ヲ以テ先ヅ貴下ノ意中ヲ聞キ置キ度シト思フノミ。
王氏曰ク。斯カル内情ハ他人ニハ打明ケ難キモ、貴下ナラバコソ腹蔵ナク開陳シタリ。
予曰ク。貴下ノ真意ハ諒解シタリ。唯ダ貴下ガ外交総長ニ就任ノ暁、諸懸案ヲ如何ニ処理スル考ヘナルヤ。例ヘバ日本トノ懸案ナル無線電信問題ノ如キハ如何ニ処理セラルヽ考ナリヤ。
王氏曰ク。予ハ該案解決ニ対シテモ予個人トシテノ私案ヲ有ス。但シ固ヨリ私案ナレバ未ダ何人ニモ打明ケザルナリ。
予曰ク。貴下ノ私案ナルモノ如何。
王氏曰ク。予ヲシテ云ハシメバ、日本トノ契約トテモ完全ノモノニ非ズ、法律的解釈上ヨリ見テハ多少ノ欠陥アリト信ズルナリ。然レドモ本問題ノ第一要点ハ、双橋無線電信設備ガ果シテ完全ナルヤ否ヤニ在ルト思フナリ。若シ該局設備完全ニシテ、欧米トノ通信ニ堪ユルトセバ、支那ノ現状ニ於テ此上更ニ新ニ大無線電台ヲ創設シ、国家ノ負担ヲ増加スルノ要アル事無キナリ。故ニ一方日本ニ対シテ其独占権ヲ取消シ、已ニ完成セル双橋無電台ヲ支那ニ回収スル事ヲ要求シ、米国ニ対シテハ其契約ヲ取消スベキガ至当ナリ。尤モ米国トテ之レガ契約ヲ為シ今日ニ至ル迄相当ノ失費ヲナシタルベケレバ、之レニ対シ支那トシテハ相当ノ賠償支払ヲ要スベキナリ。又日本ノ独占権ニモ前キニ言フ如ク法律的解釈上多少不備ナル点ハ存スルナリ。即チ日本ノ二十年間ノ独占権ハ、契約本文ニ明記セルニ非ズシテ、附属文トシテ交換文書ニ記載シアルモノナルガ、殊ニ此附属公文タルヤ、本契約調印後二週間後ニ交換サレタリト言フニ至ツテハ効力上多少ノ疑問無キヲ得ザルナリ。又単ニ三十年間独占権ト言フモ、何時ヨリ効力ヲ発生スベキヤ之レ亦タ附属公文中ニハ明文無ク唯本契約ニヨリ其効力発生ヲ無線電台完成ノ日ヨリ起ルト解釈シ得ルナリ。若シ斯ク解釈セバ、交通部ト米国トノ契約ハ日本トノ契約ノ効力発生前ニ締結シタル事トモナリ、必ズシモ不合理ナリトハ為シ難キナリ。兎ニ角紛糾セル懸案ノ解決ハ各方トモ多少ノ犠牲ヲ忍ブガ肝要ナラン。要スルニ国際間ノ関係ハ対手国ニ求ムニ、ソノ意向ヲモ顧ミズ唯自己ノ満足ノミヲ求メ、他ニ対シテ余リニ厳峻ニ過グルハ不可ニシテ、此厳峻ナル結果コソ将来再ビ紛争ノ惹起スル素因タルヲ知ルベキナリ。例ヘバ普仏戦争ノ如キ亦其一例ナルベシ。当時独逸ガ仏蘭西ニ求ムル事斯クマデ厳峻ナラザリセバ、今次ノ欧州戦争モ勃発セザリシヤ必然ナルベク、又今次巴里媾和会議ノ余リニ独逸ニ求ムル厳峻ナリシ結果ハ、今日尚ホ欧州政局ニ暗雲ヲ低迷セシメ居ルニ見テモ明ラカナリ。サレバ日支米三国ノ難案タル本件ニ関シテモ、双方余リニ完全ヲ期待スルハ無理ニシテ、結局ハ互譲ニ由ルノ外道無キナリ。仮リニ今米国トノ契約ヲ取消ストスルモ、日本トノ契約ヲ理由ニ無償ニテ破棄センハ不可ニシテ、必ズヤ相当ノ賠償ヲ支払ヒ円満ニ解決スルガ妥当ナリ。
 - 第55巻 p.50 -ページ画像 
予曰ク。貴説ハ十分ニ諒解シタリ。但シ予ハ本問題ニ対シ門外漢ニシテ、唯タ日支ノ国交上円満ニ解決ヲ希望スルニ過ギザルモノ、庶幾クハ貴下亦タ両国親善ノ為メ本案解決ニ尽力アラン事ヲ希望ス。
王氏曰ク。委細了承シタリ。必ズ微力ヲ致スベキヲ約束スベシ。
此ニ於テ予ノ王氏ヲ訪ヘル目的ナル『彼ノ執政府ニ対スル態度』『外交総長ニ就任スル意志アルヤ否ヤ』『無線電信案ニ対スル彼ノ真意如何』等略々已ニ明瞭シタルヲ以テ、予モ一先ヅ王邸ヲ辞去シタリ。


(中日実業株式会社)第拾弐回営業報告書 自大正拾三年四月至大正拾四年参月 一―二頁刊(DK550019k-0002)
第55巻 p.50 ページ画像

(中日実業株式会社)第拾弐回営業報告書
                自大正拾三年四月至大正拾四年参月 一―二頁刊
    営業報告書
      第一 業務ノ概況
大正拾参年四月壱日ヨリ大正拾四年参月末日ニ至ル第拾弐回営業期間ニ於テハ、前期ニ引続キ専ラ事業整理ノ促進ニ努メ、極力債権ノ回収ヲ謀ルト共ニ、負担ノ軽減ニ努力ヲ尽シ来レルモ、未ダ整理ノ完結ヲ見ルニ至ラズ、然レトモ支那ニ於ケル動乱ノ際ニ於テモ、尚且ツ債権ノ回収ニ相当ノ成績ヲ挙ゲ、整理事務ハ頗ル順調ナル経過ヲ示シ居レリ、今業務ノ概略ヲ摘記センニ
一、借款
 交通部電話借款壱千万円ノ新規書換ハ、大正拾参年秋季ノ奉直戦乱ノ為期日ニ於テ実行ヲ見ザリシモ、次期ニ於テ必ズ之ガ解決ヲ期ス可ク、利払借款ニ対スル月賦金ハ毎月約参万元宛ノ取立ヲナス事ヲ得、又山東省実業借款ハ契約ニ従ヒ毎月六万円宛ノ月賦入金ヲ順調ニ継続セシムルヲ得タルヲ以テ、大体満足ナル成績ヲ挙ゲタリト認ムルコトヲ得ベシ
○中略
一、債権取立委任
 当社ハ前期以来取立委嘱ヲ受ケタル各口債権ノ回収ニ対シ極力努力シタルモ、未ダ成功スルニ至ラザルハ誠ニ遺憾ニ堪ヘザル所ナリ、然リト雖モ既ニ大体ノ諒解ハ之ヲ取付ケ得タルヲ以テ、次期ニ於テハ株主諸君ニ対シ満足ナル報告ヲ為シ得ラル可キヲ信ズ
○中略
要之、本期ノ業績ハ未ダ満足スルニ足ラザルモ、一般財界不況ノ折柄緊縮ト積極ト寛厳宜敷ヲ制シ得テ、次期発展ノ基礎ヲ培ヒタル処尠少ナラザルヲ信ズルモノナリ


集会日時通知表 大正一四年(DK550019k-0003)
第55巻 p.50 ページ画像

集会日時通知表 大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 日 午前九時 高木陸郎氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
八月廿六日 水 午前九時 高木陸郎・春田茂躬両氏来約(アスカ山邸)


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK550019k-0004)
第55巻 p.50-51 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 曇 寒
 - 第55巻 p.51 -ページ画像 
午前○中略高木陸郎氏ノ来訪ニ接シ支那政府ト経済界ノ現状ヲ聞ク○下略
   ○栄一当会社相談役トシテ三月十二日孫文死去ニ対シテ弔電ヲ発ス。本資料第三十八巻所収「外賓接待」中「中華民国国民党党主孫文歓迎」大正十四年一月二十八日ノ条参照。